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幕間 前編 ◆・・・ 争乱の幕は上がった ・・・◆

4章へ向けての幕間へ入りました。

なお、今回は主人公の登場はありません。

活動報告も、時々更新していますので、気軽に覗いていただければと思います。


ブックマークを付けてくださった方様へ。

モチベーション上がりました。

少しでも伝わったり、イメージ出来る様に努力していきます。



神聖暦2087年は、後の歴史へ。

ルテニアで続いた二年余りの戦争が、終戦を迎えたという喜びを刻んでから約一月後。

今度は帰属したシレジアの土地を除く、シャルフィの全土が焦土と化した惨劇をも刻んだ。




後世から見れば、この時代の平和について。

それは、結果的に砂上の楼閣でしかなかった。

その証明に、シャルフィで起きた惨劇が、時代は此処から加速度的に、後戻りの出来ない争乱の世へ移ったと記している。


-----


同年の8月に起きた惨劇と呼べる大事件について。

事件からは一週間が過ぎた所で樹立した臨時政権は、代表を務めるカーラ宰相が。


月が替わった9月6日

そこでシレジアに設けられた臨時政府は、その日の午前中。

此処から全世界へ向けた公式声明を発した。


声明は先ず、事件直後から行われた救援や捜索のために尽力もした友好国へ。

声明を述べるカーラ宰相の声は、その唇から多大な感謝が述べられた後。


一拍の間を置いて続いた声は、シャルフィの王都と、近郊に在った開拓地区について。

既に公開された写真や動画は、そして、見渡す限りの焦土と瓦礫だけの景色を映した事実が。


声明の場で、毅然と振舞おうとしながらも。

誰が見ても理解(わか)る痛々しいそれは、宰相の震える声が紡いだ・・・・・


――― 確認出来た生存者は、魔導革命の発端となった遺跡の奥へ逃れた。僅か三百十七人のみ ―――


シャルフィの王都と近郊の開拓地区には、昨年末に纏められた資料によると、人口は二百三十三万、二千十四人との数字が記されている。

しかし、事件の当日には、旅行客などを含めて。


声明に合わせて集まった報道機関へ用意された資料には、行方不明者扱いを含む・・・・


――― 死者と行方不明者だけでも、その数は二百四十万人を超えている ―――


概算は、航空会社などの協力もあって、そうして出入国の確認が出来た数字をも含むと、故に声明ではこう述べられた。


帰属したシレジアの土地を除いて、シャルフィの領土がほぼ全部。

事件直後からの調査は、そこで判明した事実も。


――― 領土のほぼ全てが焦土と化した。建造物などで無事と呼べる物は、一つも残っていなかった ―――


調査報告書に基づく公式声明は、そこで、ローランディア、アルデリア、サザーランドからの支援を受けて纏められた報告書が使われた。


また、状況から考えれば絶望的とされる、女王シルビアの生死について。

宰相は、その点について。

声を絞り出す前に一度、強く唇を噛んだ。


『・・・・状況から考えれば。絶望視されても仕方がありません。ですが! 私は死体を(いま)だ確認していません。であればこそ。私は陛下が何処かで生きている。そう信じて待つだけです』


報道機関へ用意された資料は、見る限りにおいて。

王宮の在った王都の中心地が、最も酷い惨状だったくらい。

それは、公開された数百枚の写真から見ても。


『・・・・・私は、王都で起きた事件の一報を受けた当日。その日の内には急ぎ王都へと戻りました。そこからは皆さんも知っての様に。猛毒のガスによる犠牲者が出るまでの十日間ほどを。私は、私も乗艦した艦内で。ローランディア王国、アルデリア法皇国、サザーランド大公国、そして、シレジアからの助力を頂きながら。一人でも多くの生存者の捜索と。被害実態の調査などに費やしました』


現在、シレジアの土地を除くシャルフィの領土へは、声明でも述べられた様に。

地下から噴出すると、微量でも致死へ至る猛毒のガスが検出された事を理由として。

あとは、この猛毒のガスが日増しに拡大している。


最初、毒ガスの存在は、王都の中心部を捜索と調査に当たっていた者達が、現地で次々と倒れた事を発端に、当日の内には特定までされた。

そこから追加された調査によると、確認された幾つかの噴出地点では、まるで蛇口からいっぱいに水を出した様な勢いでガスが出ている事も判明している。


微量で死に至るガスの問題は、現在までに分かっている事を勘案した結果。


議論の最中には、ガスの噴出地点をコンクリートで埋め尽くす計画も上がったが。

不確かな点が残っている事で、この計画は廃案ではなく先送りにされている。


そうして、南北の国境線には、万が一に備えた事情が、故の大掛かりな壁の建設工事へと至った。


北側は帰属前のシレジアとの境。

南側はローランディア王国との国境線。


元々、陸路でシャルフィへ至る山道は南北ともに、シャルフィの東西に連なる大山脈の地形上。

地図上では細長く緩やかにうねった一本しかない谷の様な所へ。

シャルフィ王国が建国される以前から在った路を、建国後からは、現在まで整備しながら使っていた。


同時に、現在における航空艦や飛行船の通り路もまた、高度の限界を理由として。

この谷の上空を、左右にそびえたつ山脈に挟まれながら、飛行するしかないのである。


その谷の部分へ。

噴出した猛毒のガスが、日増しに拡がりを示した事からも。

谷を塞ぐ形で建設が始まった壁は、鉄筋コンクリート造りで、最終的に高さ五十メートル。

幅は谷を完全に塞ぐため、南北共に百メートルを超える。


また、以後の観測を含む設備や施設を置く都合。

壁の厚さも二十メートル程となっている。


資料によれば、壁の内部に観測員や、周辺の警戒監視任務に就く兵士の詰め所等。

最低限ではあるが、生活に必要な設備も置かれるらしい。



公式声明に先立つ前日に行われた会見では、拡がり続ける猛毒のガスについて。

報道記者達からの当然の質問もあった。


現在は、ガスの規模がどのくらいにあるのか。

今でも範囲を拡大し続けているのか。

仮に拡がり続けた場合、建設中の壁は、間に合うのか。


会見では、この点へも、今現在の前置きで回答がなされた。


今もおよそ四時間おきに観測機材を積んだ航空艦が、現地の上空から機材を吊り下ろして調査している中で。

分かっている事は、王都が在った所が最もガスの濃度が濃い。

ここを起点として徐々に濃度を薄めつつあるガスは、南北に建設中の壁まで。

直近の情報では、約三十キロの地点まで、微量ながらガスが検知されている。


同時に、直近の三日間においては、拡大し続けていると言える様な状況にはなっていない。


考えられる理由としては、シャルフィ王国の王都が、広大な窪地にある平野と呼べる位置に在った。

そして、建設中の壁は、南北共に、王都の位置よりも百メートルは高い土地に建て始められた。


ガスの範囲が、その拡大が直近では確認されない点も。

恐らくは地形上の、建設が始まった壁の方へ向かって伸びる、長く緩やかな上り坂もあるのではないか。


付け足すと、王都の在った所を流れる風が、今の時期は窪地の中を円を描く様に流れている。


季節が冬になって、風向きが北から南へと強まるまでに。

それまでにローランディア側の壁を、何としても予定の高さまで間に合わせたい。


逆に、春先から梅雨の手前くらい。

この頃には南から北へ抜ける風が強まる。

よって、シレジア側の壁も、それまでには間に合わせる。


猛毒のガスについては、他にも、酸素や窒素などに比べて非常に重い。

噴出地点と周辺では濃度もあって犠牲者も出たが、

そこから最も遠くで確認されたガスは、大人の足首くらいの所で、致死量にはなるものの。

風が無い状況と、そこで姿勢を高くしている限りは吸い込む心配も無いだろう。

もっとも、調査に携わる者達は、その全員が対毒ガス用の装備を、しっかりしている。



会見の翌日に行われた公式声明は、予定通りに始まると、支援への感謝と、現状の説明と、今後の方針で終わる筈だった。


友好的な各国の代表が集まった場で、カーラ宰相による声明は、今後の方針について。

その見通しを述べ始めた最中、突然とも言える不意の終わりを迎えた。



同じ様な報せが、殆ど同時に声明の場を駆け抜けた。


――― ヘイムダル帝国 オスカル・エオス・ラーハルト皇子が、自らの手でシャルフィを粛清した事を宣言 ―――


だが。

オスカル皇子の宣言は、翌9月7日に至って。

再び全世界を震撼させる報せが、シレジアへも走った。


――― ヘイムダル帝国にて内戦勃発 ―――


この日を境に、世界の情勢は一層、混沌として行くのである。


-----


神聖暦2087年 9月


この月に起きたヘイムダル帝国の内戦は、砲火を交え始めると、そこからは、正しいとされる情報が届くのに時間を要した。


だが、先ずは内戦へ至った経緯。

とは言え、発端はオスカル・エオス・ラーハルト皇子の宣言である。


オスカル皇子の宣言は、位置的には帝国の南東部にある人口80万程が暮らす城塞都市セイラムで行われた。

当日は、内外から集まった数百人の報道関係者達が、招いたオスカル皇子が所有する別荘へと集まっていた。


集まっていた報道関係者たちは、シャルフィの王都で起きた事件の、一週間くらい後から届いた招待状。

内容は、オスカル皇子が、今度の事件に関して、重大な会見を設けるというものだった。




そうして、シレジアで9月6日に行われた、臨時政権の公式声明よりも二日前。




9月4日

セイラムにあるオスカル皇子の別荘では、日暮れ頃から、招かれた報道関係者たちへの、晩餐会のような催しが開かれていた。


催しが始まって一時間も過ぎた頃。

予て伝えていた通り・・・と、オスカル皇子は一人、集まる視線を受けながら壇上へ上がった。


特に外国から訪れた報道関係者の殆どは、勿体付けた感しかないと胸内に抱きつつも。

やや長め、皇子の挨拶と呼べる口上の間に、カメラや録画用の機材を構えた。


『余は、余の尊厳を踏み(にじ)るだけでなく。神聖なる帝国の尊厳さえも、軽んじると踏み躙った。故に、余は古代遺産と呼ばれる物の中から。そこで余が手にした終末としか言えぬ兵器を以って。聖女の面を被った不届き者の大罪を裁いた。シャルフィが滅んだのは、ひとえに余が自らの手で下した正当な行為に過ぎぬ。また、その様な国へ帰属しよう等と。余は、シレジアの態度いかんによっては。シャルフィの二の舞にする事も辞さない所存である』


正気の沙汰とは露程も思えない。

そんな宣言を声高にしたオスカル皇子は、終末の兵器が、既に発射体制にあると。


気色悪い笑みを浮かべる皇子の背後で、大きな壁一面を覆っていた白い布が、走る様に左右に分かれた後。

そこに移った大きなスクリーンが映したもの。


横から映したのだと分かる映像は、鋼鉄製の台座と、そこへ乗せられた長い筒の様なもの。

一方の先端は細く、例えるならボールペンの先端にも似ている。

反対に、真ん中辺りと反対側の端の方には、翼の様なものが付いていた。


あれは何だと・・・スクリーンを映す誰もが思った部分。


皇子の、そこで『あれこそが、余の正義を示す噴進弾にして。シャルフィ程度の小国ならば。一撃で滅ぼせる絶対的な力だ』と、自らに酔ったような声から間もなく。


スクリーンに映った鋼鉄製の台座が、噴進弾と呼ばれた兵器を、ゆっくりと起こす様に押し上げ始めた。

やがて、細い先端側を斜めに空へと向けた所で。



『余は、これが余の示した絶対の正義であると。故にシャルフィは粛清されたのだと。集まった報道に携わる者達よ。余が歴史へ刻んだ正義の証を、しかと目に焼き付けるが良い』



報道関係者達は、ゴォ~っと響くと、端から炎と煙を勢い良く噴き出しながら飛翔した物体へ。

途中で切り替わった映像は、間違いなく上空から撮影したくらいも分かる。


飛翔する物体は、一番低い所でも標高五千メートルはある。

そんな山脈をも越えると、炎と白煙を噴き出しながら。

もの凄いスピードで、最後はシャルフィの王都へ突き刺さった様に見えた。


直後、映し出された映像は、瞬く間に上った灰色の煙が、そして、キノコの様にも見える雲を作った。

映像はそこから王都を映した。


この場に招かれた報道関係者達の誰もが、愕然さえ軽く通り越して・・・引き攣った顔は、声すら発せなかった。

彼等の目には、中心部で巨大な火柱を上げると、噴き出した炎が瞬く間に飲み込んだ。


ただ、その前に。

スクリーンに映った王都は、既に廃墟も同然だった。





報せは、此処から全世界へと拡がった。

報道関係者達の一致は、自国へは勿論。

だが、この情報だけは、真っ先にシレジアへ届けなければの使命感が。


彼等の一致した努力が、飛行船の一隻をチャーターすると、途中の燃料補給以外は、とにかくシレジアへと急いだからこそ。


9月6日

シレジアで行われた臨時政権の公式声明の場ヘ。

セイラムで行われたオスカル皇子の宣言は、撮影された映像と共に届けられた。


だが、その前日。

9月5日の内には、既に帝都セントヘイムへ届いた同じ報せが。

こちらは皇帝からの勅を受けた討伐軍が、即座に行動を起こしたのだ。



討伐軍を指揮するのは、獅子皇女として常勝を欲しいままにしているユフィーリア・エオス・ラーハルト第一皇女。

ユフィーリア皇女は、即座に動ける幾つかの師団を率いると、日付が変わった6日未明には帝都を進発した。


そして、シレジアへ『内戦勃発』の報せが走った9月7日時点で、ユフィーリア皇女の討伐軍は、途中から加わった増援と共に。

未だセイラムへ向かう行軍の途上に在った。


しかし、皇女が軍を率いて進発した6日の日没後から間もなく。

こちらは帝国正統政府が、内外へ向けての公式声明を発している。


声明は、皇帝の名において、オスカル・エオス・ラーハルト皇子から。

皇族としてのあらゆる権利を剥奪すると、皇族からも追放したと。

その上で、オスカルの決して許されることの無い蛮行は、帝国の名誉と尊厳を失墜させただけでなく。

参加する条約機構の、平和を望む理念とさえも敵対したと。

声明は故に、オスカルを反逆者として討伐することを明確に宣言した。


正統政府の声明は、シャルフィの件について。

既に反逆者となったオスカルが起こした問題であって、皇帝には、そもそもシャルフィと敵対する意思が無い。

よって、正統政府としては、以降も御意に従うまでである。




皇帝から反逆者とされたオスカル・エオス・ラーハルト皇子は、この報せへ。

自らの戦力を直ちに動かした。

皇子に付き従うのは、領邦軍と呼ばれる約8万の戦力と、セイラムへ来る際に連れて来た5万の正規軍。


オスカルが率いる戦力は、セイラムの周辺にある幾つかの街や村などを、瞬く間に武力制圧した後。


『噴進弾による粛清を受けたくなければ。余と敵対する愚帝セイクリッド2世と、皇族とは呼べぬ汚れた血に塗れたユフィーリアを討て』


この時の宣言でオスカルは、自らを新皇帝と僭称すると、帝国全土へ向けての勅令をも発した。



9月10日



セイラムからは、北西に15キロ地点。

そこで討伐軍25万と、反乱軍13万は、最初の砲火を交えた。




後の歴史へ。

これも惨劇と記される事になった『セイラム焼失』は、開戦から三日後。

9月13日の深夜に起きた。


そして、セイラムで暮らしていた80万程の戦争とは縁の無かった者達が。

一晩の内に焼死したのである。


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