第9話 ◆・・・ 春遠からじ ① ・・・◆
先週から続く悪天候は、週替わりのこの日の夜もそうだった。
日が沈む前から雪が降り出すと、山頂を越えて吹き降ろす風が時折り強くなる。
砦を含む一帯は、間々視界を失くすほどの吹雪で覆われていた。
砦に設けられた見張り台では、副団長の命令で通常よりも多い五人の部下達が、外は凍える寒さの中で監視任務に就いていた。
ただ、見張り台には人影が見当たらないどころか。
普段は当然と麓側を監視するために開いている筈の戸板が全て閉じられている。
上下開閉式の戸板は、本来は閉じられることが無いにもかかわらず。
ところが、監視任務に就いている筈の五人は、その全員が、どうせ今夜も何も起きない・・・・・
今も防寒着姿で床に腰を下ろすと、壁を背にして持ち込んでいた練炭の火を囲みながら見張りの仕事もせずに、五人とも交代の時間までを潰していたのである。
床の隅には大人一人が余裕で出入り出来る穴と、そこから出入りの際に使う梯子が掛かっている。
それに、丸太を材料にして作った見張り台は、他よりも手を掛けなかった分。
そのせいで、小さな隙間が幾つもある。
これが結果的には、練炭を燃やしても一酸化炭素中毒の心配が要らないへ繋がっていた。
だから、最初から戸板も起こして立哨姿勢で麓の方を監視していれば。
既に起きていた異常な光景にも当然、五人の見張りはもっと逸早く気付けていた筈だった。
-----
――― 数時間前 ―――
異変の兆候は、それを一番に感じ取ったのが副団長のブラムである。
今日は日が沈んだ後で、麓の幾つかに潜ませている偵察からの定時連絡が取れなくなった。
もっとも、携行できる導力式の照明を使った発光信号での連絡は、濃霧や吹雪などの中では流石に視認できない。
そういう事情も絡んで、これまでにも一時的な定時連絡のやり取りが行えなかった事は相応にある。
今日は午後からの天気が良くない事もそうだったが。
ブラムは、それでも・・・・・
偵察の全員から同時に定時連絡のやり取りが行えなかった事が妙に気になった。
気掛かり感が拭えないブラムは、この件をヴェンデルへ直ぐに報せた。
ただ、これまでにも悪天候の時には定時連絡が一時的に途切れたくらいは幾度もある。
報告を受けたヴェンデルも、この点は分かっている感で頷いた。
「外は見ての通りの吹雪だ。もしかすると、今夜一晩は定時連絡が出来ない可能性もあるが・・・・・」
ブラムからの報告を受けながら。
ヴェンデルは視線を一度、窓の外へ向けた。
外に出なくとも分かるくらい雪が吹雪いている景色は、間もなく視線を副団長の大男へと戻した。
「ブラム。定時連絡それ自体は、恐らくはこういう天候だからだろう。だが、今の俺達には物資が乏しいという不安材料がある。いつもと違って安心出来ない状況だからこそでもあるが・・・よし、今夜は見張りを多くして監視に当たらせろ」
ヴェンデルが出した指示は、ブラムも頷くと間もなく部屋を出て行った。
部屋に残るヴェンデルは、先週は余裕もあった食料の残りが今では懸念にもなっている。
しかし、それ以上に問題なのは、マシンガンや機銃に欠かせない弾薬が殆ど残っていない事実の方だった。
先日の公国軍を火計に嵌めた戦闘では、それこそ完勝した。
敵将マサカゲを討ち取るまでには至らなかったが、直近の確認出来た報せでも。
火計の最中で酷い火傷を負っただけでなく。
銃弾を数発は受ける負傷も重なった事で、今も未だ起き上がれない状態らしい。
先の戦闘では、そこで公国軍側に千人を超える犠牲者が出た報せも受けた。
同時に、三千人を超える負傷兵のせいでカグツチの街がかなり不穏に陥っている。
ヴェンデルが受けた報せは、しかし、公国側も早い動きを見せた。
マサカゲの負傷は、公王が即座に懐刀を抜いた報せが届いただけで。
砦には一時、強い緊張が走った。
カグツチよりも北側にある公国軍の本陣には、公王の懐刀が公都を出た辺りから再び兵が集まり始めると、今日の昼に受け取った報せでは、推定でも軽く二千を超す兵が集まっている。
実際、今日も昼間の未だ見通しの良い時間に双眼鏡で覗いているヴェンデルは、映った本陣と周辺だけで何かしらの動きがあるを感じ取っていた。
ヴェンデルの予測は遠くない内に、公国軍側から本格的な動きがあるを抱かさせている。
ただし、砦から麓に在る村の一つへ繋がる山道は、今も雪が深く積もっているため。
此方の装備に気付いていれば尚のこと。
雪を除けながらの進軍は先ず考え難い。
「・・・・だがな。此方も現状は不味いのだ」
そう。
先の一戦では、幾つもの策を用いた事が功を奏した。
名高い将に深手を負わせた事実も、これで味方の士気は高まった。
凱旋の後は大盤振る舞いで・・・・・
「部下達には、そうやって俺が抱く懸念を持たせないようにした」
マシンガンや機銃は、威力の大きさに比して弾薬を多く消耗する。
火計に用いた火炎放射器もそう。
元々から燃料を馬鹿みたいに食う装備には違いないが。
これも策を成功させるために準備した燃料を使い切った事で、今は補給を受けられるまでは使う事も出来ない。
「予定では、先週中に補給と増援を得て・・・次の準備を整えられる筈だったんだが」
砦の裏手には、それも間近にある山頂を越えたヘイムダル側に設けた発着場は、一帯の悪天候が災いして補給船が来ないでいる。
現状は戦える状態に無い。
これも理解っている事だ。
「今回の依頼は、それで一先ず報酬達成の要件は満たしている。だが、追加の報酬も出来れば掴みたい。それで補給を待っていたのだがな・・・・」
思考は既にタイムリミットだと。
数は揃っていても補給を受けられず。
今現在でまともに戦えない味方と、対して本格的な何かしらの動きを抱かさせる公国側。
公国側が仕掛けて来ないのは、それは、此方が今日に至っても補給を受けられなかった部分と重なる筈。
「そう考えるとだ。此方への対応策も何かしらはしている筈だと見るべきだろう」
今日のブラムが何かを感じ取っている様に、自分とて先週からずっと嫌な予感を感じているのだ。
ヴェンデルの思考は、追加の報酬を諦める・・・・・
考えが定まった所で直ぐに呼び鈴を鳴らしたヴェンデルは、最初に扉をノックして開けた若い部下へブラムを呼ぶように指示を出した。
-----
カグツチの北に在る本陣では、夜明けよりも早い未だ暗い時間帯に到着したヨシミツの指揮によって率いられた兵達が忙しく動いていた。
もっとも、ヨシミツが着く以前。
本陣は昨夜遅くに姿を現したマサカゲから指示を受けると、既に二千の兵を動かしている。
本陣に座するヨシミツは、そして、午前中の内に準備を整えると、見張りを残して兵達を休ませた。
同時に自らも休息に入ったヨシミツは、幕舎に設けられた寝台で身体を横にしながら。
そこで気掛かりな山頂側の天候は、しかし、望むのは都合の良い悪天候。
眠る間に本陣近くで物見の兵達から届けられた悪天候を伺わせる報せとは別に、目を覚ました午後の半ば頃には、支度を整える間に届いた山脈により近い各所からの報せで山頂付近が雲で覆われている・・・・・・
雲が覆う空の西側に赤みがさした頃。
ヨシミツは幕舎に届いた忍びからの報せに目を通すと、本陣で設けた普段より早い夕餉の席で、共に食事を囲む諸将へ。
予定通り今日の日の入りを以っての作戦開始を告げた。
「良いですか。この策の成否は、中でも我らが目を引かねばなりません。故に、我らは敵に対して盛大に目立ちます。各隊を率いる各々方には、連携を取りつつ。そして、敵の注意を全て此方へ向けるよう勤めて下さい」
それから程なくして、日も落ちた一帯が暗闇に染まった頃。
ヨシミツは自らも五百の兵を率いると、先発した各隊と同じく先ずは灯りを付けずに進発した。
本陣から順に進発した各隊は、それぞれが別々の個所から敵が居座るアイーダ山脈へと向かう。
殆ど全軍が出払った本陣では、しかし、普段よりも多くの篝火が設けられていた。
残る兵は三百程だが、甲冑の胴と兜を着せた簡素な案山子が千体。
本陣と周辺に設けられた兵達が休むのに使う簡素な造りのテント群を守っているように立てられた案山子は、夜は当然と焚かれる篝火によって、遠目には今夜も動きが無いを見せていた。
だから、当然。
夜を待って動き出した兵達は、予ねて合わせた時刻になるまでは灯りを付けず。
ただひたすらに目的地へ向けて進んでいたのである。
同時に、昨夜の内に先発した二千の兵が目的地へ着いた後は日の入りまで休むと、今頃は既に動き出している筈。
歩く騎馬に跨るヨシミツは、腰から下げている懐中時計を街道から外れた辺りで片手に握ると、示される時刻ばかりを無意識の内に映していた。
その針がもう間もなく予定時刻を示す頃。
ただ、戦に不慣れな自身の身体は、首筋から肩や背中にかけて筋肉や筋が強く張る痛みを訴えた。
諸国から集う商人達との交渉ではこうも緊張したことは無い。
それが、今は心臓の音までが耳の奥へ響いている。
「・・・・いやはや。私には戦は向いていませんな」
小声での呟きは、そんな弱気を溜息と一緒に吐き出した後。
ヨシミツは、今度は声を大にして下知を出した。
「時間です。総員、松明を掲げよ!!」
行軍する兵達の最後尾にも届いた命令は、直ぐに足を止めて火種を取り出した幾人もの兵が最初に松明へ火を灯すと、そこから瞬く間に全員が松明へ火を灯した所で、ヨシミツが率いる五百の兵は再び歩き始めた。
兵達が松明へ火を灯す間、ヨシミツは騎馬に跨りながら視線を左右へ。
右も左も遠くに映った幾つもの灯りは、他の隊も時間通りに動き出したを先ずは抱いた所で、無意識がほっとした溜息を漏らした。
・・・・・我らが思惑通りに注意を引けば。それは即ち、カズマ殿やマサカゲ殿が見つからずに近付ける・・・・・
程なく傍近い兵から松明を全員が灯した報せを受けたヨシミツは、頷きで返すと間を置かず進軍を再開した。
-----
場所はヘイムダル帝国へ繋がる山脈街道の途中。
雪が無ければ、それでも国境を越えた先に在る一番近い町まで軽く四日は要するらしい。
山脈街道は、直線距離でも大小の山を五つ越えなければならない。
そう。
あくまで、地図上での直線距離にすると険しい山を含めて五つ越える必要がある。
他にも国境線は山脈の中心を走っている・・・・訳ではない。
地図に国境線を引くと、山脈の中をうねっているのがよく分かる。
後は、山脈街道も山と山の間を縫うように走っている。
今回の山賊、もとい傭兵団イグレジアスが砦を構えた位置は、それはサザーランド公国の領土でも。
真後ろの山頂を越えると直ぐにヘイムダル帝国の領土になっている。
そして、山脈街道は逆に公国の国境線が帝国の方へ突き出ているようになっていた。
そのせいか、冬の山脈街道は、除雪を含む整備を公国側が主体的にする事になっているのだとか。
とは言え、飛行船が当然と行き交う今の時代。
冬場の山脈街道は、昔と異なって実質的に春の雪解けまでは閉ざされるのが当たり前になったのだと・・・・・・
「なる程。聞いていてとても勉強になりました。そういう意味でもですが。此処にはだから敵も警戒を置いていなかったんですね」
「拙者がマサカゲくらいの歳までじゃったと思うが。うむ・・・その頃からの冬は特に帝国側への直接の交通が飛行船だけになっておった筈じゃ」
今も登るように歩く山脈街道は、前方からもくもくと立ち昇る蒸気が視界を悪くしていた。
ただ、防寒着姿のアスランの隣で、並ぶように歩くカズマの口調はどう聞いても好々爺にしか思えない。
まるで可愛い孫を特に可愛がっているような印象も、しかし、二人の前を歩くマサカゲは、師であるカズマが事実、アスランをとても気に入っているくらいを理解っている。
そう思う一つは、師が自ら他国の人間に御武流の手解きをした事にある。
この事実は、代官屋敷の道場で、そこで自らは娘に蔓延った錆を落とす最中に映している。
マサカゲは自らが娘の歳頃には、既に御武流の門下生として稽古に励む日々を過ごしていた。
だからこそ見知っている。
師であるカズマは柔らかな為人でも、御武流に学びたいと申し込む者達を殆ど受けなかった。
マサカゲが知る限り。
御武流の門下生は自分と娘を含めて、それで十人程度しかいない。
サザーランドで刀を使う剣術の流派は幾つもあるし、マサカゲから見ても実力者だと思える侍は他所の流派に幾人もいるが・・・・・
しかし、御武流の名は、その名だけで他を寄せ付けない特別なものが在る。
辿れば古のヤマト王朝期には既に存在していた御武流は、故に現代で唯一の最古流とも呼ばれる。
侍にとってこれくらいは常識で、武術の稽古でも試合でもそうだが。
そこで尽くされる礼の全ては、御武流を源にして今に至ったくらい。
サザーランドの侍にとって、この程度は幼少から習う常識に収まる。
反面、御武流がある段階から先を"門外不出″にしている事は、極一握りしか知らないでいる。
マサカゲは、御武流の真相について。
師が未だ認めていない未熟者の娘には一言も話していない。
マサカゲが見知っている師は、温和とも言える程の柔らかな為人で不必要に刀を抜くことが無い。
槍も弓も同じで、大抵は無手の技で軽く片を付けてしまう。
『刀を抜くような相手など。そのようなものを作らぬ生き方が一番だ』
当時、御剣流を学ぶ少年剣士だったマサカゲは、師からそのように言われたことがある。
その時の教えは、今に至っても思い出す度に考えさせられる。
師から言われた言葉の意味は、それで答えが一つではないのだ。
もっとも、当時は未だ独り身で若かった自分は、師の言葉の意味を当然と尋ねた。
そして、善く生き歩みながら考える事だと返された。
「マサカゲさん。僕の忍びが付けた目印を見つけました。地図だと此処から横断するような形になりますが。砦のやや後ろ。柵の内側に着く筈です」
「・・・・そうか。だが、しかしな」
歩きながら思案に身を置いていたマサカゲは、背後からの声にハッとさせられながら一度足を止めると視線を砦のある東側へ。
ただし、正面に映った背丈を超す雪壁には、返した声が続かなかった。
「これくらいも問題ありません。大丈夫ですよ。だよね・・・レーヴァテイン」
主のこの程度も余裕を抱かせる声は、それを名指しされた側が満面の笑みにグッジョブまで付けると、此処までの道中と何ら変わりない白煙にも映る蒸気が再び雪壁の中へ一筋の道を作り始めた。
冬場の積もる雪で閉ざされる山脈街道は、大人の腰くらいはある積雪の中で。
そこへ雪を溶かして道を作る・・・・・
アスランの案は、理屈は理解っても口程に容易でないくらいを、カズマもマサカゲも当然と抱いた。
勿論、その事は二人と共に此処まで来た侍たちの誰もがそう抱いたのだ。
しかし、現実は夢でも見ているのかを疑ったくらい驚かされた。
最初にアスランが雪の積もった山脈街道の入り口で、それこそ身の丈と等しいくらい積もった雪へ放った大きな火球は、一直線に大人数人が余裕で歩ける幅の道を作って見せた。
居合わせたサザーランドの侍たちは、魔導が恐ろしく脅威的だと抱くほどの認識を以前までは持っていなかった。
公国にも魔導を扱う者達は居るし、今も育成している。
だが、その中にこれ程の魔導を使う者は居ない。
アスランのした事は、先にカグツチで見せた治癒と合わせて。
特にカズマとマサカゲの二人には、居合わせた他の侍たちよりも。
単に脅威以上を恐怖にも似た感で抱かさせた。
けれど、故に雪が閉ざした街道は容易く此処まで来ることも出来た。
一行は、アスランが任せたレーヴァテインが同じく炎を使って道を作ると、予定よりもやや早い足並みで最初の目的地へ着いた後。
再び、今度は砦に向けて山中を横断し始めた。
この時、ヨシミツが預かった本隊は各隊ごとに目的の場所へ着くと、そこから山中へと踏み入っていた。
砦からの注意を全て集める意図は、これで用意した篝火や松明を無数に灯した明るさが、夜陰の山道も足元がよく見える程。
今宵の山中は、そこに灯った無数の灯が、遠く離れたカグツチの街からさえ映す事が出来たのである。




