第15話 ◆・・・ 赴任 ・・・◆
「・・・僕から皆さんへ最後にもう一つ。陛下は僕を責任者に任命する時にですが、善き行いをするようにと言われました。ですので、僕から皆さんにも善き行いをするように。お願いではなく、僕が皆さんにする最初の命令です。ここ以外の場所で治安業務に勤める周りに対しても。先ずは鎮守府が模範だと示す意味で、特に善き行いをするようにして下さい。以上を以って、僕からの訓示とします」
発足式の締め。
隊長からの訓示が終わるのと同時に。
式の進行を担う聖騎士ハンスの「総員、敬礼!!」は、予行演習で何度も練習した。
アスランはお立ち台にもう一段置かれた台の上で、映す全員からの揃った敬礼へ。
此方もハンスに習った通りの敬礼を返す。
先ず、姿勢は顎を引いて背筋を伸ばす。
両脚は踵を付けて膝を曲げない。
次に敬礼は肩を起こさず、右腕は脇を閉めながら二の腕と重なるように肘を真っ直ぐ畳む。
掌は指先まで真っすぐ伸ばす。
最後に、中指はこめかみに軽く触れる程度。
ハンスから習った通りの敬礼を、お立ち台の上に立つアスランは全員へ返す。
敬礼の姿勢で上半身だけを腰を回す感じで右から左へ。
こうして、新設された特務隊の発足式は、一先ず無事に終わった。
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一先ず無事・・・の舞台裏。
実は訓示を述べる際に、それで新隊長だけが使った物。
お立ち台には、とある事情からもう一段更に特別に設けられた台が置かれるに至った。
とある事情。
まぁ、大人なら普通のお立ち台で十分。
だが、まだ背丈の低い子供のアスランが使うと、列の後方に並ぶ兵士達からは殆ど見えなかった。
そして、この件が発覚したのは発足式の1時間前。
けれど、この時は機転を利かせたバーダントの計らいで事なきを得た。
あくまで・・・表向きに、ではある。
補佐役に名を連ねるバーダントは勿論、新設された特務隊にはバーダントが兵士長を務めていた頃の部下達が全員そのまま異動となった。
しかし、昨日までは兵士長で今日からは補佐役のバーダントもその部下達もだが、誰一人として式典のような類は参加の経験が無い。
それを知った首席補佐の聖騎士はならばと、新任の隊長へ発足式の予行演習を提案。
叙任式しか経験のない隊長もまた提案へ賛成すると、そうして始まった予行演習の最中で先の問題が発覚した。
という次第でもある。
なので、近所の果物屋から借りて来た普段は果物を詰めている木箱。
この木箱の周りに巻いた飾り布を画鋲で留めた程度でも。
見た目は十分に様になっていた。
問題を解決したバーダントは、無論、この程度は朝飯前。
なのに、そのバーダントは最初、この問題を前に頭を抱えた二人の上司へ。
首席補佐を任された聖騎士ハンスと、次席補佐を任された従騎士マリューが揃ってあたふたと困り果てる姿。
この時、バーダントは上司二人へ。
表情に現れるくらい有り得ないを抱いた。
しかし、この中では最も若い。
と言うよりかは幼い隊長からの『バーダントさん。バーダントさんの知り合いで、誰か木箱を貸してくれそうな人を知りませんか』は、尋ねられたバーダントにとってはお手の物。
元は中央兵舎。
今日からは『鎮守府』と名付けられた此処から。
バーダントは目と鼻の先くらいの所にある市場へ走った。
そして、事情を聞いた馴染みの店主から木箱を調達。
しかも、会話を聞いていた店主の妻の機転は、それで飾り布まで用意する事が出来たへと繋がった。
発足式で幼い隊長だけが使った急ごしらえの台。
新設されたばかりの隊に関わるエピソードは、こんなところにさえ生まれていた。
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元は中央兵舎。
そうも呼ばれた現在は更地となった場所。
正門も以前は威圧的で、と言うよりも偉そうに威張っている守衛が二人いた。
此処は今、正門は鉄格子の扉を外している。
他所の詰め所では出入り口に一人か二人の兵士が立っているのと同じように、扉を外した門にも兵士が交代で立っている。
そして、残った門柱には真新しい看板が取り付けられていた。
『鎮守府』
名称は女王陛下が、自ら付けたものらしい。
けれど、此処に配属された誰もがそうであるように。
勿論、これも隊長を含めた補佐役達も同様。
更に、この新しい看板を目にした多くの国民ですら。
ちんじゅふ・・・ってナニ?
尚、本件では隊長を含めた騎士達へ。
名称に関しての質問は、宰相からの一言のみ。
『厳に口外無用を命じますが、要するに・・・バカの趣味でそうなりました』
不機嫌を隠そうともしない宰相は、自らの言葉に揃って怪訝な面持ちを並べた者達へ。
吐き捨てるような声は、名称の件も自分は一切関与していない。
恐怖しか抱けない露骨な態度は、これで釣り上げた目尻が際立っていた。
そんな不機嫌な宰相の態度もある。
ただ、聞きたかった共通の疑問は此処から。
隊長が頼った賢神の導きによって、名称の意味は表向きこうなった。
・・・・・古代語で言う所の秩序や治安の維持を担う部署らしい・・・・・
鎮守府の意味を尋ねる者達へ。
質問に答える三人の騎士は、賢神が恐らくはこういう意味で付けたのだろう解釈を返すのだが。
こうして鎮守府は発足式が行われた初日から。
名称だけで当然と言えば当然の怪訝な視線に晒される事となった。
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神聖歴 2085年
夏から秋へ移る9月の初日に行われた発足式は、これまで式典等と呼べる厳かな行事とは無縁の者達が多かった事はある。
なにせ、殆ど全員がスーツに身を包むことさえ初めてだった。
だから当然、ネクタイの結び方すら知らない彼らは、袖を通した姿だけで互いに可笑しいを隠すことも無く。
いい年した野郎どもの不似合いだとか不格好だとかと散々笑い合ったくらいも。
そんな連中が70名。
必然して、発足式は簡単な挨拶程度の式となった。
それから・・・・・
季節はさらに半月が過ぎていた。
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発足初日の頃。
真昼の気温は、真夏の盛りも同然だった。
故に、中央にポツンと置かれたハリボテ小屋の一階はサウナと化した。
例年よりも残暑が長引いた。
だけでなく。
広い更地は一年を通して日当たりが良かったのだ。
外の気温は35度。
対して、新設された特務隊に用意された二階建て仮設住居。
通称、ハリボテ小屋。
その一階の室内温度は日が昇った後の午前中から既に40度を超えた。
窓を開け放ち、持ち込んだ扇風機をフル稼働させても・・・である。
そうなった理由もある。
先ず用意された仮設住居の構造。
普段は工事の現場などで目にするような長方形の箱型の住居施設は、しかし、本来の用途は倉庫。
薄い金属製の壁は熱を吸収しやすかった。
その上、設置した側の見通しが良くなかった部分は、故に壁や床に断熱材が敷かれなかった。
付け足しで陽射しが当たると、地面の照り返し熱までを取り込んで室内を高温にする。
はっきり言って、素足で床に触れれば軽い火傷にすらなった。
更には本件に関してのみ。
必要とされる十分な時間が無かった。
先月の事件までは在った兵舎施設は、事件で瓦礫となった後。
それから瓦礫の撤去と更地にするまで期間を要した。
と言っても。
この仕事を請け負った業者に責任はない。
何故なら、特務隊の新設も、その特務隊の拠点もまた、当時は何一つ盛り込まれていなかった。
請負契約での完了時期も9月中だった。
ところが、8月も末に突然告げられた『作業をとかく前倒しで完了させて欲しい』という発注者側の無茶としか言えない注文。
瓦礫の搬出ですら未だ半分を残している。
8月の末日までは残り数日しかない。
ただ、業者はそれでも。
この無茶な注文を何とか間に合わせて見せた。
発足式が行われた9月の初日。
正確には日付が変わった未明時刻まで。
業務を請け負った業者は、東の空が濃いオレンジ色で染まる頃になってようやく仮設住居の設置までを完了した。
補足。
仮設住居の設置は、無茶な要求さえも何とかして見せた業者から発注者側への確認が無ければ、設置すら行われなかった。
だから当然。
尋ねられて、そうしてハッとした発注者側は、これも付け足す様に一先ず置くようにと。
使用目的に即した構造の仮設住居が設置されなかった背景は、偏に発注者側の過失に尽きる。
尚、本件は王権を行使した為に。
それで有能な宰相から『私は関与しません』と突っぱねられた女王が途中からの処理を行った。
結果。
直射日光と地面の照り返し熱。
取ってつけた様な間に合わせは、それで熱を吸収しやすいだけの欠陥付きへ至った。
サウナが作りたいだけなら問題は起きなかった。
これは現場で働く兵士全員が口にした。
挙句、兵士達が休憩で使うこの一階は、にも拘らず折り畳み式の長机と折り畳み式の椅子しかなかった。
隊長と補佐役が仕事をする二階も同様。
まぁ、幾分マシな机と椅子が在る程度。
一階の目玉焼きが作れる床という皮肉さえ。
ただこの皮肉は、それで実証済み。
だから、そんな床に寝転がって寛ぐなどは到底無理である。
まして、着替えに使うロッカーさえも備わっていない等。
欠陥設備と最低限にも及べない備品。
使った側の絶対権力は、こうして現場へ波及した。
特務隊の就労環境は、特に施設面は最悪に等しい所から始まった。
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9月も中旬になった。
気候も発足式の頃と比べれば、風が涼しくなった分は過ごしやすくもなった。
エアコンとは無縁の日々だったバーダントや兵士達の誰もがそう口にした。
けれど、通う学校と与えられた私室にはエアコンがあるマリューと、同じようにエアコンが在って当たり前の生活だったハンスの二人ともが今日現在で病気静養中。
二人揃っての熱中症は、それで今日も、首席と次席の補佐が座る椅子は空いたまま。
結局、この日のミーティングも。
バーダントは幼い隊長と二人だけだった。
「なぁ、隊長さんよ。あの二人だが、復帰がいつ頃なのかは何か聞いていないか」
先程終わったミーティングでは巡回報告を始め、当日の業務で在った何かしらを話し合う。
早朝から夕方まで働くバーダントは、これまでと変わらない現場仕事の後で。
退勤前のこの時間をミーティングに使っている。
補佐役が全員揃っていた最初は、昼食の時間帯にもミーティングが開かれていた。
たが、今は二人しかいない。
そして、幼い隊長は式のあった初日から何か調べものに取り掛かっているらしく、それで日中の時間帯は殆ど居ないことも間々あった。
「ハンスさんの方は最初に張り切り過ぎての熱中症で、だけど、週末くらいからは夜勤の方で戻れるそうです。それと日中の勤務はもう少し様子を見る必要が在るくらいも聞いてます」
「そうか。まぁ、確かに聖騎士様は最初から異様に飛ばし過ぎだったからな。『王都の巡回は俺に任せろ』って、それで休憩も挟まないでずっと外を歩けば俺だって倒れるっつうの」
アスランは作成中のノートへペンを走らせながら。
ただ、バーダントが呆れているを隠さない声には思わず笑ってしまった。
「ハンスさんは身体を動かすのが好きなんですよ。だけど、他の兵士さんも言ってたけど。巡回と休憩のローテーションを崩さない事が暑い時期は特に大事だって部分。ハンスさんの様な人でも休まずやったら五日で倒れるんだって。僕はハンスさんを見て勉強しましたよ」
「夏場は暑さだけで疲れるからな。巡回の時でさえ俺達は水筒の水を飲みながらやっているのだってそうなんだ。それが・・・あの聖騎士様は、だが、まぁ~色々と気負っているんだなってのも分からんではないがな」
8月の蛮行事件。
それがあるから聖騎士ハンスは周囲へ。
人数倍も範となるように勤しんだ。
バーダントもそのくらいは理解る。
と言うか、ハンスの様な騎士が上司であったなら。
そうも思えるくらい人柄には好感を抱いている。
けれど、気負い過ぎた結果が今の静養中。
口にはしなかったが、聖騎士ハンスには空回りし過ぎだとも抱いていた。
「まぁ、ハンスさんは週末くらいから出て来ると思いますけど。でも、マリューさんはもう少し分かりません」
「ああ、嬢ちゃんの方も俺も少しは聞いている。実家に帰ってるんだったよな」
「マリューさんはハンスさんと比べて軽い熱中症だったんですけどね。治った後で、今度はお父さんが倒れたから。それで休暇を貰って実家の手伝いに帰ってるって。シルビア様とカーラさんから聞きました」
マリューは、午前中の授業が終わると直ぐ此処へ来ていた。
そこで昼食もそこそこに午後からは巡回へ参加。
マリューは自分の場合、毎日のように午前中は中等科での授業がある。
また、学校から出される課題もある理由は、それで勤務が午後の時間に限られる。
元からの生真面目で責任感も強い為人は、ハンスが倒れた以降は余計に勤務時間の殆どを巡回に充てるようになった。
だが、巡回中は午後の日差しを浴び続ける。
なのに、マリューは自分が勤務時間が短いを理由に休憩は殆ど取らず。
ハンス同様に体調を崩しての静養も、これは当然の結果だった。
ただ、マリューの方はハンスと比べて症状が軽かった。
それで先日には復帰の予定もあったのだが。
予定は、そこから未定へと変わった。
体調が回復したマリューの所に届いた一通の手紙。
手紙の差出人は母親。
内容は父親が病で倒れた。
実家が営むパン屋は、主に父親が作るパンを母親が売る。
母もパンを作れるのだが、日中は店に出ていることの方が殆ど。
だから、父が病で倒れた報せは、手紙には今も寝込んでいると・・・・・
パン職人は夜明け前から仕込みがある。
主に朝から並べられるパンは夜明け前から作る。
同じ様に昼頃から並べられるパンは、朝の時間帯から仕込んで作る流れ。
パン作りと店の営業。
父の看病。
弟や妹の世話。
家事全般・・・・・
初等科に通っていた当時は、マリューが家事を担うと弟妹の面倒も見ていた。
手紙を読む胸の内で、抱えた不安は瞬く間に膨らんだ。
思考は悪い方にばかり傾いた。
そんなマリューには、シルビアが真っ先に帰省を命じた。
不安は両親を大切に想う故のこと。
そうも述べたシルビアは、だから先ずは実家へ帰るように。
恐らくは今一番の負担を背負う母親を、娘のマリューが支えなくてどうするのか。
『貴女の復帰は、父親が全快した後とします』
心ばかりの見舞金を持たせて。
シルビアは娘同然のマリューを実家へ帰した。
マリューの件は、アスランもカーラからシルビア様がそう計らったくらいを聞いていた。
「あの嬢ちゃんは真面目だが、それで優しいからな。親父さんが倒れたって聞けば酷く心配もすんだろう。だが、嬢ちゃん自身が無事なら。後は親父さん次第で戻って来れる。まぁ、それまでは何とか俺と隊長で頑張るしかねぇだろうな」
「そうですね。だから、今夜も此処には僕が泊まります。バーダントさんは明日も朝から夕方まで巡回もあるので。夜は僕もティアリス達に任せて寝ていますから心配要りません」
「未だ子供の隊長には悪いが、そうさせてもらう。そんで明日も4時半くらいには来るからな」
少しの後、アスランはバーダントが纏めた今日の報告書を受け取ったところで、そのバーダントが申し訳ない面持ちで帰宅するのを見送った。
外では日勤の兵士達と夜勤の兵士達が丁度居合わせている時間帯で、日勤の兵士は今から帰宅。
そして、引継ぎを済ませた夜勤の兵士はこれから仕事が始まる。
「王様♪ んじゃあ、夜はあたしがちゃ~んと面倒見るからさぁ。だから、王様は夜更かししない様にね。い~っぱい寝るんだよぉ♪」
「うん。レーヴァテインなら僕も安心して寝られるよ。だから頼んだよ」
「あ~いあいさぁ~♪」
昼と比べて吹き抜ける風は涼しくなっていた。
瞳が映す空は西からの濃いオレンジ色が広がり始めている。
アスランは今日も自分の背中に抱き着くように現れた元気な剣神へ。
自分をぬいぐるみでも抱く様にして今も頗る楽しそうな声のレーヴァテインには、それでハンスとマリューが静養となって以降は夜勤を預けている。
と言っても全部ではないのだが。
アスランの代理はこれも1番が務めている。
そして、アスランは鎮守府で寝泊まりする生活になって以降ずっとティアリスの膝を枕にしている。
仮眠用のベッドが無い部屋では、代わりに後から持ち込んだ長椅子を使うアスランの枕。
ティアリスはアスランの枕を務めながら。
思念の会話は外にいるレーヴァテインと繋いでいる。
ティアリスも何かあれば主を起こすのだが。
今の所で、そのような事態は起きていない。
付け足すならレーヴァテインにはもう一人。
賢神が自ら監視役を買って出ている。
そして、ティアリスはこれも二人の日常茶飯事へ。
自らが叱責役を担っていることには呆れを抱いていた。
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街中では酒場が賑わいの盛りを迎える19時頃。
夏の終わりは太陽が沈んだこの時間でも、未だ西の空に明るさを残していた。
この頃になると、アスランの所へはコルナが夕食と着替えを届けに現れる。
アスランはコルナが現れると、先ずはバーダントの提案から始まって作られた手作りの入浴施設へと赴く。
風呂くらい自分一人で入れるからといくら言っても。
結局はコルナに入浴までの世話をされた後で、それから夕食を取っていた。
鎮守府の敷地には、ハリボテ小屋の隣にバーダントと兵士達の手で作られた入浴施設がある。
出来上がったのは十日くらい前。
ここで働くバーダントと兵士達の日曜大工は、まぁ、外側からの見た目は板で囲って屋根を付けただけの粗末な小屋にも映った。
だが、半面で中身は高級感漂う贅沢な造りをしている。
最初は給湯器とシャワー程度の設備で、外から内側が見えない様に板で囲う。
どうせ男しか使わない提案は、だから脱衣所などは別に無くて構わない。
各自が着替えを持ち込む籠などを用意すれば事足りる。
立場上は責任者のアスランへ入浴施設の設置を提案したバーダントは、日曜大工程度は自分達で出来るからと。
つまりは、予算も少なくて済む。
仕事柄、特に巡回の後では汗を流した身体中がベタベタする不快感。
そんな不快感は水で絞ったタオルで拭く程度ではスッキリしない。
だから、労働環境の改善案として是非検討して欲しい。
バーダントは、シャワー設備も給湯器も安く手に入れられる伝手が在る。
こうして熱弁を振るったバーダントの提案は、ハンスから『女性のマリューでも使う事が出来るようにする』を条件にして。
そこから始まった小さな小屋を作る図面も。
内部は出入り口側に仕切りのカーテンを設置した着替えが出来る空間を設けると、奥側にシャワーと浴槽を置いた部屋を作る等。
当初の提案とは比べるも無く、整った施設の図面が出来上がった後。
ハンスは、見積もりも相応になるだろう。
果たして財布を握る宰相が許可するか否か。
ドライアイスの眼差しを突き刺されるくらいを容易く抱いた。
ところが、バーダントの人脈の広さは発足式に続いて今回も示された。
提案の時にも口にしていたその伝手から。
此処で廃品の処理と再利用を生業とする業者が紹介されると、この業者は最近までとある貴族の邸宅で使われていた檜風呂。
更には浴室に使われていた建材が未だ残っている。
檜風呂という聞いたことの無い風呂も、業者はこれがサザーランドでは富を持つ者だけが嗜んでいる風呂だとか。
珍しい物好きの貴族は、態々サザーランドから資材を輸入してまで造ったらしい。
なのに、最近になってまた物珍しい浴場を作った際、今度は不要だからと廃棄した経緯。
紹介された業者の話では、風呂も含めて建材のどれもがまだまだ十分に使える。
なので、中古品としてこれから売りに出そうとした矢先。
そこへ丁度バーダントの伝手が訪れての今に至る。
中古の品でも話を聞けば、値が高く付く予感。
しかし、この時は猛然と主にアピールしたい賢神の交渉術が冴え渡った。
結果、貴族の邸宅で作られた当時は資材だけで3000エルの檜風呂を、鎮守府は僅か30エルで買い取った。
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「主様。今夜の食事はいかがでしたでしょうか」
「コルナ。うん、とても美味しかったよ」
このやり取りも既に毎回のこと。
けれど、アスランはこうしてコルナが用意してくれる食事に美味しくないと思ったことも無い。
最初は王宮の厨房で作られたものだと思っていたのだが。
コルナはアスランへ、食事は自分と妹が作っている。
今日も厨房を借りて下ごしらえから仕上げまでをやって来たそうだ。
「そっか。じゃあ、後でコルキナにもお礼を言わないとね。凄く美味しかったよ」
「主様から礼など。ですが、美味しいの評価は妹もきっと励みになると思います」
コルナとコルキナは常に一歩下がった位置を越えようとしない。
理由も、メイドは決して前に立つ必要が無いから。
主の後ろに控えて、そして、主が用を申し付けるのが当たり前。
だから態と距離を置く。
「そうだ。コルナにお使いを頼んでも良いかな」
食事の後片付けまで済ませたコルナの帰り際。
アスランは今日の午後まで掛かって纏めた厚いノートを一冊。
丁重に受け取るコルナは小さく頭を下げながら。
ただし、上目の視線が主だけを映していた。
「主様。此方のノートは事件後、腹黒と脳筋のバカ二人が集めた。例の件に関わるものでしょうか」
コルナは表現を選ぶ気も無いらしい。
アスランの方も毎度の事だけに、誰と誰のことを指しているのかくらいも分かっている。
「コルナ。そういう言い方は良くないと思うよ」
姉妹が初対面の頃からこういう性格で、これも今更ではある。
アスランも主として注意くらいは口にしても。
この面々だけは顔を合わせた途端から罵詈雑言の応酬劇。
既に見慣れた光景だった。
「では主様。使いの件は承りました。明日の朝食は何かご要望などはありませんか」
「二人が作ってくれるものなら残さず全部食べるよ。じゃあ、おやすみ」
「はい。主様もしっかりと休まれますよう」
正門まで送ったアスランも、コルナがそこから間もなくパッと消える後姿を見届けたところで、再び部屋へと足を向けた。
預けたノートはシルビア様へ宛てたもの。
先月の事件で瓦礫と化した兵舎の中からレーヴァテインとミーミルが集めてくれた機密書類。
アスランも今だからこそ。
何を以っての機密なのか。
けれど、不正を隠すという意味での機密は、解き明かす作業の中で。
物語に登場する騎士と、現実の騎士との違い。
シャルフィの騎士は、先月の事件がそうだったように。
指南役のハンスやマリューのような、尊敬出来る存在ばかりではなかった。




