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竹内緋色 短編シリーズ

血を吸われるだけの話

作者: 竹内緋色

 これはただ僕が吸血鬼に血を吸われるだけの話だ。


 雨が降っている。

しとしとと湿気の多い雨。黄色い土の地面はぼこぼこし始めて、水たまりができ始めている。

僕は彼女を待ちながら、縁側でひたすら雨に濡れる景色を見ていた。別に何かが楽しくて見ているわけではない。ただ、彼女が来るまでにすることもなくて、いつもと同じように縁側にやってくるのだ。湿気の多い雨の日も、うっすらと雪積もる冬の日も、僕は彼女がやってくるのを待つ。

 ふわっと急に部屋の気温が変わる。ずっと暑苦しくて、扇風機を回そうかと悩むほどの汗臭い温度だったのが、自然の中の滝の前のようなマイナスイオンに満ちた、清廉な空気に変わる。

 彼女が来たのだ。

「待たせたわね」

 彼女は僕の背後から、心をくすぐるような高く柔らかい声を出す。彼女はいつものように僕の背後に立っているのだろう。僕は親しみのこもった笑顔を向けて振り向く。

「いつもと時間ピッタリだよ」

 時間なんて計ったことはない。でも、彼女はきっと同じ時間に寸分の狂いなく訪れている。そんな気がする。

 その言葉を聞いて、彼女の赤い唇は小さく動く。笑っているのだ。闇夜でも白く映える肌に紅い唇はよく目立つ。

 ふわっと、こんな雨にはありきたりな、いたずらのように肌寒い風が僕の頬を撫でる。僕の頬を興味なさげに撫でた後、今度は彼女の存在を讃えるように、立ったままの彼女のたおやかな長い黒髪を揺らす。セーラー服の裾が緩やかに揺れる。

「じゃあ、始めようか」

 僕は少し汗臭さを気にしながら、制服のワイシャツを脱ぐ。しっかりとシャワーを浴びてきたけれど、汗をかいて臭くなっているかもしれない。

 彼女は目を細め、座っている僕と同じ目線になるようにゆっくりと正座をする。するりと、長い手を細い膝の裏に沿わせて、スカートを織り込む。まるで地球の重量苦を感じさせないような緩やかさで音もなくひた、と畳に正座をした。

 彼女の動作はそのどれもが神々しい。

 僕は首をこくり、と右に傾ける。

 彼女も僕の真似をするようにこくり、と首を右に傾ける。それぞれが同じ方向に首を傾けながら、向かい合っている僕らはそれぞれが別の方向に首を傾けている。

 初めはこうではなかった。でも、今はこれが僕たちの関係なのだと僕は一人で納得している。

 彼女は春に香る花の香りのようにふわっと僕の首筋まで白く小さな顔が迫る。少し甘ったるい花の匂い。そのにおいを、僕は彼女に会う前から知っていた。


 それはとても幼いころであまり覚えていないけど、匂いを嗅ぐたび思い出す。花の匂いほど甘ったるくも、そして、苦くもない、ただの記憶。

 僕は幼いころ祖母の家に預けられていたそうだ。祖母はつねに彼女の発している匂いをさせていた。どこか儚げな匂い。その正体を祖母は芥子の花の匂いだと言っていた。祖母は芥子の花を育てていた。僕の祖母だからそれなりの年齢だというのに、僕の記憶にある祖母は皺などが目立ってきたものの、まだ若々しく、女だった。祖母からは常に女の香気のようなものが出ていて、それが芥子の花の匂いと混じって、より濃厚な香りを醸し出していた。

 後に知ったことだが、芥子の花はアヘンの原材料であるから、栽培は禁止されている。そして、僕が嗅いでいたほどの濃厚な臭いは本来しないはずだった。だから、きっと僕の嗅いでいた匂いはそのほとんどが祖母の匂いだったのだろう。

 芥子の花言葉は「慰め」と「無気力」と「眠り」だった。

 それは祖母と彼女そのもののような花言葉だった。


 首筋に彼女の甘い息がかかる。僕の左の首筋には深い傷跡がある。それはもともと深い傷跡であったわけではない。彼女は目印である桃色の傷を艶めかしい蛭のような舌を這わせて嘗め上げる。つるりと傷のある場所が湿っていく。彼女は何度も何度も舌を行ったり来たりさせ、僕の首筋をほぐすように下の先と舌の裏とを交互に使い上げる。その度、僕の体は喜びの声を上げる。

「あ」

 思わず小さく声を上げてしまった。人ではない彼女の舌は蕩けるように柔らかく、ひんやりと冷たい。柔らかく冷たい舌はどんどんと僕の火照ったからだを快楽で満たしてくれる。

「んふふ」

 小さく喉の奥で彼女は笑う。今僕から見える彼女の姿は、視界の端に移る見事な黒い髪だけだ。それはありきたりな髪の色であるのに、僕の住んでいる世界の人々とは違う世界から来たものだとはっきりとわからせる魅力があった。

 彼女はさらに僕に体を近づける。僕の裸の胸と、彼女の制服に包まれた胸とが柔らかく触れる。彼女は僕の両肩を手で掴む。ひんやりとした感触。どこまでも、果てしなく、僕に彼女が人ならざる存在であることを分からせる感覚。

 彼女は僕の傷跡に血も滴るほど紅い唇で接吻する。かすかに吸い上げられている感覚がある。

 ぷちゅ。

 そんな艶めかしい音が鳴るたびに僕の心臓は高鳴る。だんだんと呼吸が荒くなっていっているのを感じる。たらり、と額から汗が流れ落ちる。

「汗臭くない?」

 僕は気になって彼女に尋ねる。

「いいえ」

 僕の耳に少し冷たい吐息の混じった返事が流れ込む。左耳からの快楽が僕の頭の左側を麻痺させる。

「むしろ、いい感じ」

 今度はさっきよりも激しく僕の首筋を吸い上げる。首を動かし、狂ったように、髪を揺らしながら。でも、それはしばらくすると終わる。彼女はゆっくりと頭を上げる。たらりと彼女の口から零れた唾液が僕の傷跡とを結ぶアーチとなる。

 彼女は僕に向き合う。鼻と鼻がぶつかり合いそうな距離。彼女の鼻は高くて鋭くて、花がある。僕の丸っこい団子鼻とは違う。

 唾液のアーチは崩れ、彼女の透き通った顎と、僕の黒い乳首とに垂れかかる。

「あ」

 またも僕は甲高い、喜びを叫ぶ。小さく小さく、噛みしめる。

 彼女は僕の目を覗く。彼女はたらりと目じりを垂らし、恍惚に浸っている。彼女の光り輝く黒曜石のような瞳に移る僕の顔はさらに恍惚に浸され、醜くなってしまっている。そんな僕を彼女はじっと恋しそうに見つめていた。

 何の前触れもなく、彼女は芥子の花の香りをさせながら、僕の首筋に顔を近づける。

 今度は硬い感触が僕を襲う。彼女の驚くほどに白い歯が僕の首筋を狙っているのだ。大きく長い、犬歯が僕の首筋を彷徨う。僕は彼女のその歯を見たことがない。彼女は歯を見せて笑うことがない。ただ、きっとそうなのだろうと想像するのみ。

 さくっ。

 そんな感覚とともに、より深く、さらに深く、彼女の犬歯は僕の首筋にのめり込んでいく。痛みはある。そのせいで、左腕が少し震えている。でも、恐怖はない。もう、慣れてしまっていた。


 彼女と初めて会ったのは、こんな暑苦しい雨の日だった。誰もいない家で、一人、月も出ていない寂しい夜を見ていた。僕は中学生になって、体が大きくなり始めた頃だった。だんだんと変貌していく自分自身のことを思うと、どうにも胸が苦しくなった。

 さらり。

 背後から静かな風が頬を撫でた。

 そして、プスリ。

 蚊を刺すような痛みはだんだんと異物が入り込むにつれ激しく熱くなっていく。たらり、と熱いものが左の首筋から垂れてきているのを知って、僕はその時初めて、血を吸われていることに気がついた。


 あの日と同じく、僕の首筋から熱い情熱が噴き出す。噴き出した血を彼女はあの艶めかしい舌で掬い取る。歯を突き立てられたことによって起きている首筋の炎症を、冷たい舌は和らげてくれる。

 彼女はゆっくりと上へ下へと顔を動かす。動かしながら、小さな唇で僕の傷口から流れる血液を余すことなく吸い取る。時々、彼女の牙が深く僕の体を抉るので、体が無意識にビクンと動く。彼女はそれさえも楽しむように、ゆらゆらとゆりかごのように頭を揺らす。

 しばらくして、彼女は満足そうな笑みを浮かべ、僕の首筋から顔を離す。彼女の口と僕の傷口を結ぶアーチは赤と透明が混じっていた。トクトクと僕の傷口から血が流れ出す。

 僕は快感を覚えつつも、疲労も覚えていた。体から血液が奪われたからではない。彼女は市販のペットボトルのジュースにも満たない量の血液しか飲んでいない。

 彼女は重さを感じさせない挙動で立ち上がった。

 僕は彼女に聞いた。

「どうして僕を選んだの?」

「別に誰でもよかったの。若い血さえ楽しめれば」

 彼女は吸血鬼だけれど、血を吸わなくては生きていられないわけではない。吸血鬼にとっての血は芥子の実から取れるモルヒネのようなもの。ただ、快楽を得られるだけのもの。

 彼女にとっての僕は毎日採血できる都合のいい存在。そのくらい分かっていた。でも、きっと最後の夜だから、聞いておきたかった。

「僕の血を全て飲んでほしい。今日が最後なのだろう?」

 僕は今日で18になる。体もそれほど元気がなくなってくる、上り調子だった成長が止まり始めてバランスを崩し始める時期なのだ。12歳から18歳の時にだけ取れる、貴重な血液。たった六年しか味わえない逢瀬。

「重いわ。そういうの」

 彼女は薄い感情を匂わせる表情をして僕の前から去っていった。いつも寂しげな表情で。

 僕たちはいつも同じ方向に首を傾けながら、向かい合ってしまったから、互いに別の方向を向くことになった、たったそれだけの関係。少しの時間しかともにできない快楽。

 今日で僕の初恋は終わりを告げた。

 雨の日に少しもぬれずに訪れる少女は、衰えない若さを持つセーラー服の吸血鬼は、心の不安を持つ少年少女のもとに現れるのだろう。ただ、その慈愛で現実の痛みを和らげるために。決して実らない恋を何回もしながら。


Thank you birthday to her who I don’t know her name as poppy.

Fine.



 これが恋というのなら……


 突然ですが、これって主人公を女の子にして、ユリものとして楽しんでもいいよね!というか、そっちの方が作者的に萌えますなぁ。

 この短編はおそらく、私の全力だと思う。これ以上のものは書けない。短編だから、少ない文字数でいろいろなものを濃縮できたのだろう。この作品を書き終わった後、なかなか寝付けなかった。興奮冷めやらんという状態だった。ただ血を吸われるだけの話であるのにとてもえろい。そういう興奮なのだ。

 しかし、もしこの作品の二人の関係が恋というのなら、私は今まで恋というものをしたことがなかったのだな、と遠い目をさせられた。二人だけの時間は永遠で、それは何物にも代えられなくて。

 でも、これって、絶対恋じゃないとも思うのである。これは恋からさらに進んだ愛なのだ。愛というのは両想いでなくとも、片思いでなくともよいのだ。互いの心の隙間を埋めていく存在とその行為が愛なのだと私は思う。だからってなんだという話なのだが。恋でさえしたことねえのに、愛なんてわかるかっての!

 いろいろと細かい設定が気になった方もいるかもしれない。例えば主人公のおばあちゃんとか。でも、おばあちゃんに関しては少しも設定なんてないのです。あるとしたら、常にパイプでたばこじゃないなにかをふかしている、胸の大きく開いた花魁のような和服を着ている、顔に小じわの目立つおばあちゃんというだけだ。主人公が一人暮らしの理由とか、本当に考えていない。ちなみにおばあちゃんも吸血鬼だったとか、主人公にも吸血鬼の血が流れているとかは考えてない。でも、あると思ったらそう思ってくださって結構。そうすれば、吸血鬼さんが主人公のもとに訪れた理由にもなるしね。たぶん。

 書ききれなかったこととして、吸血鬼さんは主人公と同じ学校に通っているというものがあったけど、話の流れ的にかなわなかったし、いらない設定だったと思います。

 私の中の吸血鬼というのは日光に弱いとかそういう存在ではないです。もしかしたら本当に隣にいるかもしれない存在として描きたかった。そうなると、血液で生活するというのはかなり無理があるのでは?とも思ったわけである。無理ではないのです、実は。人間の血液には豊富にエネルギーがあって、それを狙って蚊が血を吸うわけですから。あと、きっとタンパク質とか多いはず。でも、人間に血液の栄養を全て摂取できる酵素がないから、無理なんじゃね?と思うのである。また、人間は1リッターも吸われると死ぬ。でも、ニュースで吸血鬼に殺された、なんてのはないので、きっとそんなには吸わないだろうな、と。血液のエネルギーを考えると、やっぱり、一日1リッター以上は必要そうである。また、いろいろな作品では輸血用の血液パックをちゅーちゅーしているなどもあるが、一体どこからくすねるんだよ。その経路から吸血鬼の存在もろばれじゃん!とか思うのである。

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