第27話 ◆・・・ スレインとシャルフィ王国 ① ・・・◆
今年の5月は汗ばむ陽気が、そこへ逸早い夏を感じさせた。
季節は本格的な夏を迎える前に通過する。
そう、恒例の梅雨の時期へと移っていた。
今年は6月の中旬を前に本格的な梅雨に入った。
例年と同様。
週の半分以上は雨模様の日が続いている。
ただ、雨と言っても終日に渡っての小雨は、それで霧雨くらいなら子供達も平然と外で遊んでいた。
シャルフィの梅雨時期は、これもまた日常風景だった。
もっとも・・・・・
日々の生活においては洗濯物が乾き難いから始まって、湿気でジメッとしているのでカビ臭くもなるのと、際立って飲水が不味くなる。
アスラン達が暮らす孤児院と周辺の家々は、普段は川の水を生活に利用している。
だが、長雨による増水の他。
大量の土などが混ざった川は、見て分かるほど土気色に濁ると使う事が出来ない。
こうして川の水が利用できない時には、共用の井戸水だけで生活する。
実際、井戸の水は川の水程ではないが日常的に使われている。
けれど、井戸水は川の水と比べて独特の泥臭さがあった。
普段は大して気になる程ではないが、料理や飲水としては、やはりその臭いを嫌う者が多い。
この辺りが理由となって、井戸水は川の水が綺麗なときは、殆ど利用されていない事情もあった。
それでも、梅雨と秋雨の時期は状況が変わる。
長雨によって川の水が増水すると、事故の危険は当然増す。
そのため大人は勿論、子供は特に近づかない。
また、増水に伴って大量の泥などが混ざった川は、見て分かるほど土気色に染まる。
当然、これでは利用出来ないし、雨が去っても水の濁りが無くなるまでは井戸の水だけが生活水になる。
しかし、そうした時に重宝される井戸の水は、これも梅雨と秋雨は特になのだが、独特の泥臭さが普段の百倍以上。
水を汲まずとも、井戸を覗くだけで独特の異臭が鼻を触る程。
その臭いは酷く強烈である。
だから、そんな水を生で飲もう等とは思えないし、無理に飲もうとすれば酷い吐き気に襲われる。
付け足すと、生水は体調を崩す。
だけでなく・・・・・
最悪は死に至る。
これもまた周知の事実だった。
-----
飲水の問題。
これもシャルフィなら何処にいても無縁では無かった。
ただし、王都の中心の方は、水道事業の整備によって改善が試みられている。
試みられてはいるのだが、この水道の整備は、そこに未だ技術的な問題を多く抱えている。
特に、工事面では難しさが露呈していた。
現在も抱える技術的な問題。
その中には、水質の衛生面での管理や安定した供給なども含まれる。
そして、どれも未だに発展途上の最中に在った。
工事に関わる問題では、これも技術面で土木や建築に関する課題が山積している。
事業発足から今日に至っても。
未だ施工方法が、試行錯誤の段階から進んでいなかった。
故に、水道事業は試験段階が完了していないを事由に。
発足からの年月に比して、進捗していなかった。
シャルフィにおける飲水の問題。
これはもう長年の課題だった。
時期的に、梅雨と秋雨の季節を除けば概ね問題ないとしながらも。
ただし、これが生活に密接している点。
出自や身分に関係なく。
シャルフィの民の殆どが、水の問題は早く解決して欲しいと抱いている。
ここは間違いなく事実だった。
現在の女王は、そうした想いに応えようと毎年の予算から技術研究の予算を多く組むのだが。
事業に携わる技術者達の懸命な努力は、今以って実を結んでいない。
そして、シルビアが即位してから10年余りの歳月を経ても。
目立つ進展を見せられないこの水道事業について、近年の政治の内側では、推進派と代案を含む凍結派が互いの主張を激しくぶつけ合っている。
それはシルビアにとって、実に頭の痛くなる懸案事項にもなっていた。
一方で、この水の問題と関係ない暮らしが出来る者達。
極一握りでしかないが、確かに存在するのだ。
極一握りの殆どは、貴族。
後は何かしらの事業によって富を得た者達。
両者は季節に関係なく、専門の業者から綺麗な水を買う生活が当たり前。
その中でも特に贅沢な暮らしが出来る者達は、そうした業者を専属に抱えている。
泥臭い水とは一層無縁の生活を満喫していた。
-----
水道事業が立ち上げられた最大の理由。
約40年前に起きた『魔導革命』を機に、それまで未発見だった技術は、その後の研究と進展によって人々の生活水準を押し上げた。
この新技術の研究が今現在も続く中で、導力技術の分野では特に日常生活と関わりのある部分は、誰もが何かしらの恩恵を受けている。
一般的な家庭でも使う灯りは、蝋燭やランプから導力を用いた照明器具へ変わった。
炊事の際に使う火も徐々にではあるが。
現在では導力式のコンロへ切り替わりつつある。
洗濯も導力式の自動洗濯機が登場すると、一般には高値でも、冷暖房機器等も売られている。
それだけ技術が進歩した発展社会の中で、水質を良くするための技術は生み出された。
『浄水技術』と呼称されるそれは、シャルフィに限らず他国でも、こと飲水に何かしらの問題を抱えている地域が強い関心を持った。
それまでの濾過技術と導力技術を組み合わせた『浄水技術』は、例えばシャルフィでは泥臭い異臭がする共用の井戸水を、そこから臭いを完全に取り除いている。
だけでなく、飲み心地まで良くなる効果があった。
こうした事実の確認がなされた後。
シャルフィは、女王自ら国を挙げた一大事業として、浄水技術を用いた水道事業を立ち上げるに至った。
ただ、この件には布石が在った。
水道事業計画は元々、シルビアの両親が温めていたもの。
故あって遺品のように残された計画を、即位したシルビアは引き継いだに過ぎない。
結果的にでしかないが。
先王夫妻が未来のために温めた計画は、引き継いだ愛娘が、国民から絶大とも表現できる支持を得られた財産。
その一つとなったのである。
-----
事業を立ち上げてから10年余り。
この間にも『浄水技術』は進歩を見せていた。
だが、それを国民全体へ普及させる計画。
こちらは遅々として進んでいなかった。
最たる理由は、浄水技術以外の欠かせない技術が絶対的に追いついていない点。
10年も掛けて進捗が見られない部分は、故に政治の内側で推進派とそうでない者達の勢力がぶつかる状況を生み出した。
現在は激しく意見が真っ二つに別れるこの問題。
それでも。
女王は、この件は予算を多く注ぎ込んで推し進める姿勢を貫いた。
女王が推し進めた背景。
そこには、シルビアが即位後から『国民に見える政治』を掲げた部分が密接している。
シルビアは自らの声で、直接進捗状況や今後の見通しなどを国民へ報告して来た。
楽観的なことは語らず。
現在抱えている問題点と、その改善の見通しが今はどうなっているのか。
女王の包み隠さずありのままに報告する姿勢は、税金を無駄にしている等の反感の声もあった。
けれど、反感を圧倒的に上回る好意的な声が、現在も事業の必要性を推す高い支持となっている。
見える政治を掲げるシルビアは、水道事業と関係なく。
今も王都の広場で、月の終わりか初めの日。
ここで必ず報告演説をしている。
場所は王宮の傍。
王都の中央広場と呼ばれる場所には、王宮から報せを発信するための掲示板もある。
そして、シルビアはこの報告演説の後で必ず。
自らの報告へ、そこで国民が抱いた声を受け付ける場を設けていた。
国民の声さえ見える形で政治に取り込む。
女王シルビアの姿勢は、中でも半年に一度を目安に行われる公開会議。
国民にとっては目に見えて分かる場となった。
現在では恒例のお祭り行事同然に盛り上がるイベントとして、国民に定着している。
公開会議。
これは王都の中央広場に、仮設でも大掛かりな議場を設営して行われるイベント。
普段は王宮内で行われる政治の部分は、それを国民が直に見ることの出来る機会だけでなく。
議題は全て国民が選んだ内容で行われる点が、特に注目を集める理由にすらなっている。
議題は、それこそ国民から意見を募って、その投票結果によって選出される。
この意見は、毎月の報告演説の時に集められた声を纏めた後。
広報を通じて多く寄せられた声から順に議題候補として掲示されると、公開会議の前月に投票が行われる。
投票によって選ばれた声が、翌月に開かれる公開会議の議題として扱われる。
広く公開会議の名称で定着した施策は、しかし、先王の時代までは無かったもの。
学生の身で即位したシルビアが、その時の文化祭で催された企画をヒントにした施策は、これも女王として高い支持率を得られた理由の一つに挙がった。
国民は自分達の声が全て聞き届けられる訳ではない。
それくらいも理解っている。
しかし、だからこそ。
公開会議などというイベントを催した女王には、好感を持っている。
見える所で交わされる議論は、そこでは当然のように集まった国民の声まで飛び交う盛り上がりが、故に祭り行事とも言われる所以。
中には鋭い意見さえ出ることで、参加する女王や文官が考え込む等。
昔のシャルフィには、こんな光景は無かった。
他にも女王シルビアは、掲げた『見える政治』を、より明確化するために。
特に広報活動では、王宮の広報だけでなく。
民間の報道機関を多く活用している。
また、全てではないが。
王宮で行われる会議の席に、そこへ記者の立会と記事の執筆等も認めている点は、これも先王の時代までは無かった部分。
かつては王宮からの広報を基に作られた新聞記事も。
シルビアが女王となって以降は、立ち会った会議の席で執筆した記事を発信できるようになった。
この点は、その意味に置いて報道の自由が広くなった声として支持へ繋がった。
-----
王都で報道各社が発刊する新聞は、その一つをスレイン神父も購入していた。
そして、スレインはアスランが文字の読み書きを身に付けた頃から読ませるようになった。
教会の図書室にある書物は、知識だけでなく人格を作る。
一方で、新聞からは社会を知ることが出来る他。
そこに記されたシルビアの事は、読む側のアスランにとって良い作用を与える。
4歳になった後のアスランは、シルビアが多忙を理由に孤児院へ赴くことが出来なくなった背景を、手紙以外に新聞で知るようになった。
大好きで尊敬しているシルビア様の記事を読むアスランは、それによって女王が特に忙しく活動しているくらいは理解していた。
分からないことはスレイン神父からも聞いて、それで理解出来ると納得へ繋がる。
そんなアスランは、スレインから見ても別次元の存在に成りつつ在った。
来月には5歳を迎える。
だが、しかし、5歳になる子供の範疇からも逸脱している感を、スレインは抱いていた。
ただ、その事については悪い意味合い・・・ではなく。
寧ろ、アスランが作用した結果。
それによって文字を習い始めた子供達が多くいる事についてである。
子供達へ強制はしない。
けれど、興味や関心を抱いて取り組む姿勢は、胸が暖まる思いになれる。
今では指導するエストにも良い作用をもたらした。
スレインは自身の経歴も在って、そしてまだ若いエストには、もっと選択肢が在って良いと抱いていた。
アスランは自分の事へ取り組みながら。
いつの間にか、周りにも良い作用を起こしていた。
だからこそ。
余計、何か存在が別次元だと抱くのである。
アスランは精霊の声が聞こえて言葉も交わせる。
当時、言葉を話せるようになったと言っても。
まだ3歳にすらなっていないアスランが、誰もいない方向を向きながら『エレンは精霊。だから見えない』と、初めは誰も特段気にもしなかった。
しかし、それが毎日のように続くと、アスランは他の子供たちから気味の悪い存在として見られ始めた。
更にシスター達ですら不気味がって遠ざけた事が発端となって・・・・・・
アスランだけが朝の礼拝から姿を見せなくなった。
自分のせいではないか。
一番若い修道女の告白は、スレインはその時になってシルビアへ急ぎの報せを出すに至った。
今にして思うスレインは、もっと早い段階で対処できていれば。
それでアスランは孤立しなかったかも知れない・・・・・
状況が一方的に悪化した中で報せを出したことを、後にたった一人で図書室に篭もるアスランを映して、その時の姿に後悔を抱いたことも一度ではなかった。
当時、アスランの件で急ぎの報せを出したスレインは、まさか当日の内にシルビアが血相変えて飛び込んで来るなど。
その時のシルビアが、いつになく真剣な面持ちだった事も。
こちらが怖さを抱くくらい雰囲気までピリッとしていた事も憶えている。
シルビアは、そして、自分の報せを読んだ後は直ぐ此処へ来たのだと。
真剣の中に怖さを滲ませた声も。
教会の私室で応対したスレインは、それから直ぐにアスランと引き合わせようとした。
結果。
アスランは間違いなく精霊の声が聞こえる事が判明した。
スレインがこの件でシルビアへ急ぎの報せを出した理由。
そこには、シルビアが精霊と言葉を交わせる事を知っているからだった。
つまり、真にアスランが精霊と言葉を交わせるのであれば。
確かめられるのは、故にシルビアだけなのを理解っている。
シルビアが精霊と言葉を交わせる。
この部分はとある理由が秘匿させると公になっていない。
王宮の中ですら秘匿された事で、知っているのは極一握り。
ただし、スレインは過去の事情に絡んで、その極一握りに含まれていた。
アスランと言葉を交わしていた精霊の名前はエレン。
シルビアは、自らも言葉を交わして確かめた後。
立ち会っていたスレインには、それまでのアスランが口にした内容は間違っていない事を告げた。
アスランは精霊と言葉を交わす事が出来る。
これは間違いなく事実。
それでも・・・・・
この時のアスランは既に周りから完全に孤立した後で、いつもなら甘えるように抱き着くシルビアにさえ近付こうとしなかった。
先に他の子供達から虐められたこともある。
そこへ追い打ちの様に修道女達からも遠ざけられた。
だから。
スレインには幼くとも、これ以上は傷付きたくない本能がそうさせているように映っていた。
今朝は礼拝だけでなく食事にすら姿を見せなかった。
否、自分達から隠れるように身を潜めて・・・・・
駆け込んで来たシルビアが見つけたから今は此処に居る。
それくらい。
幼いアスランは酷く傷付くと塞込んだ。
この時のスレインは、何故もっと早く行動を起こしていなかったのか。
俯いたまま怯えている。
今にも泣きそうなアスランを映しながら。
自責の念は、それが強い罪悪の感情で心を占めていた。
この時のアスランを救った。
スレインは、そこでアスランを優しく包み込む様にずっと抱いていたシルビアの姿。
アスランが落ち着くまで、慈しむ様に両腕に抱いていたシルビアが強く焼き付いている。
否。
それ以上に重なって映った。
アスランを慈しむシルビアの姿に、その母の姿が強く重なって見えていた。
胸を強く締め付けられる感情は、堪えても滲むと頬を流れた。
スレインはこの時のシルビアへ。
そこにまるで母が我が子を慈しむ姿を映しながら。
不意に、何故シルビアが普段と明らかに違う様相で駆け込んで来たのか。
送った報せには、それでアスランが孤立している内容も記しはした。
しかし、それ以前から抱いていた疑念は全て・・・・・
この瞬間、確証無く一つの答えに行き着いた。
2016/03/22 誤字と脱字の修正をしました。
2017/08/10 本編の加筆修正をしました。




