第34話 ◆・・・ 誤認と苛立ちと対立 ・・・◆
第33話に続き、この34話でも暴力的な表現が含まれています。
そうした部分を出来れば読みたくないという方に対して此処に記載しておきます。
事件当日の午前中。
既に監視されているエルトシャン達は、それでもカールとシャナ達を信じて誤解を招かないように自分達だけで別に固まると、そのまま何も悪いことはしていないを抱かせるようにただ大部屋の片隅でくつろいでいた。
ただ、ゴードンが近くで諍いを起こしたことで、それもゴードンとシスター達の間で起きた諍いは、手を上げたゴードンに叩かれたシスターが出たことで、警戒監視の際に必要だとメイスを持ち込んでいたアンジェリークが制裁を科した。
しかし、此処でアンジェリークはまたも行き過ぎた。
ゴードン一人ならまだ理解を得られた罰も、連帯責任を口にしたアンジェリークは、ゴードンと比べれば桁違いに優しく制裁を科したにも関わらず、反省ではなく反発されたことにカチンと来た。
双方とも数日のうちに神経が刺々しい状態に至った今となっては、僅かな寛容さも忍耐も存在すらせず、ただし、此処は明らかにアンジェリークに非があった。
大部屋に居たカールとシャナもアンジェリークのした事を間違いだと口にしたし、何より他の子供達もエルトシャン達は何も悪いことをしていないと口を揃えた。
ところが、アンジェリークは自らの不見識を露呈すると、それと自覚すらせず正論と思い込んだ事実誤認を高らかに掲げた。
エルトシャンはグループのリーダーとしての責任を果たしていません。
その証拠にゴードンを好き勝手にさせた。
それが原因で孤児院の秩序は乱れ、ただ悪戯に迷惑を被る犠牲者ばかりが出ている。
エルトシャンはリーダーとして、ゴードンを正さなかった罰を受けねばなりません。
よって今回は制裁を科しました。
にも関わらず、貴方達までエルトシャンを庇う過ちを犯すなど、その行為は我々に対する明確な騒乱行為でしかないのですよ。
これ以上、問題を大きくするのであれば、全員に制裁を科します。
このアンジェリークの最後通告とも受け取れる発言は、エルトシャンに強い憤りを抱かせた。
・・・・此処の大人は自分の事など何一つ理解ってくれない・・・・
エルトシャンの心は、メイスを両手に掴んだシスターの言葉と表情が与えた印象だけで閉ざされた。
シスターの言葉は、自分の努力を何一つ分かってくれていない。
そして、自分をまるで汚らわしいと嫌悪の瞳で見下ろしている。
此処の大人は、故郷の大人達のように話を聞いてはくれないのだ。
大人の勝手な思い込みだけが真実で、こちらの言い分は聞こうともしてくれない。
もう・・・・・うんざりだ。
それまで、エルトシャンは真実を理解ってくれるカールとシャナとアスラン達を信じることで誤解が解けるまで大人しくしていようと、憤りも不満も全部堪えて来た。
ただ、瞳と表情とその雰囲気にすら絶望が滲んだエルトシャンだったが、その心を辛うじて繋ぎ止めてくれたのはシャナの声だった。
『間違っているのはアンジェリークさんです!』
エルトシャンは自分を庇ってくれた声だけでなく、メイスを持ったシスターとの間に立ち塞がるように身を乗り出したシャナの行為によって目頭が熱くなった。
大人達にはうんざりだと抱いた心が、今は苦しくていっぱいになったまま・・・・
パァッン!
大部屋に乾いた音が鳴った。
何が起きたのかは全員が見ている。
両手を広げてエルトシャンを庇った女の子が、その女の子が間違っているのは貴女だと糾弾した相手から、頬を打たれたのだ。
瞬間。
エルトシャンは繋ぎ止めてくれたものがブチッと引き千切られた感で、獣と化した。
うぉぁぁぁあああ”あ”!!!
怒りの咆哮を上げたエルトシャンがアンジェリークに牙を向いた光景は、同郷のエルトシャンがどんなに良い奴なのかを理解り切っている仲間達全員が加勢する事態へと瞬時に発展した。
メイスを持つシスターがそれを振り翳しても、容赦なく叩いても。
一人が片足に取り付いて力いっぱい噛みつくと、続くようにしてメイスを掴む腕にしがみつく子供の後で、更に別の仲間達がシスターを馬乗りに押し倒した。
当然、他のシスター達も止めさせようと手を上げた。
だが、完全にキレたエルトシャンと、抱えてきた感情を爆発させた仲間達の瞳は、激しい怒り一色。
そして、事態が此処に至った所へ駆け付けたのが、スレイン神父とエストを含む他のシスター達だった。
駆け付けた早々、エストを含むシスター達は既に乱闘状態の子供達を即座に引き離しに掛かった。
特に二人のシスターが怒り狂ったとしか言えない子供達から押し倒されて、そのまま馬乗りにされた挙句、ただ一方的な暴力の犠牲者になっている。
事態の経緯を、この段階で知らずにいたエスト達にはそうとしか見えなかった。
それからしばらくした後、今度は大部屋に収まり切らないエストの怒号が響いた。
『アンジェリーク!!貴女は一体何をやっているのです。子供達の声を聞く限り、エルトシャンが直接悪事を働いた事実は確認出来ていません。まして、連帯責任を口にしてメイスを振るうなど。神に仕える者として恥を知りなさい!!』
それはアンジェリークから取り上げたメイスを片手に、もう片方の手が鉄拳となって炸裂した場面でもあった。
怒り一色に染まって暴れていた子供達をどうにか引き離して、その時ですら大人達は暴れる子供達の激しい抵抗に遭うと、程度の差はあっても被害を受けている。
それをどうにか鎮められたのは、エルトシャンにしがみついて泣きながら諌めたシャナの存在が大きかった。
少なくともそれがエルトシャンに正気を取り戻させたことで、後はエルトシャンの声が仲間達の暴力と抵抗を鎮めたことにある。
・・・・もういい!!俺は悪者に仕立て上げられても構わん!!だが、これ以上暴れるなら、お前らとも絶交だ!!・・・・
エルトシャンの明らかな憤りの声は、事の次第をまだ知らずにいたエストやスレイン神父に何かある。
それくらいは直ぐ察したエストは、そこでカールと泣き止まないシャナの口から経緯を知った。
スレイン神父は、駆け付けた他のシスター達から介抱を受ける痛々しい姿のアンジェリーク達に事実確認を行った。
それらが導いた結果、エストがアンジェリークへ拳を振り上げるほど怒りを露わにした場面を作ったのである。
アンジェリークが良家の令嬢で、花嫁修業で修道女をしている事をエストは知っている。
今回、女王陛下が陣頭指揮を取って、そして緊急保護した難民だからこそ。
その介助に携わった実績が自身の箔付けになる。
孤児院へ派遣されたチームの一員の中にアンジェリークの姿を映したエストは、自身が大聖堂で研修を受けていた時にも関わっただけに、人柄と性格に好ましくない側面があることは分かっていた。
そのアンジェリークから先に声を掛けられて、そして耳元に囁かれた本心を知った時から、エストは子供達よりアンジェリークへ警戒を抱いてきた部分もある。
エストは内密にスレイン神父へアンジェリークの事を相談して、故に自分とアンジェリークを同じ時間のシフトにして欲しいと嘆願した。
この時、告げ口のような相談事に罪悪感を抱えたエストへ、けれど事情には理解を示したスレイン神父は、元から勤める他の二人のシスターを夜間のシフトへ回すと、自分とエストは昼間のシフトにしている。
夜のシフトは20時から翌朝6時頃までを5人のシスターが担当する。
比較的上の年齢のシスター達で5人の班を作った事に、スレイン神父は夜泣きをする子供がまだ3歳前後くらいである点を挙げて、子守などの経験が豊富な者達に任せた事を最初のミーティングで話している。
一階の大部屋は夜中でも明かりが灯されて、それによって暗闇に恐怖を抱く子供達を落ち着かせられるように配慮もした。
毛布なども用意して、後はシスター達が交代で本を読み聞かせる等。
結果、際立って発狂するような夜泣きは最初の晩くらいで、以降は泣き声に度々起こされるような事態へは至っていなかった。
この点、スレイン神父は先にシルビアから書簡を受け取っており、ある程度把握した上で迎えている。
一方で、大聖堂から派遣されて来たシスターの中にそのような人物がいた点について、これも予想できた部分だった。
自身が大聖堂へ勤めていた時代から、貴族や良家の令嬢が花嫁修業と称して何年か働いた後、縁談を経て結婚するという慣習がシャルフィにはある。
それも修道女として何かしら実績を欲するため、親たちが相応の寄付をしては、大聖堂も便宜を図るという構図は聞かずとも分かる。
ただ、賄賂的なものではないため、そして実際にはそうした寄付金によって維持運営が支えられている側面もある。
大聖堂では特に怪我や病などで不自由な者達を看護する施設も営んでいる事情、資金が多いに越したことはない現実があった。
エストからの相談は、スレイン神父の胸の内で此処までの予測を容易に抱かせた。
故に、罪悪感を抱くエストへは子供達を思っての行動であり、それは許容されるものだと諭した。
ただし、もしその事を自身の中で罪だと抱き、罰を望むのであれば、子供達のために尽くす事で償うようにと伝えている。
午前中に起きた大騒動についてスレイン神父は、目の前でエストが子供達のために激しく怒った行為にも理解を示した。
もっとも・・・・鉄拳制裁は加減なしの部分にのみ少々やり過ぎだと思ったが、これも許容される。
エストがこういう人柄で、それで子供達から慕われている以上、この点は目を瞑ったのである。
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午前中に起きたこの事件は、スレイン神父とエストの二人以外にも事の次第を双方から聞いた上で、それも大部屋の中で皆が見ている前で行われた。
結果、エストがアンジェリークへ怒りの制裁を下した事も皆が見ていた。
アンジェリークと子供達の主張には明確な食い違いがあった。
アンジェリークと最初から関わっていた二人のシスターは、子供達の言い分にも理解は示した。
ただし、アンジェリークのしたことについて一概に否定もしなかった。
結果的に仲裁する形になったスレイン神父とエストを含む他のシスター達は、事の最初から関わっていない点で、この食い違いについては答えを一つに出来ずにいた。
エストは子供達を全面的に信用する姿勢を見せていたが、大聖堂から派遣されて来た他のシスター達は必ずしもそうではなかった。
スレイン神父はエストにも子供達にも心情的に味方でありながら、確固たる証拠の無い部分について、此処は判断を保留した。
それらのやり取りは、これを子供達が見ている前で行われると、そこにもスレイン神父の思惑が含まれていた点は、エストが特に理解していた。
密室で会議のようにして行った後で、その結果のみを示しても子供達は絶対に頷かない。
表面上は頷いても、その胸の内で強い反発心を育ててしまう。
エストは自身も孤児だった事と、そして此処で育ったからこそ自覚できる部分も多かった。
ただ、スレイン神父が当事者のシスター3人を、最後に教会にある私室へ連れて行った後で、残ったシスター達が監視ではなく、もうこの様な喧嘩を起こさせないために数人残ると、エストも仕事の途中だったことでカールとシャナ達と少し話をした後は一旦離れている。
エストの瞳にも、子供達が完全には納得していない事は映っていた。
それもあって、離れる前には特に意識してカールとシャナ達に『私はあなた達の味方です』と、しっかり伝えはしたものの。
確かにカールとシャナ達はそれで安心してくれた感はある。
エストにとっての気掛かりな事は、二人から聞いたエルトシャン達の事だった。
カールとシャナ達から聞いた話を要約すると、エストも含めた大人側が認識していたエルトシャンのグループ。
つまり問題児グループについて、実は無関係なグループと実際に問題しか起こして来なかったグループとに分けられる事が分かった。
カールとシャナ達の話では、先ほど暴れたエルトシャンとその仲間達について、実はルテニアから此処へ来た他の子供達も含めて孤立しないように細かい気遣いをしていたらしい。
シャナはエルトシャンから『女の子達の事ではよろしく頼みたい』と相談も受けて、そしてエルトシャンは本当は何も悪いことをしていない。
それをアンジェリークが勝手な思い込みだけで悪者にした事が、さっきの事件になったと言っていた。
シャナの話はカールと他にも文字を教えている子供達が揃って頷いた。
それだけでエストは、子供達の主張を無条件に信じられたのである。
その話で分かったもう一つの事実。
大人側が誤認した部分は、ゴードンと問題を繰り返し起こした数人が実は別のグループだということ。
ゴードン達のグループは、後からエルトシャンのグループに加わったらしく、けれどその前からエルトシャンの知らない所で問題を起こしていた。
そして、カールの口からはエルトシャンが昨日、ゴードンと二人で話し合いを持った事と、その時に皆に迷惑を掛けないように説得したが上手く行かなかった事を、その事実をエストはこの時に初めて知った。
カールの話は、エストに昨日のミーティングを思い出させると、その時のアンジェリークから報告のあった問題児グループの二人が空き部屋の一つで密会をしていた部分。
アンジェリークは悪巧みを計画している等と言って、特に警戒を強めるべきだと主張した部分が、実は全くの間違いだった事をエストはこの時に察した。
エルトシャンについて、エストは以前からカールとシャナ達が悪い人ではない事を口にしていた点と、にも関わらずさっきは尋常じゃない怒りに満ちた暴挙に身を置いていた部分とで、自身が感じていた矛盾に納得の答えが出た。
・・・・エルトシャン達は、ゴードン達が起こした問題に巻き込まれた側だった・・・・
大人達には見えない所で、子供達には子供達の組織が生まれている。
それは今回の30人以上を受け入れた時点で、もっと注意深く見なければならなかった事実。
それを、自分達は見えやすかった所だけで判断して対応した結果が、さっきの騒動だった。
子供達の話を聞いて、エストは全ての線が繋がった。
同時に、エルトシャン達には酷いことをした事と、逆の立場だったらと思うと居た堪れない感情が胸を苦しくした。
同時に、スレイン神父が恐らく此処まで何かしら感じ取って、その上で今は反省室へ行かせた事に納得も出来た。
少し前、スレイン神父がアンジェリーク達を連れて出て行く前に、エルトシャン達は揃って反省室へ入れられると、今はドアに鍵が掛けられている。
エルトシャン達について、事情は別に暴力沙汰を起こしたことも事実。
それによってスレイン神父から『午前中は反省室で過ごすように』と、ただ、昨日のゴードンのような拘束はしなかった。
スレイン神父の瞳には、エストがアンジェリークの過ちを激しい怒りで拳まで振るった事で、エルトシャン達も何かしら感じてくれたのかも知れないと映った。
抵抗する素振りも見せず、素直に反省室へ入ったエルトシャンと、同じ様に素直に反省室へ入った仲間達を見れば、エルトシャンというリーダーは歳の割に大人で人格も良い事が伺える。
今はまだ謝罪の言葉は聞けなかったが、スレイン神父にはその感情も理解できる部分を抱いていた。
無実の罪で虐げられた後で、そこで庇ってくれた女の子が目の前でまた虐げられた。
スレイン神父にはエルトシャンが激怒した理由について、恐らくはシャナが自分を庇ったために傷つけられた事へ我慢できなかった。
つまり、それだけ情に厚い優しく強い子供だと理解ったのである。
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午前中に起きた事件について、当事者達が今は別々に離された大部屋は特に小さな子供達の世話をしているシスター達の存在により、また元凶とも呼べる者達も二階の部屋へと篭ってしまった。
それもあって、今この時は大部屋も平穏を取り戻していた。
一見すると確かに大部屋は平穏さを取り戻したかに見えて、しかし、注意深く見れば大人達に対する距離感が寒々しいほど感じられる。
特にルテニアから来た子供達は、シスターが近付いただけで纏まって逃げるように二階へ行ってしまうなど、大部屋はその広さの割に元から此処で暮らす子供達ばかりが目立つと、それもエストが文字の指導をしている子供達ばかりだった。
ルテニアから来た子供達のうちで、特に小さな子供達の数人はシスターの傍に居たりもしたが、逆に年長の側の子供達は瞳を見るだけで大人を嫌っている印象が色濃かった。
アンジェリークのような極端なシスターは他に居なかったが、これも根付いた悪印象だろう。
エストに言わせれば、『アンジェリーク以外は問題ない』ということになるのだが、既に受けた印象が『此処の大人達は大嫌い』という認識を共有させている。
同じ様にゴードンという存在によって、大人達はエルトシャン達を一括りに誤認している。
どっちもどっちの状況は現時点で、その事に気付いたのはスレイン神父とエストくらい。
ただ、その二人も一人は責任者としての立場で教会の私室へ。
残るもう一人も自分の受け持つ仕事のために場を離れたことが、そしてこれは二人共の認識の中で『誤認している事実をミーティングで説明する必要がある』と、内に秘めさせてしまった。
もし、あの状況で、あの場に居た他のシスター達だけでも、先に誤認を解いていれば・・・・・
後に、エストとスレイン神父は、その点でまたも対応が後手に回ったことを痛感させられるのである。
場所を教会の私室へ移したスレイン神父は、連れて来たアンジェリーク達3人と改めて話し合いの場を持っていた。
他にも個別に審問する必要がどうしてもあった。
何故なら、アンジェリークがメイスを携帯していた事をスレイン神父は知らなかった。
規則に基づくなら、それは此処の責任者である自分の許諾が必用な部分。
つまり、あの場では口にしなかったスレイン神父も、この行為が明確な規則違反である事実もあって審問を行っていた。
アンジェリークがメイスを携帯した理由、それは一晩の間ずっと反省室へ入れられながら、瑣末にも反省していない事が明確に分かるゴードンへ、抑止力の意味でも見せておく必要を感じたこと。
後から許可を貰うつもりだった・・・・最後にそう述べたアンジェリークの表情には、まだ納得出来ていない。
それはスレイン神父にも容易に伝わっていた。
子供達から見ればエストもアンジェリークも大人にしか映らないかも知れない。
しかし、エストは今年17歳になる女性で、アンジェリークの方は19歳になる。
二人ともスレイン神父からすれば、娘とも呼べるくらいの差があった。
見た目は大人でも、精神はまだまだ成熟していない。
何より、二人は未だこれから先の方が長く、その中で精神は熟していく。
今の所、此処で育ったエストの方が精神は大人なだけで、裕福な家庭で多少は我が侭も許されたアンジェリークは幼少期の環境そのものが異なる。
アンジェリーク以外の二人へは、今後の対応について特に手を挙げない事を言い含めて先に退室させた後、残ったアンジェリークに対してスレイン神父は思う所を述べた。
「シスターアンジェリーク。貴女は此処に泊を付けに来たと聞きました。これはエストから聞いた事ですが、貴女が良家の令嬢という身分で、修道女をしているのは花嫁修業だと。もし、そうであるならば・・・・今回の事は実に良い経験になった筈です」
一瞬、アンジェリークはまた叱られると抱いた後で、けれど、以外にも良い経験等と言われた事に、怪訝な面持ちを覗かせてしまった。
「まぁ、貴女とこれはエストにも言えることですが。二人はこれから先の将来で、恐らく良い縁があるでしょう。そして、新たな命を産んで育てる事もあると思います。ですから、今回の事は良い経験になったと言えるのです」
「スレイン神父・・・その、申し訳ありませんが・・・まだ、意図する処が分かりません」
今は神妙な面持ちで、それでも理解しようと姿勢を低くするアンジェリークを映したスレイン神父には、それだけで人柄がまた理解った感じになれた。
確かに好ましくない側面はある。
しかし、修道女になれる存在は試験の段階で篩いに掛けられる。
つまり、アンジェリークには修道女になれるだけの資質があるから合格して、その後の研修を経て『修道女』の資格を得た。
「そうですか。ですが、子育てを一からしてみればきっと理解るはずです。最初はただ泣き叫ぶだけが意思の疎通手段の赤子も、そこから言葉を覚えて、それは同時に自我を育てます。つまり心です。今回、貴女は思い込みの強さが過ちになりました。子供の言葉だと信じずに、自分の瞳のみを信じ込んで。それが先程の事件になっている。エストにもそれで拳骨を貰いましたね」
「はい・・・・確かに私は自分が正しいと思った事で制裁を科してしまいました」
「シスターアンジェリーク。貴女は・・・そうですね。あの子供達と同じ年頃の時の事をどれだけ憶えていますか」
「え・・・・それは・・・・」
「では、その頃ですが・・・・大人に叩かれた痛い思い出はありますか」
「・・・はい。母が大事にしていた花瓶が割れて、私は何もしていなかったのに・・・お前が割ったと犯人にされて・・・・!!」
記憶を辿ったアンジェリークの、思いがけずハッとした表情を映したスレイン神父は静かに頷いた。
「どうやら、貴女にも理解って貰えたようです。恐らく鮮明に思い出せたのではないでしょうか」
「はい・・・スレイン神父が何を伝えたかったのか。理不尽な記憶は大人になっても鮮やかに思い出せるのですね」
「そういう事です。此処で肝心なことは理不尽の部分です。何もしていないにも関わらず、ただ一方的に犯人だと。しかもそれで叩かれたりすれば。貴女にはもう理解るはずです」
「はい。子供達は私がその言葉を信じてくれなかった。そして制裁まで受けている。私は罪深い行いをしてしまったのです・・・・エストは理解っていたから。だから、私にあのように酷く怒った。罰が必要なのは私です」
アンジェリークの表情を見れば、言葉通り納得できたことも雰囲気だけで分かる。
スレインは罰しようとまでは考えていなかった。
安易に罰するのではなく、本人が悟るまで言葉を尽くす。
それで納得出来れば、こちらが求めずとも深く反省してくれる。
そこが一番大切な事だった。
「スレイン神父。私は、この犯した罪をどのように償えば良いのでしょうか。確かに此処へは泊を付けたい思惑で来たことも事実です。ですが・・・今はそのような事ではなく、子供達に何かしたいのです・・・・」
「では、シスターアンジェリークにも罰を科しましょう。貴女はエストと同じ様に子供達のために尽くして下さい。具体的にはエストを見習うことが一番だと思います。大聖堂では此処のように子供達の世話ばかりという事は無かったはずです。その意味では良い経験を積む機会でもあります。どうか精進して下さい」
「はい。私は、私の犯した罪が赦されるまで。その時まで心を入れ替えて尽くします」
根は決して悪く無い。
だから、もう大丈夫だろう。
また躓くこともあるかも知れないが、それこそが人生なのだ。
また、そうなった時には、その時もまた先達である自分が導けば良い。
これもまた善き人への道なのだ。
目の前で、今は自分の犯した過ちに涙を流すアンジェリークへ、スレイン神父は起きた事実は罪となったが、それによって今は一歩成長も促せた。
問題が全て解決した訳ではないが、それでも一つずつ解決して行くことが今は一番大事だと考えていた。
ふと、此処にもしユリナが居たら・・・・そう抱いたスレイン神父は、その瞬間に小さな苦笑いの笑みになってしまった。
出来の良いしっかり者の妹のような存在ならきっと、『スレイン兄さん。私は兄さんなら出来る!そう信じていますよ』等と言ってくるに違いない。
それはとても誇らしくなれるのだが、同時にプレッシャーが大きいのだ。
昔はそれで必死だったことも少なからずあった。
不意に思い出した光景だったが、それでもスレインは、ただ今は何か背中を押されたような感触を得ていたのだった。
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午前の騒動に関して、途中から駆け付けた者達は一つ失念していた事がある。
否、より正確に言うなら嫌疑不十分を理由に何もしないでいた存在が、それ以前から続く誤認によって、実は最も核となる元凶だった点を見逃してしまった事だった。
特に、エストは後からカールとシャナ達の言葉で詳細を掴みながら、それをミーティングで報告等と、緊急性の高さを認識しなかった点は紛れも無く落ち度だった。
騒動の後、それはアンジェリークが糾弾されたことで隠れ蓑となった部分でもある。
事の発端を作りながら、最終的にスレイン神父から注意程度で済まされたゴードンは、自分の仲間達と二階の部屋へ篭った。
注意されてそうしたのではない。
激しく怒るエストを映した本能が、『こいつを今は敵に出来ない』と、あの瞬間だけはそう抱いたことで、それを臆病だなどと思われる訳には行かなかった。
自分の仲間達だけに小声で『作戦会議をやるぞ』と、そのまま一見すると大人しく二階の部屋に篭った格好を装ったゴードンと仲間達は、確かに作戦を考えていた。
作戦の目的は、一番になるために邪魔な奴らを倒して認めさせること。
具体的には喧嘩で勝って、そして従わせればいい。
昨夜からずっと父親を侮辱したシスターを叩きのめして、そして俺様には叶わない事を証明しよう等と抱いていた。
それがついさっき、グーパンで殴られた光景には何か妙にスッキリした。
ゴードンが今は大人しく?作戦会議を開けるのは、そこにエストの存在があったという何とも複雑な状況があった。
ただ、作戦会議をしてまで考えていたことは、自分がまだエルトシャンの下に見られている事に腹が立ったからで、それは今直ぐにでも『俺様が一番』だと知らしめる必要がある。
その為は、使えるものは何でも使うつもりだった。
ゴードンは力でエルトシャンを潰さなければ、父との約束が守れない・・・・
けれど、エルトシャンのグループはどいつもこいつも喧嘩に強い。
自分と手下だけでは難しい。
そう考えたゴードンは、バスキーと密かに話し合いを持った。
バスキー達がエルトシャンを面白く無い存在だと見ている・・・・・
ゴードンはバスキーへ、手を組んでエルトシャン達をやっつけようと持ち掛けた。
そこには後から破るつもり満々で、エルトシャンをやっつけた後は互いに縄張りを持って不干渉で行こう。
これは、共闘を持ち掛けた時に、同盟相手のバスキーから先に出された条件を飲んだ形だった。
そして、両方のグループはエルトシャン達を叩き潰す算段を考えながら、此処で武器が要ると至った。
丁度いい事にバスキー達は掃除当番だった事で、モップや箒などを武器代わりに使うことに決まると、持ち出しは役はバスキー達で、それを受け取ったゴードン達は共闘してエルトシャン達を叩く。
一気に纏まった計画は、後は昼食の時間の後で決行日を話し合う筈だった。
ただ、今回の惨事は同盟した側の悪知恵と関係なく偶発的に起こった。
昼食の後で、一度シスター達の監視が厳しくなった間、二つのグループは二階にある互いの部屋で先ずはやり過ごそうと昼寝を装って時間を潰していた。
この時間潰しにゴードンの短気で怒りっぽい性格は、けれど、何か大きな事を企てた感は、それが無性に楽しいとすら抱いた当人が率先して居眠りを決め込むくらいには余裕を与えた。
事態が動き出したのは午後も折り返しを過ぎた辺り。
自分の子分に浅い昼寝から起こされたゴードンは、そこでエルトシャンの仲間が一人で二階の部屋で寛いでいる。
その情報を耳にしたゴードンは、今だと動き出した。
先ず一人でも潰してしまえば、こちらがその分有利になると考えた。
直ぐにバスキー達と計画を詰めたゴードンは、そこから即座に動いた。
先ずはバスキー達が一人で寛いでいるエルトシャンの仲間を潰す。
具体的には一対一を装って、取っ組み合いに持ち込んだら周りが加勢してボコボコにするという流れ。
それから当番仕事を装って掃除道具を取り出した後、挟み込むようにしてエルトシャン達を武器で叩きのめす。
互いの悪知恵が作った穴の空いたザル同然の即興計画は、それも直ぐ実行へ移った。
バスキー達は計画通り、仲間の一人が先ずは一対一で露骨に挑発して喧嘩を始めた直後。
予定では此処から大人数でボコボコにする筈だった。
ただ、その計画はエルトシャンの仲間が予想以上に強かったことで狂いを生じた。
たった一人の男子にバスキーのグループは3人が殴り倒されると、4人目を拳で沈められた所で、加勢したゴードンの指示を実行したバスキーは、自分が喧嘩相手の男子を抱きしめるようにして押さえ付けた。
その直後、押さえ付けられた男子はゴードンが背後から叩き付けた花瓶で頭から血塗れになった。
不意を突かれて背後から花瓶で殴られた男子は、頭部に刺さるような痛みを抱えながら逃げ出すと、廊下と階段に幾つもの血雫を落として、手摺や縋った壁にすら赤黒い手形を引き摺ったような跡が残った。
それだけの酷い怪我をした仲間が大部屋に転がり込んで来た後、その口から告げられた経緯にエルトシャンは再び激しく怒った。
直ぐ後から追い掛けて来たバスキーの仲間の一人は、怒りで燃え盛るエルトシャンの拳を、それこそ一撃必殺の拳を真正面から顔面に受け止めたバスキーの仲間の男子は、鼻の骨が折れる大怪我を負ったまま意識を失った。
その光景は周りに恐怖しか与えず、それくらいこの時のエルトシャンの怒りは激しかった。
ゴードンとバスキーの連合勢力にとって、当初の計画は既に崩れていた。
倒し切れずに仲間の所へ逃がしてしまった時点で予定とは違う。
ただ、始まった以上は特にバスキー達は引くに引けなかった。
仲間の一人に掃除道具を取りに行かせると、それをゴードン達も手伝いに走った。
それによって、バスキー達は味方が武器を持ってくるまで時間を稼げば良いだけだった。
武器が届くまでの間、バスキーの仲間は一人が気を失っていた。
だが、そこで待っていた武器を手にしたバスキー達の見境のない反撃は、素手の相手にとって間合いにすら入れず、それくらい闇雲に振り回したりした事で、エルトシャン達とは関係ない者達を多く巻き込んだ。
エルトシャンは仲間へ『関係ない奴を絶対に巻き込むな!』と、それは逃げ遅れた無関係の子供を巻き込むなという意味で、仲間達は相手が無関係の子供達にまで襲いかかる暴挙を阻むように乱戦へ突入したのである。
この時、エルトシャンには同郷の仲間達とは別に、此処で出来た仲間のうち年の近い男子達が加勢していた。
それによって、女の子や小さい子供達を出来る限り逃がしながら、しかし、それを執拗に追いかけて武器で傷付ける。
特にゴードンとその仲間達は手の付けようが無かった。
エルトシャンは仲間の一人が部屋の隅に引き摺るようにして逃した最初に負傷した仲間を横目に映して、事態が一刻を争うほど悪い事を察した。
出血が止まらずに、うつ伏せにぐったりしている仲間の男子の顔の周りには大きな血溜まりが出来上がっていた。
大部屋での喧嘩の直前、血塗れになった仲間の口からエルトシャンは相手が手を組んで自分達を潰すつもりだと知った。
そして、現実にカールから聞いているバスキーとかいう男子のグループと、ゴードンのグループが手を組んで、モップや箒を武器に使っている。
しかも、玩具とは言え積み木のブロックは投げ付ければ武器にもなる。
それを躊躇いもなくやって、窓ガラスも割れた。
中には当たって血を流しながら泣いている・・・・自分達の喧嘩とは全く無関係の小さな子供だった。
ゴードン達は花瓶まで投げ付けて、エルトシャンはもうただの喧嘩とは違うものになった事を悟った。
こんなのは喧嘩じゃない。
ただの弱い者いじめだ。
無関係な子供達が何人も血を流して・・・・・・
エルトシャンがやり切れない感情を抱いて、それでも無関係な子供達だけは守ろうとして、その想いはゴードン達によって脆くも崩れ去った。
ゴードンは力任せに鬱憤を晴らすかのように手当たり次第に大暴れすると、その仲間達も後に続いたことが、無関係の子供達を平然と多数巻き込んで負傷者の数を一気に増やす結果へ繋げた。




