第182話 酔漢は戦音につられて
「風よ、我が敵を蹴散らせ! 愚かな逆賊よ、不可視の刃にて切り裂かれよ! 来たれ嵐の王、小癪な謀り事を踏み潰し征服せしめる猟剣の軍勢を今ここに呼び覚まさん! ――【枯風乱嵐】!」
数多の風の剣によって織り成された竜巻が、降り注ぐ。
「炎よ、我が敵を蹴散らせ! 大罪企てし咎人よ、魔の獄炎にて灰と化せ! 来たれ冥府の主、千咎万罪焼き尽くし阿鼻叫喚を奏でさす八大の業火を今ここに呼び覚まさん! ――【火炎瀑滝】!」
敵に一切の反論を許さない地獄の紫焔が、宙を駆る。
炎と風、二種類の魔法を派手に連射しながらアヴァルはアルセーナの接近を何度も牽制し続けていた。
「くははははっ――そら見たことか、どうだ思い知っただろう私の力を!」
美しく整備され、落ち着いた緑で見る者に心の安らぎを与えていた中庭の姿はもはや存在しない。
嵐に抉られ、炎に焦がされ、氷の柱がいくつも並び立つその場はまさに地獄絵図。
その、常人には成し難い災禍の光景を自分一人が創り出したという状況に、彼は大きく酔っていた。
魔法薬による魔力の回復があり、魔力の残量をちまちまと気にすることなく魔法を放てる。
標的は幾度となく自分たちに牙を剥いた存在であり、殺してしまったところでなんら問題がない。
――何の気兼ねもなしに力を振るえることの、なんと清々しいことか。
元から存在しなかったと言っていい躊躇いと遠慮を更に失った挙句、アヴァルは今や小さな天変地異と呼称しても差し支えない存在になっていた。
――しかし、その光景が続いているということは、逆に未だ標的を捕らえられていないと言うことでもある。
「ええ、私、知ってしまいましたわ。貴方様は強大な魔法を幾度となくお使いになられてもこの小娘一人捉えられない、愚鈍なお方であると言うことが! 見てごらんなさい、私の身体は未だ傷一つついていませんわ――ほら、鬼さんこちら、手の鳴る方へ……」
悪魔のような暴虐の満ち溢れる世界を、可憐な少女の姿が自在に駆ける。
「風よ――今ここに呼び覚まさん! 【枯風乱嵐】!」
「残念ですわね、またもや大外れですわ!」
アヴァルの唱えた、何度目か分からない大風の魔法がアルセーナへと襲来する。
されど彼女は相手と同様に、魔法を従える才能を持つ者だ。その予測込みの狙いを、容易く上回る身体能力を後付けながら得ることが出来る。
進行方向の途中にあった氷の塊――魔剣によって生み出されたものだ――を蹴り砕くことで強引に進路を変え、アヴァルの放った魔の嵐から逃れる。
アルセーナはそのまま障害物、言い換えればアヴァルの狙いから身を隠す遮蔽物である氷の隙間を駆けまわりながら、その下へ疾走する。
「――またか、性懲りのない奴め! これで四度目か、いい加減諦めるということを知れ! 風よ――【枯風乱嵐】! 炎よ! ――【火炎瀑滝】!」
うんざりとした顔で、アヴァルはアルセーナの哀れな抵抗を押し潰そうと炎と風の暴虐を交互に招来する。
アルセーナは今度もまたそれらの魔法の隙間を掻い潜り、アヴァルへと巧みに接近していく。
――いかに見た目が恐ろしい魔法と言えど、それについて熟知していれば恐るるに足りませんわ!
彼女は兄や姉がアヴァルの魔法を使う場面を幾度となく目にしてきていた。
術者にとって扱いやすいように、基本的に魔法の軌道は直線となっている。
また脅威が向けられることに対する慣れというものもあって、アルセーナの目は冷静に魔法を見切っていた。
荒らされた大地を駆け、辿り着いた屋敷の外壁に足をつける。
外見は金ぴかで立派だが工事は手抜きであり、目を凝らせば煉瓦の凸凹がかなり残っていることが分かる。
そこに爪先を引っ掛けて駆け昇り、壁を走ってアルセーナは再び巡ってきた好機に傘の柄をぎゅっと握りしめた。
――これだけ距離が近づけば、彼女の魔法も十分に効果を発揮する。
「風よ、我が願いを聞き入れよ。其は澄刃、千の邪謀貫く一誠の威風なり……」
地面に対して垂直に走りながら、口ずさむ。
だが、それとほぼ同時にアヴァルもまた魔法を完成させていた。
「――今ここに呼び覚まさん! 【枯風乱嵐】!」
「――【枯風乱嵐】!」
荒れる暴風同士が至近距離で衝突し、暴発。
その近くにいたアヴァルとアルセーナは互いに風の爆発に巻き込まれてたたらを踏むと思われたが――。
「――風よ、猛り唸りて敵を貫け! 【疾風迅槍】!」
風を纏った傘を前方に構えたアルセーナが、一気呵成にアヴァルを仕留めんと様々な方向へ吹き荒れる暴風の塊へと勢いよく突っ込んだ。
螺旋状の風を武具に纏わせる、魔剣術ならぬ魔傘術。セルウスの行使した【疾風迅斬】と同系統に属する魔武一体の技法で、彼女はアヴァルの意を突く形でその懐に潜り込んだ。
「なにっ――!?」
「覚悟!」
敵も同じように体勢を崩し、壁から足が離れて地面に落下していったものだと思い込んでいたアヴァルの顔が驚愕に歪む。
自身を一つの槍と化したアルセーナ、その金属製の鋭い先端が彼の腹を穿とうと閃く。
「ちぃっ!」
彼は咄嗟に腰に下げていた雪銀剣を引き抜いて応戦しようとする。
しかし取ろうとした構えは間に合わず、彼は中ほどまで抜いた魔剣でアルセーナの刺突を防ぐことになった。
――破裂せんばかりの衝突音が、闇夜を劈く。
残念ながら、彼女の石突きはすんでのところでアヴァルを貫くに至らなかった。
今度こそ足場の壁に留まっていられず、彼女はくるくると回転しながら地上に残る数少ない無事な足場へと降り立った。
「小娘が――よくもやってくれたな! それほどまでにこの魔剣の味を確かめたいのなら、何度だろうと放ってくれるわ! やれ、雪銀剣!」
そこへと向けて、完全に引き抜かれたアヴァルの魔剣が振るわれる。
夜空を彩る星々に紛れて描かれる純白の魔法陣が、冷気を生み出して氷塊を形作る。
当初は見惚れた光景もすっかり見飽きたものになってしまったアルセーナは、すかさず隙間ない魔法攻撃の範囲から逃れるために地面を蹴った。
星屑のように襲来する青白い輝きの集団から、脱兎のごとく逃げ回る。
時に掘り起こされた地面の影に身を潜め、時に残る前回の魔氷を縦代わりにして、一度の発動で射出される総勢百五十発の氷弾を、彼女はまたもやしのぎ切った。
「うぬう、奇々怪々な動きをしおって……っ!」
魔剣アル・グレイシアの氷は、切っ先を向ける方向に放たれる。
つまりは指揮棒のように振るうことが可能であり、卓越した術者であれば大楽団を率いる奏者のように見事に敵を追い詰められるのだが――。
「この程度、乙女の嗜みの範疇ですわ。私の舞踏に呼吸を合わせられない貴方の程度が知れた、というもの。そうは考えられないでしょうか?」
段々と魔剣による氷の雨にも慣れてきた彼女は、動きに緩急を織り込み始めていた。
速く、遅く。独特の呼吸で足の流れを乱し、アヴァルの目が追い付かないような動きを見せる。
それに騙されるアヴァルの方が、今はアルセーナに弄ばれる鯉だった。
魔力の枯渇した彼が、息を切らしながら回復薬のある懐へと手を伸ばす。
そこで彼は、一つの事実に気づいた。
「――貴様、よくもやってくれたな!」
「あら、どうされたのですか?」
飄々とした態度で見上げるアルセーナのわざとらしい問いに、アヴァルは額に血管を浮かべて叫ぶ。
「貴重な回復薬を幾つも破壊するとは――これが貴様の狙いだったか! この卑怯者め!」
「あらあら、まさかそのようなことになっていたのですか。それは知りませんでしたわ、アヴァル様。貴重な情報をどうもありがとうございます」
「――っ!」
だが、その態度は虚偽だった。
計画通り、と妖しげな笑みを浮かべたアルセーナにつられて、アヴァルは自らの不利益となる情報を開示してしまった――本来ならば彼女の知り得なかった、偶然もたらされた結果を。
それに気づかされた彼は、してやられたと顔を赤く染める。
「――風よっ! 我が敵を蹴散らせぃ! 愚かな逆賊よっ! 不可視の刃にて切り裂かれよっ! 来たれ嵐の王――」
またもや姑息な怪盗を調子に乗らせてしまった――その怒りに呑まれ、もはやこれ以上遊んでいられないと、アヴァルは更に苛烈さを増すように全身に魔力を輝かせた。
対して、彼が焦りを見せたことにいよいよ回復の余裕がなくなったのだなとアルセーナは悟った。
ついに本気を出してくるかと彼女が身構える中、唐突に新たな声が張り詰めた戦場の空気に割って入ってきた。
「――ははっ、愉しそうなことをしてるじゃないか。酔い覚ましにと歩いていれば、甘美な香りがするものでついやってきたのだけれど……そこにいるのは怪盗淑女、で良かったかな? こんにちは、いや、もうこんばんはの時分だったかな? やれやれ、飲み過ぎるとつい時間の感覚が鈍ってしまう――それで、君はお酒はお好きかな?」
距離が離れているはずなのに、その身体の放つ甘ったるい酒精の香りがアルセーナの下まで届く。
ふよふよとした蕩けるような吐息を溢しながら彼女に声をかけてきたのは、本来この場にいるはずのない人間だった。
彼女自身が薬によって深い眠りの世界へと追いやったはずの彼、ヴェルジネア家嫡男リクオラの出現に、アルセーナは目を丸くせざるをえなかった。
「リクオラ・ヴェルジネア……どうして貴方がここに?」
「それはもちろん、戦も酒を彩る華だからさ。しかも、それが一流の戦乙女によるものとなればなおさらさ。――それに、どうにも今夜は身体が滾ってしまってね。うずうずと疼くんだ、夜の戦いが僕を待っているってね。ほら、鉄の交わる音に耳を傾けながら酒杯を傾けるのも一興、そうは思わないかい?」
そう囁いて、彼は中身が半分ほど残っている酒瓶を片手に握りしめながら、もう片方の手を腰の剣に手を添える。
明らかに命をかけた勝負に相応しくないと思える装いの彼が降り立ったことにより、戦況には混迷の気配が漂い始めるのだった。




