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第184話 媚びず、前へと


「お断りいたします」


 ――確かに自分は彼らと同じくロクでもない側の人間に違いない、とアルセーナは失笑する。

 リクオラの手を取って、酒を唇に触れさせる。ただそれだけの吐き気を催す行為に、彼女は家族に反旗を翻すと決めてから何年間も耐えてきた。オーレリーはそのようにして、家族と同じ民衆の血税を啜ることで、裏の顔であるアルセーナにとって有用な情報を獅子身中の虫として喰い得てきたのだから。

 だが、今のリクオラの言葉を聞いて、彼女はふと気づかされた。

 確かに、オーレリーという自分はどうしようもなく彼ら側に染まってしまっている。

 ただし、それとは逆に、アルセーナと言う自分の善性を発露させた側面は、民衆を失望させるような行為を取るべきではないのではないか、と。

 父も兄も、なにするものぞ。民に自由の風あれと願ったこの仮面(怪盗)は、たかが敵が二人揃った程度の状況も吹き飛ばせないほどに矮小な(魔力)だったか――?

 

「私には到底、そのお酒を愉しむことなどできませんから。特に貴方と席をご一緒させていただくとなると、舌が悲鳴を上げて悶え死んでしまいそうですもの」

「……なんだと。僕と一緒にいると酒が不味くなるとは、随分な言い草だな」


 どういう意味だ、と問い返すリクオラの顔が怪訝そうに歪む。

 それを小気味よく感じながら、彼女は昂る魂の皮肉気な熱を舌にのせて躍らせる。

 そう、怪盗とはこうでなくては。

 相手の驕りを逆に乗りこなし、跳ねのけて、凛と立ってみせる。それが自分だと示すように、彼女は変わらぬ雄弁を以て立ち向かう。


「その赤葡萄酒は確かに、至上の甘露と評するに値する命の水なのでしょう。ですが貴方がそれを手にする過程で、至高の味わいに余分なものが混じってしまった。貴方がそこの御父上から授かったお金――その、人々の苦渋の味が、酷い後味を残すのです。だから、私はそれを飲みたくありません」


 オーレリーとしてならば、毒だろうとなんだろうと、いくらでも我慢して飲み干さねばならない。

 しかしここに立っているのは味の分かる人間(オーレリー)ではなく、味の分からない人間(アルセーナ)だ。

 ヴェルジネア家の人間の提案なんて知ったことか。目の前に差し出された水がいくら甘美な輝きをたたえていても、そんなものは毅然として笑い飛ばしてしまえば良い。

 それが、民衆の希望として創り上げられた怪盗淑女(ファントレス)なのだから。


「そうか。まったく、酷い話だ。おかげで酔いも醒めてしまった。こいつはまた飲み直さなければやってもいられない……」


 誘いを断られ、残念そうにしながらリクオラは酒瓶の口を引っ込める。

 彼はそのままそれを口元へと近づけて、中身を一気に嚥下しようと傾けた。

 その動作を遮って、彼女はアヴァルが未だ沈黙していることをいいことに、お返しとばかりに彼に問うた。


「――そもそも、貴方は自分が平民とは違ってお酒の味を理解出来る特別な人種だと思い込んでおられるようですが、それはどうなのでしょうね?」

「僕を馬鹿にするつもりか? 誘いを断っただけでは飽き足らずmこちらを貶しにかかるとは見上げた態度だ。僕はこんなにも、彼女たちに対して真摯な態度でいるというのに」

「べろんべろんに酔っ払った方のどこが紳士ですか。時間と果汁の熟成が織り成す酒精の味は力強くも、時として生まれたての赤子よりも繊細なもの。その風味を一つ一つ解き明かし、十全に味わうということが、貴方の死にかけの海鼠のようになった舌先でできるとは思えませんけれどね」


 屋敷の外に掲げられた松明が、ぼんやりとリクオラの顔面を照らしている。

 そこには、身体に溜まった余分な熱の吐き出し先を求めて犬のように外に垂れ下がっている彼の舌があった。

 

「きっと今の貴方なら、中身を入れ替えても気づかないのでは? 張紙はそのままに、中身だけ安酒に変えても同じように喜んで飲まれるのでしょうね。自分の努力で手に入れたものでないから、そうして気安くがぶがぶと飲み干して酩酊してしまえる。そのような方とお酒を嗜む時間は、はたして本当に愉快なものになると言えるでしょうか?」

「言ってくれる。これが酒の席での世迷言ならば幾らでも許せたんだが、そうじゃない。そうもいかない。なにせ君は酔いもせず、いたって真面目な顔で僕のことを酷評した。僕の愛を貶した。綺麗な瞳だ、酒のつまみとしては最高だが……対等な酒飲み仲間としては、百年の酔いも醒めてしまう鬱陶しい光だ。そこまで言われたら、こうして好きに夢の世界に陶酔してもいられない――我慢できないな。んぐぐっ……ごくっ、ごくん……」


 そこで言葉を切るなり、リクオラは一気に酒瓶を逆さに傾けた。

 その勢いのまま、瓶の中に残っていた全ての液体を飲み干していく。

 滝のような恐ろしい勢いで、赤色の涙が食道へ、胃の中へと流しこまれる。

 僅かに零れて口の端に付着したものを袖で拭い、用済みとなった酒瓶をそこらへ投げ捨てて、彼は漸く腰の剣を抜いた。


「良いだろう。……父上、待たせて悪かった。ここからは僕も加わらせてもらう。彼女にお灸をすえないとな。僕が酒に呑まれたそこらの飲んだくれとは違うということを、この剣の鋭さで以て証明しよう。――見てみるか、僕の剣を。学生時代の教官はつかみどころのない霞のようだと評していたが、君にこれを捉えきれるか?」


 ゆらりと取られた構えは、およそアルセーナの記憶には存在しない型だった。

 新たに追加された酒精によって猶更おぼつかなくなった足取り、ゆらゆらと不安定に揺れる手首。隙だらけのように見えるが、しかしてその全てを埋めるようにも見える、とっつき難い雰囲気の剣。

 その在り様に、彼女はそう言えばと祖父の収集した本の一つに類似の記述があったことを思い出した。


「酔拳ならぬ、酔剣術とでも呼べばいいのでしょうか……? 酔えば酔うほど強くなる、浮世に囚われぬが故に捕捉し難く、さらに足場の悪い戦場を得意とする拳法……眉唾物と思っていましたが、まさか……いえ、そんなわけはないと思いますが……」


 それでも彼曰く、通っていた王都の英雄育成機関に雇われた教師は一定の評価を下していたようだ。

 真実強いかどうかはともかく、油断できるものではなさそうだと分析しながら、彼女は気丈に日除け傘を右手で構える。

 ――もはや後戻りは出来やしない。ここからは、完全に無傷と言うわけにはいかないだろう。

 結果的に不利な状況を自ら招いてしまったことは否めないが、それでいつまでもうじうじとしていてはそれこそ本当に敗北してしまう。


「では私もそろそろ本気と参りましょう。月よ、人々よ、ご照覧あれ……炎も風も、霞さえも私は打ち破ってみせましょう。ついでその酔いも月の彼方まで吹き飛ばして、現実に青褪めさせてあげますわ」


 強気に頬を上げながら、内心彼女はこれで良かったのだと魔力を研ぎ澄ませる。

 嘘をついて敵に媚びることよりは、真剣に想いを貫き通すことの方がよほど清々しい。

 魂に渦巻く風が、鈴の音のような清廉な音色を奏でて全身を駆ける。

 どくんと昂る心臓の鼓動が、彼女の身体に蓄積されつつあった疲労を追いやり、溢れんばかりの活力を充填させる。

 やがて、無理やり作った笑顔が真実のものに塗り変わった時――。

 アルセーナの止まっていた身体が、再び前へと動き出した。


 ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。

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 どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。

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