ネコと指輪④
大森くんとご飯を食べに行く約束をした。
いつものように二人で昼食を摂っている時、私が夕食をコンビニの弁当で済ませていると話したら誘ってくれたのだ。欲を言えば、大森くんの手料理が食べたかったかな。なんて、そんな図々しいことを言い出せる筈もなく。普通に居酒屋で一杯やっていこうということになった。
今日は仕事をいつもの倍速で片付け、定時になると同時に会社を後にした。
佐藤さんのねちねちした小言が聞こえたような気がするが、それはまた明日たっぷり聞き流すので勘弁してくださいと心の中で謝っておいた。
待ち合わせは駅前の広場だ。待ち合わせ場所に到着した私は大森くんにその旨をメールする。
ちょっと早く来すぎちゃったかな。あんまりがつがつしてるって思われないように気をつけないとね。
そんなプチ反省会を独り行っていると大森くんからメールの返信が来た。
「ごめん。少し遅れそう。適当に時間潰してて」
大方、部長辺りにつかまってしまったのだろう。彼は営業部でも期待の新人だし。あちこち引っ張りだこに違いない。
「了解」と私は簡潔に返信して携帯電話をポケットにしまう。
近くのコンビニにでも入って時間を潰そうかと考えていると、同じ会社の女の子数人が歩いてくるのが見えた。向こうも私に気がついたようで、何かを話し合った後こちらに勇んで寄ってきた。
嫌な予感しかしない。女の子の決心とは、とかく面倒事を引き起こすものだ。出来れば関わりたくはないが、既にロックオンされているので逃げる訳にもいかない。
果たして、私の予感は的中した。
「早乙女さん、ちょっといい? 話があるんだけど」
明らかに喧嘩を売っていますとでも言わんばかりの高圧的な態度。私が返事をする間もなく、別の子が後を継ぐ。
「あなたみたいな冴えない人がどうして大森くんの友達なの?」
「いきなり何の話?」
「早乙女さん、あなた本当に空気が読めないのね。まゆみが大森くんのこと好きなのに、あなたがいつも大森くんと一緒にいるせいで近付けないって言ってんの!」
そんなこと全く言ってなかったけど。
しかし、話の概要は飲み込めた。この高圧的な女二人の後ろでもじもじしている彼女が「まゆみ」だろう。消極的で恥ずかしがり屋な彼女に代わりいらぬお節介を焼いているのが目の前の二人というわけだ。
「私がいるだけで大森くんに近付けないなんて、結局その子の想いがその程度ってことでしょ。本気で好きなら気にせずに来ればいいんじゃない?」
「そんなことどうでもいいの! とにかく大森くんの周りをうろつくのはやめてよね!」
「そうよ! 大森くんの価値が下がっちゃうじゃない。身の程を弁えなさいよ」
ああ、スイッチが入っちゃったか。こうなると面倒だよね、女の子って。
この状況をどうしたものかと考えあぐねていると交差点の向こう側に大森くんの姿が見えた。
信号はすぐ青に変わり横断歩道を走って渡ってくる彼。
女の子たちは横断歩道に背を向けて立っているせいでまだ彼には気付いていない。
なおも私への罵詈雑言は続く。
こんなところ、大森くんには見られたくなかったな。と、私が小さくため息を吐くのと同時に彼が到着した。
ようやく彼の存在に気付いた女の子たちは慌てふためいて言葉にならない言い訳をする。
「ち、違うの。私たちはまゆみのために……」
「まゆみって誰?」
やっと捻り出した言葉は彼の冷たい視線と一言にかき消された。
「悪いけど、俺が誰と友達になるかは俺が決めるから。君たちには関係無いよ」
「行こう」と彼に腕を引かれてその場を後にする。私は自分より少しだけ背の高い彼を見上げた。その背中がなんだかすごく頼もしい。
顔を真っ赤にして震える女の子たちを尻目に、私は内心ほくそ笑んだ。
想定外のトラブルはあったが、予定通り駅の近くの居酒屋に入って一息吐いた。
大森くんがメニューを見ながら適当に料理を注文していく。
「綾ちゃんは? 飲み物何にする?」
「カルーアミルク」
メニューを寄越しながら聞いてくる彼に、私はいつも通りの甘いカクテルを頼んだ。
私の注文を聞いて大森くんが噴き出した、ような気がした。私が怪訝な目を向けると「ごめんごめん、何でもないよ」と繕う。
「嘘。絶対馬鹿にしてたでしょ」
「してないって。ただ可愛いなって思ってさ」
それは素直に喜んでいいのだろうか。
複雑な気持ちだが、好意的に受け止めるとしよう。せっかくの二人きりの食事だし、楽しまないと損だ。そう自分に言い聞かせる。
それから、二人で高校の時の思い出話なんかに花を咲かせて、久々にお酒が進んだ。まあ、思い出話といっても担任だった教師とか学校行事のこととかで、二人の思い出なんてものはないのだけれども。
大森くんも酔いが回ってきたのか顔が少し赤くなっている。
その火照った顔と潤んだ瞳で私を見つめている。少しの沈黙。
「冴えない、か。さっきの女の子たちも見る目がないね。綾ちゃんはこんなに綺麗な顔してるのにさ」
そう言って、私の前髪をかきあげて眼鏡を優しく外した。顔が近い。
「昔は眼鏡なんてしてなかったのに」
「大学に入ってからかな。やっぱりあった方が便利だったし」
「こんなださい瓶底眼鏡かけてるから冴えないなんて言われるんじゃない? コンタクトにしてみたら?」
真っ直ぐに瞳をのぞきこむように向けられた視線に耐えきれず、目を瞑ってしまう。私、今絶対顔真っ赤になっちゃってるよ。
「で、でも、やっぱりコンタクトは怖いから。やめておくよ」
しどろもどろになりながらもそう答える。
彼は残念そうな表情を見せたが、すぐに優しく笑って私の頭にぽんと手を乗せた。そのまま少し乱暴にくしゃっと髪を撫でる。
整った顔に屈託のない笑み。
「まあ、綾ちゃんの素顔は俺だけが知ってるっていうのも悪くないか」
そして恥ずかしげもなくそんな台詞を言ってのけるのだ。
この、小悪魔め。
いつかの部長の声が頭に響く。
『秘密を共有するのが仲良くなる秘訣だと思うんだけどなあ』
もう、せっかくのいい雰囲気なのに部長の顔なんか急に思い出さないでよ、私。