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冬以外の四季を縫い合わそう。でなきゃ、とても肌寒い。

冬以外の四季を縫いあわそう。でなきゃ、とても肌寒い。

作者: 浜能来

 みぞれ降る、灰色の空模様。ぐじゅぐじゅとしたコンクリートの路面は、雨の残り香を思い出させた。

 何本目になるかわからないタバコを口から離して、紫煙を吐く。そのゆらゆらと登るのを目で追えば、紅葉などとっくのとうに枯れ落ちた、寒々しい木々が空を突き刺していた。


「降らないと、思ったんだけどな」


 僕はすっかり濡れそぼった肩口に積もるみぞれを、無意味にはらった。次に、ぺたぺたと額に張り付く前髪をかきあげる。ガードレールに乗せ続けた尻は、すっかり感覚がない。そんな僕を、誰も見てはいなかった。別に、そこになんの不思議もない。

 だって、今日は合格発表日。彼らの人生の岐路だから。


 普段、僕の顔見知りだったり顔見知りじゃなかったりが出入りする大学の正門は、辛気臭い顔の学生服がまばらに出入りする、アリの巣の様相を呈していた。僕はその真正面に陣取って、紙吹雪の代わりにタバコの吸い殻を撒く係だ。

 もちろん、無賃労働なんてたまったもんじゃない。僕は入っては出てくる学生のビフォーアフターを見比べて、その合否を予想するゲームをさせてもらっている。親子連れが良い。耳をそばだてれば答え合わせができて、存外に楽しい。

 その後で自分を俯瞰して、なんとか問題から目を逸らそうとする滑稽さに気づかなければ、もっと楽しいのだろう。

 僕は何本目かのタバコを、指でピンと弾いて捨てた。アスファルトに散らされた吸い殻と、箱の中に残る本数を指差し数え、ぼやく。


「タバコ、なくなっちゃうな」


 彼女は、まだ現れない。


 別に約束をしたわけじゃない。

 彼女とはあの日以来会っていないし、連絡だって取っちゃいない。それこそ、最初は合格発表のその現場まで行ってみたものの、考えてみれば受験番号すら聞いていなかったやと、すごすご帰ってくる始末だ。

 だから、彼女がやってくる確証だってありはしない。

 けれど、確信めいたものがある。夕暮れの教室で何度となく彼女を待って、そして彼女は飽きずにやってきたように。なんとも都合のいい話だが、人生の中で一つくらい、そんなシーンがあっても許してほしい。

 タバコをまた一つ取り出して、ライターで火をつける。手慰みにライターをいじっていようかとも思ったが、そのままポケットに押し込んだ。


 通り過ぎる女子高生を目で追っては、肩を落とす。

 一人、また一人。身体なんてとっくに冷え切っているのに、それでも、僕の熱が失われていく。

 頭の中では、彼女との春を思い出していた。彼女との夏を思い出していた。彼女との秋を思い出していた。彼女がいなかった今年の冬は、思い出さないようにした。


 そうして、幾分かマシになっただけの心地で、僕は待つのだ。

 彼女が現れれば、僕は今まで通りに彼女と語らおう。それでもって、自分勝手に逃げ隠れた僕の、自分勝手な答えを、自分勝手な彼女に--


 不意に、みぞれがやんだ。ぐい、と突き出された傘の下。


「先輩、何やってるんですか?」

「鷺沢……」


 果たして、モコモコと着込んだ彼女が、そこにいた。

 三日置いた炭酸飲料の最後っ屁みたいに漏れた僕のつぶやきに、彼女は白く、ほっ、と息を吐いた。寒さに赤くなった頰が緩む。


「先輩、私の名前覚えてたんですね」

「忘れるわけないだろ。お前みたいな、生意気で可愛げのある後輩の名前」

「--なら、いつもからそう言ってくれればいいじゃないですか」

「お前にはまだ早いよ」


 彼女がおどけて膨らましてみせた頰を、指で突いてやる。触れた感触は強張っていた。それでも、淡々と僕に文句を垂れて遊ぶ彼女のために、僕は自分の隣のガードレールに付いた水滴を袖で拭う。

 彼女がまるで突っぱねるみたいに突き出していた、傘を持つ腕。その緊張を緩めて、彼女は僕の隣に腰を下ろした。お礼を言いながらも、きっちりと自分のハンカチを下に敷いて。

 僕は肺に溜まった煙を抜くついでに聞いた。


「合格発表、見に来たのか」

「先輩、ご存知ないんですか? 今時、合否なんて自宅で確認できるんです」

「だから、何しに来たのかわからなくて、聞くんだろ」

「なるほど。それはその通りです」


 彼女は僕の方を見ずに答えた。

 鷺沢は、大学正門の人の流れを眺めていた。びしょ濡れの若い男と女子高生が相合傘をしているのは流石に珍しいのか、僕らに奇異の視線が向けられている。


「で、何しに来たんだ」

「謝りに来たんです」

「誰に?」

「先輩に」


 彫刻の首を回すような不自然さで、彼女はこちらに向き直る。僕は、彼女の持つ静謐な気配に息を飲んで、身構えた。


「まぁ、ちょうどいたから、今謝ってしまおうってだけなんですけどね」


 彼女はそんな僕の心を見透かしたように、はにかんで見せた。そして、傘の上に積もったみぞれを裏から指でつつきながら、話し続ける。


「先輩、私受かりました。お母さんは、珍しく一生懸命勉強した甲斐があったじゃないって、喜んでくれました」

「良かったじゃないか」

「ええ、これで晴れて私は、『先輩の後輩』に戻れます」


 彼女のその言い回しに、僕はなんとも返せない。割り切ってはいたものの、胸の中身を絞られた心地だ。思わず視線を落とすと、彼女に踏まれた吸い殻が横たわっている。


「それはそれとして。私、考えたんです。じゃあなんで、そんなに頑張って勉強したんだろうって」

「……あいつを見返すためだろ」

「もしかしたら、先輩が勉強を見てくれたからかもしれません」

「それは……」


 彼女の声に、奇妙な上ずりを覚えて顔を上げれば、あるんだ彼女の瞳があった。握りしめた手でまなじりを拭う彼女の口元は微かに震えて、それを隠そうとするように唇を噛んでいた。


「違うんですよ。どっちも。きっと途中まではそうでした。でも、先輩と別れたあの日から。私が勉強した理由はちがうんです」

「じゃあ、その理由って?」


 何か、喉に詰まったものを吐こうとしてえずくように漏らす彼女は、ただただ苦しそうだった。でも、僕はなるべく穏やかに、彼女の吐瀉を促すことにした。傘を持つ手に触れ、受け取り、空いた手で頭を梳き撫でてやる。

 強張っていた肩が、わずかに下がるように見えて、僕は一息つけた。


「きっと私は、勉強している間は先輩のこともあの人のことも考えなくていいって、そう思ってたんです」

「そっか」

「だから、私は入試が終わってから何度も考えました。私は先輩とあの人と、どっちが好きなんだろうって」


 そこまで言って、彼女は頭を撫でる僕の手をとった。「ありがとうございます」と告げるその声は、とうに平静を取り戻している。

 僕は彼女の言葉に、なんとも言えないぬるま湯のようなものに襲われ、感情が定まらない。けれど、鷺沢は哀れにも生真面目なのだと、そう思った。

 訥々と、彼女は僕をまっすぐに見つめて言葉を継ぐ。


「先輩のことは好きです。好きな人は誰と聞かれたら、私は迷わず先輩と答えられます。でも、なんで好きなのかと聞かれたら、私は何も答えられません。だって先輩、優柔不断だし、ガサツだし」

「……」


 酷い言われようだな、と言おうとして。失礼だと考え直して飲み込んだ。彼女の、ほんのりと柔らかく見えた口元だけで満足だった。


「なんであの人に告白したのと聞かれれば、私は百の理由を並べ立てるでしょう。もちろん表現の綾で、実際そんなには並べられないでしょうが。先輩よりも多いことは確かです」


 指折り数えながら言う彼女を見て、それがどうしようもなく真実だと言うことを悟る。

 つまり彼女は、感情で言えば僕が好きで、理屈で言えばあいつが好きだと。そう言っているのだろう。


「だから、私はどちらともお付き合いできません」

「別に僕とは、一度も付き合おうとか話をしてないと思うけどな」

「……そういえば、そうですね。自意識過剰みたいで恥ずかしい」


 彼女は決まり悪そうに横髪をいじってから、居住まいを正す。


「だから、先輩を惑わすようなことを言ってすみませんでした。今年のことは水に流して、来年からはまた仲良くしてくださると嬉しいです。その、本当にごめんなさい」


「そっか。僕は君のことを、異性として好きなんだけどな」


 折り目正しく下げられた彼女の頭。そのつむじに向かって、言葉を投げつけた。


「……へ?」

「だから、僕はお前のことが好きだ。愛してる」


 顔は見えないが、ぽかんとした顔をしていることを間抜けな声が教えてくれた。


「なんで僕が、夏祭りの告白に付き合ったと思ってる」


 できればそのまま、顔は上げないでほしい。僕の顔は茹だったタコのように赤いのだろうから。


「なんで僕が、秋の勉強会に付き合ったと思ってる」


 できれば早く、顔をあげてほしい。勢いのままに流れる言葉が間違ってはいないか、その表情に聞きたかった。そして、僕の苛立ちを受け止めてほしい。


「バカにするのも大概にしろ。大体、あの春の日に気づいていたんだろ。僕はお前が好きだ」


 まるで、自分だけが悩んできたような、そんな口ぶりが気に食わなかった。

 鷺沢が思い出したように顔を上げる。頰に沿わせたり、僕を止めるように突き出されたり、あたふたと手を動かす様が可愛らしい。が、その予想外だと全身で主張する様が僕の苛立ちを煽る。


「そうさ。お前のためにやったことは全部下心さ」


 だから、彼女の思わせぶりな言葉に僕は怯えた。

 彼女の好意の可能性に片隅で喜びつつも、もっと大きな不安が、軽蔑されたのではないかという不安が僕の目の前を真っ暗に塗りつぶした。

 冷静に考えれば、可愛げのある彼女がそんな罠にはめるような言い回しをするはずもないのだが。そうなると、彼女の真意をどう解釈していいかわからなくて。

 ちょうど今の空のような、絵の具をぶちまけたような灰色と共に過ごした冬。その果ての結論。


「下心で、何が悪い」

「えっ……?」


 彼女の動きがピタリと止まり、僕を信じられないものを見るような目で見る。自分の一言の威力に、僕はしめしめと口の端を釣り上げる。


「僕がお前を好きだから、お前のために動いた。同じように、僕がお前を好きだから、僕はお前に告白をする。だからどうしろと言うつもりなんてない」

「じゃあ、私はやっぱり断りますよ?」

「別に、好きにしたらいい」

「……ふふっ、変なこと言うんですね。先輩は」


 堪え切れなくなったように彼女は笑う。つられて、僕も気が緩んだ。言い切ってせいせいしたのかもしれない。僕らはお互いに、日常の中で息をついた。


「ただな、僕は今年のことを忘れてやらない。そう言いたいんだ」

「酷いですね。私の弱みを握ってやるぞってことですか?」

「そうかもしれない」


 卑屈に返す彼女を、僕は自嘲気味に笑ってやった。むっとされても、僕の優柔不断さを示すこの一年は僕にとっても弱みなのだ。それに彼女だけが気づいていないのがおかしくて、僕はまた笑った。「何笑ってるんですか」と不機嫌に小突かれる。


「いやまぁ、忘れないから。僕は来年以降も、君に告白し続けるよ」

「えっ……ストーカー宣言ですか?」

「愛にひたむきだと言ってほしい」


 彼女は顔をしかめるが、それが本気ではないと僕にはわかる。


「だから、気が向いたらオーケーしてほしい」

「そんな気持ちの悪い人、私オーケーしませんよ」

「なら、一生続けなきゃな」


 僕らは一度口を閉ざして、そして失笑した。鷺沢がぴょんと跳ねるように立ち上がる。僕の傘を持つ手を叩きつつ「先輩」と呼ぶから、なんとなく空を見てみれば。もう、みぞれはやんでいた。


「おかしいですね。私は悪女として、怒られにきたはずなんですけどね」

「悪女というけど、人の気持ちなんてそんなもんだろ。恋心なんていい加減だって、お前が言ったんだ」

「そうでしたっけ」

「そうだよ」


 愛なんて、適当でいい。

 愛なんて単純じゃないし、複雑に考えてもしょうがないし。きっと、特別なものでもない。

 深夜、バイト帰りに駅の近くのアパートで見かけた。抱き合う男女を思い出す。いくらでもあるような、カップラーメンより即席の別れだろうに。後生のように惜しんでいた二人の、幸せそうな瞳。

 愛なんて、あんなものでもいいんだろう。


 疲れつつも、いくらか明るくなった彼女のかんばせを見て、僕はそんな風に思った。


「先輩」

「なんだ」

「一つ、お願いがあります」


 彼女は僕からたたんで返された傘を、大事そうに持って言う。それは、まるで祈るように見えた。僕は、黙って頷いた。


「今から、私は罪の告白をしてくるから。先輩には、どこかで応援していてほしいんです。それで、次会う時には何かしら言葉をください」

「贅沢だな。それに図々しい」

「ごめんなさい。でも、お願いしたいんです」


 心から笑いかけてくる彼女に、僕は考えることもせず了承していた。

 彼女は「楽しみにしてますね」と残して、大学の中に消えて行く。あの人が待ってるはずだからと、そう言っていた。これから振られる、見ず知らずの王子様を思うと、同情してしまう。

 僕は、まだ彼女にあげる言葉を思いつかないから、一度逃げることにした。


「タバコ、拾って帰るか」


 濡れたアスファルトの匂いを、ヤニ臭さで汚すのはもったいないと思った。素っ裸の木々も、次来る時にはきっと緑に萌えている。そして、春の木漏れ日の下で、僕は彼女と再会する。


 鷺沢になんて言葉をかければ、喜んでもらえるだろう。そう考えるだけで、濡れて重くへばりつく衣服の心地悪さも、消えて無くなるようだった。

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