第186話 繚月の狂光
「とっ、はっ! てやっ、じゃなくてそらよ…っとぅ! そろそろ後悔してきたかアルセーナ? 僕と彼女の誘いに乗らなかったから、そうも足取りが重いんだ――あらよっと! ふぅ、危ない危ない」
「風よ――【枯風乱嵐】! 炎よ――【火炎瀑滝】! 風よ――【枯風乱嵐】! さあ死ね、疾く死ね、今すぐ死んで我が前に屍を晒せ怪盗淑女!」
リクオラの剣が気の抜けた掛け声とは裏腹に冴え渡り、アヴァルの毒々しい魔力が濃密な殺意を伴侶として火を吹く。
剣と炎と風が入り乱れ、過激さが増すばかりの必死の戦場。
その惨禍の中を身一つで駆け巡りながら、アルセーナは歯痒い気持ちを内面で噛み締める――ここまで突破口が見出せないとは!
先ほどは後少しの所までリクオラを追いつめたのだが、仕留めきれずに逃がしてしまった。それ以降の彼は、一向に彼女の罠に引っ掛かる気配を見せない。動いたことで更に酔いが回り、直感が研ぎ澄まされたとでも言うのか。まさに彼が言った通りの捉えどころのない剣と化して、ますます手が付けられなくなっている。
今の彼女は攻め立てるリクオラとアヴァルの後手に回され、回避と防御に専念させられていた。
しかも、状況は拮抗するどころか彼らの方が優勢だ。
「しゃぁらよっとぉっ! ――なんてな、そらっ!」
完全に頭上から振り下ろされるかのように思えたリクオラの剣が途中で滑らかに反転し、胴狙いの横薙ぎへと急激に変化する。
それを急ぎ引き戻した傘で迎撃しようかと思えば、彼は衝突寸前で刃を傾けて傘の側面を走らせ、柄を握るアルセーナの手を傷つけようと画策する。
リクオラは次から次へと手を変えて、彼女の身体を傷つけようと奇天烈な動きを見せる。
そして、そちらを捌くのに必死になっていれば、アヴァルの魔法への警戒が疎かになってしまう。
兄の奇手と父の爆発力が奇跡的に噛み合っていたことで、アルセーナは徐々に追い詰められつつあった。
「どうしたものでしょうか……」
この数分で何度も呟いた言葉を、もう一度。
頭の片隅で思考回路を走らせているが、彼女はこの事態を打開できる妙案が思いつけないでいた。
その間にも、身体には段々と生傷が増えていく。
このままでは先に限界を迎えるのが自分だと言うことに、アルセーナは薄々気づいていた。
流れ出す血液も、体力の喪失も、いくら祖父譲りの秘薬で誤魔化そうとしても限度がある。
戦い続けて集中力が低下している証拠か、リクオラにつけられる切り傷も徐々に深さを増してきている。
一度薬で吹き飛ばしたはずの疲労がまたもや頭の中に靄をかけ始めるが、それをもう一度消し去ったところで解決策が浮かばないのは目に見えていた。
「……ええ、どうしようもないですわね」
「おや、ようやく諦めるつもりになったのか? っとぅ、父上はどうかは知らないけれど、僕は先の発言さえ謝罪してくれたら――せやっ! ……別に構わないよ。面倒ごとは早く終わるに越したことはないっ、と! 話してる間に攻撃するなんてひどいな」
「知りませんわ、貴方の都合なんて。ですが、面倒なことを早く終わらせたいというのは同感です」
ざっくりと手持ちの回復薬を数えた結果、アルセーナの体力が持つ猶予はあと三時間ほど。
皮肉にも、それは夜明けまでの時間にほぼ等しい。
今回の機会を逃せば、次に怪盗として彼らの悪行を日の下に晒すことが出来るのは一月先になる。それだけの余裕があれば、ラストがさっさと全てを解決してしまうに違いない――太陽が顔を出すまでに、なんとしてでも決着をつけなければ。
もはやなりふり構っている場合ではないと、彼女は切り札の一つを切る決断に出た。
「ですので、一度離れてくださいな!」
リクオラの身体を強引に弾き――代わりに左の手の甲に痛手を負ってしまったが――距離を取ったアルセーナは、続くアヴァルの魔法を華麗に避けながら胸元に手を突っ込んだ。
「んん? まさか父上に媚びるのに服を脱いで全裸土下座でもするつもりか? セルウスならともかく……」
「そのような下品な真似などするわけがないでしょう。というか、見ないでくださいまし。この変態貴族」
「無茶言うな。そもそも僕は酒だけを愛すると決めているんだ! 君の身体にはこれっぽっちも興味はない!」
「……そうなのですか」
呆れた顔を浮かべたアルセーナが年相応の谷間をまさぐって取り出したのは、褐色の小瓶だった。
手の中にすっぽりと納まる程度のものであり、中には粘性の液体がたぽんと揺れている。
「なんだそれは……酒か!?」
「違います。ですが、貴方にとってのそれと似たようなものかもしれませんわね。――これは月夜涙花の蜜、それを三倍に濃縮したものですわ。普通は上級回復薬の素材として千分の一にまで薄めて使用するのですが……」
本来は希釈して使用する回復薬の素材、その原液の凝縮したものをアルセーナは一気に飲み干してしまった。
そうして用済みとなった瓶を鞄に片づけている内に、効能が現れる。
全身に開いていたリクオラによる傷が、瞬く間に塞がり始めた。
「おいおい、そんなの有りか……?」
「常人の身体であれば、このまま癒し過ぎて逆に害となってしまいます。しかし、この蜜の正体は長い時間をかけて集められた月より降り注ぐ魔力なのですわ。月夜涙花は蕾の間に溜めた魔力を、満月の晩にのみ咲かせて解放する……それは普通の方々には身に余る毒となれど、魔法使いであれば――話は異なります」
刹那、膨大な魔力がアルセーナの肢体から噴出する。
全身を自分のものではない黄金の魔力に輝かせ、圧倒的な力の象徴として佇む彼女。
アヴァルらの目線からは、それは突如として煌々と地上に降りたもう一つの月のように見えていた。
「さて、これだけの力があれば如何なる奇剣であろうと正面から踏み潰して有り余るでしょう? とはいえ、力はそのままでは使いこなせませんから――月よ、我が願いを聞き届けよ!」
「させはしない! ――そらっ!」
そう、どれほどの力も行使できなければ宝の持ち腐れに終わる。
魔法使いとの戦闘における定石として、リクオラは詠唱を封じる手に打って出る。
――しかし、先ほどまでは通じていた彼の剣は届かない。
アルセーナは現在行使している【風凰強化】に圧倒的な魔力を注入することで、無理やりその出力を増加させていたからだ。
代償として現在その魔法陣は少しずつ崩壊を始めているが、その前に新たな強化魔法を完成させてしまえば良い。
兄を上回る速度を得た彼女は、端から見ている民衆の目に残像を残すほどの速さで戦場を走りながら、詠唱を紡ぐ。
「――其は華美と貞淑と高貴の女神! ――手に掲げしは、愛穿つ黄金の弓矢!」
「引けリクオラ! こうなれば剣ではなく魔法で全体を狙え! 風よ――【枯風乱嵐】!」
「確かに。――風よ。我が乙女の連れ添いとなれ――【枯風乱嵐】」
二つの嵐が、悉く戦場を嘗め尽くす。
しかし、アルセーナはそれらを受けてなお平然と存在する魔剣の氷塊を楯にして詠い続ける。
「――狂え、嘆け、孤独に嗤え! 汝の微笑は誰を彼を焼き尽くす神意の顕輝!」
魔法の詠唱には、その魔法を発動した時の効果が読み込まれていることが多い。
それはより魔法を想起させやすくするためのものだが、逆にそこから効果を読み取ることも出来る。
アルセーナの告げる恐ろし気な呪文を耳にして、アヴァルとリクオラは更に己の魔力を解き放つ。
しかし、それらを加速した疾走で潜り抜けながら、彼女は見事に最後の一節までを詠い終えた――。
「贄をここに! その燦然たる独瞳で以て、我が内に秘めし狂気を射抜け――我が身は月女神の写し見! ――【繚月狂化】!」
アルセーナが身に纏っていた眩い光が、一瞬ばかり収まる。
夜闇が戻ったことに、アヴァルらがもしや失敗したかと淡い期待を抱いて――次の瞬間、爆発的な閃光が人々の視界を満たした。
「ぬぅっ!?」
「うおっと!? これはまた――!」
思わず目を瞑ってしまった彼らは、やがて瞼の裏で静かになったことを確認して再度目を開く。
――アルセーナは、戦場の中心に雄々しい光を背負って佇んでいた。
しかし、そのせっかく治った全身からは、軋むような音と共に朱色の煙が噴き出してもいる。
月女神の持つ狂気の側面を映し出した魔法は、彼女の身体に秘められた力を引き出すと共に、その身体を内側から削っているのだ。
絶え間なく襲い来る引き裂かれるような痛みに耐えながら、彼女はぎこちなくも笑顔を浮かべる。
狂気の覚悟を浮かべた二つの琥珀色の月が、敵を見据える。
「――さあ、第二幕の開宴と参りましょうか。私か貴方がたか、いずれかが果てるまで踊るといたしましょう。この、眩い月の下で」
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