第12話 ◆・・・ 教師エストとエレン先生?から学ぶ日々 ⑤ ・・・◆
残暑の名残もあった9月が終わると、暦は一層の秋を感じさせる10月に入っていた。
まぁ、それでも、僕の日常に大きな変化は、ないかな。
うん、早朝稽古と当番の水汲みから始まる一日も、そのままだしね。
午前中も、ミサの日以外は事務室で、勉強を兼ねた帳簿整理だから、これも変わってないかな。
昼食後の午後は、アーツの修行に没頭している。
まぁ、雨とかで外に出られない日は、うん、やっぱり、図書室かな。
で、夕食を済ませた後は、エスト姉の部屋で勉強だからね。
そうだね、うん、何か変わった事はしてないし、いつも通りって感じだよ。
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アーツには7つの属性がある。
アスランも、ここは既に知っている。
しかし、それはあくまで『現代魔導』と、自身がそう呼んでいる部分。
エレンの話を聞く中で、今のアスランは『現代魔導』とは別に。
それも含めた全てを意味する『アーツ』の二つ。
区別は、自分なりの解釈からそうなった。
そして、今日も自分なりに研鑽を積んでいた。
教えてくれるエレンへ。
僕は属性が七つだけなのか、という疑問を聞いたんだ。
そこで昔の人間だけど、7属性とは別に『神聖・混沌・太陽・月・星』の5属性。
つまり、昔のアーツには、12の属性が存在していたらしいんだよね。
昔というのが、どれくらい昔なのか。
まぁね、エレンだからさ、僕も何と無くはあったよ。
『そんなの、一万年以上昔に決まってるじゃん♪』
はいはい。
やっぱり、予想通りの超文明時代だったね。
まぁ、この頃にはね。
エレンが話すアーツのことは、もう超文明時代が当たり前だったんだ。
僕も、だから、予想し易かった部分はあるよ。
反面、エレンの話は、抽象的な表現が多い。
そのせいで僕は、自分なりに理解出来るように、何度も聞いて解釈する作業が欠かせない。
アスランにとって、エレンが話す内容は、とにかく抽象的の一言に尽きた。
そういうのが当たり前だったからさ。
僕は、エレンが話した内容を、それを解釈出来るくらいにはね。
そのために図書室へ、よく通ったんだよ。
また、そうした状況が、これもアスランへ及ぼした影響は、当の本人が無自覚過ぎた。
周囲の大人達はアスランへ、『子供らしくない子供』と、まぁ、そう呼ばせる原因も、無自覚な所が起因していた。
今のところ、僕はエレンから学び得た知識を基に、アーツも含めた全ての技術は、これが超文明時代から現在に至る過程で、恐らく廃れているのだと考えています。
そうなった理由は、此処は今も分かっていません。
ですが、今まで聞いてノートにも纏めた内容を見直す度に、廃れた理由が不明な点はそうでも、やはり、廃れているのだと思えるのです。
自分なりの解釈をする際。
アスランは不明の部分へ、その多くで辻褄を合わせている。
この段階で、アスラン本人が『辻褄』という表現を用いた手法も。
実際には、多くの研究者が用いる『仮説』と然して違いが無い。
更に、アスランは自分なりに辻褄を合わせる際、『空白期』と呼称している部分を、今現在で、幾つも抱えている。
この『空白期』とは、それこそ歴史の中にある未解明な部分を指す。
『空白期』を解き明かせられるかも知れない鍵。
それが古代遺跡には在る。
現実に在るかどうかは、アスランにも真偽不明な所はある。
それでも。
在ると信じた方が、夢を抱きやすかった。
まぁ、僕の今現在も付けて置こうか。
うん、それで、今現在の解釈だと、この世界は一番進んだ時代が、超文明時代になるんだ。
で、滅んだ以降からだね。
続く時代は、衰えるか廃れるという感じで、そうして今に繋がっていると見ています。
この解釈に初めて至ったとき。
アスランは、自分が何かしたわけでもないのに、酷く落ち込んでしまった。
『なんで廃れたんだろう』
エレンとの会話では、確かに魔導のことを多く聞いている。
ただ、それ以外にも、僕は空に映った飛行船。
時々映す飛行船には、僕もいつかは乗ってみたいって思っているんだ。
僕はエレンから、超文明時代にも空を飛ぶ乗り物があった話を聞いているんだ。
それで、エレンは、超文明時代の飛行船の方が、ずっと凄いってさ。
だから、ね。
どうしても、何故って、悲しいって言うのかな。
上手く言えないけど、やっぱり、廃れなければって、そう思うんだ。
まぁ、落ち込んだこともあったけど。
今はね、僕も何故そうなったのか、へ気持ちが向いているんだ。
恐らく、そこには僕が知らない確かな事実が、ちゃんと在るはずなんだよ。
アスランは騎士を目指しながら。
けれど、騎士になっても。
エレンと一緒に、古代遺跡の探検もしたい。
この頃にはもう。
そう抱くようになっていた。
何方も勉強は欠かせない。
これも神父様から聞いた話で、特に解読が困難とされる廃れた言語。
『古代文字』と呼ばれる、それを学ぶには、シャルフィでも大学に行くか、あるいはローランディア王国にある、世界で一番の知識を得られるという学校に行くしか無いらしい。
独学も含めて蓄積された知識。
それはアスランへ、騎士だけを目指していた以前と異なって、今は複数の未来を見せていた。
騎士王に憧れている。
これは今も変わらない。
それから、自分のためにチャンスを作ってくれたシルビア様の期待も同じ。
これだって絶対、裏切ったりできないし、そんな気も更々無い。
だから僕は、騎士になって、それから遺跡も探検するんだ。
何方か一方だけしか選べない、という考え方など。
今のアスランには無かった。
勉強は、そこで初等科の教科書を、今は普通に使うようになった。
夜の時間は勿論、午前中も、帳簿の整理が早く終われば取り組めた。
雨で外に出られない日の午後も、やろうと思えば、図書室で出来る。
けれど、アーツの修行だけは違う。
周りに秘密にしている理由が、外に出られる午後の自由時間しか出来ない事情を作った。
それも天気に左右される条件が付いている分、だからこそ、アーツの修行が出来る時間は、僕にとってとても貴重な時間になっている。
そうした日々を過ごす中、アスランは『現代魔導』の7属性を含む『アーツ』が解明した12の属性について、エレンに他にも属性があるのかを尋ねた。
まぁ、この時も思ったままをね。
僕は、深く考えずに尋ねたんだ。
で、エレンからの返事は『よく分からない』だった。
エレンの話によると、そもそもアーツとは無限だそうだ。
それで、これが精霊側の考え方らしいよ。
エレンに言わせると、今の人間は、個々のアーツがもたらす事象干渉の違いと、その時の発光現象の色の違いで『属性』という分け方をしているそうだ。
因みに、エレンは、超文明時代の人間はアーツについて、これも属性という分け方はしている。
けどね、精霊の考え方に近い感じだった。
あと、精霊と同じような感じで、アーツを使えていたって。
なのに今の人間はって、此処からは凄く不満そうな声だった。
魔導を復活させたのに。
だけど、魔導器無しではアーツが使えない。
はっきり言って、超文明時代とは完全に異なっている。
その時のエレンはね。
もう、露骨に不満だと分かる声が、『アーツを魔導器無しには使えないものだと、決めつけた今の時代の人間は、寧ろ人間の方が劣化したことを問題にするべき』だって怒っていたんだ。
それから、その劣化した人間は、アーツが持つ本当の意味での無限さを失わせている、ってさ。
叱る様な声で、言い切ったんだよ。
別に僕は悪くないんだけど、でも、本当に面白くなかったんだと思う。
補足的にね、擬音付きの、お怒り表現だったからさ。
そのままでは問題も起きるだろうし、だから僕の言葉で、今回はエレンの言い分を表現しました。
後日、アスランはエレンに『無限』の部分を再び尋ねている。
それに返って来たエレンの返事は、『属性の種類もだけどぉ~。そもそもアーツはね。自由で無限なんだよぉ♪』というものだった。
エレンの楽しげで得意げとも感じられる口調。
今日は機嫌も良さそうだと抱いた僕は、けどさ、なんかまた違和感があった。
アーツのことで、エレンは『自由で無限』だと言っている。
けど、僕にはね、この表現も抽象的に聞こえて、今一つこう上手く理解出来ていないんだ。
まぁ、それでもね。
こういうのは、何もエレンに限った事じゃないしさ。
それで、こういう時には先ずノートに書く。
書いてから、その後で、今度は辞書とかを使って調べてみるんだ。
一先ず分かっている事は、自由で無限という精霊の考え方について。
この点は、超文明時代の人達も、同じような考え方だった。
その上で、超文明時代の人達は、アーツを属性で分ける考え方もしている。
僕が今一つ要領を得ないでいるのは、自由で無限の部分。
エレンはさ・・・・『そんなの、自由で無限に決まってるじゃん』ってしか、答えてくれないからねぇ。
要するにね、僕が知りたい解釈の所は、これが何一つ返って来ないんだ。
まぁ、そういう訳だからさ。
今回も、いつもの様に先ずはね、ノートへ書いてみる所から始めたんだ。
アーツ=自由で無限
こういう感じで書いてから、それから、僕は辞書を開いたんだ。
自由=自分の意のままに出来ること。自分以外の何ものからも縛られない。思い通りに出来る。
無限=物の数や程度に限度がないこと。
改めて調べると、僕もね、知っていた言葉だけど、また勉強した感じになるんだ。
この二つの単語を辞書で調べた後。
アスランは、意味合いに重なる部分と、厳密には重ならないかも知れない部分。
それを感覚的に捉えていた。
感覚的にというのは、今のアスランにとって、言葉や表現での説明が難しい・・・・けれど、何となくこういう感じになる。
つまりはその程度。
それでも、アーツに置き換えると、改てノートへペンを走らせた。
アーツの無限=属性の数や事象干渉の内容は、恐らく無限に存在する。
無限について、僕なりに書き込んだノートはさ。
あぁ、うん、そうかもねって、まぁ、そういう風に思えたかな。
で、何となく。
エレンの言いたいことってさ、たぶんね、こういう事なのかなって。
それから、僕はもう一つ。
自由の部分も、アーツに置き換えて考えてみたんだ。
アーツの自由=自分の思い通りに使うことが出来る。
●一度にたくさん使うことも、出来るかも知れない。
●幾つもの属性を、同時に使うことも、出来るかも知れない。
僕は、自分なりに考えた自由の所だね。
それで、図書室に在る魔導の本にはさ、そこには系統が載っていた事を思い出したんだ。
・攻撃系
・防御系
・身体補助系
・回復治療系
うん、前にノートにも書いていたんだけど、やっぱり、『大まかには、この4系統に分けられる』って、写しが載っていたよ。
僕は、この部分をエレンに尋ねた。
で、エレンの返事だけど『それは今の時代の人間が、勝手にそういう分け方をしているだけ』なんだそうだ。
でもね、エレンは『超文明時代の人間も、同じような分け方をしている』って、言ってたよ。
この点は、発動時の事象干渉の作用によって系統分けされたらしく、属性で括ったりもしていない。
火属性には、殺傷力のある事象干渉を起こすアーツが在る。
けれど、水属性にも、同じように殺傷力のある事象干渉を起こすアーツは在る。
地属性や風属性でも、此処は同じ。
だから、超文明時代の人間は、系統分けもした。
という事へ繋がる。
この時も、僕はエレンの話を聞きながら、走り書きでもノートへペンを走らせた。
纏める作業は、それは後からまた聞きながらでも出来るからね。
アーツ=属性と事象干渉について、恐らくは無限に在る。
アーツ=属性は異なっても、似たような作用から系統分けがされた。
アーツの自由=使い方も含めて、使う側が理解りやすいように系統分けの解釈をすることも、この自由に含まれるのかも知れない。
今の段階でだけど。
僕にもこうだって、そうはっきり言える確かな所は無いんだよ。
まぁ、言い訳にしか聞こえないのも理解っているんだけどさぁ。
教えてくれるのが、それでエレンだからねぇ。
せめて、エレンがエスト姉の3分の一で良いから、分かり易く教えてくれると助かるんだけどねぇ。
はぁ・・・・・、こればっかりは期待薄だね。
アスランは、しかし、『魔導器が無ければ、アーツは使えない』という現代の魔導の考え方。
これは既に違うを、以前よりも明確に抱き始めている。
要因の一つに、不完全でも、一応は自分で証明しているが含まれた。
この点はねぇ、それで僕も厳密には、まだファイア・アローを成功させたとは言えないでいる。
だけどさ。
やっぱり、違うって思えるんだ。
まぁ、結局だけど、これは自分でちゃんと証明するのが、それが一番納得出来るんだろうね。
この証明は、僕がエレンと同じファイア・アローを出来た時、その時には僕自身が納得出来ていると思うよ。
エレンの言う通りアーツが自由で無限なら。
その意味を、自分なりに納得出来るまで追求すれば良い。
もっとも。
一番最初の頃から、エレンの『アーツは心とかぁ。気持ちとかぁ。ババァーンなんだよぉ♪』という表現は変わってもいないし、アスランは、この要領を得ない抽象的も抱く内容を、今日まで解釈しつつ学んでいる。
そういう意味では、解釈もまた、修行だったのだ。
だから。
一番最初の頃と比べると、今はまだ良い方。
何となくでも。
最初に比べれば、まだ分かる感じで聞けるようになったのだから。
僕のファイア・アローは、未だ成功していない。
けどね、アーツへの興味とか関心が薄れた事もないよ。
そこは寧ろ逆だね。
アスランが、これまでの間にエレンから聞いて得た知識の量は、当の本人に自覚が無いだけで、既に相当な量を蓄積していたのである。
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アスランが初めて、ファイア・アローっぽいものを事象干渉させたあの時から、今に至るまで。
そこでエレンのように出来ない日々の中で、落ち込むことはあっても。
好奇心旺盛だったことが、継続に繋がっていたのは事実。
また、当人が強く不満すら抱く、エレンの抽象的過ぎる説明についても同じ。
アスランは毎日、難読問題を解くような作業を繰り返した。
そういう積み重ねが、今現在という表現は付いても、自分なりの解釈を得るに至らせた。
アーツのことでは、エレンの説明が分かり難くても。
実践のなかで、失敗と頓挫を繰り返しても。
継続した事は、アスラン本人の見えない所で、確実にその時へ近付いていた。
日々の実践は、そこへ自分なりの解釈も含まれた。
今日も昨日と変わっていない。
それどころか、最初から全然進歩していないを抱いても。
けれど、目に映る部分に進歩を抱けない中で、ノートに記し続けた、つまりは解釈の積み重ねが、そうして少しずつでも、明確に理解って来た事もある。
得られた知識は、間違いなく増えていたのだ。
培ったものは、それまでの解釈へも反映され続けている。
アスランが解釈の際、『今現在』も使う表現は、事実、日々更新されていたのである。
例えば『ファイア・アロー』のような固有名称の部分。
この部分は『それまでの自由な事象干渉』に、『特定の方向性を持たせた事象干渉』を与えていると、今のアスランは解釈している。
それによって魔法式への解釈が、今はこのようになっていた。
魔法式=駆動式+発動式=事象干渉
駆動式=固有名称を除く魔法式の文言=自由な事象干渉
発動式=魔法式の文言の内、最後の固有名称の部分=特定の方向性を持たせた事象干渉
最新の解釈では、駆動という表現が新たに追加された。
その駆動の表現についても。
アスランは辞書を開きながら、そこから選んだ幾つかの候補を、先ずノートへ意味と一緒に書き込んだ後。
此処からは感覚が、何と無く格好良いを抱いた表現を選んでいる。
駆動の表現は、アスランによって初めて誕生した解釈と、そう言えるものだった。
この解釈に至るまでもそうだった。
エレンから学んだ知識は勿論。
そこへ、試行錯誤の日々が当然のようにあった。
いつって言われもだけどさ。
と言うか、最初はね、眩しい日差しとかで、それで目がチカチカしているだけだって思ってたんだよ。
うん、その時もだけどさ。
僕は、魔法式を何度も繰り返し唱えていたんだ。
アスランは、エレンから教えられた魔法式を、その詠唱を繰り返す中である日、自らの周囲に赤いキラキラ光る塵のような物が見えるようになった。
僕は当然、この事もエレンに聞いたんだ。
『へぇ~、アスランにもマナが見えるようになったんだねぇ。マナはねぇ、うぅん、そうだねぇ・・・ちゃぁんと詠唱が出来ていれば見える・・・かもねぇ』
まぁね、こういう言い方だったんだよ。
けど、僕はこの時にね、詠唱過程がしっかり出来れば起きる『マナ粒子発光現象』の事を分かったんだ。
付け足しで、じゃあ、なんで僕は、今までマナ粒子発光現象を見れなかったんだろ。
だってさ、僕はノートにも書いているけど、エレンから教えて貰った魔法式を、ちゃんと間違えずに唱えていたんだよ。
『そんなの。アスランが未熟者なだけじゃん♪』
エレンの返事だけど、身も蓋も無かったね。
それこそ、一蹴された感だったよ。
エレンの煩いくらいの明るさで、上機嫌にサラッと言われたんだ。
なんかさ。
やっぱり、面白くなかったよ。
それでも、抱いた疑問を確認するためだと。
この時もアスランは堪えた。
そして、ファイア・アロー以外の別属性のアーツを教えて貰うと、実践は、ここもエレンのようには出来なかった。
だが、しかし。
属性によって異なる、色違いの発光現象は見ることが出来た。
また、以降のアスランが駆動式と呼ぶ部分。
文言が重なることは、この時に知り得たのである。
『我は汝に請い願う。汝、炎の精霊よ。我が欲するは汝の力。大いなる炎。其の力の一欠片を我に授けよ。ファイア・アロー』
この魔法式の内、発動式は『ファイア・アロー』の部分に当たる。
後は『駆動式』という解釈を、今のアスランはしているのだ。
続いて駆動式の内、属性によって文言が変わる箇所が二つ在る。
◆火属性=『炎の精霊』『大いなる炎』
◆水属性=『水の精霊』『大いなる水』
◆風属性=『大気の精霊』『自由なる風』
◆土属性=『大地の精霊』『豊穣をもたらす大地』
そこから、実際に魔法式を唱えた際、視認出来た『マナ粒子発光現象』についてはこうなった。
◆火属性=輝く赤色
◆水属性=輝く青色
◆風属性=輝く緑色
◆土属性=輝く茶色
エレンに教えて貰ったことを、アスランは自分で試しながら。
そこで得たことを、常にと言えるくらいノートへ書き込んだ。
更に、ここで再び抱いた疑問は、エレンに尋ねるか実践で試している。
要するに、この繰り返しから蓄積されたものも、今のアスランを形作っている、とも言えるだろう。
マナ粒子発光現象という言葉についても。
アスランは、初めて耳にした際、その時には疑問を抱いたのだ。
けれど、僕はね、この時も辞書を開いて調べたんだ。
で、今は自分なりに納得している。
それどころか、『マナ粒子発光現象』という言葉がね。
なんか響きも良いし、あとはこれも何か格好良いと思ったんだよ。
少し前まで。
アスランは、エレンのように出来ない事で、時に気持ちを落とした。
今は違う。
アスランの姿勢は、『マナ粒子発光現象』を映せるようになって、明らかに変化した。
発光現象を映せるようになったアスランは、アーツを『遊び感覚で楽しめる』ようになっていた。
より前向きに変化したアスランの精神状態は、そこへ『マナ粒子発光現象』が大きく影響していることは事実だろう。
実際、当人が強く課題意識を抱く『ファイア・アロー』の方は、エレンの様には出来ていないのだ。
この事実は、それでもを、アスランに根付かせた。
アスランは、自分が起こしたマナ粒子発光現象を見ることで、気持ちが上を向いた。
本人はこの点も、それが実に良い傾向に在ったことを、全く気付いていなかったのだ。
ところが。
この部分を実は、エレンの方にも、無自覚な認識の希薄が存在していたのである。
それは、体内マナだけでアーツを使う場合。
最も、これは後に成長したアスランが、未踏の遺跡に在った、古代文字の文献からも知り得ることなのだが。
文献には、幼少期の子供が、体内マナの保有量について、非常に不安定な時期にある、が記されていた。
そして、超文明時代には、この点の解決方法として、『幼少期にしか出来ない体内マナ総量を増やすカリキュラム』というものが存在していたのである。
文献には、こうも記されている。
幼少期の子供は、勿論、大人になるために成長する過程がある。
単純に、身体と精神は揃って成長を遂げる。
身体は見て分かる程に変化を遂げると、精神も子供と大人とで比較すれば、その違いは大概分かる。
超文明時代には、出生後から平均的に10歳前後。
ここまでが不安定な時期に当たる、という検証データが在る。
反面、この不安定な時期も、実は過ごし方によって、『体内マナ保有総量』に大きく影響を与える。
そういうデータも在るのだ。
何れ、成長したアスランが、未踏の古代遺跡の調査で、そこで知り得ることなのだが。
結論から言えば、『幼少期の比較的早い時期からアーツを学んだ子供は、マナの保有量が爆発的に伸びる』とされている。
更に、『幼少期にアーツを学び始めた子供は、特に自力でマナ粒子発光現象を起こせる段階に至った子供に限って、覚醒する傾向が顕著である』と、記された個所もある。
現代には証明どころか、全く知られていないこの事実は、当然、今のアスランも知らないでいる。
ただし、知らないまま自力で『マナ粒子発光現象』にまで至った事実が、超文明時代のデータでは『覚醒の兆し』に当たるのだ。
今は未だ、その時を迎えていない。
ただ、それでも。
既に遊び感覚で起こした『マナ粒子発光現象』で、楽しんでいる部分が。
上向きの心理状態は、これも超文明時代の記録書の中で、こう記されている。
『アーツには体内マナだけでなく。それを行う者の心理状態が密に関わっている。取り分け幼少期に学ばせる場合。指導する者は学ぶ子供へ。アーツを楽しむ環境を提供する事が、学ぶ子供の成長を促進させる効果がある事を忘れてはならない』
遊び感覚で、帰る直前まで楽しんでいるアスランが迎えるその時。
それはもう少しの所へと近付いていた。
2018.5.11 誤字の修正などを行いました。