ミズグモ
水面から見えるのは空の青ではない。
安普請のクロス張りの天井と横に這わした蛍光灯が2本、それ以上の観察は望めないらしい。起きがけの朝のように、すぐに周囲の景色には慣れていくはずだ。
ここは郊外の池ではないのだから、誰か拾ってきたのか或いはここで孵化した1匹なのだろう。記憶はそこまでは遡れない。ヒトと限らず、記憶は成長の途中から残るものなので、このような観察になってしまう。
ヒトであっても、生まれてすぐからの記憶が、まして胎児からの記憶があるなんてこと恥ずかしげもなくシャーシャーと口にできる手合いはいる。そんなのに限って、興が乗ったバーのカウンターで嘯いてきたりする。たまたまの隣から聞かれたって、わたしは正体を明かすことなく、くすぐったさを抑えながら、「なんとなく」とか「かろうじて」とか挟んで、手探りする。
わたしはいつだって良識ある大人だ。
飼われている身であることが分かったあと、次の歓心は飼い主は誰かということだ。犬や猫のようなペットでも牛や豚のような家畜でもないので、どのような扱われ方となるかは振れ幅が大きい。
暗幕で包まれた水槽では、先ほどの天井よりほか外界の様子は望めないが、暗幕で囲う手の込んだ扱いと|、ぼんやりした蛍光灯だけの住処としては安普請すぎる天井から察するに、あまり経費は潤沢でないが、その代わり穏やかな日常が流れている公立の研究施設の匂いがしてきた。
こうしたことには、以前から勘のいい方なのだ。案の定、学生とは異なる雇われ人の専任職員が、毎日一度の給餌と三度の観察に水槽までやってきてくれる。
飼い主が気まぐれな小学生などでなくてホッとした。彼らは、健常であればすぐに別の興味がすぐに沸いてくるから、こんな小さくて地味な生き物のことなどすぐに放ったらかしにするからだ。
忘れてくれるのはありがたい、興味などなくしてもらえばもっといい。ただ、給餌と住処が途絶えると、ひとに飼われた生き物は死んでしまう。美しさや大きさは関係ない。小さかろうが地味だろうが、こと切れる瞬間は同じだ。
本当は、野生の池、それもベルギーあたりの冷たい水草に囲まれてる生活を希望していた。
が、割と近場の、以前と周囲の様子はあまり変わり映えのしない中で生き永らえることになった。三ヶ月に一度長くなったあたまを五分刈りに揃えるお世話係と時たま観察にくる似たような同業者の男たちの視線が、いままでのその筋の手合いたちが以前の私に注ぐ視線とはまったくの別物であること位だ。
私は、社会というものに出てから、二度目三度目であっても初めて接した距離のまま他人に接してきた。大して熱心に顔を見ていないから、相手の方もそういった距離の関係となる。
今回のように、急に、フッといなくなって、こっちに移ってしまったら、こんな素養でなければ大騒ぎするんだろうが、いたって冷静に今の現実を受け入れてる。
その後は、私が関わる日常の修整に少しは手間取ったかもしれないが、残ってっしまうような傷を他人たちに被らせたとは思わない。余計な負担などもう持ち込めなくなったこんな小さな身体では、持ち込むものは軽ければ軽いほど楽である。
わたしの現在はミズグモだ。メーテルリンクの「ガラス蜘蛛」を読んでいたのも、この身になっての飲み込みが早かったことに貢献していると思う。個個個別までは覚えていないが、読後感は素晴らしかった。それが、この身で永らえることになった経緯と結びついているのかもしれない。
本当の水生生物でもないくせい、自分だけの「空気だまり」を積みあげて、住処を造り、隠棲する。
隠棲は、わたしの憧れがそう呼んでいるだけかもしれないが、地上の生き物が水中にひとりで潜む様子は、隠棲、隠遁、隠居といった隠れる言葉が飾りものに相応しい。
わたしは、以前よりも素養に合った身になり、しあわせだ。
半年が経った。ミズグモは日々を記憶する必要はないので、半年はこの身になっての感覚だ。だから、数値が正確かどうかはあやふやだが、どうも向こう側の様子が怪しい。
同業者の男たちが来なくなった。お世話係は、三カ月に一度の五分刈りと黒縁眼鏡のもの凄い美人が交代で行うようになった。黒縁美人は、明らかに別の業界の女だ。場違いな用事を頼まれてやってる感じは、世話されてる身なのでようく分かる。死んだジイさんが、どんな美人の介護でも手の冷たい女はイヤだと言っていた気持ちがようく分かった。
しかし、彼女に罪はない。彼女も被害者なのだ。何かそうした感じが伝わってくる。向こう側では、無意識のままでいても成り立っていた作法が崩れていって、ひとつひとつを一から考えなければならないことが蔓延している。こうして、世話になる身のミズグモになったとはいえ、あちらとは全く切り離されたわけではないらしい。
隠棲、隠遁、隠居を、お経のように唱える。こんな小さな身で何が出来るというのか。しかし、次のお世話の日に、黒縁美人が呆けた眼をしていたら、「もう来れなくなっても、こっちはちっぽけな生き物だから、ただ無くなるだけだから」と嘯けるだろうか。