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第18話 ◆・・・ 夏の名残り ・・・◆


エストにとって、中等科の夏季休暇期間はずっと勉強漬けだった。

けれど、おかげで二学期からの授業には間に合った。

そして、自分のために専属の教師を手配してくれたカーラさんは、その教師を今もずっと・・・・・


『エストさん。陛下も私もですが。貴女には教育者としての資質が在ると思っています』


夏休みの終わり頃。

そうした話を、エストはアスランの叙任式の折、自分を呼び留めたカーラから言われた。


独学よりも、しっかりした教師から学ぶ方が良い。

カーラさんは、それで専属の教師を今も付けてくれる。


学校の授業の後は子供達が待っている避難所へ。

それから夕方くらいまでは子供達の先生をするエストは、夕食の後から寝るまでの時間。

この時間は一人の生徒として勉強に勤しんでいた。


専属の教師。

彼女は、ニコラさんは教えるのが上手い。

初めて会った時もそうだったけど。

落ち着いた雰囲気で、私から見ても母性的な所。

ここは子供達が一番感じ取っている。


これも大人の女性だと思える部分。

カーラさんは大人の女性でも、それはキャリアウーマンな感じ。

でも、ニコラさんは良いお母さん。

子供達への接し方を見ていれば、それくらいも分かる。


艶のあるサラサラの青い髪。

今は夏だからボブヘアーにしているくらいも聞いたことがあるけど。

聞いた年齢よりもずっと若く見える。

アンジェリークなんか、ニコラさんのスタイルと肌を羨ましいって。


カーラさんとは同学年で、中等科から大学までを一緒に過ごした話とか。

教員資格は持っているけど、学校の先生ではないとか。


私の先生になるまでは、それまでは王宮でカーラさんの仕事を手伝っていた。

それで、時々は騎士科の先生もしたくらい。

今でも大学に籍を置いていて、けれど学生という訳でもない。

どちらかと言えば、非常勤の職員の方が近いのだとか。


身体を動かすのが好きで、今の時期は水泳が一番くらいも聞いている。

それで普段の服装も動きやすい服を選んでる。

アンジェリークが羨ましがるスタイルも、ニコラさんに言わせると、日々の運動が秘訣。

そんな話も楽しそうにしてくれた。


だけどね。

私から言わせると、アンジェリークだって十分以上にスタイル良いわよ。

特に・・・胸。

一緒にお風呂に入るとね。

同じ女なのにって。

時々そう思わされる。

それくらい大きいんだから。


後は私が学校に行っている間。

ニコラさんは毎日じゃないけど、朝から子供達の先生をしてくれる。

それで、ここの子供達は教えるのが楽しいって。

あんなに楽しそうな感じで話してくれると、でも、そこは私も同じだから。

聞いていて、とても嬉しくなれた。


私と同じように、ニコラさんは子供達へ文字や簡単な計算を教えながら。

そこでも何人かは更に先の内容を教えている。


エルトシャンなんか特にだけど。

最近はニコラさんから一人だけ、初等科の中学年で習う様な範囲を学んでいるのよ。


周りの子供達もそうなんだけど。

だけど、今はニコラさんも目を掛けている。

そう言えるくらい。

エルトシャンは熱心に学ぶようになったわ。


『俺は必ず、先に騎士になったアスランの所へ行く』


アスランの叙任式は、そこでエルトシャンは初めて、シルビア様と言葉を交わした。

故郷は今どうなっているのか。

新聞にも載っていない故郷について尋ねるエルトシャンへ。

シルビア様は両膝を床につけて目線を合わせながら向き合っていた。

戦争は今も続いている。

けれど、一日でも早く終わるように努力している。

そして、ルテニアからの避難民については、シャルフィ以外にも受け入れを行っている国が幾つもある。

シャルフィは同じように避難民を受け入れた国々と協力して、今は避難民の名簿作りにも取り掛かった。


エルトシャンはたぶん、それ以前から胸の内には在ったのかも知れない。

それがシルビア様と言葉を交わした後で。

今は、自分も騎士になる。

そうはっきり口にするようになった。


叙任式の翌日から。

エルトシャンの学ぶ姿勢は明らかに変わったわ。

それだけじゃない。

当番の手伝いを終えると、空いた時間で素振り稽古をし始めたのよね。


だけどね。

シャナもカールも負けてないわ。


今はエルトシャンの方が頭一つ。

それくらいかしらね。


だから。

三人が中心になっている今は、周りがそれに続いている感じもある。


・・・・・此処に居る子供達は皆、当時の私よりもずっと先へ進んでいる・・・・・


そういう子供達へ。

先生なんて呼ばれている私は、だから励みになる。

そして、子供達の頑張る姿勢には、私だって負けられないと思える。


・・・・・私は、一年でも早く。そう、一年でも早く資格を持った本物の先生になりたい・・・・・


-----


二学期が始まってしばらくが過ぎた。

エストは今日も、いつもの様にお昼には学校を出た。

授業が終わった後でも、中等科にはクラブ活動もある。

運動系や文化系だけじゃなく。

ちょっと個性的なクラブもある。


けれど、エストは決めていた。

午後は自分が教える側になって子供達と過ごす。

今はニコラの教え方も、それで見習える所がたくさんある。


帰り道。

全ては偶然だった。


昼食に何か食べよう。

それくらいは、いつものこと。


ただ、今日は不意に懐かしい味を思い出すと、何かこう無性に食べたくなった。

その店は普段の帰り道から少しだけ外れている。

けれど、エストに迷いは無かった。


焼き上がったばかりの香ばしいパンは、それで店の外にまで匂いを広めていた。

欲求はエストに空腹を訴える。

やがて瞳が映したそのパン屋は、親友のお父さんが若い頃に独立して店を構えた。

住み込んでいた当時は、そこで今の自分と同じ年頃で独立した話も聞いているし、その時には店構えにも拘ったとか。


パン職人のお父さんらしい拘りは、燻した木材を使った古めかしさ。

色とりどりのペンキを使ったカラフルなお店よりも、人生と同じように歩んだ年月で風格の出る所が良い。

何故なら。

店の見た目に風格が現れる頃には、自分の腕だって『これぞ職人』だと言えるくらいにはなっているだろう。


大きなガラス越しに映るパンが並んだ店内は、床も棚もそう。

これも燻した木材が使われている。

そして、エストの瞳には住み込んでいた当時よりも、燻した色合いが濃くなった感を抱かせた。


一番上の棚にはバゲットやバタールが入った網籠と、四角いホテルブレッドなんかが並んでいる。

バゲットは外側の皮がパリパリした香ばしいパン。

そのバゲットと比べると、見た目は太くて短いバタール。

マリューのお父さんが作るバタールは、内側の白い身がモチッとしている。


お店に住み込んでいた頃は、マリューのお母さんが毎日にようにホテルブレッドでサンドイッチを作ってくれた。

薄くスライスしたオレンジ色のチーズとトマト。

カリカリに焼いた香ばしいベーコンと目玉焼き。

スライスしたパンだけをトーストして、そこにバターを塗っただけでも凄く美味しかった。


二段目の棚にはクロワッサンやデニッシュ。

他にもシナモンロールやスィミットのように日替わりで色んなパンが並んでいる。

それから店内のテーブルには、これも日替わりでサンドイッチが何種類か。


懐かしい店の外からガラス越しに見渡したエストは、そして、ドアノブを握ると内側へと押した。


「いらっしゃいませ」


内側に呼び鈴の付いた木製のドアが開くと間を置かず、返って来たのは聞き覚えのある・・・やや硬い感の声。

その声にエストの手足は一瞬、ピタリと止まった。

そのままカウンターの向こう側から現れた若い女性を映した途端。

エストは思わず驚きの声を上げてしまった。


-----


マリューが店に居る。

と言うか、今のマリューはシルビア様の傍に仕えている騎士のはず。

それが何で?


店に入って早々に驚きの声を上げた後。


エストはそうして、マリューが何故ここに居るのかを知った。


パン職人の父親が病気で寝込んでいる。

マリューは母親からの手紙で知ると、それでシルビア様からは休暇を与えられた経緯を話した。


「なるほどね。それでマリューは此処で売り子をしていたのね」

「母が私にはパンを作らせられないと。何と言うか、その・・・不甲斐ないです」


騎士になる以前。

その当時のマリューは、両親からパン作りの基礎を仕込まれながら育った。


王宮へ入ってから数年。

騎士として励む日々は、半面でパン作りの基礎。

ここを無いに等しいくらい廃れさせていた。


「父は病と言っても。疲労に暑さが祟っただけらしいので。ただ、医師の話では当分は無理をさせないようにとも」


マリューの話を聞くに、夏の終わりに夏バテを引き起こした。

それも熱い竈の傍での仕事は、此処で脱水症状を起こして倒れたのだとか。


「要するに、室内で熱中症になった感じよね」

「ははは・・・ですね」


変なことを言ったつもりは無い。

なのに、マリューは何故か苦笑い。


「それで、マリューにはパン作りを任せられない。で、お母さんが今は職人をしている」

「はい。最初は私が作る筈だったんですが」

「売り物にならないパンじゃ当然よ」


これも帰省したマリューは最初、パン作りの重労働は自分が受け持つ。

その筈だった。

しかし、生地の配合から始まる酵母の量や水加減など。


結論から言えば、マリューは何一つ出来なかった。

あくまで、売り物のパンを作れる。

その域に対して、である。


自らを不甲斐ない不出来な娘だと落ち込むマリューだが。

ただ、エストは仕方ないのではと思う。


マリューは騎士になったのだ。

パン職人になった訳ではない。

一般家庭で育って、そこから騎士の世界へ。

それだって絶対に苦労した筈。

苦労したからこそ。

今はシルビア様の傍に仕える騎士にまでなれた。


ずっとパン職人の道を歩いていれば。

今頃は両親を助けられる腕前にだってなっただろう。


エストは今もだが。

避難所では毎日のように食事のパンを作っている。

これはマリューの所に住み込んだからこそ身に付けられた部分。


マリューの父親が作るパンは本当に美味しかった。

風味も食感も。

外側のカリッとした香ばしい所と、内側でモチッとしたパンは今でも憶えている。

孤児院ではそんな美味しかったパンに近付けるよう。

自分なりに色々と工夫も凝らした。


「ねぇ、私で良ければだけど。お店を手伝っても良いわよ」


ここは自分がお世話になった場所。

だけでなく、落ち込む親友だってほっとけない。


こうして、エストはパン屋で働くことを決めた。


-----


9月から始まる新学期も。

真夏と変わらないを抱いた最初と比べて。

三週間近く経った今では、日中は秋を感じられる。

最近はだいぶ過ごしやすくなった。


エストは午後の時間。

今ではすっかりパン屋の売り子・・・ではなく。

マリューの母親から売り物のパン。

その幾つかを任される職人になっていた。


そして・・・・・


「エストお姉ちゃん。ジャムパンが一個だけになったよ」

「エスト姉。チョココロネはもう無いのかって」


竈の熱で額には汗が滲むエストが働く厨房へ。

店の方から小走りにやって来た女の子と男の子は、見て分かるくらい張り切っている。


「シャナ。ジャムパンは棚に新しいのを用意してるわ。カール。チョココロネもジャムパンの上の棚に用意してあるわよ」


作業を続けるエストの近くで、カールとシャナは棚からそれぞれのパンを空のバスケットへ移すと、また店の方へ走って行った。


エストが午後の時間をパン屋で働くようになった前日。

事情を聞いたスレインは、当然と背中を押してくれた。

ニコラも同じように背中を押してくれた。

そんな二人はエストへ。


・・・・・親友を助けたい。そう思うのは当然です・・・・・


揃って同じような言葉で後押ししてくれた。

そこから今は社会勉強という名目で。

シャナとカール・・・だけじゃなく。


「エスト先生。ただいま戻りました」

「俺様もちゃんと配達に行って来たぜ」

「エスト姉。次の配達は何処なんだ」


シャナとカールが店に戻ってしばらく。

今度は厨房の勝手口から姿を現した三人の男の子。

揃って息を切らせているのは走って来たからだろう。


「エルトシャン。ゴードンとバスキーも、配達お疲れ様。次の分も用意できているけど、少し休んでからで大丈夫よ」


出迎えたエストは配達から帰って来た三人へ。

一度、作業の手を止めると、先ずは労うように果物のジュースを用意しながら。

そうして椅子に座って休む男の子達に、地図を広げながら次の配達先を教える。


孤児院で生活していた時の社会勉強は農業ばかりだったが、王都で暮らす今なら他の業種も。

そう考えたエストの相談は、スレインの賛成だけでなく。

マリューの母親が喜んで迎え入れてくれた。


-----


9月も残り僅かとなったその日、事件は夕方に起きた。

そして、王宮から呆れたを隠さない宰相が跨る馬が駆けて行った。


-----


鎮守府。

ハリボテ小屋の二階は今、先ほど駆け込んできた宰相の存在が、それだけでミーティング中だったハンスとバーダントを強い緊張で縛っていた。


「・・・と、そういう訳で。アスラン君の実力考査は明日に行われます」


露骨な不機嫌顔。

それを声色にまで乗せたカーラの説明は、しかし、不機嫌の原因は別に在る。


実力考査。

アスランもその事は先月から聞いていた。

初等科の期末試験。

それに合わせて自分には実力考査があるくらい。


カーラが不機嫌だった理由。

日程は一週間以上前に決まっていた。

そして、これも決まった後で直ぐ。

自ら直接伝えると。

そう言ったのはバカ母である。

ハンスはカーラから『女王が直接伝える』という話を聞いていたが為に、後は幼いアスランに余計なプレッシャーも与えたくない。

鎮守府ではバーダントと揃って試験の話題を口にしなかった。


しかし、その結果は前日のこの時間。

しかも、当人へ伝えたのは目の前にいる宰相。


何故、そうなったのか。

真相はバカ母が可愛い我が子へどう伝えようか。

殊更馬鹿らしい演出。

カーラからはそうとしか見えない部分を、けれど、バカ母は此処に拘ってしまったが故。


付け足すと更に。

中央兵舎でずっと続いていた不正の件。

この件の処理も含めて、バカ母は今も多忙に身を置いている。

だけでなく。

現在も王都全域の治安維持は、それを女王が一手に担っている。


普段の政務と治安維持に関わる仕事。

不正事件の捜査も合わせれば、現在の女王は抱えきれないくらいの仕事を引き受けている事になる。


そうして、いつパンクしてもおかしくない女王は、故に我が子の試験日時。

ここをすっかり忘れていた次第。


カーラはこの件。

試験日時の変更などは出来ない。

理由は相応にあるが、中でも此度の実力考査は、アスラン一人だけを対象として行われるという訳ではない部分。

受験者は幼年騎士となったアスランの他。

現在も騎士見習いをしている者達。


騎士見習いをしている者達へは、受験の成績次第では従騎士への任命もある。


この通達によって、騎士団本部の受付には推薦された百人を超える志願者が集まった。

女王は任命の基準。

ここを明確には示さなかったものの。

だが、本旨は既に幼年騎士となった男の子が、今現在でどれ程出来るのかにある。


当初、実力考査はアスランだけを対象としていた。

ところが、この件を耳にした一部の貴族。

それも自らの親戚筋にある子供を推薦していた彼の貴族は、女王へ声高に『イザークにも機会を』と噛み付いた。


わがまま(嘆願)に対し、女王は機会を与えた。

同時に、女王はならばと。

騎士を目指す者達へ。

等しく機会を与える事とした。


因みに、等しく機会を与えてはどうか。

そう進言したのは他でもない。

これを目論んだ私自身である。


-----


アスランの実力。

見込んだカーラは内心、恐らく問題無いだろう。

そうは抱いても。

しかし、バカ母がまさか試験前日の今日まで伝えていなかった点。

此方が確認して初めて露見した後は直ぐ。


そうして至った今。

自分の説明を最後まで聞いてくれたアスラン様は、けれど、その反応には肩透かしを受けた。

それくらい鈍感に映った。


「明日は実力考査があるんですね。そうなると、明日だけは統括責任者の仕事も休む必要がある。ハンスさんも試験官だから一緒に休むとして。つまり、今夜から明後日の朝までは代理が必要になる。それで代理は誰がするのでしょうか」


驚きも無ければ慌ててもいない。


「その件は近衛の騎士から代理を置きます。既に人選はハンス殿に任せてあります」

「そうですか。分かりました」

「ハンス殿には今日の夜勤で最初のみ、そこで引継ぎを済ませた後から休む様にと。これも既に連絡済みです」


頷くハンス殿と私の説明へ、アスラン様は僅かにも驚いた様子が見受けられなかった。

突然、明日が試験日だと告げられたのに。


「分かりました。では、僕も明日の朝。ここから試験を受けに行きます」


必要な事を確認した。

そういう意味ではごく普通。

ただ、カーラは寧ろ、この落ち着き払った雰囲気へ。

違和感と言うよりも、得体の知れない怖さの様なものを感じ取っていた。


アスランが鎮守府に寝泊まりするようになって以降。

シルビアとカーラの二人とも、その間は一度も会っていなかった。

それからハンスが復帰した後も、アスランは王宮へは帰らないでいる。


帰らない理由は、受けた特務。

王宮から鎮守府へ出勤した後、そこから仕事へ移るよりも。

鎮守府で寝泊まりしながらする方が、仕事以外の勉強と稽古に多く時間を割ける。


久しぶりに顔を合わせたカーラにとって、今のアスランは得体の知れない怖さのような感。

そう言う意味で異質に映っていた。


「カーラさん。試験の範囲は前に聞いた通りで間違いないですか」


異質だと、一瞬でも不気味に感じ取ったカーラは、けれど、尋ねられたことには頷いた。


「学科の範囲は既に渡した教本を基に、後はどの段階まで出来るのかを試す意味での難しい問題もあります。実技の方は素振りと、それから魔導を使えるアスラン君には、魔導の評価試験があります。後は模擬試合までが実技の試験内容になります」

「分かりました」


会話は最後まで普通だった。

そして、故にカーラは部屋を出るまで怖さを抱えた。


-----


階段を降り、それから繋いである馬の方へと歩きながら。

表面は平静を装うカーラは、そこで待ち伏せていたかのように姿を現した。


「マイロードのことで、貴女は何か怖さを抱いたように見受けられました」


目の前に突然現れて自分を真っ直ぐ見つめる瞳。

まるで胸の内まで見透かしている。

尋ねられたことは、事実その通りだった。


「ティルフィング殿。分かってはいますが、突然そのように現れれば私とて驚きます」


気持ちを一度整える。

返した言葉とは裏腹に、カーラは視線を外した。

それも外したことを悟られない様に、意図して眼鏡のずれを直す仕草を挟んだ。


「カーラ殿。心拍が乱れています。貴女はマイロードとの会話の間、途中からずっとそうでした」

「それも、神と呼ばれる者だけが持つ特別な力なのでしょうか」

「別に、そういう訳でもありません。相手をよく見ればそれくらいも分かる。その程度のことです」


よく見れば分かる。

その程度のこと等と簡単に返したティルフィングへ。

しかし、カーラはこれでまた一つ分かった事もある。


面と向かい合っている相手は、単に強い・・・ではなく。

強さの要素に当たる部分。

その一つ、洞察力も桁が違う。


ただ、同時にカーラはティルフィングへ。

此方も怖さを抱かされた。


「アスラン様の受け答え。そこに違和感を抱いたのは認めます。簡潔に言うならば、全く動じた感が無かった」

「なるほど。ですが、演技だとは見抜けなかったようですね」


あれが・・・演技!?

ティルフィングから演技だと告げられた途端、受けた驚きはカーラの平静を装った表情すら崩した。

それくらい受けた驚きが露わになったカーラを見つめるティルフィングは、しかし、こちらの表情は変わらず。


「今のマイロードは剣とアーツだけでなく。勉学はミーミルが、そして、王としての振る舞い方。これはコルナとコルキナが指導しています」


ティルフィングは驚きの後で無言のまま、じっと見つめている。

そんなカーラが恐らくは抱いている疑問。


「貴女が宰相として何を画策しているのか。そこに興味はありません。ただし、私はマイロードを貴女の道具に等はさせません。そして、マイロードの実力ですが。一番に剣を捧げた私とて、未だにその輪郭を捉えられていません」


ビクッとした後で頬が引きつった。

ただ、カーラは強張りの内で、この瞬間に察した。

ティルフィングという名の剣神は、自身が胸の内に隠している企てさえ見透かしているのでは・・・・・


神と呼ばれるその者は、表情も口調も普段のままだった。

しかし、今も喉元へ剣先をピタリと突き立てられている感。

それくらい凍り付くような恐怖が、カーラの心身を満たしていた。


-----


王宮の敷地内に在る専門学校。

騎士科と呼ばれる学校施設にこの日、アスランは初めて足を踏み入れた。


王宮はかつて、それこそ城塞都市だった。

それくらい広い面積を持つ今の王宮は、奥側半分程度を宮殿が占めている。

前半分の敷地は更に東西に分けられると、西側の大半は庭園。

この庭園の中に迎賓館が設けられている。

後は王宮で働く公務員の寮施設や専門学校教養科など。


東側は庭園と同じ位の面積で騎士団の屋外訓練場と屋内の訓練施設。

騎士団本部の他、専門学校騎士科。

騎士団の男性寮と女性寮。

更に娯楽飲食と入浴等を含めた共用施設が置かれている。


アスランも王宮で生活するようになってからは、それで指南役のハンスに一度は案内されたくらいもある。


午前中は学科の試験。

試験会場となった教室は、そこで試験を受けるアスランへ向けられる視線。

向く・・・と言うよりも露骨に突き刺さる。

孤児から騎士になったガキだと。

そうあからさまに嫌っている声も少なくなかった。


アスランもオットーの件が無かったら。

その時は、もう少し苛立ったかもしれない。

試験が始まって、そして、アスランは解答用紙を埋めた後で。

問題用紙を見直す中、それくらいの余裕を持てていた。


学科の試験範囲は先に聞いている通り・・・でもないかな。

カーラさんはどれくらい出来るのかを試すとも言ってたけど。

後半の問題は教本から極端に外れている。

空間方程式の問題なんか貰った教本に載ってない範囲外もいい所だし。

最後の方の問題なんかイプシロンデルタ論とか、ガロア理論を習ってないと絶対に理解らない・・・・・


でも、ここに集まって試験を受けている騎士見習いの人達は、きっとこれくらいは出来る。

カーラさんは、それも分かっていた。

だから、まだ5歳の僕が今はどのくらい出来るのかを試しているんだ。


うん。

まぁ、貰った教科書には載ってない部分だけどさ。

でも、ミーミルから習った範囲には全部収まっているんだよね。


・・・・・復習だけでなく予習も大事。本当、その通りだね・・・・・


『我が君。我が君が私から聞いて強く関心を抱いた超文明時代の魔導論ですが。それを自らのものとして扱うためには、それこそ数多の基礎理論を修めて頂かねばなりません』


・・・・・ミーミルのおかげで取り敢えず、解答用紙は全部埋められたよ・・・・・


カーラさんは、合否判定の試験とは違うって。

僕がどれくらい勉強が出来ているのか。

それを知るための試験だから。


だから、答えを間違えていても。

たぶん、そのこと自体は気にしなくて良い筈。


見直しも終えた後。

アスランは解答用紙を裏返して、それから右手を高く挙げた。

試験時間の終了を待たずに終わったなどの理由で席を立つ場合。

その時には解答用紙を裏返しにして右手を挙げる。

開始前に、そういった説明を受けていた。


アスランは右手を挙げると、それから間もなく教室を後にした。

試験時間を未だ40分は残していたが、試験中も周りからずっと小声で馬鹿にされていた。

それだけに最後まで教室に居たいとは全く思わなかった。


解答用紙を手に取った試験官の先生は、終わったと告げたアスランを横目に小さく何度か頷いた。

そして、アスランが教室を出ることを許可した。


午前中に行われた学科の試験。

前半は理数で、後半は社会と歴史に文学。

アスランにとって後半の試験は、理数と比べて簡単過ぎた。


-----


ハンスは午前中の試験を終えたアスランを誘うと、今は騎士団本部の一階。

そこにある食堂に来ていた。

今日は今も、敢て口にはしないでいる。

だが、試験を受ける騎士見習い達。

彼らもまた孤児を溝鼠だと抱いているのは間違いない。

実に嘆かわしい事だった。


ハンスは午前中の試験も見守っていたから分かっている。

聖騎士の自分が居るにもかかわらず。

女王が認めた幼年騎士は、そこかしこから小声で馬鹿にされていた。


その中で試験を受けるアスランは、だが、自分が思っていた以上に大人だった。

周りの声等はどうでもいい。

そういう態度で黙々と試験に取り掛かると、試験時間の半ばには教室を出て行った。


一方で、アスラン以外の者達。

何れも推薦を受けているくらいだから実力も相応にあるのは間違いない。

しかし、見て分かるくらいペンが進まないでいた。


気になった俺は後から学科試験の問題用紙を見て、驚きだけでなく凍り付くような寒気すら抱いた。

あの腹黒メガネ。

奴は一体何を考えて、こんな滅茶苦茶な問題を用意したのか。


はっきり言おう。

学科試験の難度は、初等科どころか中等科でさえ軽く振り切っている。

問題の後半からは大学も、それも院の方に通って修める様なものまでが含まれていた。


ただ、此度の試験。

確か成績次第では従騎士に任命する。

陛下と腹黒メガネはそうも言っていた。


・・・・・だが、任命するつもりなど。毛ほども無いに違いない・・・・・


あんな問題を見習いの、それも初等科や中等科に通っている奴らに解かせるなど。

問題用紙に目を通した俺から言わせれば。

露骨に落とす気満々なのは直ぐに分かった。

と言うか、烙印を押して退学に追いやる気なのでは・・・・・


腹黒メガネなら。

それも十分にあり得るだろう。


学科試験については、だから思う処もあった。

ただ、ハンスには午後の試験。

そこで行われる模擬試合。

先月の事件では現場に居た事で、故に分かり切っている。

食事中にも抱いた部分は、一体誰がアスランの相手になれるのか。


はっきり言って。

今回の試験を受ける騎士見習いの中に、そこでアスランと互角に剣を交えられる者等いない。

自分ですら僅かの油断も許されない。

それくらい強い事を認めていた。


「どうだ。ここの飯もまぁまぁ美味いだろう」


騎士団の本部にある食堂は騎士だけでなく、王宮で働く公務員なら誰もがタダで食べられる。

メニューはそれなりで、味もそれなり。

他に夜の営業時間帯は有料で酒が飲める。

ちなみに、街の酒場の方が酒は美味いし安い。

何より、つまみの種類が断然多い。

それもあって、夜は大人達の殆どが街の酒場へと足を運んでいる。


ハンスの瞳には、そこに映るアスランの食べっぷり。

本来なら午後の試験を考えて腹八分目くらい。

なのに、目の前の子供は大皿のナポリタンを完食する勢いだった。


「お腹いっぱい食べられて、それでタダなんて。それだけで僕は十分に満足です」


唇の周りはケチャップをべったり塗ったような。

それで屈託のない笑顔を見せている。

聞いていたハンスも、つい嬉しくなると笑ってしまった。


孤児院で暮らして来たアスランは、そこで満足に食べられる事なんか無かった。

だけど、エスト姉はいつだって美味しい食事を作ってくれた。

昼食のナポリタンも、これだってエスト姉の方が断然美味しい。

でも、お腹いっぱい・・・・・

それくらい食べられる事は無かった。


「そうか。まぁ、あれだ。アスランも従騎士になれば給金が貰えるようになる。そうなれば街に出て美味い飯処に行くことも出来るようになるはずだ」


タダでお腹いっぱい食べられる。

そこに満足しているような感のアスランを映しながら。

けれど、ハンスには理解るところがある。

昔、それも子供だった時には実家を追い出されて、一晩でも空腹を水で凌いだ。

それを今でも憶えている。

お腹いっぱい食べられるという事は、それだけで幸福に満たされるのだ。


昼食の時間は、そこでハンスがアスランへ食堂のお勧めなどを教えている頃。

同じ頃、こちらは午前中に行われた学科試験。

その採点作業に携わる試験官たちの方は、ただし、騒然となっていた。


-----


午後から始まる実技試験を控える最中。

会場となった屋外訓練場に集まる受験者たちのひそひそとした声。

小声で交わされる話題は、この場へ姿を現した女王と宰相・・・だけでなく。

成績次第では従騎士への任命があるを理由に、今は騎士団長や副団長達の姿まで在った。


今日の実力考査を受ける騎士見習い達は、全員が正騎士から推薦を受けた者達。

と言っても。

殆どの推薦が親か縁者の正騎士からでは、その辺りも知る女王の心証が良い筈もなく。


ただ、本心は別に、女王の面持ちも崩さない。

シルビアの瞳は今もずっと受験者たちの最前列。

一番前の列に並んでいる我が子だけを映していた。


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