第4話 ◆・・・ 再会 ・・・◆
今年で8歳になる少女にとって、生まれ育った故郷とは、何もかもが、とまでは言わないまでも。
ただ、新しい環境へ、ようやく慣れてきた、くらいは最近だと思う。
故郷の初等科では、そこでは飛び級で、周りよりも先に上の学年へ進んだ。
転入した初等科は、最初に行われた学力評価の試験で、少女はそこから更に、一学年上のクラスへと籍を置いた。
今は義理の姉と二人、故郷からは遠く北東に位置する土地へ。
そうして始まった新しい日常は、少女へ、だから慣れるまでに時間を要した。
姉と二人で暮らす二階建てのアパートは、見た目、幾つも煙突のある、煉瓦造りの古めかしい建物だった。
ただ、築年数が古い割に、リビングも個室も、それから浴室やトイレなども。
生活する上で、在ると便利なものは、何から何まで一通り揃っている。
『御二人が来られるのに合わせて。住居の内装は、一新させて頂きました』
初めての街は、空港で出迎えてくれた義姉の案内人から、住む場所の説明も簡単には聞くことが出来た。
昔は薪を使った暖炉は、二人が来るのに合わせて、導力式の暖炉へ新調された。
キッチンや部屋の照明も、導力式の設備に変えられる所は、全部が真新しい物になっていた。
『シャナ。この部屋は、貴女だけが使って構わない。シャナの部屋ですわ』
シャナの私室は、その隣が義姉の私室になっている。
どちらも、そう大きくはない個室は、ベッドや勉強するための机と椅子の他に、小さな本棚と、クローゼットが備わっていた。
もっとも、孤児院でも、その後から暮らした子供たちの家でも。
シャナは、一人部屋だった事はない。
アンジェリークの義理の妹になって、それから、アンジェリークの実家で暮らすようになってから。
時に涙さえ流した一人部屋は、その時からだった。
アンジェリーク義姉さんは、私のために、此処へ来ることを選んだ。
孤児の私は、アンジェリーク義姉さんの実家では、お義兄さんと、お義母さんから一番嫌われていた。
でも、お義父さんは、私が孤児でも。
『誰しもが、生まれを選べる事は無いのだよ。それに、アンジェリークはね。今のシャナくらいの頃からだ。妹が欲しいとね。それで私は、とても泣き付かれた思い出もあるのだよ』
私の事を、お義父さんは、可愛い娘だって、優しくしてくれた。
お義母さんから何度も叱られたテーブルマナーも、お義父さんは、私に丁寧に教えてくれたのよ。
でも、そんな優しいお義父さんは、養女になった私の生まれが孤児だから。
それが原因で、お義母さんやお義兄さんと、上手く行かなくなった事を、悩んでいた筈のお義姉さんへ。
最初に此処へ行ってはどうかと、そういう話を持ってきたのも、それも、お義父さんだった。
お義姉ちゃんは、迷わなかった。
私に、一緒に行こうって。
だからね。
私も、お義父さんや、お義姉ちゃんを、これ以上・・・・・・
ルスティアールへ来たばかりの頃は、私もアンジェリーク義姉さんも、バタバタと落ち着かなかったの。
そこから、ちょっとずつでも慣れて来て、最近は、お義姉ちゃんの休日に二人で、街中を見て歩いたりとかも、出来る様になりました。
それに・・・・・・
何も言わないで来たから。
本当は、嫌われていないかな・・・って。
だけど、アスランは、やっぱり、そんなことで嫌ったりする人じゃなかった。
本当は、私の方が、ごめんなさい、なのにね。
いっぱい気を遣わせて、だからゴメンって。
アスランは、手紙で何度も謝っていたんだから。
エルトもカールも。
ちゃんと、説明してくれなかったのかしらね。
ホント、そうも思ったの。
だけど、そのアスランからの手紙で、会いに行くって。
だからね。
私にとって、今日は、ずっと楽しみにしていたんだから。
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シャルフィの大聖堂から、今は教会総本部へ、所属を移したアンジェリークにとって、ルスティアールでの日々は、特に気候の面で、身体の慣れが必要だった。
同じ五月でも、シャルフィなら、夏を感じる暑さもある。
ところが、ルスティアールの5月は、時に一面の銀世界もあったのだ。
暦が6月へ移って、そして、アンジェリークにはようやく、暖かいが日常を得られた様にも思えた。
今日は暮らすアパートの、キッチンと繋がったリビングで、昼食の支度を進めるアンジェリークは、そこへ、もう何度目だろうかを抱いた。
「お義姉ちゃん。これ、変じゃない?」
「さっきのフリルが良い感じの服も素敵でしたけど。でも、その水色の服も可愛いですね」
「ホント?」
「ええ、それにシャナは元が可愛いのですし。だから何を着ても。可愛く見栄え立ちしますわ」
「じゃあ、これにしようかな。でも・・・さっきのフリルのも」
結局はまた悩んで、可愛い義妹は再び、私室へ姿を消してしまった。
ただ、アンジェリークは、シャナが今日を、どれ程に待ち望んでいたのか。
待ち焦がれていた、も言えるくらい。
「遠く離れてしまったことが。それで、シャナにも。はっきりとさせてしまったのでしょうね」
近過ぎると、それで曖昧な距離でしかいられなくなる。
シャルフィに居た頃は、そこが曖昧だった。
とは言っても。
大人になったらなったで、今度は踏み込めなくなる・・・部分でもある。
もっと近付きたい。
けど、拒まれたらどうしよう。
アンジェリークにとって、可愛い義妹の今の姿は、同じ年頃だった自分と、何処か重なって見えていた。
「お義姉ちゃん。また上手くなったね」
「フフフ、このくらい楽勝でしてよ」
「そんなこと言って。でも、指の絆創膏は減ったみたいだし。料理もだいぶ慣れたみたいだね」
ルスティアールの食事は、定番メニューに、チーズと野菜たっぷりのシチューグラタンが挙げられる。
大きくカットした人参と南瓜に玉葱など。
そこへ、これも大きくカットした鶏や羊に鹿などの肉が、一般的には定番の組み合わせなのだとか。
今はシチュー用に固形のルーが売られているので、後はミルクと白ワインで、ルーに仕上げるだけ。
そうして、最後のチーズが一番、欠かせない。
家毎に拘りの味がある。
そう言われるくらい、ルスティアールのシチューグラタンは、定番の食事だった。
此処で暮らすようになってから。
アンジェリークとシャナは、既に幾つものレストランを食べ歩いている。
食べ歩きはそこで、自分達だけの定番メニューを研究していた。
「お義姉ちゃん。私、シャルフィでは鶏肉が一番多かったからかも知れないけど。だからなのかな。お肉は鶏肉が一番、食べやすいかなって」
「そうですねぇ。私も、お肉は食べ慣れた鶏肉が。一番かなとは思っていましたわ」
シャルフィで、それも子供たちの家で暮らすようになってからは、毎日の食事に、鶏肉を使った料理が出るようになった。
鶏肉は、子供たち皆が、丈夫な身体を作れるようにと。
そういう理由で、シルビア様からの差し入れくらいは、神父様とエスト先生から聞いている。
シャナにとって、鶏肉は、そういう思い出もある。
付け足すと、市場の肉屋では、鶏肉が、それも胸肉が一番安く買える。
ここは、シャルフィも、ルスティアールのスーパーでも同じだった。
「じゃあ、私達の家のシチューグラタンは、鶏肉だね」
「ええ、後は野菜とルーの味に・・・・」
「チーズも、種類がいっぱい在ったからね。ミルク色は知ってたけど。オレンジ色のチーズなんて、スーパーで初めて見たし」
「そうでしたね。でも、教えて頂いたことでは、チーズは二種類以上を組み合わせた方が。もっと美味しくなるそうですよ」
「うん。それは私も一緒に聞いていたから。でも、問題は組み合わせだよね」
「そうですねぇ。実は、今日のも試してはみたのですが」
「う~ん。私は、今日のも美味しかったよ」
「そうですか。ただ、何かもう一つ二つ・・・足りていない感がするのです」
「お義姉ちゃん。此処で料理をするようになってからだけど。凄く拘る性格だったんだって。私ね、そこは新発見な感じだったよ」
「拘るといいますか。でも、どうせなら。納得の味を作りたいだけですわ」
義姉の家事は、シャナも勿論、手伝っている。
掃除も洗濯も、料理だって分担して過ごしている。
養女として引き取られた後の生活は、着る服や食事が、何というか贅沢になった。
ただ、家事は何一つさせて貰えなかった。
そういう仕事は、全部、使用人がするものだと。
・・・・・私は、今の生活の方が、孤児院の時とも近くて。やっぱり楽しいかな・・・・・
ただ、そんなシャナの悩みは、拘りが凄い義姉の、大きな冷蔵庫を半分近く占めた、多種のチーズである。
今ではすっかり、チーズの研究家だとも思っていた。
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アルデリア法皇国を、初めて訪れたアスランにとって、サザーランドやローランディアがそうだったように、この国もまた、映すもの全てが新鮮だった。
そうだね。
皇宮は、それは確かに、芸術品の宝庫も納得だったかな。
あぁ、けどね。
それ以前だね。
僕から見たルスティアールの街並みは、なんて言うのかな。
空から見た感じではさ、街全体が、中世期的な印象が強かったんだ。
カーラさんから貰った資料と、それから図書館とかも利用して調べた範囲ではね。
アルデリア法皇国は、神聖暦1000年頃だね。
芸術文化の歴史でもそうなんだけど、この頃は特に、建築技術にも芸術の要素が多く取り入れられた。
そういう時代で、荘厳とか絢爛豪華な時代だったも、記されているんだよ。
ルスティアールの街並みは、石畳の通りが殆どで、だけど、皇宮周辺と教会総本部の周辺は、色の付いた煉瓦で、たぶんね、花模様だと思う。
煉瓦通りはシレジアでも見たけど、ルスティアールの煉瓦通りは、これも芸術なんだろうね。
目に映った範囲でだけど、建物の見た目は、それも殆どが煉瓦造りだね。
旅行雑誌に載っていた、幾つかのお勧めレストランの写真なんかだと、共通しているのは、内装は床も壁も燻した建材で、照明も導力製のランタンやランプを使うくらいの拘りなんだ。
中には、何百年も前に作られたパイプオルガンを、使える状態で置いているレストランも在ったよ。
導力製品の照明と言えば、まぁ、普通は一番明るく感じる、白色の導力管かな。
だけど、ルスティアールでは、古き良き時代を、今に伝えるという意味でも、後は此処で暮らす人達の好み・・・で、良いのかな。
だから、導力製の照明は、白色よりも、暖色系のオレンジ色が、一番好まれているらしいんだ。
そうそう、ルスティアールの定番料理と言えば、雑誌でもシチューグラタンを取り上げていたよ。
煉瓦造りの窯から取り出された、大きな木べらに乗せられたシチューグラタンなんかさ。
香ばしい焼き色に染まったチーズなんか、もう写真だけで、凄く美味しそうだと思ったよ。
シチューグラタンは、各家庭に、拘りがあるらしい。
レストランでも、そういう拘りが在るんだってさ。
野菜は、南瓜やじゃが芋、人参や玉葱、他にも茸やほうれん草とか。
お肉も、牛や豚に鶏肉は勿論、馬肉や羊肉と、それからベーコンを使う所もあるらしい。
ただ、何処の家でも、或いはレストランでもだけど。
一番の拘りは、チーズの配合らしいんだ。
チーズもね。
それで、僕もチーズに幾つも種類があるくらいは、まぁ、知っているよ。
でも、詳しくは知らないし、だけど、青カビを使ったチーズだけは・・・・・無理でした。
あんなのを美味しいって何個も食べられる。
その意味では、僕はバーダントさんを、とても尊敬しています。
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皇宮からは、歩かせた馬車でも十五分程度。
区画を一つ越えた先にある、此方も見た目は荘厳な造りをした城にしか見えない建物の中で、招かれたシルビアと、警護役のアスランは、法皇として相応しい正装姿のスレインへ。
シャルフィで見送って以来、初めて顔を合わせた。
「シルビア様もアスランも。今日は非公式の、そういう意味では私的な会談ですので。だからどうか、寛いでください。それと、せっかくの機会だと思いましたので。アスランのお友達も、今日は招かせて頂きました」
衣装は、それこそ、どう見ても高級そうなローブでも。
スレインの口調は、それを聞いたアスランに、孤児院に居た頃の神父様と変わっていない。
そんな風にも抱けたスレインの仕草で、扉の傍に控えていた修道女は間もなく、静かにドアを開いた。
「もしかして・・・・シャナ」
我が子の驚きを隠せない声へ。
そこには思わず笑ってしまったシルビアの、「アスラン。もしかして、は余計ですよ」と、続く声が、今度はアスランを、入り口で立ち止まっているシャナの方へと歩かせた。
「シャナ。その・・・久しぶりだね」
「うん。でも、アスランは・・・あまり変わってないね」
「えっと・・・あ、そうだ。お土産を持って来たんだ。後で渡すよ」
「ふふふ♪ねぇ、もしかして・・・緊張してるの」
「かもね。ああいう別れ方だったし。だけど、理由はカールやエルトシャンから聞いているよ。手紙でもだしさ。ただ、こうして会った途端に。何を言おうかって・・・分からなくなった感じかな」
「アスランって、そういう所は、大人っぽくなくて。可愛いんだね」
会話は、スレインから此方へ来るようにとの誘いが、そうして、アスランはシャナを伴って、部屋に用意された席へ着いた。
僕はね。
ホント、一瞬ね。
なんで此処にシャナがって。
それくらい驚いたんだよ。
はぁ、だからね。
シルビア様と神父様が、シャナの髪型とか服装を褒めるまでさ。
僕は、そんな所までは気が回らなかったんだ。
で、そういう僕の不徳な部分だね。
シャナから可笑しそうに『こんなにカチコチなアスランって、初めて見た』って、いっぱい笑われたよ。
けど、まぁ。
そのおかげで、普通に話せたし。
結果としては、良かったんだと思えたね。