10秒先の過去
いつものバーで出逢った男の能力は……
10秒先の過去
その男は薄暗いバーのカウンターで、こちらを見て軽く笑った。
その笑い方が旧知のモノと感じられて、私は隣の席に座って、問掛けた。
「すみません。いつ……何処かで御会いしましたか?」
「……いえ。今日のここが初めてです」
疑問符がほろ酔いの私の脳裏に舞い落ちた。
「……では何故に私を見て笑ったのですか?」
「貴方が私の隣に座って私に声をかけるのを知っていたからですよ」
疑問符は脳裏で踊り出す。
「どうして知られたのです?」
「少なくとも数秒間は信じられないようですが、私は10秒先が判るんですよ。生れつきね」
脳裏の疑問符は踊るのを止めて、男の言葉を分析し始めた。
「えぇっと……つまり貴方は……予知能力が備わっていると?」
「そうですよ。念の為に申しますが、それは10秒だけですけどね」
酔った頭は、その言葉を理論的に解明するよりも思いついた事を先に言葉にした。
「それは素晴らしい。では、その能力を使って大金持に……」
「どうやってなれます?」
うむ? 10秒とはいえ先が読めるのだから……
「競馬は如何です?」
「馬達がゴールインする10秒前にまだ馬券とやらが買えるのでしたら、儲かるでしょうね。馬以外に船や自転車やバイクでも同じです。これらは受付時間が終ってからスタートする。そしてスタートしてから10秒以内に決着が付くモノはありません」
確かに。
「そういうことでしたら、宝くじも同じ事ですねぇ」
「そう。ああ、外国のカジノも同じ事ですよ」
「そうですか? ルーレットは10秒以内のような気がしますが?」
「ディーラーが締め切ってから10秒以上後に結果が出るようにしたら終りです。賢いディーラーでしたらすぐに見破るでしょう? それで終り。出入り禁止になってね。1回こっきりで大金をせしめるには掛け金を大きくしないといけません。でも、それはそれでリスクが大きい。結果が伴ってもね……」
確かに。怪し過ぎる勝ち方では店を出た途端にマフィアとかに襲われそうだ。
「カジノといえば……カードゲームは……」
「同じ事です。ディーラーがカードを10秒以上の時間をかけて配ったら私には判りません。他のプレーヤーが居たら確実です。また、サシの勝負になってもゆっくり配れば終りです。私の能力は透視能力では無いのですから」
ふーむ。なかなかに使い道は無さそうではある。
「では……ダイズ……も、駄目ですね」
「それらは投げる前に張りますからね。クラップスでも同じ。時間をかけて投げられたら、さっぱりです。」
さて……と、考える私にふと別の疑問が湧いた。
「そう言えば……よく10秒先と今現在とで混乱しませんね」
「なに。本の速読と同じ事ですよ。見ている頁とその記憶から文字を理解している頁と理解した文字を繋げて文章として解析している頁が違うようなモノです。要は馴れですよ」
「つまり、貴方は10秒先の頁を見て理解して、解析し、現在という頁で実際の行動を起している……というコトですか?」
寂しげに笑って男は応えた。
「ええ。以前はちょっと努力して1分程度は先が見えましたけどね。1分でも10秒でも大差はありません。「解析」が終わるまではハッキリと見えませんしね。すりガラスの向こうの映像がハッキリとしてくる間はもどかしいモノです。そして、大抵はその間に行動しなければならない。さっきのギャンブルでも1分では効果が在るモノもありますが……疲れるのが早くて。疲れると間違いも勘違いも多くなります。判ります? 私は私が冒したミスを10秒以上前から後悔しなければならないのですよ。しかも……チップを失うという結果をね」
なるほど。ギャンブルにはあまり向いていない。いや、元々から性格的に向いていないのだろう。
「では……仕事に生かしたら如何です?」
「10秒先が判る事で有利な仕事ってありますかね?」
うむ? ……そう言えば思いつかない。
「確かに。10秒というのは余りにも短いですね」
「ええ。しかも見た未来は変りません。如何なる結果となってもね」
寂しげに笑う。
私はその意味を理解して言葉を見失い、黙ってグラスを手に取った。
「……つまり、貴方は御自身が命を失う瞬間も10秒前に……」
「ええ。つまらん能力ですよ」
私達は黙ってグラスを傾けた。
読んで下さりありがとうございます。
NiftyのSFフォーラムにてUPしていたモノです。
感想などいただければ幸いです。
指摘を受けて、若干修正しました。(2008/03/10)