結城秀康に憑依した現代人が兄貴を救う話
何故結城秀康かと言いますと、当初は結城秀康の憑依物の長編を書こうかと思いました。しかし長編だと挫折し、信康を救うだけになったのがこの小説です。
なので即興で出来たものですので色々と突っ込みどころがあります
ちなみに作者の知識はWikiのみですので、過度な期待しないようにお願いいたします
気がついたら戦国時代にいた。
……いやラノベのタイトルみたいな話かもしれないけれど、俺の話を聞いてくれ。
俺は戦国SLGが趣味の元リーマンだ。何で元がつくかと言うと辞職してきたんだよ。部下の手柄は俺の物、自分の失敗は部下の物と言わんばかりのクソ上司だったからな。俺は復讐にありとあらゆる罪を擦り付け、そのクソ上司の首を飛ばしてから辞職した。退職金で何しようかなんて考えながら寝ると自分が赤ん坊になっていたんだよ。いやマジで。ラノベだったらトラックに轢かれ死ぬか、あるいは逆恨みしてきた上司が俺を殺したりして転生するもんなんだよ。それなのに俺は寝ていたら死んでましただもんな。死ねよ。いや死んでたよ俺。
肝心の憑依先だが、どうやら義伊丸という人物に憑依したらしい。誰だよ、義伊丸って。知らんがな。意義有りだ裁判長。しかも俺こと義伊丸は憑依したのがバレたのか、双子の片割れなのか、あるいは別の原因があるのか知らないが親父にかなり忌み嫌われている。その為本当に生まれてから親父とは一回も会ったことがなく作左衛門という部下のところで育てられている状況なのに親父の家紋を見たことすらもない。
これは普通あり得ないことだ。普通大名に限らず武士の子供なら家紋を見せ合う……いや合わないにしても、知っておくべき常識の一つだ。それにも関わらず教えてくれなかったんだよ。つまり、息子として見られていないということだ。それ以外、近況(今は天正5年、西暦1577年)とかは教えてくれたから戦国時代だってことは推測出来たけど。
しかしそれも今日でおしまいだ。兄貴と何度か会ってその事を話すと俺の事を不憫に思ったのか、兄貴や作左衛門がいるという条件で俺と親父の対面の場を用意してくれた。……え? 兄貴に何家だということを聞けばよかったんじゃないかだと? 俺もそうしたよ。だけど兄貴も親父に言われているのか家紋の入った服はこれまで一度も見せず、教えてくれなかった。俺、どんだけ親父に嫌われてるんだ?
平伏しながら親父の足音を聞き、上座に座ったことを耳で感じると声をかけられた。
「義伊丸、面を上げよ」
「はっ!」
そして俺は上座にいる人物を見る。俺が注目したのは顔ではなく服だ。その服には三つ葉葵。……ってことは俺の正体は……
「皆の者、席を外せ。義伊丸はそこに居よ」
「はっ」
親父の言葉が重くのし掛かり、兄貴を含め部下全員が席を外し、遂に一対一の対面が実現した。
「儂が貴殿の父、徳川次郎三郎家康也」
この世界での親父は徳川家康。後の征夷大将軍。天正2年生まれの家康の息子、それも双子で生まれかつそれが認められた奴と言えばただ一人だけだ。
家康に尤も嫌われた息子、結城秀康。
何故家康に尤も嫌われたという評価が出来るのかと言うといろんな理由がある。
まず一つ目は幼名。史実での幼名は於義丸と立派そうに見えるがこれが家康の嫌われた証拠とも言われている。この於義丸というのはナマズの事を指し、秀康の赤ん坊の頃の不細工な顔を見て付けたと言われていて、かなり嫌われていたのがよく伺える。
二つ目は秀康が、存命していた築山殿(家康の正室)の子ではなく側室の子供だったからだ。この築山殿という女は、気が強く元主君の姪ということや自分よりも年上ということもあってか頭が上がらない。その為嫉妬されるのを恐れて秀康を冷遇したとも言われている。
そして三つ目が秀康を豊臣秀吉に人質、養子として生活させたことだ。これは別におかしなことではない。しかしそれが問題なんだ。秀吉が秀康を養子にさせたというところなんだよな。この時代、父親の主君の人質になったり養子入りすることは珍しくないが秀吉を敵として見ていた家康からしてみれば邪魔者な秀康を押し付けるには丁度よかった。秀康が秀吉の人質になる頃には秀忠が生まれていて、秀忠を人質に出しても問題はなかった。しかし秀康があえて人質になったことから家康は秀康に徳川家を継がせる気がなかったと考えられる。
「この不肖の息子、義伊丸。父上に御拝見出来た事を嬉しく思います」
「うむ……大義である。昨年長篠で武田軍を打ち破ったとは言え、儂は武田との戦に備えなければならぬ。しかしお主の兄であり、儂の息子たる信康の顔を立ててこうして会いに来た。して義伊丸よ、お主は儂に何を望む?」
最初に大義とか言われても、長篠の戦いとかそう言う戦の話をしたってことはかなり嫌われてるな。だって言っている内容を翻訳すると「礼儀正しく出来たのは誉めてやるが、長篠の戦いの前に呼び出した以上プラマイゼロだ。それでも儂の脛をしゃぶり尽くすのか?」とプレッシャーをかけているようなもんだぜ。これはきつい。ここで書物が欲しいなんて言っても微妙な顔をされそうだな。主に息子のストイックさと大胆さで。
しかし自分の為になるとは言え、まだこれを使う時じゃない。家康にお願いが出来る時は一度だけだ。
「今ではなくいずれ欲しゅうものが出来た時、それを頂戴したいと思います」
「……何故、その様なことを?」
「書物や武器、鷹狩りの鷹等なら父上の手を使わずとも、いずれ自分の手で得ることが出来ます。政治に口出しする時もいずれ参ります。しかし父上の力を借りねば実現出来ぬ時、私はそれを使いたいと思います」
「良かろう義伊丸よ。その時が来るまで儂はお前とは会わぬが良いな?」
「構いませぬ。その時になったら父上に会いに参ります」
「では帰るぞ。馬を用意致せ!」
こうして親父との約束を作った俺は内心ガッツポーズし、立ち上がる。
二年後
史実通り、長篠の戦いが終わり平和に過ごしているとドタドタと騒がしく、振動する。
「義伊丸様、これを!」
大慌てでやって来た小姓が俺に手紙を渡す。その中身はやはりと言うべき事が書いてあった。
「ついに、この時が来た。馬を出せ! 父上の所に向かうぞ!」
その手紙はあってはならないものだ。いや史実ではあったんだが俺にとってあると都合の悪いものだ。手紙を潰し、すぐに馬に跨がり、走らせる。この馬がサラブレッドだったら落馬していたが、ポニーサイズの日本馬で前世の感覚からするとサラブレッドに乗ったようなものだ。前世がリーマンなのに何でそんな感覚を知っているかだと? 元競走馬に乗馬したからに決まっているからだろうが!
間に合え、間に合え、間に合え! 間に合えよぉぉぉっ!!
「どけぇぇっ!!」
俺の身体が5歳児だろうが途中邪魔者がいようが関係なし。とにかく親父の場所に一刻も早く向かう必要があった。何故ならあの書類には信康の兄貴を切腹させる云々の手紙だったからだ。させると言うことはまだ切腹をさせていないということで大急ぎで信康の死ぬ予定の場所の二俣城へ行けば間に合う。
「父上ぇっ! 兄上ぇっ!」
そして、俺が二俣城に駆けつけると信じられないものを見た親父と兄貴の顔が印象に残った。
「ぎ、義伊丸?」
「まさか、本当に来るとは……」
二人の驚いた顔はともかく、俺は早口にそれを告げる。
「父上。今こそ、私の欲しいものがございます!」
「申してみよ」
「そこにいる遠藤岡崎三郎信康を私の家来にしたい!」
俺の望み、それは信康を生かすことだ。信康が生きているかそうでないかで徳川家がイージーモードになるかどうかがかかっているからな。何せ家康にして「関ヶ原で信康が生きていればもっと楽になった」とか「まことの勇将なり。勝頼たとえ十万の兵をもって対陣すとも恐るるに足らず」等とにかく武勇伝に富んだ人間だ。ここまで家康に誉められた息子はいない。ちなみに信長にも信康のあまりの武勇伝に恐れたと言われている。俺としても、もし秀忠ではなく信康が二代目将軍になったら江戸幕府はもっと続いたんじゃないのか? と思えてしまうほどだ。
「なっ!?」
「それがどういうことかわかって言っているのか? 義伊丸……っ!!」
遠藤─遠藤というのは遠江の藤原氏という意味─岡崎三郎信康等と名前をでっち上げ、兄貴に指差すと二人のアクションは更に驚愕、そして怒りだった。ちなみに驚愕したのは兄貴、怒り─というか殺気─を見せたのは親父の方だ。
「無論。我が兄、徳川岡崎三郎信康はこの日を持って死んだ。この影武者たる遠藤岡崎三郎信康は浪人の身。浪人を雇うのは武家の役割です」
これだけ言えば何が言いたいのか理解出来るだろう。兄貴は死んだことにしてそれまで俺と仲良くしていた影武者を雇った。そう言うシナリオを親父と兄貴に目で渡す。
「……そう言う事か」
「なるほど、信康を救いたいが故にここまで来たと言うことか」
二人が理解すると、兄貴は腕を組み、親父は俺がここまで来た理由に納得していた。
「はい。兄上にはご恩があります。今こそその恩を返す時だと感じたのです」
俺がそう告げると親父が何か呟き、爪を噛む。
「……良かろう。我が嫡男、徳川岡崎三郎信康は死んだ。これより遠藤岡崎三郎信康、我が息子義伊丸に仕えよ」
「ははっ! 有りがたき幸せ! 父上!」
「父上と呼ぶでないわ、たわけ者め」
注意している割には嬉しそうな表情をしており、軽く叱る程度に終わった。
その後、兄貴の本当の影武者が切腹してその役割を果たしたことを城下町で聞き、俺のシナリオ通りになったことに内心ガッツポーズを取った。