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幕間 中編 ◆・・・ 在りのままを伝える者達の矜持 ・・・◆

今回も主人公は出て来ません。

ただ、本作品に登場する『報道』についても。

そこにも、信念や誇りの様なものが在るを、少しでも伝わればと思っています。

※伝わり難いとか分かり難い・・・等については、私自身の拙さに起因するという事で申し訳ありません。



神聖暦2087年9月


帝国で起きた内戦は、獅子皇女と謳われるユフィーリア皇女の手腕によって。

短期間で終結へと至った。


内戦の時期をいつと定める点には、そこには解釈が幾つか存在する。

だが、帝国正統政府の見解は、皇帝陛下が討伐の勅を発した9月5日を最初として。

終結は反逆者オスカルの死亡と、『セイラム焼失』を確認した9月15日と定めた。


内戦を起こした反逆者オスカルは、立て籠もった城塞都市セイラムで。

最後は、自らが終末に例えた噴進弾を自爆させると、都市に暮らす80万もの人間を、全て巻き込んでの自殺へと至った。




これが報道機関によって全世界へ報じられた、『セイラム焼失』に関わる顛末。

ただし、事の顛末へは、疑念も残ったのである。


-----


『セイラム焼失』には、9月19日までに届いた報せが。


都市に暮らす住民が、全て犠牲となった点へ。

報じられた情報が、それを見聞きした者達へ疑念を抱かさせた。


しかし、この疑念の声は、帝国内でのみ、表になる事が無かった。

ただ、この点は、ヘイムダル帝国という社会構造が、そうさせた部分もある。


反対に、帝国の外側では、こうした声が最初から新聞の片隅に載るくらいには在ったのだ。



――― 火のない所に煙は立たぬ ―――


疑念の矛先は、討伐軍を指揮した獅子皇女へと向けられた。

そう抱かれる理由も在った。


ただ、何れにせよ。

はっきりしているのは、ヘイムダル帝国 第一皇女 ユフィーリア・エオス・ラーハルト元帥が、全世界から疑いを抱かれた事である。


-----


獅子皇女と謳われるユフィーリア皇女への疑い。

それは、皇女が率いた討伐軍。

そこへ従軍を許された私達が、一番に抱いた。


報道とは、事実をありのままに伝えるへ尽きる。

この使命とも呼べる仕事に携わる私達は、故に、事実を飾らず濁さず、在ったままを伝えて来た。


起きた事実への主張は、それは私達ではなく。

私達が届けたありのまま(● ● ● ● ●)を、受け取った全ての人達が、自由に述べて良いものであると考えている。


だからこそ。

私達は、事実を飾ることも、濁すことも許されない。

なぜなら、在った事を、在ったままに伝えるという事が、真実、難しいを理解(わか)っているからだ。


僅かにでも私達の考えを含ませてしまっては、それは、その瞬間から在ったまま(● ● ● ● ●)では無くなる。



私達の使命は、在ったままを、在ったまま伝える。

そこへ寄せられる数多の主張や感情などは、少なくとも、私達が触れるべきではない事柄なのだ。


ただ、私達は心を持った人間である。

故に、使命とは別の、決して口にしてはならない己の思いとも向き合い続けている。



『セイラム焼失』


私達は、本心で叫びたい思いが在った。

しかし、私達の使命は、こういう時にこそ真に試された・・・・と、あの時は、互いにそう言い聞かせて飲み込んだのだ。



私達は此処に、私達が見聞きした在りのまま(● ● ● ● ●)を。

それを記したメモや記録を、諸君らにも開示しよう。


-----


反逆者オスカルの起こした内戦。

その最後に起きた『セイラム焼失』には、人道上の納得し難い点があった。



そこへ至った時系列を、先ずは諸君らにも知って頂きたいと思う。



9月10日 10時08分

討伐軍と反乱軍は、最初の砲火を交えた。


場所はセイラムから北西に約15キロ。

正確に測った訳ではない事を追記して、そして、私達は持っている地図で。

およその距離として、そう記した。


討伐軍は、総数で25万。

情報は、討伐軍の広報を担当した ウォルフガング・エマーリンク准将だった。


エマーリンク准将は、見たところ未だ二十代・・・の、半ばくらいだろう。

だが、その若さで准将の地位に在る。


もっとも、ユフィーリア皇女は、自身が認めた実力者であれば。

出自や血統には全く拘らない。

この点は、皇女自身が常々声にしている。

私達記者の間でも、ここは良く知られている所だ。


私達は、ただ、エマーリンク准将の人当たりの良い所へは、准将の行う日々の会見時間。

そこでの質問などは、とてもしやすかった。


彼はとても気さくで、それで人情味がある。

会見の最中には、私達を和ませようと、時々はカクテル談話もあった。



私達のメモには、こうした部分も書き記されている。

内戦とは直接関係なくとも。

いつか何処かで役に立つ。


従軍報道をやっていると、そういう事がよくあるのだ。



開戦の一時間前。

私達は、エマーリンク准将から戦闘区域の外まで。

指示があるまでは、決して戦闘区域内には入らない様にとの通達を受けた。



此処から先は、戦闘区域の外側から。

私達が望遠レンズ越しに映した事を記した。



開戦直後の両軍は、互いに横陣で砲火を交えた。

ただし、13万の反乱軍が、その総数戦力を殆ど全て、この横陣に組み込んだ一方。

ユフィーリア皇女が指揮を執る討伐軍25万は、三分の一程度。

予備選力を最初から用意していた様に見えた。


開戦から二時間余り。

この時点で既に、反乱軍側が完全に押されている。

同じ横陣で、戦車や装甲車を並べた両軍ではあったが。


ユフィーリア皇女の側は、前線の各部隊を預かる指揮官の質も、一際に高かった様に見えた。

一方で、反逆者オスカルの方は、開戦から一時間と経たずに陣形が縮小し始めると、戦線までが下がり始めた。


開戦から此処まで。

討伐軍の横陣は、確実に反乱軍を削り取った。

一ヶ所でも密度の薄くなった所が出来ると、火力を集めて傷口を大きく深くさせた。


このため、恐らく各個撃破を危惧したのだろう。

反乱軍側は、その対処が、しかし、結果的には不利な状況へと傾いた。


縮小し続ける反乱軍の横陣は、一見すると正方形の様にしか映らなかった。

そして、この正方形の様な陣形となった反乱軍を、U字型に半包囲した討伐軍が、殆ど一方的な状況を構築していた。



同日12時41分

既に優勢が確定した様な戦場へ。

ユフィーリア皇女は、此処まで温存して来た戦力を投入した。

それは半包囲を敷く味方の外側を迂回すると、13時27分に至って、反乱軍を後ろから襲った。


既に討伐軍の勝利は揺るぎない状況だった。

だが、この一手によって。

戦場は討伐軍による、反乱軍の殲滅戦へと移った。



同日16時13分

反乱軍は、開戦から半日と経たずに壊滅した。

ユフィーリア皇女は、反逆者オスカルに(くみ)した兵達へ。


本日の朝に行われた皇女の会見は、そこで私達へはこう告げられた。


『反逆者オスカルは、シャルフィの王都を滅ぼしたのだ。よって、反逆者とそれに与する者達へは。断固とした姿勢を貫く』


皇女は言葉通り、最後まで貫いた。

そうして反乱軍は、ほぼ全滅も言えそうな敗北へと至った。



同日21時05分

討伐軍は、城塞都市セイラムを完全包囲した。


戦闘区域の外側から此処までを見届けた私達は、21時30分頃になって。

エマーリンク准将と、准将の部隊に囲まれながら。


討伐軍の本営に程近い場所。

そこに用意されたテントへと案内された。

テントは、准将から私達へ、身体を休めるのに使う様にと。


ただ、間もなく。

その准将から招かれた私達は、准将のテントの中で。


本日の開戦からを聞くと、反乱軍の主力と呼べる戦力が、准将の口からも、ほぼ殲滅されたを耳にした。

しかしながら、准将の口からは、反逆者オスカルについて。

完全に包囲される前には、恐らく戦場から逃げたのだろうと。

同時に、オスカルがセイラムの門を閉ざして立て籠もった事と、私達を迎えに来る前には、一度目の投降勧告までがされた事を知らされた。



討伐軍が城塞都市セイラムを包囲した理由。

私達は、この時の准将の話で、ようやく納得に至った。



投降勧告は、以降、9月13日の夕方までに計5回。

エマーリンク准将は、私達へ。

勧告が行われる都度、その事を報せてくれた。



しかし、反逆者オスカルは、一度も応じることは無かった。


一度目の勧告の後で。

その晩はテントで休んだ私達だが。

それからの私達は、用意されたテントと、城壁に囲まれたセイラムの街並みを映すことが出来る高地側とで。

二班に分かれて活動をしていた。



9月13日 23時40分頃

その晩はテントで休んでいた記者達が、突然の爆発音と強い揺れで飛び起きた。

大きな爆発の音が幾つも響く中で。

直ぐにテントから出た彼等は、一様に同じ光景を目に焼き付けた。


それは、城塞都市の内側から天空へ伸びる大きな炎の柱だった。


同じ頃。

高地へテントを張って、そして、今夜は此処から都市の内部を監視・・・という事ではないが。

今夜の私はこちら側で、三脚も用意すると、カメラは録画状態で街並みを映していた。


私のカメラは、同時に幾つも起きた爆発の瞬間を捉えた。

カメラを回す私は、レンズ越しに映ったセイラムの街中を逃げ惑う者達。

だが、カメラにも映した太く大きく高く上った火柱が、そこから雪崩の様に拡がると、瞬く間に街全体を炎で埋め尽くした。


この瞬間も。

私のカメラは、必死に逃げようとする大勢の住民達を映していた。



あの時、セイラムを包囲していた討伐軍が。

そこで、閉ざされた城門を、破壊してでも開けていれば。


住人全てが焼死する事は、避けられた筈だ。




だが、都市内部で起きた大火災と呼べる事件へ。

討伐軍を指揮するユフィーリア皇女は、包囲していた全軍を、燃えるセイラムから遠ざけただけで。

後は鎮火するまでの間。

その間ずっと、待機を命じただけだった。



9月15日 午前7時30分

城塞都市セイラムで燃え続けた大火災は、高地側からの観測で、ようやく鎮火が確認された事もある。

同時刻から始まった城門の破壊は、それから都市内部へ幾つもの部隊が入って行った。



同日 正午

何もかもが黒く染まったような景色の中で。

目立つのは大きな瓦礫と、地面を厚く覆い尽くした様な黒い泥が固まったもの。

セイラムは、在った筈の街並みが、酷く変わり果てていた。


私達が映した映像は、それは軍の広報が撮影したもので。

厳しい表情を隠さないエマーリンク准将は、私達が求めたセイラムの内部へ立ち入ることを許さなかった。



軍が撮影した映像には、焼死体が一つも映っていなかった。

大きな建物の、その瓦礫と化したものや。

真っ黒で硬い泥の様な地面を歩く兵隊たちは映っていたが。


否、映らない様に編集された映像だった・・・のではないか。


在りのままを伝える使命を担う私達は、エマーリンク准将へ幾度も許可を求めたが。

その度に、准将からは許可できないを。

最後には、語気も荒げた声で告げられたのである。


だが、私達は准将の顔を覚えている。

気さくで人情味もあった准将の表情は、遣り切れなさが色濃く表れていた。



故に、私達はメモと記憶にだけ残した。

准将の態度には、そうしなければならない裏がある。

そして、恐らくはユフィーリア皇女が、この部分に何かを伏せているのではと。




以上が、焼失したセイラムの、9月15日の夜までに記した記録である。


-----


――― セイラム焼失 ―――


これと密接するオスカルの反逆事件は、9月20日

帝都セントヘイムで、帝国正統政府からの、公式発表が行われた。


公式発表の内容は、討伐軍を指揮したユフィーリア皇女の提出した報告書を基に。

否、内容のほぼ全てが。

皇女が提出した報告書を、そのままに発表したように思えた。


報告の内容は、反乱軍の主力を半日で殲滅した事。

この戦闘の最中で、オスカルが戦線から逃亡した後は城塞都市セイラムの、東西南北の四ヶ所の門を閉じると立て籠もった事実。

五回行われた投降勧告を、しかし、オスカルが無視した事実。


そして、私達も疑念を抱いたセイラム焼失について。

私達が最もな疑念を抱いた点。

ユフィーリア皇女が何故、助けられた筈の命を見捨てたのか。


報告書は、同時多発の爆発の最中。

そこで確認された火柱にも映った部分。

それは燃え盛ると、灼熱に染まった溶岩の様なものが、大波の様な勢いで都市全域へと拡がった。


そのため、あの状況で門を開ければ。

討伐軍側にも、甚大な犠牲が生じた事は明白。


この部分には、私達自身が撮影した録画映像。

何度も見返した私達は、皇女の主張にも一理あったを。

納得ではないが、理解出来ない事でもない。



私達は、皇女が重い決断を下した。

その点には理解を抱ける。


門を破壊してでも開ければ。

一握りでも救えた命が在ったと、この考えを間違いだとは思っていない。


ただ、そのために。

今度は門を開けた側にも、映像を繰り返し見ればこそ。

開ければ確実に犠牲を増やした可能性がある。


何度でも言おう。

私達は、納得などしていない。

だが、皇女が下した苦渋の決断は、都市の外に居た者達には犠牲者を出さずに済ませた。

これも事実だ。



城塞都市セイラムと、その周囲は事件後から今現在も、軍による封鎖状態が続いている。

当然、私達も近寄ることが許されていない。


会見中には、許可なく近付く者へは、発砲許可も出している。

これは、帝国正統政府からの、毎度のごとく露骨な警告だ。


まぁ、代わりに・・・という訳でもないが。

ユフィーリア皇女は、開戦前後から私達が撮影した映像や写真について。


『卿等が撮影したものは、卿等の矜持において伝えるが良いだろう』


事ここに至って、今更でもあるが。

ユフィーリア皇女は、自らが非難に晒される。

その可能性さえも、あの決断をした時点で、当然と受け止めるつもりだったのだ。



獅子皇女とは、よく言ったものだと。


ユフィーリア・エオス・ラーハルト第一皇女は私達へ。

他の皇族とは明らかに違う。

そう感じさせた確かな器を持つ、唯一の皇族かも知れない。


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