幕間 後編 ◆・・・ 9月へ至るまでの時間 ・・・◆
今回も主人公は出て来ません。
――― シャルフィの王都が滅んだ ―――
この様な表現が、映像ニュースや新聞でも取り上げられた当時。
彼等、或いは彼女達にとって。
それは、想像さえした事の無い・・・・が、故に、平静で居られない状況を引き起こしたところで仕方なかった。
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シャルフィの王都で起きた事件を、それをハンスが知ったのは、家族と共に訪れていたローランディア王国の、コフィという地方都市でだった。
ただ、ハンスがこの報せを知り得た時、事件の発生からは、既に24時間が過ぎていた。
事件の翌日、未だ何も知らないハンスは、家族達とともに、その日の昼食を、コフィにある家族向けのレストランで過ごしていた。
昼食には、息子も同然なエルトシャンとカールにとって、自慢の先生と敬われる女学生のエストも誘った。
エストの事は、息子達から多くを聞いている。
そして、ハンスは聞いた限りにおいて、エストを好意的に抱いていた。
今日もエストを誘っていたハンスは、そこで腹黒メガネの腹心。
映した瞬間から、反射的は、表情も作れば声も意識した存在へ。
胸内では苦手意識が、微笑みの悪魔と抱く二コラも加わったランチタイムの最中。
レストランに設けられた大きなテレビで、それまで流れていた観光地の紹介映像が、不意に画面ごと切り替わった。
画面は、スーツ姿のキャスターが、緊張を隠さない声で紡いだ『突然ですが。この時間は予定を変更して。王宮からの緊急会見を放送いたします』と、それから間もなく。
未だ判明していない点は多々あると。
そういう表現もあった事件は、ちょうど昨日の今頃に起きた。
ただ、この一報がハンス達を、これ以上無いくらい愕然とさせたのも事実である。
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今は休暇中でも、俺には騎士団長代行という地位がある。
王都で起きた事件のニュースは、それで俺達は皆がと言っていい。
妻やエストなどは、映し出された映像を前にして、悲鳴のような声さえあげていた。
そして、この後すぐ。
俺ともう一人。
二コラは、ただ、本来は女王陛下の推薦を受けた特待生。
特待生のエストが、この地で教員資格を得るまでは、彼女も指導や補助をしなければならない。
俺は、自分も騎士だから同行すると。
可愛い息子も同然なエルトシャンとカールの主張へは、だが、今は待機するようにと。
それこそ、騎士団長代行として厳命したのだ。
否、そうでも言わねば。
あの映像を見ただけで、容易な想像は、既に最悪を思わせた。
俺は最初、自分一人で王都へ向かうつもりだったが。
二コラは緊急時ゆえと、そうして、自分にはローランディアの王宮へ伝手がある。
迷っている時間は無かった。
俺は、今直ぐにでも事件の在った王都へ行かねばならない。
ところが、この王宮からの緊急会見によると、陸路は既に国境が封鎖されたらしいのだ。
当てのない俺には、二コラを頼る以外の選択肢は無かった。
俺は、可愛い息子のエルトシャンとカールを、妻とエストへ頼んだ。
そうして二コラと二人、午後の明るい内にはローランディアの王都ヴィネツィーラへ到着すると、そのまま王宮へと走った。
王宮へ着いた俺と二コラは、俺達の身分を確認した後で応対した職員の口から。
意図して未だ報道されていない事実を、此処で初めて知った。
『未だ捜索は続いていますが。現地に居るフェリシア陛下から。最悪の状況は回避出来ないかも知れませんと。そうした報せまでを受けています』
俺と二コラは、ローランディア王国の航空艦に乗艦させて貰うと、その日の夜。
シャルフィの王都だった場所へと着いた。
俺達も乗った艦が、シャルフィの上空へ到着した時。
着陸している艦を含めて、映ったのは三十隻以上。
十隻の航空艦が、低空から地上を照らしての飛行をする中で。
着陸までの間も、俺と二コラが窓から映した先では、無数の照明と、そこで捜索、或いは救助の活動に当たっている者達が、多数映っていた。
着陸した後。
俺と二コラは、シレジアから事件の当日中には戻ると、ろくに休まず働いていた。
そうとしか思えないカーラと、此処で再会した。
こんな酷い顔をしたカーラを見たのは、それこそ、初めてだった。
だが、カーラは自らがシレジアへ赴いた際に乗艦した航空艦。
艦内の一部屋を、今も救助と捜索活動のための本部にすると、思った通り、一睡もせずに働き続けていた。
本部には、ローランディア王国のフェリシア女王陛下。
アルデリア法皇国からはハルムート宰相と、師父スレインも来ていた。
カーラからの話で、両国が救助と捜索のための人員も派遣してくれると、必要な物資なども送ってくれたそうだ。
その晩遅く、俺は無理やりにでもカーラを休ませた。
腹黒メガネとして、大の苦手ではあるが。
あいつのこんな顔は、見ているだけで辛くなる。
俺とて堪えているが。
だからこそ、今はカーラの顔を見たくない。
見れば、堪えられなくなる。
悲しいのは、それも痛いほど伝わった。
なのに、涙を流さない泣き顔・・・と抱いたものを、俺は初めて見た様に思う。
だから。
俺は、そんなカーラへ、休めといった途端に睨まれても。
あいつの両肩を掴んで、正面から睨んだ俺は、怒鳴るような声だったと思う。
『今夜だけ、お前は泣いてこい。だが、明日の朝からは。今度は、殴ってでも宰相をやって貰う』
俺のことを、私的な場では義兄さんと、そうも呼んでくれた陛下の。
その生死が判明していない今。
宰相としてのカーラには、張り詰めた糸が切れられては困るのだ。
俺はその夜を、意図を分かって休んでくれたカーラに代わると。
一先ず、翌朝までの仕事を、二コラと二人で引き継いだ。
俺と二コラも、この状況を映して。
互いに何かしていなければ。
途端に、発狂してしまいそうだった。
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ハンスが二コラと二人、ローランディア王国の航空艦に乗艦すると、そうして帰国した日。
同じ日の内には、レナリアに滞在していたマリューも。
ただ、此方はエリザベート博士とテスタロッサ博士の伝手によって。
マリューは、友人でもある同僚達と、そこへ加わった近衛の先輩たちと共に。
二人の博士が頼ったのは、サザーランド大公国のノブヒデ公王だった。
そして、ノブヒデ公王から、公国の航空艦へ乗せて貰った後。
ハンスよりは一日遅れての帰国を果たした。
変わり果てた故郷へ到着した後。
私は、真っ先に本部がある航空艦の一室へ走った。
航空艦はシャルフィの艦で、本部が置かれた大きな部屋には、カーラ様とハンス様の姿があった。
私と、二人の博士。
それから、博士の警護のために随伴して来た同僚や先輩たちは、今現在と、そう前置きしたカーラ様から。
『事件発生時に王都に居た者達で。生存が確認された者は、一人もいません』
この瞬間。
私は、自身の立場なら先ず、陛下の安否を思わねばならないのに。
最初に抱いたのが、両親と弟妹のことだった。
同僚でもあり、友人でもある。
彼女達の中には、泣き崩れた者もいた。
けれど、着陸前の、空から映した王都を見ただけで。
そうして、今のカーラ様の声からも。
私は、家族をすべて失った・・・・のだと。
受け入れたくない筈の事を、なのに、不思議と助かる筈も無いまでを、私は呆然と思っていた。
それからの私は、自らも捜索へと赴いた現地で、バーダントさんとイザークの二人と会うことが出来た。
二人と最初に言葉を交わした時から。
私は何か変だと感じた。
というよりも、イザークが私の顔を見ない様に、露骨に目を背けている。
バーダントさんから現状までを聞いていた私は、イザークへ声を掛けようとして。
なのに、下向きに目を背けていたイザークは、私へ『家族を失ったのは、自分も同じです』と、そのまま背を向けて走り去った。
私は、イザークもきっと辛かった筈。
遣り切れない感情と、押し殺した声も。
だから、同じ様に家族を失った・・・・と、そう抱く私へ。
辛いのは、私一人じゃないを、言いたかったのかも知れない。
けれど、実はそうではなかった。
バーダントさんは、私の肩を強く握るような手が、少し痛かった。
『マリュー。お前、鏡で自分の顔を見たのか。会った所からずっと見ていたが。顔の肉が固まったのか。引き攣ったような見開いた目で、淡々と喋っていたんだぞ。イザークじゃなくても・・・逃げたくなる気持ちも分かるくらい。それくらい、今のお前の顔は。ゾッとさせられる』
言われて、ふと思った。
カーラ様から話を聞いた後で。
友達や先輩方までが、私の傍から離れて行った。
けれど、みんなだって辛いとか悲しいとか。
だから、今だけでも一人になりたいんじゃないかと。
私は、それも当然だと思った。
カーラ様とハンス様は、ただ・・・・二人の私を見ていた時の顔は、私を憐れんでいた?
私は、私を二人と同じ様な目で見ている。
不意にそう思えたバーダントさんの前で、身に着けていたポーチから取り出した小さな手鏡を。
鏡を覗いた私は、どれくらい固まっていたのかは覚えていない。
ただ、後になってバーダントさんから聞いた話では、鏡を覗いて間もなく。
私は悲鳴のような叫び声を上げると、発狂したようにしか見えなかったそうだ。
そして、発狂した私は、自分では想像もできない様な。
ここもバーダントさんからは、途中から狂った様な、でもやっぱり悲鳴だったんだろうと。
そういう叫び声を上げながら、今度は糸が切れた人形の様に崩れると、意識も無かったそうだ。
私のことは、バーダントさんが背負うと、直ぐにシャルフィの艦まで運んでくれたのだとか。
目が覚めた時には、既に二日が過ぎていた。
一度も目を覚ますことなく、気が付けば二日も経っていた。
そんな私は、けれど、表情だけは戻らなかった事で、薬も処方されると病人の様な扱いでした。
だいぶ表情が戻ったと、自分でもそう思えたのは、目が覚めてから更に数日が過ぎた頃です。
それでも。
今でも、まだまだ違和感の残る表情ですよ。
人前に出るのが、そこへは未だ抵抗もありますしね。
それと、これも完全ではありませんが。
私自身の気持ちも、それもだいぶ落ち着きました。
ただ、この悲しいだけではない気持ちは、きっと一生抱えて行くとも思います。
病人も同然に休んでいたせいか。
私は、ようやく色々な事へ、一先ずは向き合える様になれたのです。
ですが、目が覚めた後からの私の髪は、医師からの話によると、受けた精神的ショックの酷さが起因したのだろう。
私の髪は、栗色から真っ白に変わっていました。
医師の話では、これが一過性のものなら。
また元の栗色の髪が、根元から伸びて来るそうです。
最初は、勿論、驚きました。
ビックリと言うか、泣きたくなったというべきか。
でも、医師は私へ。
今の私は、感情を我慢しない事が一番だと。
心が受けた傷が深すぎて、そんな状態で我慢すれば、壊れてしまうからと。
けど、こんな変わり果てた髪色の私を、目が覚めた報せを聞いて駆け付けた。
カーラ様は意識が戻った後の私を、医師や看護師の他では、一番最初に見舞いに来てくれました。
そうして、見舞いに来てくださったカーラ様から、『陛下は、マリューを娘同然だと。見て分かるくらい愛していました。ですが、私にとっても。貴女は大切な家族と同じなのですよ』が、途端に何かいっぱいになると、苦しさで思わず・・・・・・
私は、たぶん、きっと、これが最初なんだと思います。
優しい声を掛けてくださったカーラ様の、その胸にしがみ付いた私は、同僚達よりもかなり遅れて。
やっと、家族を失った悲しみを、声を上げて泣くことが出来たのです。
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カーラへは、あの様に言った事もある。
ただ、そうでなくとも。
俺は騎士団長代行としても、だからこそ、今は苦手をどうこう等も言ってられない。
救助と捜索の活動は、王都と近郊の開拓地区から。
そこからの生存者は一人も、見つけられなかった。
しかし、魔導革命の発端になった遺跡。
遺跡の奥から、317人の生存者を発見できた時には、報せが入った途端。
俺達は誰もが、嬉しい感情を爆発させたのだ。
あのカーラのガッツポーズなど。
おそらく、もう一生見れないだろうとも思う。
師父も涙腺が緩み過ぎたのか。
あんなに涙を流した顔を、俺は初めて見た様に思う。
まぁ、俺とて泣いたのだ。
嬉しさが過ぎて叫んだくらいには、生存者発見の報せへ喜んだ。
発見された生存者は、その殆どが、騎士見習い達だった。
それを知った時、俺はふと思い出した。
確か、騎士科ではこの夏に、課外授業の一環として。
そこで遺跡の見学が、希望者を募って在ったのだと。
俺とカーラは、揃ってこの件を忘れていたのだ。
事情聴取・・・・と言うよりは、彼等が見たままを。
分かった事は、遺跡を囲むキャンプ地で、最初の発見は見張り台に居た者達だった。
助かった者達は、見張り台に設けられたスピーカーから響いた叫ぶような声によって。
その時の、ちょうど遺跡の入り口付近に居た者達は、見学のために奥へと入っていた者達と共に助かった・・・に過ぎないと。
キャンプ地には、騎士隊や、考古学科の学生達に教授など。
それら全員を合わせると、千人近い数の者達が居たのだ。
一番最後に遺跡の中へ飛び込んだ者の話によれば。
見張り台からの避難を告げる叫び声から。
時間にしても僅かだったと。
証言は、自分の後ろから同じ様に避難して来た者達が助からなかった事へ。
自分は本当に運が良かった。
助かったのは、紙一重の差だったと思う・・・など。
助かった者達の証言は、最初から遺跡の奥に居た者達を除けば。
誰もが生き逃れるために必死だったことが、俺にもよく分かった。
そうだな。
助かった者達だが。
俺はそこで、ローランディア王国に残したエルトシャンには、一つ良い報せを届けられた。
エルトシャンが幼年騎士になった事で、それで追い掛ける様に騎士見習いになった友人達が、生存者の中に居たのだと。
俺はまた一つ。
自分も救われた感を得られたのだ。
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捜索と救助活動は、予期しない形で終わりを迎えた。
俺も捜索や救助など。
そのための必要な仕事をし始めてから、あっという間に一週間くらいが過ぎた頃。
第一報は、午前中の、定時のミーティング中に届いた。
内容は、王都の中心で、今朝も早くから活動を始めた調査隊との連絡が突然、途絶えた。
ケーブルを繋いで、そうして各隊との連絡を交わしながら。
しかし、交信中に突然、それも呻く様な声を最後に途絶えたと。
ミーティングの時間は、この直後。
上空を飛行していた航空艦から届いた報せが、王都の、恐らくは王宮が在った地点で、百人程が倒れている。
これが僅かでも体内に入れば死に至る。
それくらいの毒ガスだったと判明したのは、午後になってからだった。
全身を防毒用の・・・着ぐるみにも映る姿で。
そうして調査に赴いた専門の調査班から上がった報せ。
恐らくは毒性のガス。
第一報の直後から疑われた点は、事実、猛毒のガスだと判明した。
他にも、ガスの噴出地点は、今時点で十ヶ所以上は確認された。
救助や捜索、それと調査に就いていた全員が、当日の内には王都から遠く離れた場所へと避難した翌日。
更に進められた調査によって。
ガスの噴出地点が増えた事と、ガスの範囲も拡大している恐れがある事など。
毒ガスの件では、調査に就いた者達への犠牲者も出た。
同時に、事件発生からの時間が、それで一週間を過ぎた事もある。
救助と捜索の活動は、此処で打ち切られた。
カーラは口にしなかったが。
陛下と、素性を伏せている王太子の事が在るからこそ。
本心では、捜索を続けたかったに違いない。
俺はカーラを、胸内では、腹黒メガネと罵りもしたが。
この時に至って、宰相を演じきったカーラへは、俺がそうさせた部分もある。
カーラと共にシレジアへ赴いた艦の乗組員や、随伴した警護の者達。
一方で、マリューと共にエリザベート博士とテスタロッサ博士を警護した者達。
彼等の中には、自分達だけでも陛下の捜索を続けるべきだと。
そういう声は、当然と在ったのだ。
生きている可能性が殆ど残されていない。
そんな事は、声にしないだけで、皆分かっているのだ。
最終的にだが。
活動の打ち切りへは、理解を得られた。
納得できない感情を抱えているのは、俺とて同じだ。
そうして、俺達は今後の拠点を、シレジアへと移した。