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第43話 ◆・・・ 板挟みの中で ・・・◆

その御方は誰が見ても今日は夕方からずっとハイテンションだった。

だが、朝は寝坊、そして執務室へは大遅刻。

当然、身の回りの世話を任されている女官達は口を揃えて『またか・・・』と手を焼かされた。

手口は簡単。

私室から寝室に入るドアの内側から”厳重”な鍵を掛けられた。

相手の立場は女官達の遥か上。

そのため、世話をする女官達に出来る事は殆どなかった。


しかし、此処で今朝も救いの手が差し伸べられた。

報せを受けて姿を現した女官達の救世主。

凛とした佇まいは、同性から見て格好良いの一言に尽きる。

救世主は今朝も鍵が掛けられた寝室のドアの前に立った。

そして、これもお馴染みの仕草を一度。

徐に眼鏡を掛け直してから吐息を一つ。

女官達は救世主様のこの仕草に、特に格好良さを感じていた。


救世主の行った解決方法は至ってシンプルだった。

報せを受けた救世主は持ち込んだ解決手段(破壊槌)を両手に掴んだ。

そこから重心を低く大きく振りかぶってのフルスイング。

毎度毎度のように手を焼かされる女官達は、このフルスイングを映して今朝も痛快な気分になる。

反対に撃ち抜かれたドアノブは寝室の奥へ転がった。

既に原型は留めていなかった。

そして、主の聖域(寝室)を守護する番人()はあっけなく降参した(開いた)


結果、最終防衛ラインを鮮やかに突破された寝室では、破壊音に飛び起きた部屋の主が女官達に無事?保護(確保)された。

一方、報せを受けて颯爽と現れた救世主は、此度も国政にすら影響を及ぼしかねない事態(朝寝坊)を簡単に解決した後、この程度は造作もないといった余裕の微笑みだけを残して立ち去った。


ドアを破壊された部屋の主は頗る不機嫌だった。

その不機嫌な感情を引っ提げて、実行犯が立て籠もる?執務室へ攻め込んだ。

この時、鬼の形相で執務室へ突入した事は後を追った女官達が一様に見ている。

だが、攻め込んだ側の気勢は此処までだった。

女官達を救った救世主は、攻め込んで来る事も想定の範囲内だと。

此処で仕留める(働かせる)ために待ち構えていた。


これが王宮内で起きた今朝の事件。

顛末は寝坊大遅刻の主が救世主が待ち構えていた執務室で、ぐうの音も言えないくらい容赦なく仕留められている。

ただ、仕留められる最中、主は図々しい我が儘を一つだけ貫いた。


『お腹空いたのぉ!!だから朝食が先♪じゃないと何にも出来ない!!』


見た目は若々しいが、実年齢は救世主と同じ。

三十路も近い独身女性が駄々を捏ねる姿。

同じ女性の目線には、実に見苦しい怒りだけが湧く対象。

そう本心で煮え滾らせながら。

しかし、女官達はその事を口に出来ない。

彼女たちに残された選択肢は『苦笑いで誤魔化す』のみ。


救世主は鼻で笑った。

まるでこの事も想定していたとばかりな余裕の笑みで。

そして、救世主が用意させていた”特別な朝食”は直ぐに届けられた。

しかも、主の署名だけが必要な書類ばかりを既に用意して、片手間で食べられるサンドイッチを預けながら遅れた仕事まで取り仕切る。

そのためにサンドイッチには主が大好きな物ばかりを具材に使うと、此処から主は子供のような笑みでペンを走らせた。

勿論、サンドイッチを”頬張り”ながらである。

こうして見事な手腕を示す救世主の存在は、故に女官達の間で”才色兼備の模範(理想の上司)”として崇められていた。


-----


王宮内で働く女性は職種によって宮女やメイド、給仕等と呼び名もあるが、一纏めに女官と呼称される事が多い。

そんな彼女たちから才色兼備の模範にされる女性。


彼女の肩書(呼名)には『宰相(無双)』の二文字(二つ名)がある。

彼女は前宰相の教え子の一人にして、後継者を指名される程の俊英。

実質、現政権の頂点に君臨する存在である。


女王を補佐する最高位にある宰相(カーラ)は、今朝の事件も此処一年のなかで起きた恒例行事(日常茶飯事)だと簡単に処理(ドアを破壊)した。

その後で、主を餌付けしながら遅れた分の仕事をてきぱきと処理した。

一年前、主から相談された無理難題を処理するに当たって、こうなる事は容易に予想出来た。

だからこそ此方の手の内で、一年間は外交を含む政務を滞らせる事なく片付けた。


鳶が鷹を生むとはよく言ったものだ。

勿論、鳶は主。

故に鷹とは、将来を期待させるアスランを指す。

実際、アスランの成績は良かった。

エストという有能な教師の存在は欠かせなかったが、何度か面談も重ねて分かった事実。

アスランは間違いなく、シルビアの母親を色濃く受け継いでいる。


カーラ本人は幼い頃からシルビアの母親(ユリナ)を尊敬して来た。

それこそ神格化するくらい強い尊敬を抱いたカーラは、故にユリナを見習おうと一生懸命だった。

真面目で知的で優しくて、しかし、言うべき処は相手が国王でもお構いなしにはっきり言う。

そんなユリナの存在が、カーラには眩しかった。


アスランは間違いなくユリナから強く遺伝している。

これは今もカーラが内に抱く印象。

そして、10年後には・・・アスランを王位に座らせた上で自分が支えても構わない。

はっきり言って、シルビアのこの一年は特に後半から酷かった。

だから、気分云々を理由に平然とサボる親友(母親)より、ユリナ(祖母)に似ているアスランの方が仕え甲斐がある。

これも間違いなく本心だった。


今日も朝から余計な仕事を増やして、おかげで関係各所が少なからず負担(大迷惑)を強いられた。

しかし、だからこそ明日に持ち越させるわけにはいかない。

残業や休日出勤は余計な財政支出を増やす。

無論、それが必要経費なら全く問題ない。

だが、支出理由がシルビアの気分的事情(サボり癖)であれば絶対に回避しなければならない。

シャルフィ(シルビア)宰相(補佐)とは実に多忙な職務(雑用係)だった。


-----


親友からこの一年はアスランに会えない(禁欲)生活を課されたシルビアだったが、その結果

(頻繁)政務へ遅刻(三度寝)するくらい構わないと抱くようになった。


以前はアスランに会うためだけに、その時間を多く作るためになら。

日々の休憩時間は不要だった。

それによって週に2、3回は午後の時間で3時間程度。

アスランに会うために孤児院訪問の時間を作った。


アスランに会うために政務を頑張っていた頃。

当時のシルビアは周りが進言して休ませなければ、睡眠時間すら1時間程度という無茶な生活を当たり前のようにして来た。

ただ、これは大学を卒業したての頃からそうだった。

その当時のシルビアは、学生時代の兼業と異なって本格的に政務を行うようになった事情もある。

また、聖賢宰相が引退した余波も少なからずあった。


しかし、シルビアは女王として精力的に政務を行ってきた。

これも間違いない事実である。

故に、国民からの高い支持は今も揺るがない。


若さもあるのだろうが、それを差し引いても心身に負担を掛け過ぎている。

そう抱く周囲から一年前までは特に心配されて来た。

ところが、この一年間は特に年が明けてから際立った。


『女王陛下が政治意欲を喪失した』


兆候は昨年の夏の終わり頃から既に起きていた。

会議中ぼ~っとする女王の姿を見た者達は、最初は過労が祟った夏バテだと静養を勧めた。

背景に特に急ぎの案件も無かった事で、ただ、女王は静養中ずっと私室に籠ってしまった。

以降、秋から年末にかけて。

女王は政務こそするが、以前のように此方が過労を危惧していた姿が完全に失せていた。

定刻通りに執務を終えて、後は私的な時間を過ごすようになった事には、寧ろこのくらいで構わない。

そうした安堵感を周囲は一様に抱いていた。


だが、年が明けて状況が変化した。

政務に遅刻する事が目立ってきたのはこの頃から。

春が訪れて寝坊遅刻が頻繁になると、起こしに来た女官達を遠ざけるように寝室の扉に鍵を掛けるようになった。

挙句、張り紙を貼って『正午まで寝ます』等と。

こうなって周囲は流石に不安を抱いた。

特に聖賢宰相の時代から国政に携わって来た者達や、同じように聖賢宰相の教えを受けて来た者達が、『女王は燃え尽きたのでは?』と王宮内がざわついた。


しかし、宰相のカーラはこの事態にも全く動じなかった。

女王の心情について、カーラは理路整然と理由(適当な嘘)を述べた。

結果、国政の今後数十年先までを見据えた場合。

未婚のまだ若い女王が、即位後からの学生時代にも遊ぶ事なく頑張って来た。

その反動が今頃になって現れただけ。

人生にはそういう時期だってあるのだし、逆に以前までは過労を心配した日々だった。

だから、今の時期に多少意欲を無くして朝寝坊を繰り返す程度は大目に見てやろう。

今度は此方から働きかけて安定させればそれで済む。

大した問題ではない。

宰相の動じない態度と実務処理能力の高さがあって、女王に対する不安は一先ず沈静化した。


シルビアがこうなる事くらいを簡単に予知していたカーラの対応は実に見事だった。

女官達は同じ女として見苦しいと憤りを滾らせはしたが、カーラ(救世主)様からは『夏の終わりくらいまでは様子を見よう』とも言われている。

逆に、朝寝坊についてはカーラが力技で解決するので、見ていて胸がスッキリする事も少なからずあった。


アスランを迎えに行く日取りが前倒しになった理由。

確かに昼間のマリューの報告がきっかけとなった部分は間違いない。

だが、この時にはもうアスランの5歳の誕生日。

此処でアスランを正式に幼年騎士として王宮へ迎える。

既に決定した事項だった。

故に、それを数日早くした程度は大した問題ではない。


日々の政務とて、予定の前倒しもあれば逆もある。

それこそ、アスランに関しては6月の内に迎えるものだとカーラは抱いていた。

禁断症状とは言わないが、アスランが折ってしまった木剣。

その刀身部分を、自分が柄ごと持ち帰って以降の親友は、寝る時に抱いて夢の世界へ赴く。


ところが、親友(シルビア)は5歳の誕生日に迎えると告げた。

理由は誕生日に正式任命する事が、それこそが一番の記念になる。

最高のプレゼントを演出したい女王(親バカ)の意向には、此方も賛同した(マジあり得ない)

カーラは女王に、『残り半月(お前の我が儘)在りませんが(あと僅か)歓迎の用意(百倍返し)をしましょう』と、楽しみな面持ちを見せながら。

幼年騎士になるアスランの制服などの手配を滞りなく進めた。


-----


シルビアはカーラから、明日の午後に往復の移動時間と手短な挨拶をする程度でも。

アスランを迎えに行ける時間を作って貰えた事で幸せいっぱいだった。

それこそ、此処一年の間ずっと長期不在だった守護天使(勤労意欲)が降臨したくらい。

前倒しになった視察では久しぶり(約一年ぶり)に精力的な姿勢を見せると、自ら進捗や今後の課題解決についても意見を多く交わしている。

そこから再び執務室へ戻った後、視察で纏めた方針を再検討したシルビアの姿は、カーラが以前見て来たアスランに会いに行くために頑張っていた頃を彷彿させている。


明日は朝の7時から。

それと朝食は片手間に取れるものを。

夕食の後で別れ際にカーラへそう伝えた後、私室で寛ぐシルビアの妄想は既にアスラン一色に染まっていた。


・・・・明日はアスランに会える・・・・


会ったら先ずは抱きしめて・・・・

王宮へ連れて来たら一緒にお風呂に入って・・・・

それで、私がアスランの髪を洗ってあげて♪

お風呂の後は、着替えたアスランとご飯を食べて♪

ご飯の後は私のソファーでいっぱい話をして♪

それから、私のベッドで一緒に寝る♪


マリューを労った昼食の席で抱いた疑念を確かめる。

本来の趣旨は此方である。

そのために補佐役(カーラ)がスケジュールを調整して、急遽、明日の午後に迎えに行くことになった案件の筈。

しかし、今この時のシルビアの思考(妄想)からは完全排除されていた。

女王のピンク色の思考は、既に事象干渉(鼻血)を引き起こしていた。


夕食の時間。

親友は、色ボケ女王の頗る喜んだ面持ちをレンズの奥から覗きつつ、そのどす黒い腹の奥底では『シルビア。お前はもう、サボれなくなるのよ・・・フフフ』等とほくそ笑んでいた。


そんな事とは露知らず?

シルビアは最初、親友がそのために急遽変更したスケジュールを”しっかりやり遂げた”後、明日も夜明け前から起きて午前中の内に仕事を片付けて・・・・・・

お昼前には会いに行く等と固く決意していた。

もっとも、結局は仕事をする者達を悪戯に巻き込めない理由で叶わなかった。

この部分はカーラの主張を受け入れた。


それでも、シルビアの妄想は結果的に時計の針が日付けを跨ぐまで続いた。

鼻の穴に止血用のティッシュを詰め込んで。

場所を寝室のベッドに移しても。

睡魔を寄せ付けない興奮は、シルビアを妄想世界の住人にしたまま。

止血し切れなかった滲みは白いシーツと枕カバーを赤く染めて。

やがて、本人が気付かないうちに、今度こそ夢の世界へ翼を羽ばたかせた。


シルビア(色ボケ女王)はまさか、緊急事の警鐘で起こされるなど、露程にも思っていなかった。


-----


外は未だ薄暗い時間だった。

だが、王都の端の一ヶ所で、そこは王都を囲む城壁に設置された兵が詰める見張り部屋の一つ。

平時なら兵達も今頃は安穏と楽が出来た。

だが、夜勤で詰めていた兵達は今、慌ただしく各所へ駆けていた。


自らも平静では居られなかった兵士長の指示は、一様に映した光景だけで恐怖に駆られて混乱した兵達を先ず怒鳴りつけると、次いで非常事態のマニュアル通りに部下を走らせた。

その部下の一人が見張り部屋の脇に設置されている警鐘を打ち鳴らした音は、夜明け前の静けさの中で一際甲高い金属音だけを響かせた。


王都の端の一角から突然鳴り響いた警鐘は、その意味も含めて中心に在る王宮へ至るまでに設置された各所の兵舎に詰めていた夜勤の兵達が真っ先に気付いた。

詳細は不明でも、意味は間違いなく緊急事態。

直ぐに各所の兵舎に詰めている兵達も動き出した。

此処でも兵士長の指示の下、緊急時のマニュアル通りに兵達は各地に走った。

その中には当然、警鐘を鳴らす役もいた。


最初、城壁の方から鳴り響いた警鐘は、各所の兵舎が同じく次から次へと鳴らした事で、その音は王宮にも当然のように届いた。

外から警鐘が鳴り響く甲高い音が王宮内にも伝わると、それまで夢の世界に浸っていたシルビアの意識も揺さぶった。

朦朧とする意識の中で瞼がうっすら開く。

室内は未だ薄暗かったが、カーテン越しに窓の影が映るくらいには外が明るくなっている。

ぼんやり映した視界から得た情報は、しかし、耳に入った警鐘の音が、次の瞬間にはシルビアをベッドから勢い良く飛び出させていた。


寝間着を手早く脱いだシルビアは、普段の私服ではなく動きやすい服装へ素早く着替えた。

この間に聞こえて来た廊下を駆ける金属音は、傍仕えの騎士がやって来たくらいは抱かせた。

今も鳴り響く警鐘が意味する所、それは緊急事態が起きている証でしかない。


だが、ノックもそこそこ返事も待たずに中へ入って来た人物は、騎士ではなく親友だった。

その親友の向こう側、廊下には幾人もの衛兵や近衛の騎士達が集まっている姿も見えた。

一人だけ自分の私室へ入って来た親友は、そこで一度扉を閉めると、振り返って直ぐ近くまでやって来た。

いつもと変わらない親友の服装は普段から動き易さを兼ね備えている。

ただし、表情は明らかに普段は見せない険しさを覗かせていた。


「カーラ。何が起きているのか、それだけを簡潔に述べて」

「陛下。窓の外を見れば理解ります。詳細はまだですが、既にマリューを確認に走らせています」


シルビアはカーラがカーテンを開いた所から映った景色だけで、この警鐘の意味を理解した。

だが、その映った方向・・・・・

敢て口にしなかったカーラは、露骨に険しい表情を顕わにしたシルビアを映して、自分が告げずとも気付いた事を察した。


「陛下。お気持ちは理解りますが、マリューが戻るまでは飛び出させません。既にグラディエス団長以下、騎士団へは第一級非常警戒シフトを命じました。また、これに伴って情報の収集を目的とした小隊を王宮詰め夜勤の騎士から編成し、此方も既に現地へ派遣しています」

「・・・・だけど!!」

「シルビア!!」


即位した後、カーラが自分を呼び捨てにする時は余程の時だけ。

親友から叱る声で呼び捨てにされたシルビアは、その意味を理解るだけに今は逸る気持ちを堪えた。


「・・・・カーラ。警鐘はいつから鳴っているの」

「夜勤の兵士からの報告によれば、20分以上前に最初の警鐘が鳴りました。狼煙も上がった事で、第一報は城壁の37番区。そこにある兵士詰め所から警鐘が鳴った後、続いて他の兵舎や詰所でも警鐘を鳴らしています」

「他に今の時点で分かっている事は」

「窓から見ても分かるように巨大な魔獣が出現した事で、現在も出現地点にある居住区と住民の安否確認を急がせています。ですが、既に届いた早馬の報せでは、見張りの兵士が最初に発見した時にはもう・・・・居住区が襲われた報告が届いています」

「なん・・・・・ですって・・・」


報告するカーラは意識して毅然と振る舞った。

既に自分が得ている情報。

これから報告しなければならない部分は、目の前のシルビアを間違いなく不安にさせる。

それを自分が一番理解っていた。


「37番区の詰所から早馬で届けられた第一報ですが、この時点で住民の生存を含めた安否についての詳細は何一つ分かっていません。ですが、巨大な魔獣の出現地点は教会の近く。発見時には既に風車小屋と倉庫が破壊されていた。私はこの報せを受けた後、騎士団などへの指示を出してから此処へ来ました」

「・・・・そんな・・・・」

「見張りの兵ですが、夜明けの薄暗い視界の中で事態を最初に発見しています。つまり、巨大な魔獣の出現はもっと視界の悪い時間帯。単純に日の出前だと推測も出来ます。故に・・・・殆どの者は寝ている所を襲われた可能性が拭えません」

「カーラ!!」


カーラは自分の胸ぐらを力いっぱい掴むその手を見れば、表情は見なくても分かる。

こういう時、自分はきっと嫌な女だと思われて当然だろう。

だが、既に届けられた報せで、悪戯に楽観論を口にすることは出来なかった。


「貴女は・・・シャルフィの女王です。そして、私は・・・・女王を補佐する宰相です。既に届いた報せだけで、事態が楽観視出来ないくらい分かる筈。貴女がどれほど聞きたくない内容であっても。それが事実なら私は報告します。先生から託されて、貴女の宰相になった以上。その職務を果たすだけです」

「・・・・・・・・ック」


胸ぐらを掴む手はそのままでも、カーラはシルビアの押し黙った表情を真っ直ぐ見つめていた。

親友としては今直ぐにでも行かせたい。

しかし、宰相としては待ったを掛けなければならない。

動くには情報が少な過ぎる。


外は今も警鐘が鳴り響くのに、この瞬間の部屋の中は静寂に包まれた感さえあった。

立場と感情が板挟みで怒りを顕わにしている。

そんなシルビアの瞳を見つめるカーラだったが、廊下を走る足音に混ざって金属の擦れる音が近付いて来た。

間もなく、聞き覚えのある女性騎士の声が部屋の中に届いた。


「近衛隊所属、従騎士マリューです。新たな報せを届けに来ました」


その声で即座にカーラを掴んでいた手を離したシルビアは、しかし、先に親友の口が「マリュー。中へ入って直ぐに報告を」と、扉の外で待っている従騎士を呼ぶ。

シルビアの私室へ足を入れたマリューは、二人から促されて傍まで足を進めた。

そこで二人から向けられる視線を前に、「現在、負傷者は多数いますが、死者の報告は届いておりません」と一気に紡いだ。

二人が案じていた部分は、今の報告だけで一先ず安堵の吐息が漏れた。

マリューも雰囲気だけで二人が特に気にしていたくらいは察すると、持ち帰った情報の続きを直ぐに述べ始めた。


「陛下。魔獣が出現した近辺で暮らす住民たちの内、骨折を含む負傷者が多数出ております。また、これとは別なのですが、先に避難した者達が城壁の狭い門に殺到したため、此処で我先を争った諍いが幾つも起きた事が原因での負傷者が多数出ています。現地は酷い混乱状態が続いています」

「そちらは分かりました。後は移動中に見た程度で構いません。王都の状況はどうですか」

「はい。王都も特に現地に近い所では、そこに暮らす民達が浮足立つ光景が顕著です。城門の件も含めてですが、情報収集の任務を受けていたハンス様の小隊が対応に当たられるほど酷い状況です。そして、ハンス様から至急の来援を言付かっています」

「分かりました。カーラ、直ぐに騎士団と兵を動かしてください。それから負傷者が出ている以上は手当に必要な対応もお願いします」


シルビアは先に動き出したカーラの背中に向かって指示を出した。

ただ、内心で恐らく既に態勢を整えながら、届く報せに応じて柔軟に動けるようにしている宰相に任せて大丈夫だと抱いていた。

視界は開いた扉の前に立って、そこから控えていた衛兵や近衛騎士達へ指示を出すカーラの姿を映している。

この強い緊張を孕む空気の中で、普段と変わらない落ち着きで行動するカーラには威厳すら感じられた。


「マリュー。避難して来た民達だけど、そこからは何か情報は得ているのかしら」

「私が城壁の門の所に着いた時ですが、避難して来た住民達は城壁の向こう側に殺到している状態でしたので。ですが、先に中へ入った者達の中にエスト先輩が居たので当時の状況を聞いています」

「エストは無事だったのね。じゃあ、孤児院の子供達も」


エストから話を聞いた。

この部分だけで、シルビアは何の確証もなしに孤児院の子供達が無事だと思い込んでしまった。

だが、シルビアの安堵の表情は、そこはマリューが首を横に振ると再び緊張に包まれた。


「陛下。その、エスト先輩はもう一人、アンジェリークというシスターと二人で先に避難したらしいのです。先輩の話ではスレイン神父の指示で、この報せを届けるために一番若い自分達が走らされたと聞きました」

「・・・・分かりました。それで、報せとは」

「出現した魔獣の正体はヴァルバース。エスト先輩はそう言いました。そして、孤児院の子供達はスレイン神父と他のシスター達が連れて来ている。エスト先輩は途中まで一緒だったそうです」


報告を受けるシルビアは、今度こそ安堵の息を漏らした。

エストは途中まで一緒に避難していた。

ただ、聖賢宰相がこの報せを出すために、エストともう一人若いシスターを先に走らせている。

その結果、エストから状況を聞いたマリューが報告してくれた。


一通りの指示を出して戻って来たカーラも、背後の会話は耳に届いていた。

内心で『流石、スレイン先生です』と、表情には出さなかったが、此方も安堵を抱いた。

だが、二人は此処から全くの予想外としか言えない報せを耳にした。


「それから、あの・・・エスト先輩から聞いた話で、私はその・・・直には見ておりませんので・・・・」


マリューにとって、この情報には懐疑的な部分が多くあった。

故に現状で報告していいものか否かの判断がつけられない。

しかし、この状況で他に報せが届いていないシルビアと、最新の報せが欲しいカーラの二人は構わず話すように促した。


「あの巨大な魔獣、ヴァルバースですが・・・・住民達が避難する時間を作るために、アスラン君が一人残って戦っているそうです。そして、エスト先輩はアスラン君が魔導を使うところを見たそうです。それも高等魔導を、エスト先輩の話では『アースランス・テンペスト』と『ライトニング』の二つは、アスラン君が叫ぶ声で唱えたと言ってました」

「「!!」」

「最初、私もいくら何でもと思いました。ですが、エスト先輩はこんな状況で絶対に嘘を付きません。そして、城壁の門の向こう側で、空から炎の塊が雨のようにヴァルバースを襲った光景と、続けて氷の嵐としか言えない光景も見ました。あれは何方も魔導です。それで、エスト先輩の話は本当だと。私はそう思いました」


シルビアとカーラの二人とも、中等科から大学まで魔導を学んで来た。

中でも、特に大学ではエリザベート博士から直々に指導を受けている。

故に、報告にあった『アースランス・テンペスト』と『ライトニング』の二つも当然知っている。

何方も間違いなく高等魔導であり、同時に高等魔導を使い熟せる魔導士は大陸全土でも極一握りしかいない。

更に言えば、エリザベート博士ですら『雷撃の魔導は危険過ぎるから実践するな』と話していた。

雷撃の魔導は制御が極めて困難で、実践した者が死亡するという事故が後を絶たない。

その事実も知っている側の二人は、ただ、先にシルビアが踵を返して歩き出した。


「アスランを助けに行きます。アスランが何故、魔導を使えるのか。一体何処から魔導器を手に入れたのか。疑問は幾つもありますが・・・・」


足早に歩き出したシルビアだったが、その声と足がマリューの一言でピタッと止まった。


「陛下。アスラン君は魔導器を持っていません。それはエスト先輩から聞きました」


振り返ったマリューとカーラの二人の前で、シルビアはピタッと立ち止まったまま、その背中が震えていた。

そして、今度はマリューの隣にいたカーラが、ただ、此方も声が震えていた。


「マリュー・・・それは、間違いないのですか」

「カーラ様。私も魔導を習っていますので、魔導器を使わずに魔導を使う等と言われれば、それだけで信じ難い事くらい理解っています。ですが、大人が背中に背負うサイズの魔導器です。装備していれば誰にでも分かります」

「ええ・・・つまり、それくらい大きな魔導器です。アスラン君のような子供が背負えば不格好なくらい目立ちます」

「もう一つ、この件でエスト先輩からアスラン君は魔法式を唱えていない。この部分はエスト先輩がスレイン神父が口にした言葉だと言ってました」


スレイン神父が口にした・・・・・

それは此処まで信じ難い一辺倒だったシルビアとカーラにも、アスランと魔導に関して一概に虚報ではないと抱かせた。

不可解な点は幾つもある。

それでも、一度は足を止めたシルビアが今度こそ走り出した。


「至急、現地へ向かいます!」


廊下を走る女王から強い口調で紡がれた意思。

カーラとマリューも直ぐに後を追いかけた。

その二人に続くように控えていた騎士や兵士まで走り出した。


-----


巨大な魔獣が王都の近くに突如出現した。

普段は平穏に朝を迎える民達だったが、今朝は未だ薄暗いうちから突然警鐘が鳴った。

甲高い金属音がいつ終わるともなく鳴らされ続けた結果。

いつもはもう少し寝られた者達を不機嫌に起こした。

一体何事だと。

ある者は外に出て凍り付いた。

別の者は窓のカーテンを面倒臭そうに開いて硬直した。


何故なら。

城壁の向こう側に恐ろしく巨大な魔獣が映っていた。


城壁に囲まれた王都の中でも、特に魔獣が出現した場所に近い所で生活する者達は真っ先にパニックに陥った。

外に出た一部は、城壁の向こう側に映った魔獣の巨大さだけで恐怖に駆られた。

生存本能だけが先走った行動に秩序は皆無。

まだ眠っている家族を乱暴に起こす者。

鳴り止まない警鐘に起こされて苛立つ家族へ、『今直ぐ逃げるぞ!』等と声を荒げる者。

冷静さを失った者達に、魔獣は追い打ちとしか言えない咆哮を轟かせた。


城壁の内側で起きた混乱は、そこに現地から着の身着のまま逃げて来た者達の存在が拍車をかけた。

逃げて来た者達の雰囲気は普通ではなかった。

中には恐ろしいものを見て来たような見開いた瞳で、奇声を上げながら。

馬車一台が通れる程度の幅しかない城壁の門に殺到した。

狭い門に我先を争って起きた諍いは、瞬く間に暴動へと発展した。

理性を失くした者達にとって、自分が生き延びるためになら。

周りを力づくで排除しても構わない。

結果。

城壁の外側で混乱から暴動に至った事態は、本来は情報収集の任務で駆け付けた聖騎士ハンスの小隊まで収拾に奔走するほど酷い有様だった。


巨大な魔獣が出現した場所は、王都の郊外に幾つもある開拓地区の一つ。

当時のスレインが暮らし始めた時には100人くらいだった人口も、今は3千人以上が生活する場所へと大きくなっていた。

つまり、この事態に際して、3千人以上の人間が城壁の狭い門に押し寄せた事になる。

また、全員が諍いを起こして暴動へ発展した訳ではないが、極一部のこうした行為が後から避難して来た者達にとって大迷惑だった事も事実。

そして、これ程の人数を聖騎士が率いた小隊と近くの兵舎からも駆け付けた100人程度の兵士だけで収拾させる等。

それはもう到底不可能だった。


この状況に際して、シルビアは自ら馬に跨って駆け付けた。

女王の後ろには宰相のカーラ、傍付きの従騎士マリュー。

他にも近衛騎士隊と途中から合流した兵士達が加わって、数だけは400人程度になっていた。

しかし、一方で騎士団長率いる騎士団は、王都内の各所の混乱状況の対応で部隊を細かく分けて動いていた。

勿論、これは宰相からの指示によるもの。

王都には現在、200万を超す民が生活している。

それら全てが混乱しては治安も秩序も崩壊してしまう。

同様の理由が他の開拓地区についても放置出来ない事情を作った。

結果、シルビアにはこれ以上の来援が望めない状況にもなっていた。


一先ず城壁の門の所まで馬を走らせたシルビアだったが、その瞳が映した光景は正に酷い有様だった。

門の向こう側は言い争いの怒号が飛び交うだけでなく、目に見えて暴力の応酬が繰り広げられている。

近くの兵士を呼んで受けた報告は、この暴力沙汰で悪戯に負傷者が増えているという内容。


受けた報告にシルビアは馬を降りた。

此処の指揮をカーラ任せたシルビアは、マリューと数名の騎士を伴って城壁の上に続く階段を急ぎ駆け上った。

城壁の上に立ったシルビアは、後から続いたマリュー達に自らの大旗を掲げさせた。

柄の先端に施された金の装飾品が朝日を反射して煌く。

濃いピンク色の生地の中央に銀糸で刺繍した王家の紋章。

我先を争う者達の頭上に今、国民なら誰でも分かる女王を示す大旗が風を孕んで翻った。

そして、自らの旗を背にシルビアは視界に映った民達を声を大にして叱り付けた。


『この非常時に争いを起こすとは言語道断です!!貴方たちは、それでもシャルフィの民ですか!!恥を知りなさい!!』


城壁の上から声を大にして叱り付けた女王の勇ましさは、良く響く声と合わさって一帯に届いた。


『先ずは身体の不自由な者達と負傷者を先に通しなさい!!その次に子供達です。喧嘩をするくらい体力が有り余っている者達は一番最後!!私は此処で、貴方たち全員が王都へ入るまでを見届けます。誰一人として見捨てたりはしません!!分かったら道を開けなさい!!』


女王がこんなに近くに立っている。

そして、本気で怒っている。

争っていた者達は一瞬で静まった。


女王の叱る声の後、カーラの指揮で騎士と兵士が一斉に動き出した。

待っていたかのようなタイミングで、門から外側に駆け出て来た兵士や騎士達が道を開く。

王都へ入る流れは、女王が命じた指示通りの優先順で動き出した。

確かに此処の門の幅は広くなかった。

実際に大きな馬車を一台通せる程度の幅だったが、普段はこれで支障が出ていない。


カーラは門の両端を騎士と兵士達で固めさせると、手の空いている兵士達に矢継ぎ早に指示を飛ばした。

勿論、入場の流れを促進させるためである。

他にも一時的な治療などが出来る手筈も同時進行で、そのために兵士達はマニュアルに沿った小隊を幾つも編成して活動していた。

身体の不自由な年寄りを何人も乗せた荷車は、兵士達も加わって王都の中へ押し込んだ。

担架が必要な負傷者は先に担架を通して、そこからは近くにいた者達が手伝うなどして中へ運び入れた。


女王としての責務。

この事態に際して、強い意志と姿勢を示した事は一先ず効果があった。

だが、シルビアの視線は目と鼻の先で繰り広げられる戦闘だけを映していた。

城壁の上から見渡した戦場は、遠目に巨大なヴァルバースを映して、その付近で瓦礫と化した教会や孤児院の他、この辺りの家屋は殆ど全てが壊されていた。


巨大な魔獣の正体について、ヴァルバースという部分までは聞いている。

報せを聞いた限り、詳細はスレインから直接聞く方が良いだろう。

その事は此処へ来る途中でカーラとも一致した。

だが、此処に立って敵がそれだけではない事も判明した。

顔がヴァルバースによく似た魔獣の大群。

見た限り、身の丈は大人よりも少し大きいくらい。

だが、数が多過ぎる。

軽く千を超すような大群が今も家屋を次々と壊す光景は、それだけで憤りの感情を滾らせた。


怒りを顕にしたシルビアの視界は、ただ、その大群を相手に恐らくは地属性の魔導で壁を造った。

否、単に壁と表現するには規模が桁違いで、それこそ長城と言うべきだろう。

この長城が大群の侵攻を阻んで、結果的には避難する者達に時間を与えている以外に、王都も守っている事は明白だった。


そして、長城の上に背中を向けたままのアスランを映したシルビアは、『アスラン!!』と、たった一人で戦っている男の子の名を叫んでいた。

シルビアとアスランとの距離は直線でおよそ300メートルくらい。

一年振りに映したアスランは、カーラから聞いていた通り大きくなっていた。


今直ぐ駆け付けたかった。

自分が女王などでなければ・・・・・・

一瞬過った強い思いは、しかし、次の瞬間には驚きに染まった。


アスランが魔導を使う。

この部分の報せは確かに信じ難かった。

ただ、スレイン(聖賢宰相)がエストを走らせて、そのエストがマリューに届けたからこそ。

シルビアはスレインの為人を、幼い頃から近くで見て来たから良く知っている。


故に、この信じ難い報せの出所がスレインだと知って、疑う余地が消えた。

それを今、目の前で起きた事象干渉が、シルビアの瞳を長城の向こう側へ釘付けにした。

千を超す規模に映った魔獣の大群の中心。

魔獣の群れより少し高い位置で一点が赤く光った瞬間。

点だった赤い光が弾けると一気に広がって巨大な円を描いた。

こんな事象干渉は魔導を学んだシルビアでさえ初めて見た。

何らかの紋様を囲った巨大な円は、端の部分は間違いなく何かしらの文字列。

恐らくは解読が難しい古代文字の類にも映ったそれが、直ぐ縁に沿って動き始めた。

文字列の動きが加速すると、合わせたかのように巨大な円から赤い光を放つ粒子が強い勢いで一帯に噴射された。


そして、戦場一帯を飲み込む勢いで燃え上がった大きな炎。

大炎は瞬く間に渦を巻く大河へと変貌した。

更に渦の中心に向かって収束した膨大な熱量が暴風を生み出して、最後は炎の竜巻にしか見えない火柱を天空高く走らせた。


時間的に何分も掛かっていない・・・・・

全てが終わった後、王都へ向かって吹く風に乗せられた独特の臭いがシルビアの鼻にも触れた。

はっきり言って酷い異臭だった。

臭いの酷さで少し表情が歪んだ。

しかし、アスランを映すシルビアの視線は僅かにも逸れ無かった。


たった一度の行使で、それまで千は軽く居た筈の魔獣の大群が殆ど焼失した。

見た事もない魔導は、ただ、その規模と威力は間違いなく脅威だった。


門の外側で未だ通行の順番を待っていた民達の一部は、背後の防壁の向こう側で竜巻のような火柱が映った光景に驚きの声を上げた。

先に気付いた者達の驚きの声で他もまた次々に振り返ると、こちらも後から続くような驚きの声は、城壁の上で一部始終を見届けたシルビア達にも届いていた。


「アスランは・・・・あの子は一体何処で魔導を学んだのよ。しかも、あんな大規模な魔導は私も見たことが無いわ」


女王の口から漏れた独り言は、傍にいたマリューや旗を掲げていた近衛騎士にも聞こえていた。

ただ、マリュー達も声が出せないくらいショックを受けていた。

中等科から習う魔導では、こんな大規模な事象干渉を見たことが無い。

しかし、それは女王もまた初めて見たような言葉を口にしている。


この時、シルビア達が立っていた城壁から見渡せる所で起きていた戦闘は、アスランが行使した魔導によって潮目が大きく変化したかに見えていた。

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