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エッセイ

女王のパフェ、姫のアラモード

作者: 仲山凜太郎

 前回、「〆にはパフェを」というエッセイを書いたところ、書き終えてから無性にパフェともうひとつのデザートについて書きたくなった。

 パフェ。何でも「完全な」を意味するフランス語のパルフェが語源とされている。つまりパフェとは完璧超人ならぬ完璧デザートとして作られたもの……らしい。正直言って、語源などどうでも良い。

 各地にいろいろなご当地パフェが存在するらしく、ネットで簡単に検索するだけでもご当地食材を使ったパフェをいろいろ見ることが出来る。ただ、京都の白味噌パフェとか愛媛のとんかつパフェぐらいになると、食べるのにちょっと勇気がいる。

 それはさておき……


 私は子供の頃、パフェとは「パーフェクト・アイス」の略だと教わった。上記の語源が正しいならば、私は間違って覚えていたわけだが、このせいか私にとってパフェとは「豪華にトッピングされたアイスクリーム」というイメージがある。

 パフェ、それは透明な器の中央に据えられたバニラアイスを取り巻くようにクリームが覆い、チョコやフルーツで彩られ、下にはフルーツカクテルやゼリー、コーンフレークなどが控え、支えている。巧みに計算された華やかさは正にスイーツの芸術。

 だが、私はかつてこれらの配置に不満を持っていた。なぜ主役であるアイスクリームが見えないのか? クリームやフルーツ、チョコやワッフルチップなどで隠され、その姿はほとんど見えない。

 どんな料理だって、メインは中央にでんと構えるものだ。ハンバーグセットでライスを中心にしてハンバーグを脇に置くなんてことはしない。

 しかしある日、はたと気がついた。

 パフェをデザートの一品として見るからいけないのだ。パフェとは、アイスの女王がいる「宮殿」なのだ。

 底の深いグラスのお城。アイスの女王を取り巻くのはクリームの次女達、フルーツやチョコの衛士達。フレークの使用人。宮殿を外から見ても女王の姿が見えないように、ただパフェを眺めてみてもアイスの女王はほとんど見えない。

 宮殿とするならば、今まで私が疑問、不満に思っていたことは説明が付く。


 なぜ縦長なのか?

 パフェはコース料理なのだ。フルコースが食前酒、前菜から始まり、食べる順番が決められているように、パフェも縦長故に食べる順番がほとんど決まっている。そこにあるのは厳格なるルール。このような順番で口にするのが一番美味しいのですという料理人の自信と計算がそこにある。それはパフェの各パーツに込められた役割、厳格なる身分の差である。

 頂点に立つのはお出迎え役でもある。受付嬢に美人を揃えるように、目立つこの場所にはチョコやフルーツ華やかなものが並び、人々の目を引き付ける。

 最近あまり見ないが、以前はてっぺんにサクランボが乗っかっていることが多く、最初にそれをつまんでパクっと食べるのが始まりの儀式になっていた。

「ああっ、サクランボが一口で」

「やるな、だが奴は我らフルーツ四天王最弱」

 などとアホな脳内会話をしてしまったが、甘味メインのパフェにおいて、フルーツの刺激は彩りにおいても味覚においても欠かせないものである。

 そして味も華やかなフルーツたちをホイップクリームで落ち着かせたら女王たるアイスの登場である。このアイスはやはり王道のバニラが良い。苺味やチョコ味、抹茶味のアイスもあるが、それらはやはり脇に控えし二番手であるべきだ。

 バニラアイスの王道たる存在感を味わい終えた頃には、その味と冷たさが口の中に残っている。そこでフレークの登場。彼らの乾いた食感は甘みの連続に疲れた舌と冷たさの残る口中を綺麗に拭い去ってくれる。

 そして器の底、パフェの最後に控えるのは、●●パフェであることを改めて思い起こさせてくれるチョコやフルーツのソースである。中にはこれにフルーツカクテルが入るのもある。これらはまるでパフェの残り香のような、いわば劇場で舞台を見終え、劇場を出る観客に、扉の脇で佇み別れの会釈をするあの受付嬢のようである。

 出迎えとは逆に慎ましく、しかし最後に少しだけ良き印象を残すそれらの別れの挨拶によってパフェは終了する。

 パルフェの名に恥じない完成度である。

 誰もが注文したパフェが目の前に置かれた時、その完成された美しさに目を見張り、感嘆の息を漏らす。え、私だけ? 


 あえて意見が分かれそうなところと言えばフレークであろう。

 今でこそ器の下1/3ぐらいにフレークが入っているのが当たり前になったが、私が子供の頃は器の中は上から下までびっしりとアイスとクリーム、フルーツカクテルやソースなどで埋まっていた。

 ところが、いつからか中にフレークが入るようになった。それを見た時、幾人もが「底上げだ」「誤魔化し、手抜きだ」と声を上げた。

 フレークに与えられている役割は、先にも述べたように甘さと冷たさが染みこんだ口中と舌のリフレッシュにある。以前にその役割を担うのは主にウエハースであった。細長いウエハースがまるで塔のようにパフェの宮殿からそびえ、食べる人は時折それをかじっては味覚を戻すのだ。ぜんざいに付いている塩昆布のようなものである。

 私自身はフレークでも良いと思うが、問題はそれが器の中に入っていることである。フレークを食べるにはその上にあるアイスなどを食べ終えなければならない。

 まるで「フレークを口にする資格を得るには、まず上に佇むアイスなどを食さなければならない」と言っているようだ。

 しかし、リフレッシュを望むタイミングは人それぞれであるし、フレークの分だけアイスなどの量が減るのが悔しいという人もいる。底上げ批判などはその一例である。私も「フレークでなくアイスが入っていれば!」派である。

 私はフレークをパフェとは別皿で提供して欲しいと思っている。小さな透明のお皿にふたつまみぐらいのフレーク。パフェを味わいながら好きなタイミングで口に出来る。そのまま食べても良いし、細かく砕いてトッピングしてもいい。

 パフェを出す店には是非一考してもらいたいものだ。

 そして最近はカロリーを気にする人に考慮してか、どのパフェもサイズが小さめになっている。それ自体はかまわないのだが、小さくなるのに合わせて、アイスクリームをソフトクリームにしている店がある。これは個人的に許せない。

 上にも述べたように、私にとってパフェのメインはアイスクリームなのである。アイスの上にソフトをのせるのはかまわない。だがアイスをなくすのは駄目だ。主役を無くしてどうする。

 私だってカロリーは気になる。だが、どのような理由があっても、決して無くしてはならないものがあると思うのだ。


 さて、パフェを語るならば、こちらにも触れなければなるまい。

 かつてはパフェと人気を二分するデザート。パフェが芸術的な宮殿なら、こちらは自由で楽しいお姫様の庭。パフェとは対照的な魅力を放つスイーツ。

 プリン・アラモード。

 パフェがフランス語ならアラモードもそうだろうと調べたら、やはりそうで、何でも「現代風」「流行」を表すらしい。

 この言葉の違いは、そのままパフェとアラモードの違いでもある。

 パフェの中心がアイスであるのに対し、こちらの主役はもちろんプリン。パフェと違って「私が主役よ、みんな見て」とばかりに中央で目立っている。

 使われているパーツはほとんどパフェと同じ。であるにもかかわらず、パフェとは全くの別物になっている。

 その最大の要因は器にある。パフェの縦長の深い器に対して、アラモードの器は浅い。細長い皿と言って良いほどだ。それ故にパフェは縦に配置されるものがこちらは横に配置される。主役であるプリンを中心にホイップクリームやフルーツ。

 そう、食べる順番が半ば強制されるパフェに対し、こちらはどれから食べても良いのだ。パフェがコース料理ならば、こちらは器に盛られたデザートバイキングだ。

 思い浮かべて欲しい。透明な細長い器の上、サクランボを乗せたクリームの帽子をかぶったおしゃまなプリン姫。彼女の周りには彼女に振り回されるクリームのメイド達が取り巻き、人の良いフルーツの騎士達が笑顔で見守っている。そして脇にはきつい目をした教育係のウエハースが目立たないよう、しかし甘さで舌がバカになった時はすぐに出られるよう控えている。

 まるで絵本の1ページ。パフェが「美しさ」を魅せるなら、アラモードは「楽しさ」を描き出すのだ。

 アラモードの材料に優劣はない。ただ味、食感の違いがあるだけだ。


 計算された美しさを誇るパフェに対し、自由奔放さで楽しむアラモード。

 個人的にはアラモードの方が好きなのだが、もとから自由を誇るだけに、アラモードは却ってバリエーションを無くしてしまっている。自由故に生まれた不自由さとでも言おうか。

 皆が横並びに近いだけに、何かが突出するような作りがしにくいのだ。それでも初夏にマンゴープリン・アラモードぐらいは出ても良いと思うのだが……いや、実際出しているところはあるのだろうが、どうも印象が薄い。

 それに対し、パフェは季節ごとにそれをテーマにした商品が生まれている。春ならば苺パフェ、初夏ならマンゴーパフェ、秋にマロンパフェなど、それぞれの食材が自分の役割を持っているだけに、今回はこれを押し! というような演出が出来る。アニメや漫画で、脇役が中心の話が時々出てくるようなものである。それも、バニラアイスというしっかりした中心があるからこそ出来ることである。


 パフェとアラモード。

 タイプは違えど忘れられない、人の表情を緩ませる力を持つ夢のデザート。

 人は誰でも生きるのに夢を持っている。人には夢が必要なのだ。

 年を取ると人は子供に返るという。時折、喫茶店やファミレスなどで一人パフェをつつくお爺さんを見ることがある。彼らは明日を生きるために夢を補充しているのだ。いずれは私もああなるだろう。おかしくはない。パフェをつつくおっさんがお爺さんになるだけだ。

 人にはパフェやアラモードが必要なのだ。

 だからそれらが前に置かれた時、人はにやけてしまうのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  パフェとアラモード描写が綺麗で、食欲をそそられました。 [一言]  想像力をかきたてられる素晴らしい文章なので、童話にアレンジされたら子供も喜びそうです。
[一言] 『女王のパフェ、姫のアラモード』拝読いたしました。 タイトルにある通り、それぞれのデザートを「女王」「姫」と例えている点が非常に面白く、感服いたしました。パフェについて語っているエッセイはあ…
2018/02/18 09:35 退会済み
管理
[一言] 東京ミュウミュウあらどーも! ……懐かしい。はっ、すみません。(^^; 読み進めていくとき、勝手にラーメンに置き換えて考えてました。 すると不思議!パフェは二郎系になってしまうではありませ…
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