第187話 月の狂気が踏み潰して
煌々と揺らめく黄金の極光を全身から迸らせ、凄絶に嗤うアルセーナ。
警戒を示すリクオラとアヴァルの視線を受けながら、彼女は突如自身のスカートの両脇をぱっくりと縦に裂く暴挙に出た。
「邪魔ですわ――これで動きやすくなりましたね」
肉体の全力駆動を阻害する要素が効率重視の名の下にかなぐり捨てられ、ほつれた布が風を受けて煽情的にはためく。
深窓の令嬢然とした普段の怪盗淑女からかけ離れた姿に、観戦していた民衆は戸惑いを隠せないでいた。
彼らの位置から見えるのは、彼女の後姿だけだ。
常人なら数度失神してもおかしくないような戦場に長時間身を置いて、血に塗れ、身体が悲鳴を上げてもなお、毅然と立ち続けるアルセーナの背中。
その姿に、彼らはこれまで本気半分興味半分で応援していた彼女の真実に秘めた気高さを見た。
余裕綽々と、華麗に格上を打ち倒す勧善懲悪劇。しかしいざ自身が追い詰められたらば、どろんと逃げて姿を隠してしまうだろう……そんな、彼らがこれまで辛い目にあってきた中で培ってきた、力ある者に対しての拭いきれない疑いを鎧袖一触するかの如き立ち姿。
――彼女はどれほど追い詰められようと、傷付けられようと、街のために立ち続ける。
なぜ、そこまでのことが出来るのか?
この場で彼女にそれを直接問い掛けるような無粋な人間は、彼らの中にはいなかった。
ただ、民衆の誰もがアルセーナを心の底から応援しながら、その覚悟を目に焼き付けんと食い入るように見つめて――。
衆目を一手に集める月光の化身が、沈黙を打ち破った。
「――風よ!」
その一言と共に地面が爆ぜ、中心からアルセーナが血の滲む赤い残光をたなびかせてリクオラへと迫る。
対する彼は、自身が女神の囁きと嘯くそれ――酒精の効能によって強化された無意識下の反射的行動によって、真っ先に受けの姿勢を整えた。
アルセーナの瞳が映し出す強烈な敵意――殺意こそ込められていないものの、身の危険を感じずにはいられない眼光に射すくめられることなく反応できたのは、酔って理性の頸木から解き放たれていた彼だからこそであろう。
「っと、確かに元気になったみたいだが、それでどうなると――おっ?」
先までの劣勢が嘘であるかのような爆発力を宿して、弓に矢をつがえるように傘を自身の顔の横へと引き寄せたアルセーナ。
そこに籠められた、傘の姿すら眩ませてしてしまうほどの濃厚な風の疼き。
それを見た彼は、咄嗟に回避を選択した。
――ところで、リクオラの超人的な反応の原理は第六感や未来予測といったものとは異なるものだ。
彼の高速反射はあくまでも、目や肌と言った感受器官で感じた脅威について経験に基づいた最適な行動を身体が半自動的に導き出すという仕組みだ。そこに生まれ持った才能ーー身体の柔軟性や高度な平衡感覚が付随することで、彼に常道から外れた奇剣を振るうことを可能とさせている。
つまるところ、彼は身体の性能が対等以下の相手に対しては、理性という判断過程が抜け落ちているが故に速度的に大きな強さを発揮できる――裏を返せば、それ以上の相手には邪道ゆえの強みを発揮できない。
例えば、彼の身に纏う【風凰強化】よりも高出力の強化魔法を行使する相手と直面した場合――。
「猛り唸りて敵を貫け! 【疾風迅槍】!」
高速の短文詠唱が、夜空を劈く。
それを一息で唱え終えたとほぼ同時に、彼女は攻撃動作は完了させていた。
アルセーナが足を止めたのは、リクオラに至るまでの距離を半分ほど詰めた地点。
その場所から、彼女は自身と言う強弓につがえた傘矢を前方へ突き出す。
「なんだ、わけのわからないことを――うわあああぁぁぁっ!」
彼は初め、届くはずもない攻撃に単なる空打ちかと肩を透かされた。
だが、それも束の間。
アルセーナが残身を取った位置からリクオラへ向けて、大気の壁を抉るような破裂音が断続的に響く。その脅威が、未だ回避の最中にあった彼の全身に喰らいつき、余すところなく強かに殴りつけた。
日除け傘から解き放たれた衝撃波はリクオラを巻き込んだまま螺旋を描くように宙を駆け、直進する。
地面を抉り、やがて進路上に存在していた屋敷の壁へ衝突――爆発。
アヴァルの放つ【枯風乱嵐】に負けず劣らずの衝撃音を響かせて、アルセーナの放った突風は止んだ。
舞い上がった土煙が晴れた先には、逆十字の形で壁に埋められるように張り付けられたリクオラの姿が残されていた。
「――死んではいなかったようですわね。安心しました、もしかしたら殺していたかもしれませんから」
その胸が上下していることに、彼女は昂る魔力を抑えながら胸を撫でおろす。
強化魔法による鎧があるとはいえ、直撃すれば間違いなく相手を死に至らしめるであろう一撃。
それを遠距離から打ち放ったのは、広範囲に衝撃を飛ばすためと、それによって威力を殺すことだった。
結果的にそれは成功し、少し前に彼女が剣を交えたセルウスの狙いと同様の効果を見事に発揮せしめ、リクオラを逃がすことなく行動不能に追い込むことに成功した。
アルセーナの攻撃の余波に打ち据えられた彼は、動く気配を見せない。
彼女は宣言した通り、リクオラの剣を真っ向から踏み潰して見せたのだった。
「――なっ、なんだとっ!? いったいなにがどうなって……いや、なんだ貴様そのふざけた魔法は!?」
上から見下ろしていたアヴァルはほとんど視認できていなかったとはいえ、辛うじてアルセーナの取ったであろう挙動を想像することが出来ていた。
だからこそ、彼は顎が外れてしまいそうな勢いで叫ぶ。
アルセーナの使った【疾風迅槍】には、本来それほどの威力はない――強力ではあるが、強化魔法を行使していれば耐えられる。
故に、今の破壊力を生み出したのは彼女の発動させた強化魔法だ。
並の強化倍率を超えた出力を誇る魔法は、そこらの魔法使いが持てるものではない。
どこかの一族の秘伝に値するような――それこそ、実はプリミスのようなどこぞの高位貴族に使える人間なのか、とアヴァルは疑う。
その彼を見上げて、アルセーナは呟く。
「さあ、次は貴方の番ですわ。どうかお覚悟をなさいませ。此度は無事に成功しましたが、これほどの力を制御しきれるかどうか。腕の一つや二つは持って行ってしまうかもしれませんが……お許しくださいね?」
攻撃の反動からか、逆方向に折れた腕を無理やり元通りの位置へ戻しながら、なおも笑ってみせるアルセーナ。
その、まさに月の女神に過剰な祝福を授けられたとでも言わんばかりの狂気に、アヴァルは自身の身体が本能的な恐怖に震え上がることを抑えられなかった。
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