第181話 隕氷、流星雨の如く
本文の前に、軽く謝辞を述べさせていただきます。
普段より応援してくださる皆様のおかげで、拙作もついに総合評価500ptを越えることが出来ました。
今までにない評価を頂けて、本当に感謝しております。ありがとうございました。
読者の皆様にはぜひとも、今後もこの作品にお付き合いいただけたら幸いです。
それでは、本編をどうぞ。
頭上へと掲げられた銀雪の魔剣アル・グレイシアが、アヴァルから魔力を吸い上げる。
息子や娘にも増して深く澱んだ、毒蟲の体液を想わせる緑の魔力がとめどめなく供給されていく――その色が、魔法発動の過程で穢れなき純白へと裏返る。
張りぼての神々しさを助長するために施された内部の仕掛けによって、清廉な色彩の波長に転じた魔力。それが刀身を伝って、瞬く間に宙へと百五十の雪片型魔法陣を形成する。
玄関広間の天窓から注がれる月の光に照らされたそれらに、アルセーナは一瞬だけ見惚れてしまった。
――まるで、聖なる夜に祝福されているかのよう。
だが、すぐに気を取り直して、全力で後ろへ向けて床を蹴る。
それらの不吉な光輝は、今まさに、彼女を永遠の氷棺へと閉じ込めんとしているのだから――。
「まずは挨拶代わりだ。もっとも、貴様如きがこの攻撃から逃れられるとは思わんがな。あっけないものだが、しょせん愚物には相応しい結末か……行け、氷ども! 魔剣よ、その素晴らしき価値を今ここに披露してみせるが良い!」
アヴァルの合図とともに、待機していた魔氷が射出され始めた。
不規則に降り注ぐ透き通った冷たい隕石が、次から次へと大理石の床に陥没痕を作り出す。
恐るべき範囲攻撃を前に、閉鎖空間の中に閉じ籠る選択肢など有り得ない。
後方へ跳んでいた彼女は空中で姿勢の前後を入れ替え、そのまま足の先に聳える玄関扉へと思いっきり体当たりするように飛び込んだ。
がちんっ! 強化を纏った彼女の身体は容易く鍵である金具を砕き、屋敷の外へと飛び出すことに成功する。
「――まだですわ!」
魔剣が創り出した氷は、恐ろしいことに未だ半数が残されている。
芝生の上を受け身を取るように転がって勢いを殺し、体勢を整えたアルセーナはすぐさま左へと回避の舵を切った。
僅かに遅れて、屋敷内部から追いかけるように飛び出してきた氷が流星群のように彼女のいた場所へと着弾する。
ズドドドドドドッ……恐ろしい衝撃が連続して地面を殴りつけ、周囲に舞い上がった土埃に霜が纏わりついて、込められた濁った殺意からとは縁遠い、美しい霧景色が生み出された。
「――おい、アルセーナだぜ!」
「なんじゃありゃあ、あれもヴェルジネア家のどいつかの魔法だってのか!?」
彼女の姿を視界に捉えて、次に魔法によって生み出された惨禍の光景を見て民衆は目を見開く。
騒ぐ彼らにキスを送るような気配りを行う余裕もなく、彼女は何度か急な方向転換を経て、追尾するように放たれる氷の魔弾から逃れ続ける。
前へ後ろへ、右へ左へ。縦横無尽に前庭を疾走し、ようやっと魔剣の効果が終了したところで、身体の正中線に沿うように相棒の日除け傘を構える。
「本当に恐ろしい魔剣ですこと……。例の中庭を見た時も驚かされましたが、自分にそれを向けられた時の方がずっと心臓に悪いですわ」
幾つもの風穴を開けられた玄関の一階部分から二階部分が、遅れて一気に崩れ落ちる。
もし脱出が遅れて屋敷の中に取り残されるようなことになっていれば、頭上から落下する氷塊と瓦礫のいずれもに気を配らなければならなかった。
ひとまずは環境的に不利のない平地に出られたことを良しとして、彼女はホール内の螺旋階段の途中に設けられた窓から姿を現わしたアヴァルを注意深く睨んだ。
「――風よ! 我が敵を穿つ鏃となりたまえ、【風矢】!」
アルセーナから生み出された初級の風魔法が、アヴァルへと飛翔する。
しかし、周囲に漂う冷気が影響してか、大気で構成された矢は狙いが外れてしまった。彼の横にある外壁へと逸れて、風は極僅かに煉瓦を砕くだけに終わった。ぱらりと砂粒のような破片が少しばかり前庭に落下する。
その愚民らしいなんとも矮小な魔法に、アヴァルは鼻を高々と天に突き上げた。
「見たか、いくら貴様に魔法が扱えようと、血統の差は決して覆せん! どこの生まれとも知れぬお前など、しょせん私には遠く及ばぬ塵屑なのだ! この程度の実力で領主に逆らおうなどとは笑止! これまではその子供騙しの児戯でなんとかなっていただろうが、それも今日で終わりだ――ふんっ!」
窓の桟に足をかけて身を乗り出したアヴァルが、懐から取り出した薬を呷る。
それが喉を通れば、彼の額に浮いていた脂汗が段々と引いていくではないか。
軽く地形を変えるほどの力を持つ魔剣を振るえば、いくら選ばれし貴種を自称する彼でも保有魔力の大半を喰われる――しかし、それを想定して、きちんと魔力の回復薬も用意していたようだ。
即効性といい、回復量といい、ともに王都でも最高級の薬に違いないとアルセーナはその値段を意識の隅っこでこっそりと概算する。
――あれの雀の涙ほどだけで、平民の一年分の稼ぎに値するのでしたわね?
「そう仰られましても。こちらはただ、貴方様が挨拶と仰るからご挨拶を返させていただいただけですわ。これはほんの余興、初めから容赦なく相手を叩き潰すような、優美さの欠片もない行動を取っては怪盗の名が廃りますもの。はい、廃るほどの栄光を持たない貴方とは違うのです」
「はっ、何とでも言うが良い! 今夜の私はこれまでよりも更に強くなった! さる古き家系の秘宝であるこの魔剣と、私の力さえあれば、このような田舎の領主程度の椅子に我慢して納まることもない――今の私ならば、かの【英雄】さえ凌駕してみせようっ! それに対して、貴様にはなにが出来る!?」
アヴァルの拳が、先ほどオーレリーが砕いた壁の一部を殴りつけた。
それが思いのほか痛かったのか、ちょっとばかり顔を歪めるという情けない姿を見せてから、彼はすぐに元の傲慢さに満ち溢れた顔へと戻って相手を蔑む。
「魔法は距離に比例して威力を減衰させる――これほどの距離すら打ち抜けぬ貴様に、有効な手札が存在するのか? たかだが壁を僅かに削ることしかできない魔法なぞを積み重ねたところで無駄、無駄なのだ! 既に勝敗は決した! お前はもはやまな板の鯉だ! 我が魔法で、存分に料理してくれるわ!」
たかだか初級魔法程度で彼我の戦力差を決定づけたアヴァルの思考回路はさておき、その結論はあながち間違いでもない。
魔法は長距離を駆けるほどに大気によって威力を削られる。また、下方から上方へ目掛けて放とうとすれば、重力の影響を受けて更に威力が下がり、加えて目算との誤差が生じ得る。
現在の位置関係はアヴァルがアルセーナを見下ろすといったものであり、彼女が魔法戦闘に置いて不利な状況に置かれているというのは、その本人からしても正しい状況判断だった。
この差を埋めるには兎にも角にもアヴァルに接近することが求められるが、それも難しい。
なにせ、牽制のための高威力魔法を放とうと思っても、そのためには必ず相応の魔法陣を出力しなければならない。いくら詠唱を縮めても、やはりアヴァルが魔剣を振るう方が早い。
今の回復薬も、一本だけと考えるのはあまりに楽観的に過ぎる。
最低でも、残り五本か六本ほどは残されていると見ておくべきだ。
彼女はオーレリーとして魔剣を仕入れる際に何度かその薬が売買されるところを目にしていた。
全て売り払ったわけでないのなら、数に余裕をもって残していると考える方が打倒だ。
――とはいえ、その回復も無限に続くわけではない。
「まずは魔力薬を切らせるまで、踊らねばならないようですわね。たかが鯉、されど鯉。鯉の生き汚さは随一とも言いますし、まずはそれをご覧にいれてさし上げましょう」
そう口にしつつも、彼女の白い玉肌には冷や汗が伝っていた。
魔力回復薬の在庫を尽きさせるまでに、自分はどれほど孤独な舞を続けなければならないのか。
――果たして、あの絶冬の輝きの中を生き残ることが出来るのだろうか?
大金貨一千枚の価値に相応しい力を見せつけた魔剣に、彼女の心は実のところ凍えるように怯えていた。
しかし、その寒さを溶かさんばかりに燃え盛る熱もまた、この場には存在するのだ。
「へっ、その意気だぜ! 頑張れアルセーナ、俺たちがついてるからよ!」
「あんな氷なんてなんてこたあねえ、あのくそったれのせいで迎えた十年前の食い物がねえ冬の厳しさに比べればへのかっぱってもんだ! 誰が負けるかよ、そうだ俺らの熱気で溶かしてやろうぜ!」
「負けないで、怪盗淑女! 野郎たちだけじゃなくて、同じ女だって貴女のこと応援してるって忘れないでよね! 私たちの意地を、見せてやってちょうだい!」
アルセーナには、絶対に守らなければならないものがある。
その細く可憐な背中に背負った、二万を超えるヴェルジネアの人々の想い。
それが今、彼女の中で静まりかけていた心の風を再度加速させる。
「――ええ、お任せくださいな。今宵も、私があの悪党を見事打ち倒して御覧に入れましょう。期待してお待ちくださいね、皆様」
少しの間だけ忘れていた怪盗としての余裕を被り直して、彼女は不敵に頬を上げてアヴァルへと向き直る。
「……どれだけ生意気なのだ、貴様は。それに貴様らも……覚悟は出来ているのであろうな?」
「そのようなもの、とうの昔に済ませましたわ。――行きますわよアヴァル・ヴェルジネア、風よ!」
「その汚い口で私の名を呼ぶな、下女如きが! ――風よ!」
劣勢に立たされたとは思えない口ぶりで、アルセーナが魔法を唱えながら接戦を挑もうと前方へ飛び込む。
その邪魔な存在を叩き潰すべく、アヴァルもまた呼吸と共に回復した魔力を魂から搾りだし始めた。
ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。
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