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第189話 反旗のはためく時


 枯風乱嵐ヴェン・テンペスタース疾風迅槍(ヴェン・ランシィーア)、大嵐の二重奏を無理やり注ぎ込まれた火炎瀑滝(フラマ・カタラクタ)はやがて魔剣(アル・グレイシア)の生み出した永久氷塊を溶解させるまでの熱量に至った。

 液体の段階を通り越して一気に昇華させられた魔氷は物理法則に従い膨張し、秘められたその圧力の全てを二人の中間で爆発させた。

 空間そのものを殴りつけたかのような轟音が観客の鼓膜に悲鳴を上げさせ、拡散した蒸気は熱を奪われて瞬く間に一寸先すら見えない白霧と化す。

 ついでアルセーナの纏っていた強化の光も全開放された結果、その場にいた誰もが視覚と聴覚の大半を奪われ、前後不覚の状態に陥ってしまった。その中で暴動が起きなかったのは、女怪盗と言う絶対的な心の拠り所があったからの奇跡と言っても過言ではなかった。

 それでも、彼らは不安なものは不安で仕方がなかった。


「――なんだ、なにが起きたってんだ!? なにも見えねえぞ! 戦況は――アルセーナはどうなってやがる!」

「無事なのかしら、ねえ! なんとか言ってよ怪盗淑女(ファントレス)――!」


 最低限の統制を自主的に取りながら、心に過ぎる不安を声を大にする。

 肌で感じた感覚が、彼らに爆心地に居たアルセーナが無事でいられるわけがないと叫んでいた。――ついでにクソ領主の方も憎まれ口の一つも叩けないようになってくれただろうか?

 一方的に前者の安否だけを心配して、彼らは中々霧が晴れる気配がないことをもどかしく思いながら、その時を待ち続ける。

 ヴェルジネアに吹く夜風が、段々と視界を明瞭なものに変えていく。

 その先に待っていたものとは――。


「がはっ……くそっ! あの痴れ者めぇっ……この私にこれほどの傷を負わせるとはっ! 決して許すものかっ、捕縛した暁にはこの世の地獄と言う地獄を浴びせてやるぞっ……!」

「嘘だろ……なんでアイツが生きてんだよ……」


 街の頂点の憎々し気な声に、期待を裏切られた民衆の一人が呻く。

 アヴァルは衝撃を受けて足を踏み外してしまったようで、三階から屋敷の前庭へと落下していた。

 痛みを堪えるように地面に蹲る、その姿を月が照らし出す。

 ――彼は命こそ繋がっていたとはいえ、観客の予想していた通りの悲惨な状態だった。顔面の三分の一が赤く焼け爛れており、右耳がどこかへ吹き飛ばされてしまっている。両脚と右腕は着地の衝撃も含めてぐちゃぐちゃに折れ曲がっており、腹にも小さくない穴が開いて血がどろりと垂れ流されていた。

 それでも依然として居丈高な態度を露わにするアヴァルは、今すぐに彼らで襲い掛かれば仕留めきれるように思えた。

 そう思った幾人かが屋敷の柵を乗り越えようとした矢先、アヴァルが懐を漁る素振りを見せる。


「二十は用意していた魔法薬が、これで最後の一本とはなっ。これらを揃えるだけでどれほどの金がかかったと思っている……その分はきっちり、その身体で支払わせてやるぞ……っ!」


 そこから取り出した、奇跡的に生き残っていた最後の魔力回復薬を彼が唯一無事だった左腕を使って――それでも薬指と小指が逆方向に曲がっているが――呷る。


「――女神よ、我が命運を援けよ。その手で我が傷を癒し、安らぎを齎せ。【母愛揺籃(マリア・プレゼピオ)】……くっ! うぅおああぁぁぁっ――がっ!」


 折れていた部位をある程度正常な位置に戻しながら、並行して治癒魔法を発動させる。

 緑色の淡い光に包まれて、アヴァルのドス黒く腫れていた患部がみるみるうちに癒えていく。

 砕けた四肢はおおよそ真っ直ぐに形を取り戻し、顔を不細工に歪める火傷跡が引き潮のように失せていく。


「――くそがっ、せっかくアルセーナがつけた傷が、ああも簡単に……っ!」


 それは、魔法使いだからこそ為せる業。

 魔力のない一般市民たる彼らであれば一生を棒に振るに等しい大怪我も、アヴァルにとっては大したことのないものである。

 それを易々と見送ることしか出来なかった虚しさに、彼らは代わりとばかりに罵声を叩きつける。


「なんで生きてんだよ! そこはそのまま死んどけよ! お前なんか、どうせ生きてたって誰かの邪魔しかしない奴のくせに!」

「そうよ、アンタなんかこの街にいらないのよ! ――今に見てなさい、またアルセーナがアンタを倒してくれるんだから!」


 肩を組んで、観客たちはアヴァルへと非難の大合唱を浴びせる。

 しかし、それをさほど応えた様子もなく、起き上がった彼はふんぞり返って否定する。

 

「やかましいぞ愚民どもが! 勝ったのは私だ、このアヴァル・ヴェルジネアだ! 奴は死んだ、塵一つ残さずにな――!」


 彼は周囲を見渡して、勝ち誇る。

 確かに、そこにはアヴァル以外の人影は一つも見当たらなかった。


「私こそがこの街そのものだ、貴様らにどうこう言われる謂れはない!普段は陰に隠れてこそこそ言うことしかできない愚図どもめ、それ以上文句を言うのなら望み通り痛い目を見せてやろう!」


 そうしてアヴァルが片手を上げると、民衆は瞬く間に沈黙した。

 彼らは忘れてはいなかった――アルセーナに向けて彼が幾度となく放った、異次元の暴力の嵐を。

 その恐ろしい奇跡の残照は、未だ屋敷の前庭だった地面に傷跡を残している。

 それらと同じようになるのだけは避けたいと、湧き立つ恐怖が心の怒りを鎮火させようとして――。


「――やれるもんなら、やってみろよ」

「なんだと?」


 勇気を振り絞った一人の男性が、声を上げた。


「これまで俺たちは、アルセーナの命張った行動で救われてきたんだ。だったら今度は俺たちが命張らなくて、あの子に顔向けできるかよ!」


 それは、元々帽子屋を営んでいたベレットと言う名の三十代の男性だった。

 彼はアルセーナの【月の憂雫(ルナ・テイア)】によって税金の滞納地獄から救われた過去を持つ。

 それに続くように、また別の場所で声が上がる。


「――そうよ! 私だって、彼女のおかげで娘を連れ去られなくて済んだの! 子供のことなんだから、本当は親の私たちがどうにかしなきゃならなかったのに! 怪盗がくれた宝石のおかげで、あの子は助かったの! だったら、今の私たちが怯えてなんかいられないわ!」


 アヴァルの作った難癖紛いの税金制度を上手いこと利用して娘を慰み者にしようとして連れ去ろうとしたセルウスに、宝石を突きつけてなんとか難を逃れることが出来た母親もまた、アヴァルの脅しなど怖くないと胸を張る。


「――俺もだ! あんな奴になんか怯えていられるか!」

「――私だって……!」

「――儂もじゃてっ――!」


 次々と怯える本能を乗り越えながら、誰も彼もが反旗の声を上げ始める。

 ――例え怪盗がいなくなろうと、もはやこれまでのように黙って耐え忍ぶままでいられるわけがないのだと。

 その光景に、アヴァルは苛立ちを抑えられなかった。


「――黙れ、黙れ、黙れ!」


 絶対的であるはずの己の立場が、軽んじられている。

 力のない有象無象が好き勝手に叫ぶその光景は、羽虫が耳元で飛び回る時以上の怒りを彼に与えた。


「アルセーナは死んだ、死んだのだ! 貴様らの望んでいた未来など永劫に訪れはしない――お前たちはしょせん、私の下僕であり道具の分際に過ぎん! これ以上貴様らに調子になど乗らせるものか! そうだ、この場にいた者は全員、領主に逆らった反逆罪だ! 罰として全財産を差し出せぇっ! ――怪盗はいなくなったのだ、もはや貴様らを守る者など誰もおらん!」

「うるせえ、そんなの知ったことか! 聞いてたぜ、回復薬はもうないんだろ!? だったら、こんだけの頭数がありゃ、俺たち全員で仕掛けりゃお前くらいぶっ殺せるに違いねえ! 怪盗が死んだってんなら、そこに花を添えるくらいはやってやろうじゃねえか――いくぞお前ら、死ぬ気でやりゃあなんとかなる!」

「おうともさ!」

「散々馬鹿にしてくれたあたしたちの底力ってもんを、みせてやろうさね!」


 こうなればもはや魔法が使える使えないなどは些細なことだと、敵意が絶好調になった全ての民衆が屋敷へ突っ込もうとして――。


「落ち着いて。その必要はないよ。だって、皆の望む怪盗はほら、ここにちゃんといるからね」


 昂る場の空気とは裏腹に静かな声が、頭上から響いた。


 ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。

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 どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。

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