幕間 後編 ◆・・・ 旅立つ者達 ・・・◆
この部屋で過ごした時間は、たった数ヶ月。
だけど・・・・・
着替えも途中のエストは、今はこれを使うのも最後。
私室に最初から備え付けられていた鏡台は、身形を整える最中も幾度か視線を向けている。
「こう癖がある髪だと伸ばせないのよね。でも、私は短い方が似合っているし。長い髪だと洗う時も面倒だし、手入れにも時間が掛かるしね」
ふと、鏡に映る自分へ。
らしくないを感じたエストは自然、鏡の向こう側に映る顔が鼻で笑っていた。
「自分で言うのもなんだけど。馬子にも衣裳・・・よね」
エストが身に付ける淡いピンクのブラウスは、その上から包み込んだ同じく淡い緑のジャケットと合わせて今の時期らしい季節感を表している。
後は選ぶ際にも延々と悩んだ。
で、結局はアンジェリークの強引な決め方で両方とも買う事になったハイウエストとシフォンとを合わせた様なロングスカートと、比べてシャープな感じを見せられるスラックスは、ジャケットと揃いの品でもある。
「私はスラックスの方が動き易くて格好良いと思ったんだけど・・・・・だから女らしくないって言われるのよね」
ロングスカートの方は、確かに勧めたアンジェリークは強引だった。
しかも、試着の際に下着姿を見られたエストは、『貴女。そんなボロ雑巾なブラとパンツを履いていたの』等と言いたい放題に言われた挙句。
そのアンジェリークから布地の少ない下着を何着も贈られる羽目にあった。
更には、流行りの店などを案内してくれたマリューからも。
『エスト先輩は、ちゃんと着飾れば凄く美人なんです』
ちゃんと着飾れば・・・・ね。
エストは親友の口から出たその部分の表現だけを、今でも根に持っている。
だから。
後で何かの機会には、その時には親友を揶揄って返してやろうくらいを抱いていた。
下は何方を履こうか。
エストはまた鏡を前に少し悩んだ後で、今回はロングスカートの方を選んだ。
着ている服は、それに合わせて買い揃えた艶のあるソフトレザーのブーツもそう。
代金は全部、それをシルビア様が餞別だと言って払ってくれた。
シルビア様と自分と、それからマリューとアンジェリークの四人で買い物をした・・・・・
また一つ、大切な思い出が出来た。
やがて、エストは私室から廊下へと足を踏み出した。
振り返ってドアノブを片手に握りながら。
そこまで長く使った部屋でもない。
なのに、今は此処に名残り惜しいを抱く自分が居る。
私室の床は一昨日、いつもの様に雑巾を掛けた後で、しばらくは帰って来れないからとワックスを使って磨いた。
窓もいつもの掃除より気合を入れて綺麗にしたつもり。
と言うか、新築の家は、部屋もまだそこまで汚れていない。
それに、大掛かりでなくとも部屋の掃除は細目にして来た。
綺麗な部屋を、エストは出来る限り綺麗なまま使いたかった。
「必ずここへ帰って来るわ。だから・・・・」
・・・・・行って来ます・・・・・
シャルフィ国際空港は、王都の地図で見ると北門と西門のちょうど中間の位置に在る。
それも環状大通り沿いに発着場を含めた空港ターミナルが建設された事で、最寄りには乗合馬車の停留所を設けるなど。
当初から利便性を良く考えた造りをしていた。
そこへ生まれて初めて飛行船に乗るエストは、けれど、搭乗手続きは全て同行するニコラが済ませてくれた。
今回の親善交流事業で留学するエストは、留学先での滞在中。
そこでもシャルフィ王国から派遣された専任教師のサポートが付く。
当時、エストが中等科へ通うことが決まった後。
その時からカーラは此処までを織り込んでいた。
だからこそ。
カーラは学友でもあり今は自らの腹心でもあるニコラを、女王が描く未来のためにエストの専任として就けたのである。
エストの旅立ちは、その見送りへ。
共に暮らして来た子供達や友人だけでなく。
最後に背中を押したシルビアの隣で、ずっとお世話になったカーラの姿も在った。
後はエスト自身もこれが『きっかけ』だったと言える一番最初の生徒の隣で、親友も見送りに来てくれた。
『教員資格を持った本当の教師になって帰って来ます』
そして、季節は三月も残すところ一週間余りとなったその日。
大勢に見送られたエストはニコラと二人。
爽やかな青い空の下、この空港から飛行船に乗ってローランディア王国へと旅立った。
資格を得るまでは帰国出来ない。
王都を離れた飛行船の高度が徐々に上がっていく最中、エストは甲板デッキへ出ると手摺越しに身を乗り出すような姿勢で遠ざかる故郷を、その姿が雲の向こうに完全に見えなくなってもなお見つめていた。
見送りの最中、途中からは笑みを作って堪えていた。
エストの内に募った本心は今だからこそ。
初めて映した雲の上の景色へは、僅かな感動さえ抱く余地が無かった。
こんなにも胸を締め付ける本心が、滲んでしか映らない真っ白な雲の向こう側へ。
鮮明なほど故郷だけを見せていた。
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アルデリア法皇国―首都ルスティアール―
歴史に刻まれた暗黒の時代は、現在の首都で終焉を迎えた。
地図で見る領土の中央からは遠く東に、そしてやや北に位置する首都ルスティアールは、だが、暗黒時代を終わらせた最後の聖戦は此処が主戦場だったくらいも数多の文献に記されている。
千年は昔の中世期とも呼べる古風な趣が色濃い街並みは、ただ、そこには時代の変化に取り残されたとも言える暗な部分が在る・・・・・
空港へ到着した後は、自身を待っていた教会職員に招かれるまま。
今は乗り込んだ豪奢な馬車の窓越しに映した街の景色へ。
スレインの胸の内は、そのような印象を一番に抱いていた。
・・・・・エストも今頃は出立した頃でしょうか・・・・・
視界に留めた時計塔が指し示す時刻を映して、それでスレインの意識は切り替わった。
アルデリア皇宮を囲む城壁と城門は、特に城門と一体構造を成して門の上へ突き出た様に聳え立つ四角い時計塔が最初に目を引いた。
今から約千二百年ほど前の時代。
この当時のアルデリアは芸術文化が発展した一時代を築いていた。
そして、単に絵画や壁画の様な芸術だけでなく。
それらも織り交ぜた建築様式は、後にゴシック建築と呼ばれると、建築にも芸術の要素を合わせた文化は此処が先駆けとなっている。
外からの見た目は格調高く荘厳であり、内側には当時を代表する絵師が描いた壁画や絵画が幾つも飾られてある。
また、千年以上も経た現在においても腐食や老朽化などによる損傷が目立たずに在るのは、国家事業の中にある技師の育成が下支えになっているは間違いない。
遠目でも巨大だと分かる建築構造物群は、ただそれだけで一つの芸術品がそこに在る。
アルデリアとはこういう国家でもあった。
スレインは、自分がシャルフィの大聖堂を任される大司祭からあの話を貰う以前。
直接伝えたのはカーラでも。
女王がエストに親善交流事業での留学を誘った件。
その話を貰ったエストが、以降ずっと悩んでいたのは尋ねずとも理解っていた。
本心では強く行きたいと抱えてる部分も。
その本心を自分を慕ってくれる子供達を想って口に出来ずにいた事も。
エストが留学を決めたのは、大聖堂が主催する冬の精霊祭の最中にシルビアと二人だけで話し合いをした後だった。
スレインはそこで、二人がどのような話をしたのか。
詳細は知らずにいる。
年が明けた最初の日。
エストは子供たち皆の前で、一年でも早く本当の教師になるために留学したい・・・・・
聞いていた子供達の中からは、それでエストが何年も此処から居なくなる事に泣いて反対した声もあった。
確かに、そこで泣いて反対する声は在ったが。
カールとシャナの二人は、喜ばしい事だと真っ先にエストを応援する言葉を掛けていた。
二人がエストを笑って送り出そうと周りにも声を掛けると、最初に賛成したのがエルトシャンだった。
・・・・・まぁ、ですが。迷っている子供達を頷かせたのは、それがアスランの人徳なのは間違いありませんね・・・・・
母親の常識外れも極まったような人事で、それで要職を二つ兼務するなどは間違いなく多忙だった筈。
それでも、アスランは新年の挨拶にやって来た後で。
事情を知った後は直ぐに行動を起こしていた。
『僕が5歳で幼年騎士になれたのは、エスト姉が凄い先生だったからだって。何年先なのかは僕にも分からないけど。でも、いつか教員資格をエスト姉が掴んで帰って来た時に。それでエスト姉がもっとたくさんの子供達から先生って呼ばれる様になったら。僕は一番にその事実を、大きな声で胸を張って言いたいって思ってる』
アスランの声は、カールとシャナにエルトシャンが自分達も同じだと続いた。
更にアスランは迷っている子供達へ。
本当は凄い先生なのに、資格が無いだけで偽物みたいに言われたら嫌だと・・・・・
まぁ、その部分はただ、半分以上は意図した演技だったのでしょうが。
ですが、アスランのおかげで子供達はエストを送り出そう。
そういう空気で纏まったことも事実です。
「まったく・・・あの演技力は、それこそ母親の血でしょうね」
スレインの思わず漏れた声は、向かい側に座っていた案内役を怪訝な面持ちにさせたが、気付いた本人の作り話で間もなく。
今度は車内が和やかな笑みに包まれた。
さっきまでは遠目に映っていたアルデリア皇宮も、スレインを乗せた馬車は皇宮を囲む大きな川にしか見えない外堀沿いに目的地へ向けてゆっくり走っている。
車窓からは春と言っても未だ寒いのだろうを感じさせる防寒着姿の民達が多く映る中で、大陸中心部に在る故郷とは気候も随分と違うのだろう。
故郷と比べてずっと北に位置するアルデリアは、そして、スレインは此処で残りの人生を送ることになっている。
スレインの胸の内にも。
そこに寂しい感情は確かに在る。
だが、選択したのは自分自身。
・・・・・ユリナ。それからフォルス。私は、法皇になっても。それでも私のままで在り続けますよ・・・・・
胸の内で再びそう誓いながら。
スレインを乗せた馬車は、やがて皇宮から一区画ほど離れた所に在る此方も巨大にして荘厳な門の下を通過した。
灰色がかった雲に覆われた空からは、白い綿のような雪が舞っていた。




