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第9話 ◆・・・ ユリナの面影 ・・・◆


平時は軽く動き易い革鎧を着用している。

もっとも、真夏の時期はこの革鎧も汗臭くなって異臭を放つ。

そのため、日々の手入れが欠かせない。

一日でもサボると異臭が酷くなって巡回中。

自分達が苦情の対象にさえなる。


この時期はまだ空が明るい夕方の19時。

以降は夜勤の同僚に引き継ぎを済ませた後。

今日も・・・まぁまぁ平和だった。

40を少し過ぎた男は自分の革鎧。

その手入れも済ませると兵舎を後にした。


父ではなく祖父の後を継いで兵士なってから三十年近く。

今となっては若手を監督し、新米の者達へは指導が当然の兵士長になった。

だが、男も兵士として駆け出しの頃はとかく走らされた。

それもクソ重い鉄鎧を着て走った新人時代は、今の筋肉質な身体の土台になっている。


体質なのかこの時期になると周りの仲間達よりも肌が小麦色に染まる。

まぁ、だがこれで貫録映えもするなら悪くない。

祖父も父も背丈が高かく、その血も引いたのか自分も背丈はある方。


家では妻と娘が待っている。

だが、男は真っ直ぐ帰らず寄り道。

そう、仕事上がりの一杯だけ。

キンキンに冷えたエールを大ジョッキでグッと流し込む。

この一杯のために今日も汗を流して働いた。


男にとっては一日の締めくくり。

足は真っ直ぐ行きつけの酒場へ。

入口が見えた頃から喉がエールを欲しがっている。

自然と早くなる足並みは間もなく。

片腕でドアを押すようにして客で溢れる酒場の奥へ。


「バーダントも今から帰りかい」


自分に声を掛けた同い年の女将は、すでに馴染みだけあって『いらっしゃい』等の挨拶を省く。


「ああ、今日もまぁまぁ平和だった。いつものやつを頼む」

「あいよ。んじゃあ、さっさと飲んで奥さんの所へ帰りな」


恰幅の良い。

まぁ、ここの女将は歳の割に美人な方だと思う。

サッパリした性格で、人付き合いが上手い。


バーダントがカウンターへ着くのを見計らったかのように、女将は大ジョッキに並々と注がれたエールを片手にドンっと豪快に置く。

それからもう片方の手に掴んでいた皿を置きながら。


「今日は良い枝豆が手に入ったんだ。今、茹でているやつはもう間もなく出来上がる。土産に買っていくだろ」

「ああ、瓶詰のエールと一緒に頼む」

「あいよ」


バーダントが差し出した空き瓶の入った革袋を受け取る女将は、勿論、こちらの好物を分かっている。

その位には付き合いも長い。

と言うよりも、常連客の好みは一通り把握しているだろう。


バーダントはキンキンに冷えたエールを喉へ流し込む。

白くきめ細かい泡の層の下で、金色にも見えるエールから立ち昇る炭酸ガス。

これが舌と喉を程良く刺激すると、芳醇な味わいが格別なのだ。


「プッハァ~」


上唇に付いたエールの白い泡が髭のように残っている。

それを片腕で擦るように拭った所で、つまみの枝豆は鞘を親指と人差し指で摘まむ様にキュッと力を入れた瞬間。

弾かれるように鞘から飛び出した黒ずんだ大豆が口の中へ。

一般的な枝豆は艶やかな黄緑色でも。

ローランディア王国で生産される特産の枝豆は色が黒い。

品種の違いというくらいは知っているが。

だが、しかし。

豆本来の味が濃厚なだけでなく肉厚で噛み応えがある。

これと程良い塩加減とが絶妙な味わいをもたらすのだ。


小皿に盛られた一人前の枝豆は瞬く間に鞘だけになっていた。

そして、バーダントはジョッキに半分ほど残っていたエールを最後に流し込んだ。


「ナナイ。ここに置いておくぞ」


バーダントは代金をカウンターへ。

これも既にお馴染み。

今日は枝豆が追加になった分、その分は多く置いた。


「あいよ。それからこいつは注文の分だ。枝豆は奥さんと娘さんの分くらいをサービスしといた・・・って、代金の方が多いじゃないか」

「いつも世話になっているしな。多かった分は次に取っておいてくれ。じゃあ、またな」

「ああ、と言ってもどうせ明日も来るんだろう。明日も今日と同じ枝豆を用意しておくよ」

「当然だ。それに明日もこの枝豆なら俺は楽しみが一つ出来た。それだけで仕事も頑張れるってもんだ」


既に背中を向けながら。

瓶詰のエールと枝豆の入った革袋を片手に背負うようにして歩くバーダントは、空いた片手をナナイへ振る様にして酒場から外へ。

店内はエアコンが程良く効いていた。

外はまだ夕焼けで明るく染まっている。

昼間に比べればまだ幾分かはマシでも。

けれど、この暑さは夜中でも残るだろう。


家に着いたら先ずは風呂・・・

晩酌の続きはそれから。

この後の予定を抱きながら。

バーダントは足早に家を目指すのだった。


-----


一日があっという間に過ぎていく。

そう感じるのは、それなりに忙しいからだろう。


「マイロード。少しお疲れなのではありませんか」


今朝も稽古の終わりは、こうしてティアリスの膝枕で一寝入り。

エレンもさっきまでは煩いくらいだったけど、儀式が終わったからなのか。

今は実家?で良いのかな。

僕が呼ばない限りは、お父さんの所(精霊界)にいるらしい。


『パパがね。お前は未だ私の娘だ。嫁入りなんぞは千年早いって。それでママとまたじゃれ合っているんだよねぇ。だから、エレンはお家が壊されないように見張っているんだよ』


なに?

その自分が一番苦労している・・・みたいな素振りはさ。

エレンのことでは、僕が一番の被害者だと思うんだけど。


「ああ、さっきのエレンがね。どう見たってエレンよりも俺の方が一番の被害者だろうって・・・」

「リザイア様がマイロードとエイレーネシア姫に掛けた呪いの件ですか。私もマイロードが一番の被害者だと思います」


それで気疲れを起こしている・・・のだろうか。


「マイロードが疲れているように見えるのは、そのせいでしょうか」

「今は稽古の後だから身体が重いだけだよ」

「では・・・」


見つめる先に映った大きな溜息は、どう見ても子供がするような仕草ではない。


「・・・ねぇ、ティアリス」

「はい。なんでしょうか」


やはり、声が沈んでいる。

主は自分を真っ直ぐ見つめたまま。

それからしばらくしてもう一度、ため息を漏らした。


「現実の騎士はさ・・・ティアリスのような尊敬出来る人ばかりじゃないんだって。昨日、それを知ってから・・・ちょっとね」


やや落ち込み気味の声は、けれど、聞いていて思い当たる節がある。

主が王都を歩く際、自分とレーヴァテインの二人は姿を消して警護に就いている。

別に姿を消さずとも良いのだが。

姉やコルナは言うまでもなく。

ミーミルからも『我が君の傍に目立つ輩が二人も付けば。それではお忍びの見学も台無しでしょう』等と。


ティアリス自身、自分が目立つ存在だとは思ってすらいない。

ところが、コルナはこの主張に呆れ顔で瞳も座らせた。


『ティルフィング。貴女は女性の中でも際立って美しい類に分けられます。脳筋痴女バカの方は半裸同然の姿だけで視線を集めるでしょう。要するに目立ち過ぎるという事です』


それからコルナは主が出歩く以上。

ウロボロスの件もあるので警護は絶対必要。

ただし、事が起きない限りは姿も消しておく。

その上で、基本的には『不干渉』の立ち位置を守ること。

それこそ、神の理に属する者が悪戯に人の理へ干渉すれば、人の理が壊れかねない。

これは『常世の均衡』を崩してはならない部分と密接する。

 

当然の理由を聞く羽目になったティアリスは、ならば主の腰に剣の姿で居てもいいのでは・・・・・

だが、私服姿の主が帯剣して出歩くのも、やはり目立つ。


結局、姿を消すだけで傍にいて構わない。

そして、基本的には見守るだけ。

これで主が変に視線を集めることなく見聞を広められるのであれば。

この程度は苦にしなくとも良いだろう。


だが。

主は王都へ見聞を広めに出掛けた初日から。

いきなり警備の兵士に声を掛けられるくらい目立った。


それも当然だろう。

5歳の子供が一人。

中心街の市場を歩きながら時々は立ち止まって手帳にペンを走らせる姿は目立っていた。

以前の生活ではごく普通だったことでも。

あの時は傍にエストがいたから不自然に映らず済んだだけ。


小さな子供が一人でそんなことをすれば、否応なく目に留まっても仕方ない。

故に、主は市場を歩く中で警備の兵士からいきなり声を掛けられた。


兵士の名はバーダント。

バーダントから主は迷子なのかと最初、そう尋ねられた。

ところが、主の無自覚さは此処でも露見した。

受け答えは凡そ子供らしくない。

更に、主は市場を歩きながら売っていた商品の物価を手帳に纏めていた等と。


バーダントは主の手帳を見るなり、有り得ないを分かり易いほど表した面持ちで固まった。

一方で、主の方はこうやって記録を付けると相場の変動を勉強する際にも役に立つ等と。


どう見てもだが。

主は既に、ごく当たり前にしている事だけで。

ここでは人だかり出来るくらい目立つ存在になっていた。


バーダントは王都の警備を担う兵士で、そして、幾つも在る詰所の一つを任されている身分だった。

主との会話の中で、豪気だが気さくでもある。

彼の者には妻と娘がいるようで、特に主の勤勉さは娘にも見習わせたい等と笑っていた。

結果的にだが、出会った当日の内に。

主はこのバーダント兵士長に気に入られると、翌日からは巡回に同行して見聞を広めるようになった。


王都の警備を担う兵士だけあって、バーダントは表通りは勿論。

抜け道の様な裏通りにも精通していた。

また部下の兵士からの人望が厚く見えたのと、顔が広いのか行き交う人々から名指しでの挨拶を幾度も受けている。

騎士の模範と言えるハンスとは異なるが、此方は庶民肌の人格者。

主が関わって以降の数日だけで、ティアリスはバーダントをこう捉えていた。


ただ、そのバーダントへ。

主は身分を明かしていない。

初めて王都へ出掛ける際に、その時に姉から身分を伏せるよう言われた事を、今も守っている。


巨大な魔獣が現れた事件の時に王都へ避難した。

それまでは王都に入ったことさえ無い。


主の話を聞いていたバーダントは、そこで何度か頷きを繰り返していた。

特に不審がられる様な感も無いようには見えた。


-----


いつの間にか、主は寝息を立てていた。

私の膝枕を特に気に入ってくれる主は、こうして眠っている間は年相応な寝顔を見せてくれる。

最も傍近い所で半ば独占出来る私は・・・故に果報者だろう。


しかし。

主が気落ちしている理由。


「マイロードは昨日の一件を。確かにそれが原因であれば。私にも憤る所があります」


昨日も主はバーダントの巡回に同行していた。

いつもの様に足を運んだバーダントが任されている詰所。

昼間は30人程の兵士が詰めていて、夜も同じくらいの人数が詰めているらしい。


とは言え、その詰所は老朽化が酷いように見受けられた。

主もそう感じ取ったのだろう。

もっとも、これも初日の内に素直に尋ねた主へ。

バーダントは修繕なり改築の申請はしていると。

だが、王都に百ヶ所以上ある警備の詰め所は、何処も似たようなもの。

後は区を束ねる兵舎を優先して改築している都合。

故にこちらはずっと後回しになっている。


兵舎の中は蒸し風呂も同然だった。

しかも机や椅子といった備品でさえ。

これら全部を自分達で幾度も直しながら使い続けているという。


かつて自分が騎士団長を務めていた頃のシャルフィと比べて、この時代の兵士達が置かれている就労環境。

ティアリスは、率直に最悪だと抱いた。


もっとも。

問題は、就労環境の悪さが詰所だけではない事にある。

それが昨日の一件。


巡回は幾つかのルートを日々、時間帯を変えるなどして行われている。

その最中に偶然、あの事件と遭遇した。

場所は衣類や宝飾品などを取り扱う店が軒を連ねた通りの中で、店主へ値引き交渉をしていた身形の良い青年が、自分の言い値に首を縦に振らない店主へ暴行を働いたというもの。


主を伴ったバーダント達は、丁度この青年が店主を殴り付けた所へ通りかかったため、当然。

その場で身形の良い青年を取り押さえた。

逮捕の理由は言うまでもなく『傷害罪』

だが、身形の良い青年は自らを貴族だと叫んだ。


『私の名はロッシュ・ルクメール。ルクメール家の者に手を挙げればどうなるか。それを抜きにしても、この店主は相応額を知らぬ故に私が躾けた次第。それを平民風情が逮捕だと』


口調も態度も尊大。

背丈は並み程度だが、華奢というか肉付きは少ない感がある。

整髪剤でガッチリ整えた金髪と、男のくせに化粧で顔を白く見せる所など。

それから、いかにも高級な衣服に袖を通している見た目通りな貴族様。


バーダントと他の兵士たちが取り押さえる際にも、ロッシュは奇声を上げて激しく抵抗した。

店主は顔に青黒い痣が出来ていた。

口の端も切れて血も流れていたが、手当てを受ける中で事の経緯。


店主は最近になってローランディア王国のブランド『サイサリス』の品を数点仕入れた。

聞けばローランディア国内でも非常に人気が高く、故に入手が困難らしい。


それくらい入手困難な品を仕入れられた理由。

店主はサイサリスの職人が駆け出しの頃から付き合いがある。

そして、この職人の手掛けた品が今年の春。

ローランディアの女王から讃えられたことで爆発的に売れるようになった。

だが、この店の店主は、それよりもずっと以前から定期的に仕入れては自分の店で売って来たらしい。


『そんな訳で、あっちで飛ぶように売れてからは仕入れたくても出来なかったんですよ。だけど、あいつは義理堅い性分でね。今の自分があるのは私のおかげだと。遅くなったが自慢できる品だけは私の所で売ってくれと寄越してくれたんですよ』


事情を聞くに、店主と職人の関係は友人以上なのだろう。

また、シャルフィの法律では販売価格の設定は売り手側が自由に設けられる。

店主は無論、ブランドの価値も加算して価格を付けたそうだ。


そうして店に並べたどれも二つとない一点物の品だったが。

流行りのブランドだと知るロッシュから目を付けられたために。

しかし、脅迫としか言えない値引きには応じられない。

頑なに拒んだ所で酷い仕打ちを受けた。


バーダントは被害者側の調書を作成した後。

逮捕したロッシュを兵舎へ連行した。


シャルフィでは警備隊の兵士に犯罪者の逮捕権限が与えられている。

当然、これも法で定められたこと。

けれど、逮捕した犯罪者の留置と取り調べ。

ここからは騎士が行う仕組みが採られていた。


シャルフィの騎士には実に多くの権限が与えられている。

けれど、アスランはその事を知らずにいる。

背景には騎士にしたと言っても、未だ幼いアスランだからこそ。

シルビアとカーラは勿論、指導役を任されたハンスとマリューも上の意図を理解して伝えずにいる。


取り調べが出来る程度の権限はその中の一つに過ぎない。

王国の治安維持。

法では、その主たる役割を『騎士』が担うとされていた。


ただの平民と異なって、騎士と呼ばれる者達。

この者達は専門の教育を受ける分。

必然して養う知識が多くなる。

故に任される仕事も多くなると、同時に付与される権限も多くなる。


ロッシュは兵舎へ連行された。

そして、直ぐに釈放された。

今回の事件。

ロッシュの釈放を命じたのは、オットーという名の騎士だった。


貴族出のオットーは二十代の半ばで、当時はフォルス国王から正騎士に叙任されると、そこからは王都の治安維持を担う役務を主にして来た。

現在は騎士の中でも出自の良い者だけが配属される中央地区の兵舎。

その責任者に就いている。


肥えた豚にしか映らない体格のオットーは、連行されたロッシュを見るや『その御方に相応しくない手錠を外せ』と、怒鳴り散らした。

散々怒鳴った後で、バーダントが提出した書類を僅かにも見ることは無く。

それどころか無造作にゴミ箱へ放り込んだ後。


『ルクメール家の御曹司は無罪とする』


それだけを吐き捨てるように言い放った。

直後、バーダントを含む兵士たちは大勢の騎士に囲まれると、暴行同然の酷い仕打ちを受けながら兵舎を追い出される始末。

この時のロッシュは然も当然。

そう理解る蔑んだ瞳で睨んでいた。


帰り道。

バーダントは表情が浮かない主の頭を、大きな掌で包み込むように何度も撫でながら。

気丈に振る舞う態度をずっと見せていた。


『今の女王陛下は素晴らしい方だ。だがな・・・どんなに素晴らしい方が王になっても。ああいう輩はしぶとく残っているものだ。今日は格好悪い所を見せてしまったな』


表情を見るに、この程度は慣れている。

それは言うまでもなく。

こういった事が罷り通っている証でしかない。


叩き出された者達は皆一様に笑っていた。

だが、誰も本心では納得等していない。

それでも。

腐らず笑う者達に感化されたのか。

主が見せた複雑を隠し切れない笑みに、ティアリスの心は重かった。


-----


「ティアリス。昨日のこと。やっぱり俺は受け入れたくない」


今日は自由時間に入って先に。

主はミーミルと図書館に籠った。

調べものというくらいには聞いているが、それ自体は此方の理でしたのだろう。

間もなく戻って来た主は、はっきり意思を宣言した。


「御意のままに」


朝の稽古。

その後で眠った主は、しかし、目覚めて早々から何かを考えていた節がある。

そして、朝食の後から直ぐ行動を起こしていた。


主は先ずカーラの所へ赴くと、幼年騎士が従騎士と同格なら権限も同じなのかを尋ねていた。

聞いていたカーラの方も何かしら察したのだろう。

普段よりは真剣な面持ちで、『騎士の権限は従騎士も正騎士も関係ありません。つまり、幼年騎士であってもこれは適用されます』と、はっきり述べた。


カーラの説明によれば、騎士の階級と権限は別のもの。

『聖』『正』『従』といった名称が関わるのは騎士団内での役職程度。

騎士が有する権限。

これはシャルフィの法によって定められている。


政務に赴かねばならないカーラと別れた後で、主は午前中の作法を学ぶ時間。

そこで今度は聖騎士のハンスにも尋ねていた。


騎士は犯罪者を一方的に無罪に出来るのか。

それから罪を犯した者の出自が貴族なら。

犯した罪を無かったことに出来るのか。


この質問。

受けたハンスも何かあったくらいを察したのだろう。

カーラと違って、ハンスの表情は分かり易かった。


『犯罪者を一方的に無罪にする。そんな権限を騎士は与えられていない。もう一つの出自についてもだ。たとえ貴族でも、或いはもっと上の身分でもだが。罪を犯せば法の下に裁かれる。これはシャルフィの最も善きところだ』


察したハンスの『何かあったのか』に、主はただ気になっただけ。

それ以上は言わなかった。


昼食の時間。

やはり何か察したカーラと、恐らくはそのカーラから何か聞いている。

女王からハンスと似たような尋ねられ方をした主だったが。

ここでも回答は『いろいろ調べている内に気になっただけです。僕はもっと勉強しないといけないので』と、昨日の一件については僅かにも話さなかった。


主がそういう姿勢だからこそ。

普段は自ら此方へ近付いたりしない女王が『何かあったのですか』等と、神妙な面持ちで尋ねて来もした。

ただし、主がそういう姿勢であれば、私はその意に従うだけ。


きっと主は、主なりに何かを考えている。

だからダンスの練習が終わった早々。

ミーミルを伴って図書館へ走って行った。


そして・・・・・


今日は自分とレーヴァテインの他。

ミーミルへ同行を頼んでいる。

更に主は制服の袖に腕を通した。


「マイロード。良いのですか」

「騎士王には身分を伏せる様にって言われている。でもさ。俺は自分の勉強。その程度を理由に見逃すようなことをしてはいけないんだと思った。悪い事をした人が、生まれが貴族だから無罪になる・・・そんな世界を。俺は認めたくない」

「それでこそ、あたしの王様だね♪」


横から口を挟んだレーヴァテインを一度睨んで。

けれど、ティアリスの本心も同じ。

寧ろ、自分が真っ先に言いたかった言葉を横取りされて面白くない。


「マイロードの御意のままに。もし剣が必要な時は迷わず私を呼んでください」

「うん。だけど、剣はたぶん使わずに済むと思うよ。と言うか、剣を使う前に片付けたいかな。その方が平和だよね」


きっと強い決意をした筈。

そう感じ取ったティアリスが、だからこそ主の決意に添おうと伝えた想いへ。

返って来たのは子供らしい笑み。


けれど、笑みを向けられたティアリスは内心。

主の器と表現できる部分。

自らが王に求めた器の片鱗は、確かに見た気がしていた。


-----


昨日の事件。

ティアリスは、主の知らない所で事態が悪化していたことを、今し方より察していた。

制服を身に纏った主は真っ直ぐ昨日の被害者の所へ。

それこそバーダントの所へは寄りもせず赴いた。


『たぶん。これから俺がしようと考えていることだけどさ。それはきっと・・・バーダントさん達を巻き込んじゃいけない気がするんだ』


自分達にだけ理由を話す主からは、やはり優しい印象は受けている。

ただし、ティアリスもそう感じ取った部分。

ミーミルからの『我が君は一人で抱え込む危うさを持っておられるのかも知れない』危惧。


昨日の件。

その事を主が女王や宰相へ直接伝えていれば・・・・・

恐らく二人とも見逃しはしない筈。

聖騎士のハンスという人格者も無視しないに違いない。


だが。

主は相談すらしなかった。

根幹に、バーダント達を巻き込みたくないと言った優しさが。

故に主は、誰も巻き込みたくない思惑で話さなかった。

ミーミルが危ういと抱くのも当然だろう。


それでも。

主がそう意を決したのであれば。

意向に従うのも臣下の務め。

何よりも。

これが主の優しさから来たものであれば。

ティアリスは無論、意に添った上で解決に尽力しよう。

そう強く抱いている。


事態の悪化。

主の隣を歩くティアリスの胸の内に、嫌な予感だけはあった。

やがて、昨日の被害者の店が視界に映った瞬間。

予感の的中を悟った。


大きな窓ガラスは無残に割れていた。

店の扉も蝶番の一つが壊れたのか傾く様に開いている。

既に主は駆け出していた。


店内は足の踏み場もないくらい砕けたガラス片が散らかっていた。

商品を飾る際に使われるガラスのケースが全部が壊されただけでなく、昨日はそこに在ったサイサリスも含む宝飾品。

店内を見回したティアリスは、それらが何者かによって盗られたのだと察した。


店主は血だまりの中で、うつ伏せに倒れていた。

主は真っ先に駆け寄って声を掛けたが、その呼びかけに返事が無い。

それから意識の無い店主の身体を起こそうとする主は、しかし、子供の腕の力だけで身体の大きい店主はびくともしなかった。

ただ、このタイミングでレーヴァテインが最初に姿を現すと、そこから主に代わって店主の身体を起こした所で、肩から腰にかけての大きな傷が露わになった。


ティアリスとレーヴァテインの二人とも。

店主の負った傷。

これは間違いなく剣で斬られたものだと直感した。


傷の深さと出血の具合だけで、致命傷なのは見て取れる。

このままでは間もなく死に至るだろう・・・・・

そう抱いたティアリスとは別に、姿を現したミーミルは即座。

瀕死の店主へ不干渉を破って癒しのアーツを施した。

間もなく。

致命傷を負った筈の店主は、辛うじて命を取り留めた。


店主の名はサインツ。

名は昨日も聞いていたが、意識が戻った所で主は改めて挨拶をすると、その服装に目を白黒させたサインツが慌てて畏まっていた。


ミーミルが使う癒しのアーツ。

青い発光現象を伴う癒しの力は、賢神だからこそ。

致命傷からの回復も出来たに過ぎない。


ただし。

二人は不干渉を破って関わった。

そう取れなくもない行為に及んだのは事実。

特にミーミルは、これが運命(さだめ)だったかも知れない人間を一人。

身勝手にも救ってしまった。


結果的にだが。

ティアリスは此度のミーミルの所業を、主がサインツを救いたいと望んだ故の行為。

だから不問で構わない。

そして、二人とも既に姿を現している以上。

最後になったが自分も此処で姿を現した。


致命傷以外の手当もミーミルが行った後。

主はサインツへ自らが幼年騎士である事を告げた上で、店内の惨状。

何があったのかを尋ねた。


「昨日のルクメール家の御曹司。その御曹司がさっき此処へ来たんでさぁ。そんで店の商品を全部・・・自分を辱めた仕返しだと。しかも御曹司が連れて来た手下のような連中が店を滅茶苦茶に・・・・」


ティアリスは主の隣で此処までの経緯を聞きながら。

やはり・・・そうだった予感には、分かり切っていても表情が曇った。

特権的な身分が犯す典型。

時代に関係なく行われている典型は、姉が特権階級を嫌った当時の治世を思い起こさせていた。


事件が起きたのは、主が此処へ来る少し前。

状況的に入れ違い程度の時間差だった事が、結果的に斬られたサインツの命を救ったとも言える。


だが。

事情を話すサインツが突然、ハッとしたように辺りを見回して。

まるで何かを探す視線が、間もなく主に向けられた直後。

サインツは悲鳴にも聞こえる叫ぶ声で『騎士様!む・娘を。私の娘をどうか助けてください』と、小さな主の両肩を力いっぱい掴んだ。


「昨日のことがあって、そんで怪我をした私の代わりに。今日は娘が店に出ていたんです。あいつらは店を滅茶苦茶にした後で娘を。私は娘だけは守ろうとして・・・そんで、斬られたんです」


娘が(さら)われたと落ち着かない。

けれど、気が動転するサインツの焦りは理解る。


それでも。

ティアリスは先ず必死なサインツを落ち着かせようと間に入った。

そこからは主に代わって、自らが一つ一つを確認するように事情を尋ねた。


サインツには、クラリスという名の高等科へ通う一人娘が居る。

いつもは夕方まで学校で勉強しているらしいのだが、自分が怪我をした事で、今日は昼過ぎに帰って来ると後は店に出ていたらしい。

今回の事件に巻き込まれたクラリスは、サインツから聞いた限り連れ去られた・・・・・


未だはっきり攫われたと言えるだけの証拠は何一つないのだが。

ティアリスは状況から見て可能性はある。

そして、事実そうであったなら・・・時間的な猶予は多くない。


-----


今も両肩を掴む手から伝わって来る。

アスランの内心は、けれど、複雑な思いを同時に抱いていた。


死ぬかも知れなかった傷を負ったのに・・・・・

目の前のサインツは、それでも自分より娘のことを凄く心配している。


・・・・僕のお母さん。僕に何かあったら。サインツさんのように心配してくれるのだろうか・・・・


アスランの胸の内で。

この疑問は、神父様とエスト姉。

シルビア様もきっと心配してくれる。


ただ、自分を孤児院へ預けた母親。

名前も顔も分からないその母親にだけ・・・この疑問は答えを示してくれない。


もし違っていたら。

一瞬でも過った不安へ。

けれど、アスランはこの不安に蓋をした。


「僕がクラリスさんを助けに行きます」


不安を追い払うように働かせた思考。

今時点で、攫われたかも知れないクラリスという娘の居所などは全く分かっていない。

けど、此処までの話でロッシュが絡んでいる。

つまり、ロッシュの所へ行けば何かある。


・・・・騎士は守るために在ります・・・・


此処には居ないシルビア様の優しい声だけが、耳の奥で聞こえた気がした。

だからこそ胸の奥底から一気に膨らんだ赦せない感情。

無意識に内に、アスランの拳は強く握りしめられていた。


店の外には、いつの間にか人が集まっていた。

そこへ中から姿を現した小さな子供に向けられた幾つもの視線。

同時にざわつき始めた声は、制服だけでアスランが幼年騎士だと気付いた者もいた。


「店で起きた事について、攫われたかも知れない娘さんの事もあります。ですから僕には事情を細かに話せる時間がありません。ですが誰でもいいです。この店のことを詰所のバーダントさんに急ぎ報せてください。僕はこんな事をした犯罪者を追い掛けます」


およそ子供の口から出る様な表現ではない。

しかし、アスランの纏う雰囲気がそうさせたのか。

否、今も一歩下がった位置から見守っていたティアリスは気付いた。


主の声。

声の質が囲んでいる者達の足を自然と動かした。


囲みの中に出来上がった一本の道を、主は急ぐように駆けて行った。

後に続いたティアリスはこの時、囲んでいた者達の声の中に『ユリナ様』という聞いたことの無い表現を幾つも耳にしたが。

しかし、片隅に置いたまま主の後に続いた。


先頭を走るアスランに続くのはティアリスとミーミル。

そして・・・・・

荒らされたとも壊されたとも言える店内。

砕けたガラス片が床を一面に敷く中で。

そこに何か残されていないかと一人だけ店内を注意深く。

やがて、壁際に落ちていた手掛かりかも知れないそれを拾ったレーヴァテインは、最後に主の背中を追い掛けるように走り出した。


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