第4話 ◆・・・ 異国文化 ・・・◆
歩く最中、アスランの瞳は街の大通りに映るほぼ全部に右へ左へ忙しく動いていた。
何方を向いても初めて見るものばかり。
そう言っても過言にならない部分は、同時にシャルフィでは目にしたことも無いカグツチの街並みが丸々興味の対象と化している。
先に訪れた公都でもそうだった。
街の印象も、そこで暮らす人達の服装もそうだが。
食事もまた、シャルフィとは大きく異なっていた。
シャルフィはパスタやパン食が主流で、そこにサラダやスープが付くくらいは当たり前。
王宮で生活するようになってからは、肉や魚を使った料理も当然のように食べている。
色のある野菜を添えて見た目にも拘った料理は、同時に味付けも多種なソースが使われている。
中にはミルクやチーズをふんだんに使う料理も在るし、総じて華やかな印象が強い。
一方、初めて訪れたサザーランドの食事は、先ず主食が米という見た目は黄みがかった縦長の小さな粒である。
これは稲という植物が実らせる籾という小さな実を加工して作られるのだが。
一本の稲から得られる籾はとても多く、更に稲作と呼ばれる農業がサザーランド大公国では主産業の一つになっている。
見た目は黄みがかった小さな実を、これは玄米という。
玄米は糠と呼ばれる表層を磨くことで、今度は透明がかった白い粒へと変貌する。
これを白米と言って、そして、サザーランドでは何処に行ってもごく普通に白米が食べられる。
アスランはこの白米を水のみを使って釜で炊いた飯を、公都アヅチの宿で初めて食した。
炊き立ての飯は粘りがあって噛むとほんのりと甘みがある。
また、サザーランドでは主食の飯について。
炊き立てをそのままでも十分に美味しい飯には、味噌や梅干しに海苔だけでなく。
大根や白菜のような公国ならではの野菜を使った漬物までが見事に合う。
味噌はサザーランドを代表する調味料の一つで、米や大豆の他にシャルフィでも作られる麦を使った物もある。
主な物は米味噌と呼ばれるもので、アスランが聞いた製法は先ず、水で洗った大豆をそのまま一晩は水に漬けて置く。
たっぷり水を含んだ大豆は、それ以前の大豆と比べて大きさが二倍くらいになるらしく、そこから水を切って高温の釜で蒸し上げた後。
蒸して柔らかくなった大豆を発酵し易くさせるために細かくすり潰す。
すり潰された大豆は、此処で味の決め手となる米麴と塩と種水を加えながらよく混ぜる。
最後に、この混ぜ合わせたものを味噌桶に仕込んで蓋をした後は数ヶ月間の発酵と熟成を経てようやく食卓に出せる味噌になるらしい。
他にもサザーランドに生育する梅という樹木が実らせた果実を加工して作られた梅干しや、海産物の海苔を加工したものが普段の食卓に当然と並んでいる。
アスランの好奇心旺盛は宿での食事の際に、その時の世話をしてくれた女中を独り占めも同然に捕まえると、あれこれと思うままに尋ねていた。
見た目は素焼きの焼き魚や、これも素焼きに映った牛や鹿の肉料理もそう。
シャルフィの王宮で見慣れた華やかな料理とは完全に掛け離れた素朴な印象は、けれど、そこにも独特の品がある。
素材そのものを引き立たせる工夫は、陶芸という粘土を整形して焼いた皿等の器から始まって、シャルフィで見る様な多種のソースで描く色彩とは異なっても。
落ち着いた色合いの器に盛られた素焼きの肉や魚には、サザーランドで採れる野菜を飾り切りという調理法が、それによって盛り付けに自然な華やかさを添えるだけでなく。
白い大根おろしと、その大根おろしに唐辛子と呼ばれる赤い香辛料を加えて作る紅葉おろしも、自然な緑を演出する山葵や柚子胡椒等と合わせて、素朴感のある器の中に自然な色合いを加味してくれる。
サザーランドの料理は、在りのままを活かして色彩までが自然そのもの。
同時に、自然を映す料理は使う食材の旬と呼ばれる時期に合わせて、故に季節も当然と表現出来るらしい。
それもあってか味付けは塩やだしを使うと、醤油やぽん酢は料理の盛られた皿とは別に用意してある。
最後は宿の女将までが、アスランの津々な興味へ相手をしてくれたのだった。
思うままに尋ねたアスランの関心は、その中でも保存の効くサザーランド独自の調味料へ。
それこそ多分に注がれたのである。
公都からカグツチへの道中は、冷めても美味しく食べられる握り飯を詰めた弁当もそう。
単に飯を三角や丸く握ったそれは、中身に梅干しや味噌の他。
煮て柔らかくした昆布を細かく刻んで甘辛く味を付けたもの等。
これら全てがサザーランドではごく普通の食事が、ただ、アスランが受けた感動は大きかったのである。
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夕暮れ時のカグツチの街を歩きながら。
映る全てに胸を高鳴らせるアスランは、しかし、本来の目的も忘れていない。
と言っても。
多々ある店の横を通る度に足が止まるため。
既に何度もティアリスから「カズマ殿の用事に支障をきたしますよ」等と、やんわりな小言も聞かされていた。
――― 負傷者の治癒を終えて代官屋敷へ戻った後 ―――
再び同じ部屋へ足を運んだアスランを待っていたのは、少し早くに報せを受けていたマサカゲとカズマだった。
着替えを済ませたマサカゲは、寝間着姿に包帯というそれからは明らかに侍という印象へ変わっていた。
藍色の髪も今は整えていたが、アスランが出掛けた後で軽く汗を流したらしい。
色んな事を抱え込んだせいで、それで鬱屈した部分は、誘ったカズマを相手に手合わせをして晴らしたのだとか。
「胸を貸してくれた師を相手に剣を振るった故。今は気持ちも切り替わったのだ。だがまぁ、師からも諭されたのだが、確かに戦ならば勝ち負けはつきもの・・・だからこそ、次は勝つ。今からはそのための準備に移る所だ」
声の感じが上を向いている様に、アスランが映すマサカゲは雰囲気も先程とは異なって晴れ晴れしているようだった。
部屋にはマサカゲとカズマの他に、もう一人。
見た目は温和で此方も服装から侍には映る。
だが、二人と比べて明らかに腹が出ているその男は、今はこの屋敷の主でもあるヨシミツ本人。
アスランも先に一度は挨拶を済ませている四十半ばのヨシミツは、当人が笑い気味に話したように剣や槍を得意とはしていない。
ヨシミツがカグツチで代官をしているのは、この街が交易の要衝だからこそ。
茶色の髪を片手で掻くような仕草をしながら実は交渉事の方が向いている。
公王からカグツチでは欠かせない交渉や事務的な能力を買われて代官を任されているくらいを、その事はアスランも聞いていた。
畳の上には大きな地図が広げられると、三人はこの地図を囲む様にして今まで意見を交えていた。
議題は今更だが、山賊の討伐をどのようにして果たすのか。
既に大敗を喫した事で、報せずとも流れた噂がカグツチの空気を穏やかではない状態へ至らせている。
地図を囲む一人のカズマは、空いている所へアスランを招くと、そして、アスランが胡座で腰掛けるのを待って再び口を開いた。
「エクセリオン殿が病院へ赴いている間もだが。先ほども前線から報せを携えた早馬が来たのだ」
カズマは、そこで一度、静かに呼吸を挟んだ。
「状況に目立った動きは無い。焼かれた湯治町の近辺には他にも小さな村が幾つもあるが。それらも今の所は山賊に襲われていない。一先ずは安心と言った所じゃ」
早馬はカグツチから少し北側に設けられた残存の兵達が詰める本陣からの定時連絡で、その場所からは遠く北に位置する焼かれた町跡も含めて、近辺に在る村々までを囲む様に斥候を交代で送り続けている。
そして、今の所は山賊に動きが無いを報せて来た。
「とは言ってもだ。此処から前線の本陣までは、早馬でも本来は二時間程は掛かるのだ。今はマサカゲが設けた本陣から此処カグツチまでの間に五ヶ所の連絡用の陣を置いている。故に前線の早馬は途中の連絡を繋いで一時間をかけずに此処へ報せを届けられる仕組みなのだが」
「ですが、それでも一時間くらいは時差があるんですね」
「そう、正にエクセリオン殿の指摘した通りじゃ」
早馬というのは、アスランが軽く馬を走らせるのとは比較できないくらい速く駆ける。
それこそ、早馬としての素質のある選ばれた馬だけが使われている他に、今回は途中に馬を替えるための陣地が五ヶ所も設けられている。
つまり、一頭の早馬が駆ける距離が短縮されると、その分は体力を考えずに速く走らせられる。
しかし、現状はそれですら一時間の時差を生んでいる。
カグツチへ直近の早馬が到着するまでの一時間程度は、言い換えれば一時間の間に状況が一転している可能性が有り得る。
カズマの口調に不安が滲んでいたのは、そこまでを既に察しているからだった。
そのカズマが湯飲みを手に取ると、今度は地図を挟んでアスランの真正面に座るヨシミツが頷きながら視線を起こした。
「一時間あったら確かに戦も行えます。それどころか、今こうして話をしている間に山賊の襲撃を受けていれば、報せを受けて直ぐ駆け付けたところで・・・・事は全て終わっている。これも確かでしょう」
静かに話すヨシミツの声は、湯治町の件が故に間に合わなかった・・・・・・
「・・・・それで、ノブヒデ様には私からも。是非にと"忍び ″の派遣をお願いしている所です」
忍びとは一体。
そう抱いたアスランの表情に気付いたのか。
湯飲みに注がれた茶をすすっていたカズマが「忍びとはな。我が国の欠かせない裏方じゃよ」と、そこから再びアスランへ視線を向けて話し始めた。
サザーランド大公国には、国を守る表の存在に侍が在る。
同時に、表には決して出ない存在として国を守る者達がいる。
それこそが忍びと呼ばれる者達。
「忍びはな。侍以上に忠義に厚い。だが、だからと言って侍の忠義心が軽んじられている訳ではない。我等侍から見ても。それくらい敬える者達なのだ」
「なるほど。忠義を尽くす侍から見ても特に尊敬出来る方達がいるんですね」
「左様。そして、この忍びじゃが。実態を語ることは出来ぬのじゃ。我が国の最重要な機密と言えば、エクセリオン殿にもご理解頂けると思う次第」
「分かりました。忍びのことは踏み入って尋ねません。その代り、何故その忍びの派遣を公王に願い出たのか。その辺りは尋ねても大丈夫でしょうか」
最重要機密なら軽々には話せない。
その点を踏まえた上で、派遣理由が気になったアスランの質問は、カズマも当然と頷いた。
「ヨシミツ殿が此度の件で忍びの助力を求めた最もな理由。それは、敵を知るためなのじゃよ」
「つまり、現在においても山賊の"正体″を掴めていないのですね」
アスランが何を含ませたのか。
ただ、その口が紡いだ表現には、カズマもマサカゲも。
そして、自らも思う処あって故に公王へ派遣を求めたヨシミツも目を細めた。
クク、ハァハッハッハハハハハ・・・・・・
先に笑い出したカズマと向き合う側で、師が何を察したのか。
けれど、マサカゲも愉快愉快と声を上げて笑うカズマに続くように笑い出した。
二人が楽しそうに笑う中で、ヨシミツは大きな溜息を一度。
間もなく呆れさえ混ざったような声が、そして、先に笑い出した二人を頷かせた。
「まったく。私も噂程度には聞いていましたが。聖女殿が幼い騎士へ王都の治安を束ねる要職と、騎士団を束ねる要職とを任せたというそれは、いやはやどうして。実際にこうして見えますと納得せざろう得ないですな」
「拙者もそうだが、ノブヒデ様はエクセリオン殿をいたく気に入っておった」
相槌を入れたカズマに、これも納得した感でマサカゲが頷くと、再びヨシミツの視線が今度こそアスランへ。
それは真っ直ぐ突き刺さる感で向けられた。
「エクセリオン殿も、既にカズマ殿と一緒にマサカゲ殿から話を聞いたはず。山賊にしては恐ろしく、否。私は何者かが山賊を装っている。その事で真偽を確かめるために忍びの助力を求めたのです。情報収集は彼の者達の得意とする所ゆえ、不確かな部分を明らかに出来ると考えています」
アスランが聞くヨシミツの声は、最初の挨拶の時も、それから案内の侍を付けてくれた時も。
今の様な真剣な声では無かった。
「それで、忍びという存在が山賊を偽装する者達の正体を掴むのには、どれくらいの日数を要しそうですか」
「それが、早馬を通してノブヒデ様からの忍びを動かす返事は頂けたのですが。肝心の仔細を掴むまでには、今日現在で至っていないのです」
既に忍びは動いている筈だと。
ただ、いつ頃に仔細が掴めるのかは未定のまま。
「あの、その忍びの他に情報を集める手立てなどは当然、講じているんですよね」
アスランがヨシミツの話し終えるのを待って口にした指摘は、当人が間を置かず頷いた。
「ノブヒデ様へ忍びの助力をお願いしたのと同時に、私は街に在る傭兵ギルドへも依頼を出しました。彼の者達は依頼に見合った代金を払うことで仕事として請け負ってくれるのですが。請け負った者達からの報せでは、山の天気が特に悪いらしく。今も麓の村から山道へ入れない状態だそうです」
要するに山賊の事を知るにしても、今は八方塞がりに近い。
少なくとも。
自分以外の三人はそう。
「分かりました。では、その山賊の件ですが。僕の方でも調べて構いませんでしょうか」
三人から揃って一様にキョトンとされたのは一瞬だけ。
程なく、アスランは代官の公認を貰うと、ここで自らも山賊の調査へ乗り出した。
山賊の正体を確かめる。
当然、アスランはアレも使うつもりだった。




