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第2話 ◆・・・ 幼年騎士を目指す子供 ③ ・・・◆


僕にとってのシルビア様はね。

孤児院で暮らす他の子供たちと同じで、お母さんのような人でもあるけど。


もう一つ。

僕には、僕の夢を掴める望みすら作ってくれた女王様でもあるんだ。


僕はシルビア様から『任命するために欠かせない』って。

そうして与えられた課題だからこそ。


勿論、自分のためには当然だけどさ。

でも、それと同じくらい。

僕の様な孤児にも機会を作ってくれた。

そのシルビア様の期待にも、僕は応えたいんだ。


だからとにかく。

今は勉強と稽古を頑張るんだよ。


-----


『・・・あの、本当にシルビア様が僕を引き取って。その・・・騎士に育てるなんて。シルビア様に迷惑しか』


これは僕の四歳の誕生日を祝ってくれたシルビアが帰る間際のこと。


あの時の僕は自分の我儘で、それでシルビア様には、やっぱり、いっぱい迷惑が掛かるんじゃないか・・・って。

だって、僕は孤児が騎士になるということをね。

これが如何に難しい事かを聞いていたんだ。



シャルフィの女王である私には、この時の。

でも、きっとこういうときだったからこそ聞くことが出来たのだと。

アスランは、あの子は心に負った傷のせいで。

無自覚の内に『もう傷つきたくない』が、ここが私にも良い子を演じているくらい。

そうやってアスランは、もうずっと素直な気持ちを声にしてくれなくなっていたのです。


そんなアスランが、それでもきっと不安だったのだと思います。

だから。

私は、あの子の怯えたような声でも。

精一杯の声にしてくれた本心を。


もう、ホント超嬉しかったんだから♪

で、こんな幸せなことは他にないってくらいだったのよ。


気付いたときにはもう。

私はアスランを、あの子を抱き寄せるようにして。

力いっぱい、ぎゅうって抱きしめていたんだから。



シルビア様から抱きしめられた時のことは・・・・・・・


そうだねぇ。

あんなにぎゅうって抱きしめられた事も。

でも・・・うん。

僕はシルビア様から何回か、ぎゅうって抱きしめられた事があるんだ。


シルビア様の両腕の中に包み込まれる。

背中から強く抱き寄せられて。

頬と耳がシルビア様の胸に触れると、シルビア様の心臓の音が僕にもちゃんと聞こえて来る。


何故そうなのかは分からないけど。

だけど、この音を聞くだけで。

僕はいつも胸がいっぱいになるんだ。

苦しいくらいいっぱいなのに。

良い匂いがして。

それでいて凄く安心出来る。


頭と髪の毛を何度も撫でて貰った。

僕とシルビア様の髪は、同じ色なんだ。


ははは、髪の色が同じなだけなのにね。

でも、それも僕はとっても嬉しいんだ。



私はアスランの、この子の境遇を知っている。

否、それ以上に他所の土地で生まれたアスランを、シャルフィへ連れて来たのは私なのです。

当時の公には出来ない事情を知る親友二人が、内密にアスランを此処へ預けた事もそう。

その後で、事件とも呼べる出来事が原因となって。

今もずっと孤立している状況も。

勿論、全てを私は理解(わか)っているのです。


別れ際。

アスランが漏らした不安へ。

この瞬間のシルビアにとって、周りの視線などどうでも良かった。

そんな些末事などよりも、今だけはアスランを。

愛しいこの子の心を安心で、溢れるくらいいっぱいに満たしたかった。


『大丈夫ですよ。来年の誕生日。その時のアスランが私から見て、幼年騎士として相応しい実力を得たと判断したなら。誰が何と言おうとも私がアスランを引き取って、立派な騎士に育てます。女王の名に誓ってでも。この約束は違えません』


抱き寄せたアスランの耳元へ囁く声へ。

私の本心を聞いたアスランの、途端は小さな両手のギュッとしがみ付く感触が。


叶えられるのならば、今直ぐにでも・・・・・・


強くしがみ付かれた瞬間、私は一瞬でも駆け巡った強過ぎる感情を。

ただ、今だけは涙も堪えると、奥歯も噛みしめて耐えたのです。




そうした4歳の誕生日からしばらくが過ぎた頃・・・・・・

アスランは誕生日に交わした約束を、既に心の中で強い軸にしていた。


また、アスランは孤児院で暮らす子供だったが。

この孤児院で暮らすアスランも含めた子供達。

周囲から言わせると『同い年でも大人びている』声が少なくない。


実際、孤児院では時に生まれたばかりを含む6歳までの子供達が集団で生活している事情。

これを監督する側の指導は周囲へ厳しくも映った。

起床と就寝の時間から始まって、食事の時間や勉強の時間等は全て決まっている。

他に3歳くらいから簡単な当番仕事も課される環境。

両親の下で甘やかされる事も少なくない環境で育った同年代より。

孤児院の子供は精神的にずっと大人だった。


アスランも3歳になって間もなくから掃除当番の仕事をし始めた。

そして、3歳の半ばくらいからは水汲みの当番仕事を受け持つと、今も毎朝続けている。


幼少期の早い段階に、特にこうした仕事をするのは孤児特有の環境が多分に関わっている。

事実そうなのだが。

それでも、その多くは直ぐに出来る様になるわけではない。

勿論、出来る様になる子供も居る。

アスランは出来る側にいるだけで、けれど、此処にも仲間外れにされた事情が関わった。


結果的に、アスランは『出来なければならない』状況が、今へ繋がっただけ。

ただ、4歳を迎えた今の心境。

水汲みも修行だと思えるようになったそれは、押し付けられた最初とは既に異なっていた。


アスランが4歳の誕生日を迎えるまで。

シルビアは数日に一度の頻度で孤児院を訪れた。

そして、シルビアは子供達を集めると決まって本を読み聞かせた。


決まって本を読み聞かせる事にも理由がある。

これは特定の子供達と過ごすと、必然的に面倒を見れない子供達が生まれる。

シルビアは子供達との時間を出来る限り等しく過ごすために。

そのために広間に子供達を集めて本を読む。


シルビアが読み聞かせる本。

教会の図書室に置かれている多数の蔵書から、ここは子供たち皆が大好きな物語。

これも既に決まっていた。

タイトルは――― 聖剣伝説物語 ―――

リーベイア大陸で広く老若男女関係なく親しまれた作品である。

子供達はシルビアがやって来る度に、『今日は本の日』などと期待に胸を膨らませて広間へ集まった。


朗読中は騒がない。

この決まりはシルビアの朗読中。

必ずと言っていいくらい守られた。

それくらい。

子供達は真剣な面持ちで、静かに耳を澄ませていた。


アスランが文字を覚えるようになったきっかけ。

それはシルビアが読み聞かせていた『聖剣伝説物語』である。


孤児院を訪れたシルビアの滞在は3時間程度。

女王としての仕事が在る中で、それでも数日に一度は訪れた。


シルビアは朗読の途中。

帰りの時間が迫って来ると、区切りの良い所で『この続きはまた次回に』という表現で終わりを告げる。

既に毎回の事なので子供達も分かっている。

同時に続きが気になる心境も同じく毎度のことだった。


周りの子供達が皆、一様に続きを楽しみに待つ流れの中に在って唯一人。

アスランの好奇心も他と同じように続きを早く聞きたい。

この部分は同じでも。

続きを求める欲求は、そこから『自分で読めるようになりたい』へ変化した。


いつもと同じように帰るシルビアを見送った後。

アスランの内側で大きく膨らんだ強い欲求は、直ぐに相談出来そうなシスターの所へ足を運ばせた。

そして、この時からアスランは、熱心に文字を習い始めた。


当時のアスランは未だ3歳。

しかし、相談を受けたシスターは文字を教えた。

彼女は此処で働く修道女の中では一番年若く、けれど、アスランと同じ此処の孤児院で育った経緯がある。

内心は3歳の子供へ。

まだ難しいだろうと抱いた。

反面、学びたい欲求へ。

アスランは自身に、『聖剣伝説物語』を読めるようになりたいをはっきり口にした。

理由を聞いて、シスターは理解る気がした。

だから、これを安易に拒むのは良くない。

そうも思い至ったからこそ。

シスターは、先ず簡単な文字から読みと書きを教えて見ることにした。


当時の彼女も7歳を迎える年の4月。

その時には孤児院を巣立つと、王都の初等科へ通い始めた。

卒業後は修道女になるために。

一年ほど王都の大聖堂へ身を置くと、研修の日々を過ごしている。


現在は育った孤児院へ帰って来ると、教会の修道女として働いていた。


彼女の名はエスト。

面倒見が良く、それでいてサッパリした所もある。

十六歳という年齢は、周囲の同年代が何かとお洒落に気を遣う時期でもあるのだが。

エストはそうした事へ、興味も関心も示さない所があった。


少し癖のある栗色の髪。

エストは手軽だからと、いつも髪留めとゴムだけで結っている。

あっけらかんとした本人の『だって、髪と化粧に時間を使うくらいなら。私はその分、少しでも長く寝るわ』というこの言い分も。

見た目は健康的で肌艶も良い。

面立ちは間違いなく綺麗とか美しい分類なのに。

女を磨くことへの無関心さと、こういう物言いが当たり前な人柄。

付け加えると更に。

表面上はシスターという毛皮を着込んで女らしく(● ● ● ●)振る舞った。


見た目は美人の、気配り上手。

近所の大人達からも評判の良いエストは、それで普段は優しいお姉さんも間違いでは無い。


だが、しかし。

このお姉さんは、悪戯好きのわんぱく盛りの孤児たちへ。

時に躊躇うことなくグーパンで躾けもするという本性を隠しているのだ。


そのため、エストのグーパンで躾けられた側では恐怖の代名詞。

『鉄拳』の二つ名が浸透している。

現在の孤児院でボスと呼ばれる男の子ですら。

エストには絶対服従を貫いている。

以前、アスランを虐めた後でエストにこっ酷くやられているボスは、今も内心では反発しているのだが。

けれど、表向きは素直に言うことを聞いていた。


エストは事実、その拳を使った躾けによって怖がられる存在でもあった。

ただし、掃除や手伝いなど。

当番になっている仕事を一生懸命やろうと頑張る子供を、必ず意識して良く褒めた。

それに毎日ではないが、子供達皆がちゃんと頑張っていれば。

エストは子供達へ、ご褒美にお菓子をプレゼントした。


一番年配のシスターが何かと口煩いのに比べて、エストは悪いことをすれば叱るしグーパンが炸裂する。

けれど、ちゃんとやれば『ありがとう』も『頑張りましたね』も言ってくれる。

分からないことも優しく教えてくれる。

だから、孤児院にはエストを怖いと思っても嫌いな子供は居ない。

皆のお姉さんみたいな存在で、普段は子供たちから『エスト姉』と呼ばれていた。


エストは今もずっとアスランの勉強を見ている。

最初に文字を教えてから未だ一年と経っていない。


ただ、初めて相談を受けた時。

エストは内心『長くは続かないかも知れない』等とも抱いた。

何せ、学びたい相手は未だ3歳だった。


『エスト姉。その、僕は聖剣伝説物語を自分で読めるようになりたいんです』


だから文字を教えて欲しい。

エスト自身、自らも初等科に通っていた当時はたくさんの本を読んできた。

修道女になった今も、夜の就寝前の時間。

図書室から借りてきた本や、自費で買った本を読んで過ごしている。

それくらい彼女も読書が大好きだった。


アスランからの相談は、受けたエストから見ても。

何かこう一生懸命な印象が色濃かった。

以降、エストは午後の手空きの時間。

この時間でアスランへ、文字の読み書きを教える先生になった。


アスランはエストの指導で、そこから簡単な文字を覚えた。

最初に覚えた文字は自分の名前。

これも最初は裏側に何も印刷されていないチラシを使うと、後はエストが貸してくれたペンを握って文字の書き方を繰り返し練習した。

どんな文字にも正しい書き順が在る。

エストは一文字の一角ごとに数字で順番を付けた。

その手本を見ながらアスランは文字を書く練習を繰り返す。


エストが指導した初日。

アスランは決して綺麗な字ではない文字で、それでも自分の名前を書けるようになった。

文字の大きさは全部が不揃い。

途中、何度も手本を見ながら書いた文字は、ペンが止まった所がくっきり分かる。

そんな文字だった。


ただ、教えたエストの方は手応えを掴んでいた。

アスランがこの日に書いた名前。

それは初等科へ通い始め頃の自分と同じような文字だった。

当時は数え年で7歳。

なのに、目の前の男の子は未だ3歳で追い付いた。

不思議とそう思えることが、何か将来を期待させていた。


それからの数日間。

エストは手空きの時間を全部。

アスランの勉強へ充てた。

書く練習は継続が欠かせない。

エストは指導方法を自分なりに考えた後。

此方は自分がアスランのために手本付きの手作りノートを作って与えた。

結果、アスランは午前中から練習が出来るようになった。

その分、今度は読みを教えられる時間が出来たエストは、先ず子供向けの絵本を読めるように。

習うアスランにも『先ずは簡単な絵本が読めるようにならないとね』と、段階を踏んで最終的には『聖剣伝説物語』が読めるようになる計画を伝えている。


アスランは素直だった。

同時に教える側から見ても、集中しているのが良く分かる。

まるで、夢中になって遊べる玩具を手にした時の子供の様な瞳で。

それは教える側のエストにも、自然と熱を入れさせるくらい。

成果は当然、目に見えて表れた。


前回の訪問から数日後。

孤児院を訪れたシルビアは、これもいつも通り図書室へ本を取りに向かった。

ところが、鍵を借りようとして神父から『今日は図書室が開いていますよ』と、言われたシルビアは気を利かせてくれたのかと先ずそう抱いた。

しかし、シルビアは図書室へ足を踏み入れて。

そこに映った光景を目の当たりにした途端、受けた驚きで足が止まった。


夢か幻だと、一瞬でも思った。

自分の存在にも気付かないほど集中したアスランが絵本を開いて朗読する姿へ。

もう完全に驚きで引っ繰り返りそうだった。


不意を突かれた驚き。

直後は静かに耳を澄ませたシルビアへ。

未だ始めたばかりの成果は何処かたどたどしい。

けれど、絵本を最後まで読み切ったアスランは未だ3歳。

予期せぬことへ溢れた感情。

それはシルビアの頬を、すっと流れ落ちた。


この日の朗読会の後。

シルビアは神父の私室で、神父とエストからアスランが文字の読み書きを始めた経緯を初めて知った。

そのまま聞き終えた所で、次回からは自分も行うと決めた。

以降のシルビアは今までよりも少し早く。

朗読会とは別に、アスランの勉強を見るため。

それまでよりも長い時間。

孤児院へ滞在するようになった。


アスランの勉強。

本人は何も知らされなかった。

だが、アスランの習熟度。

神父は教会の私室を提供すると、訪れる度にシルビアは此処でエストから習熟の度合いを確認するようになった。


シルビアはエストが手作りの書き取り練習用ノートを作っている事を聞いて。

それならばと。

初等科へ入れば誰もが使う教材を持ち込んだ。


他にエストがアスランの勉強を教えるために。

そのために自費で筆記用具を用意した事では、聞いた後でシルビアが負担を引き受けている。

背景には修道女の給料が多分に絡んでいた。

他と比べて、殆どの修道女が貰う賃金は多くない。


聖堂規模の施設に勤めるのであれば、そういう場所なら下級公務員並みにも貰えるだろう。

だが、此処は王都から離れた郊外の一角。

そこにある教会と併設された孤児院。

聖堂と比較すれば貰える給料は半分にも届かない。

それこそ賃貸住宅を借りる事すら難しいくらいに低い賃金だからこそ。

この辺りも知るシルビアとしては、故にエストの金銭的な負担。

それだけは絶対にさせられなかった。


指導する側の大人達の間でそうしたやり取りが在った。

等と、学ぶアスランは全然知らなかった。

そう。

アスランはただ夢中になって勉強に没頭していた。

4歳の誕生日を迎えた時。

既に聖剣伝説物語を読める知識力を備えたアスランは、この段階で教える側から言わせると『既に初等科で扱う教科書程度は普通に読める。書く方は初等科の高学年ですら通用する』所へ達していた。


難しい文字ばかりが並ぶ『聖剣伝説物語』は、結果的にアスランの勉強に置いても。

その教材として大いに貢献した。

この点は大学を卒業したシルビアの方が良く理解(わか)っている。

理由は、使われる文字の難しさ。

実は教会の図書室に収められた『聖剣伝説物語』が、高等科に通う学生ですら難読の文字を当然と使った古い蔵書だったのだ。


エストは初等科の図書室等で、そこに収められた子供向けの聖剣伝説物語しか読んだことが無いために。

大筋は同じ内容でも。

著者が違って細かな描写も異なる他の本は読んでいない。

既に内容を知るだけに、それが先んじて教会にある図書室の『聖剣伝説物語』は読んでいなかった。

そのため、アスランがそこまで難しい文字にも取り組んでいた事実へ。

この部分はエストも、後からシルビアが口にするまで知らなかった。


アスランが文字の勉強を始めてからしばらく。

シルビアも訪れる度に指導に就く様になってから。

この頃のアスランは、読めない文字や見た目が難しい文字を見つける度に、良く尋ねるようになっていた。


二人の内、何方かが居れば直ぐに教えられる事でも。

シルビアは数日に一度しか来れない。

エストは毎日のように手空きの時間で指導に就いていたが、その時間以外は仕事があるために手が回らない。


始めはアスランも待っていた。

無理を言って困らせれば嫌われる・・・・

無意識の内に、そんな風に何処かで抱いていた。


もっとも、そうした部分は『辞書』によって解決へと至った。

辞書とは、言葉の意味を知るための専門書。

同時に、文字の読み方まで書いてあることで非常に便利な本。

少なくとも、アスランの捉え方はこうだった。


アスランが使っている使い込まれた辞書。

本来の持ち主はエストである。

勉強中、意味が今一つ分かり難かった言葉について相談した時に。

その時のエストが何気に開いた辞書は、それまで辞書という専門書を知らなかったアスランへ、興味と関心を抱かせた。

それからのアスランは、エストの辞書を、常にというくらい借りて使うようになった。

勿論、図書室で『聖剣伝説物語』を読む際にもそう。

この辞書は、アスランにとってなくてはならない程、非常に役立っていた。


辞書を傍に置くようになってから。

アスランは自分で調べて意味を学ぶ習慣を自然と身に付けた。


一方で貸した側のエストには、最初そこまでの意図は無かった。

自分の手空き時間以外は、気を遣って尋ねて来ない。

そんな気遣いが出来る3歳児は既に異質・・・・・

そういう風にも映っていた。


けれど、アスランの現在の状況。

特に人間関係を考えれば。

エストはこの部分。

相談した神父から諭された事で、今は推し量る事へ意識を置く様になった。


故に、エストはアスランへ辞書を貸しながら。

その度に『何時でも尋ねて良いからね』と、ここは特に意識して伝えるを心掛けている。


神父の見立て。

3歳の子供が、大人からも嫌われる事を恐れている。

その恐怖が、常に良い子であろうとさせている。

だから、アスランは、本人さえ自覚していない部分で、未だに不必要な我慢をしている。

それくらい。

アスランの心に残る傷の大きさと根深さは、これだけは容易に量れない。

それだけ深く傷ついた事が、癒えるまでには、まだまだ時間が要る。


エストは神父の見立てを聞いてから。

アスランがそうなった経緯には、自分も関わっている。

たとえ、たった一度でも。

当時は不気味に映って避けてしまった事実が、今となってはもう抜けない棘のように残っている。


それは不意であっても思い出す都度、胸を締め付けた。

だからエストは、当時の自分に対して今も憤る。

当時の自分には、殴り倒したいほど腹立つのである。



エスト姉は『分からない事は何時でも聞いて良いから』って言っていた。

でもね。

辞書は、本当に凄いんだよ。

僕の知らない言葉も知っている言葉もだけど。

一つの言葉には、意味が幾つも在るんだ。

それで、言葉を自在に使える事を『表現』とも言うらしい。


シルビア様は、本をたくさん読むことで豊かになるって言っていた。

本は言葉だけでなく、それを上手く使うことで、読み手に世界を見せてくれるんだって。

だからさ。

僕にとってこの辞書はね。

エスト姉から借りた辞書だけど、読むと本当に面白いんだ。

言葉と意味だけの本なのにだよ。


でも、それが今の僕には、知りたいことを全部知っている様な凄い本に見えていたんだ。



夢中になれること。

それは間違いなく成長を促す。

辞書を得たアスランの夢中も、この点は全くの同じである。

知識は、渇き切った大地が適度な日差しと水を得て、やがて肥沃な土地へと至るかのように。

未だ幼いアスランを豊かさへと導いた。


この様な日々を夢中になって過ごしたアスランは、4歳の誕生日を過ぎた頃にはもう。

エストや神父から見ても、実力は初等科の高学年レベルを強く抱かせる所へと至った。

それくらいのレベルが求める学力を、アスランは当然と出来ていたからがある。


神父は文字の読み書きが出来るようになったアスランへ。

現在の習熟が、どの程度かを自らも確かめた後。

自らの授業の折、ノートとペンを贈っている。


因みに、アスランだけを特別扱い。

という事ではない。

初等科への入学に際して、孤児院を巣立つ子供達へ。

神父は等しく『筆記用具』を贈っている。

勿論、かつてはエストも同じように贈られた。


それを神父は、既に文字の読み書きができるようになった理由を挙げて。

アスランには、先渡しの形で贈ったに過ぎない。

神父はこの時の羨望の眼差しを向ける周りの子供達にも。

アスランと同じ様に文字の読み書きが出来るようになれば。

これも同じく先渡しでプレゼントする事を約束した。


皆の前でアスランだけが受け取った新品の筆記用具。

孤児にとって新品は殆ど縁が無い事もある。

それだけに、見つめる周囲から特に羨ましがる眼差しが幾つも在った。


この日を境に。

と言うより、明らかな節目だった。

アスランを仲間外れにしていた子供達の中から。

ボスと呼ばれる年長の男の子よりも。

読み書きが出来るアスランの方を、ずっと凄いと抱く子供が現れた。


神父は、アスランだけ先に筆記用具を贈るに当たって。

必ずしもではないが。

子供達の中からも、アスランへの認識に自発的な変化を起こして欲しい意図はあった。

そのためのきっかけと言うか。

だから、筆記用具を贈ることが、良い意味で布石となればも、胸の片隅には在ったのだが。


神父自身の胸内に在る、大願への兆しは間違いなく。

この瞬間に芽吹いたのだ。


2018.4.30 誤字の修正等を行いました。

2020.1.27 表現の修正を行いました。

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