第29話 ◆・・・ 当然と愕然 ① ・・・◆
柔らかくて温かい・・・・・
ぼうっと微睡む意識の中で、今朝もシルビア様の両腕は、背中から包み込む様に僕を抱きしめていた。
僕の顔は、今朝もこうしてシルビア様の大きな胸に半分くらい埋まっている。
トクン、トクン・・・・・
伝わって来るシルビア様の鼓動は、それが何故だかは分からない。
だけど。
僕は、シルビア様の鼓動を聞いているとね。
今年の誕生日で七歳になるのに。
なのに、胸がいっぱいになって。
泣くつもりなんか無いのにだよ。
でも、涙が溢れるんだ。
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今日もシルビア様に抱きしめられながら目を覚ました。
まぁね。
シルビア様と一緒に寝る時は、それで朝はこんな感じで起きているよ。
と言うかさ。
シルビア様の大きな胸に埋もれると、息が苦しくなるんです。
それで、僕は息苦しいから目を覚ます感じだね。
孤児院でエスト姉と一緒に寝ていた頃にはさ。
それで、あの暴力的な寝相。
僕は殴られるか蹴飛ばされるか。
後は首を絞められるか・・・・な感じで、痛いのが当然の起き方をしていたんだ。
それで、何が言いたいのか。
確かにシルビア様が僕を抱きしめて、これが原因で息苦しい起こされ方はするんだけどね。
でも、シルビア様の大きな胸は柔らかいし。
苦しくなければ、ずっとこのまま寝ていたい。
なんて言えば良いのかな。
居心地がいい。
ホッとする。
う~ん・・・・あれだね。
きっと、僕はそうされることに何処か安心出来るんだと思います。
だけどさ。
シルビア様と一緒に寝るようになってから今でも時々ね。
そのシルビア様から『胸が張って痛い』からって。
で、僕はシルビア様から吸ってくれると痛いのが楽になるからって。
僕は、今年の誕生日が来ると七歳になるのに。
だけど、今でも。
時々はシルビア様の胸を吸うことがあります。
まぁ、ねぇ。
シルビア様が痛くて辛そうな表情をしているのを見るとね。
それで、吸ってあげるくらいで楽になるならさ。
しても良いかなって。
だいぶ前にね。
僕は、シルビア様になんで胸が張るのかを聞いたことがあるけど。
大人になった女性は、皆じゃないけど胸が張って痛くなる人もそれなりに居るらしいを聞いている。
原因は、胸の中で作られる母乳らしいんだけど。
シルビア様は、だから、胸が張ると自分で母乳を絞っていたらしいんだよね。
因みに、この辺りの事情は、恥ずかしいから絶対に秘密だって。
まぁ、僕も6歳になって未だ赤ちゃんの様に胸を吸っているだなんてさ。
それだって恥ずかしいから口になんか出来ないって。
なので、この件はシルビア様と僕だけの秘密になっています。
一つだけ付け足します。
母乳は美味しくありません。
飲むなら温めの牛乳が一番です。
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ちゃんと目が覚めた僕は、僕を抱いたまま今もこうして眠っている。
昨夜は遅くに寝た筈のシルビア様を起こさない様そっと身体を離した。
ベッドから出て着替えもして。
起きる時にも一応は掛け直したふわふわの毛布を、部屋を出る前にもう一度かけ直した。
きっと良い夢を見ているんだろうな。
眠りながら微笑んでいるシルビア様へ。
僕は小声で『稽古に行って来ます』と、それからドアも音を立てない様にして廊下へ出た。
昨夜は僕だけが先に寝た。
本来、警護の任務で来ている僕は、だから、シルビア様より先に寝るなんて本当は出来ない。
まぁ、でもね。
サザーランド公国へ行った時も。
それからローランディアの王宮に泊まった時もだけど。
シルビア様とは一緒に寝ているんだよね。
僕が寝ている間はさ。
その時には姿は消したままでも。
ティアリス達が近くに居る。
それで、昨夜なんだけど。
シルビア様からは、フェリシア女王様とは久しぶりに会った。
お互い積もる話があるし、今夜は茶会に誘われた。
『フェリシア様からのおもてなしですからね。プライベートな茶会ですからアスランは先に寝ていてください』
付け足しでまぁ、僕が警護に就かなくてもね。
後はティアリス達に、その件を頼まなくても。
昨日のクローフィリアさんが、ギランバッファローとグリズリーに襲われた件。
この事件が絡んでなんだけどさ。
現在、と言うよりは、昨日からだね。
フェリシア女王様と、シルビア様が滞在するオーランドの周囲。
此処は昨夜から今もずっと、ブライト少将が指揮を執る王国陸軍の兵士さん達が警護に就いています。
そういう事情もあるので、シルビア様は僕へ先に寝てていいと言ったんです。
二階の廊下から階段を一階へ降りると、映した時計の針は、未だ五時より少し前だった。
だけど、宿の厨房の方からは、誰なのかが分かる。
この宿を仕切る元気な婆ちゃんの声は、夜とか朝とかも関係ないらしい。
そんな元気過ぎるマーレ婆ちゃんの声は聞き流しで。
僕は日課の稽古をするために外へ出た。
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見上げた空は、これから太陽が昇り始める。
遠くの方が明るくなり始めたくらいは、晴れている空が、ややピンクのオレンジ色からくすんだ黄色。
それから暗い青空を見せている。
もう少ししたら、今朝は綺麗な朝焼けを見れるかも知れない。
朝焼けの濃いオレンジ色の中で、静寂に包まれた周りの景色は、自然も建物も黒っぽい影の様に映るんだけど。
僕は、そうした景色を見ているのも好きなんだよね。
「さてと、今朝は何処で修行しようか」
そんな僕の呟きも、だけど、実際には異世界の方でするからね。
ティアリスへ始めるよって。
そう告げれば、途端に景色が切り替わる。
まぁ、これも、もう慣れたけどね。
なんて事を思っていたら。
不意打ちも同然。
後ろからエレンに抱き着かれた。
「アッスラ~ン♪ ねぇ、ねぇ♪湖がとぉっても綺麗だよぉ」
僕が気に入っている穏やかで静寂に包まれたこの時間も。
これも毎度と言うか・・・ね。
ぶち壊すのは、決まってエレンなんだ。
相変わらずな明るさ。
と言うか、元気過ぎなだけ。
だけど、仕事の時間中は声を掛けない様にって言っているエレンは、それ以外の時間は友達だからね。
まぁ、エレンも孤児院に居た時よりは、僕の言うことを聞いてくれるようになったし。
「おはようエレン。今日も煩いくらい元気だね」
「ええ”ぇぇえええ”え”。エレン、そんなに煩くないもん。と言うか、アスランが全然、子供らしくないだけだぞぉ。プンプン♪」
声だけが頭の中に聞こえた頃と違って。
それも詐欺師リザイアの罠のせいなんだけどさ。
付け足すと、今ではちゃんと服も着るようになりました。
「エレン。いつまでも抱き着いていられると僕も動き難いんだけどな」
「ぶぅぶぅ♪」
背中から僕に密着したエレンの不満を表す擬音も、ただ、今朝はいつもよりご機嫌らしい。
「なんか良い事でもあったの」
「あのね、あのねぇ。ママがパパに『いい加減、娘離れしろ』って♪それでママがパパをけちょんけちょんにしたんだよぉ♪」
確か、エレンのお父さんは・・・・精霊王なんだよな。
会ったことは無いけど、精霊王・・・・弱過ぎ。
コルナとコルキナなら。
リザイア様が逆にけちょんけちょんだぞ。
なんなら貸してやろうか。
「はぁ・・・・、で。それでどうなったの」
「うん♪それでママから『エレンはアスランと結婚しているんだから。実家じゃなくアスランの所で生活しろ』って♪」
全く以って傍迷惑だ。
と、そんな僕の率直な感想も。
だから、出るのは溜息ばかり。
「その話は前にもあったけどさぁ。僕は未だシルビア様の部屋で生活しているんだぞ」
そう。
僕は従騎士になった後もシルビア様の部屋で生活している。
マリューさんは従騎士になった所で給金も貰えるようになると、その時から与えられた個室で生活するようになったくらいも聞いている。
僕の場合は、確かに従騎士にはなった。
けど、年齢が低すぎる。
シルビア様と、それからカーラさんだね。
二人から一先ず、十三歳になるまでは今のままだって言われもした。
つまり、十三歳になるまではシルビア様の部屋で生活する。
それから給金の件もね。
僕の給金は、シルビア様が作ってくれた預金通帳に入れてある。
そして、この預金通帳は今もシルビア様が管理しているんだ。
これも僕は納得して聞いているし、あとは通帳を預かるシルビア様から毎月お小遣いを貰っている。
サザーランド公国へ行った時に買ったお土産は、貯めていたお小遣いで買いました。
まぁね。
僕の場合、お小遣いを貰ってもねぇ。
それで使う機会なんか殆ど無いんだしさ。
だって、衣服も食事も事欠かないし。
勉強に必要なノートや筆記用具は、言えばシルビア様もカーラさんも必要な分だけ揃えてくれます。
専門書とかもそう。
殆どは王宮の図書館で十分だし、王都に在る図書館や大聖堂の中に在る図書館だって利用できますからね。
今の所、買ってまで欲しい本とかも無いんだよね。
だからと言うか。
その件は従騎士になった時にね。
で、シルビア様とカーラさんの説明を聞いた僕は納得してるんです。
だって普通は、その歳くらいで初等科を卒業しているんだよ。
ミーミル先生。
流石、賢神ですね。
おかげで、僕は6歳で大学に通う身分になれました。
そういう訳で、エレンが僕と一緒に暮らす件だけど。
単純に後6年は無理を告げて。
そのまま強引に話題を終わらせました。
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ご機嫌取りも楽じゃない。
あれから栗鼠みたいに頬をぷっくりさせたエレンを、僕はその不機嫌を何とかするために。
今日はポニーテールかな。
先ずは髪形がよく似合っていると褒めました。
で、それから今日の服装。
今日のエレンは、真ん中からボタンで留めるシャツの様な作りで袖の無いロングのワンピース。
生地はシンプルなクリーム色だけど。
スカートの所に赤やピンクの花模様が刺繍してある。
エレンの肌は色白で、髪がピンク色だからね。
今朝の服装なら・・・・首元にネックレスがあっても良いかも知れない。
お土産ついでに似合いそうなアクセサリーがあったら買ってあげるよ・・・・・・
エレンの機嫌は、途端にコロッと変わりました。
まぁ・・・ね。
けれど、これでエレンが僕の友達なのも変わらないんだ。
こういう性格だってことも僕は理解っているつもりだしさ。
仕方ない。
という訳で。
僕はエレンを誘うと、マーレ婆ちゃんの宿にある桟橋へ。
そこから昨日はシルビア様とフェリシア女王様が乗ったボートに乗ると、エレンと二人。
水面が朝日でキラキラ眩しい湖の中心へ向かって漕ぎ出した。
「初めてボートを漕いでみたけど。見てたのよりも難しいな」
そう。
ボートを漕ぐなんて経験はありません。
だけど、昨日のシルビア様を見ていると簡単そうだなって・・・・・現実は真っ直ぐ漕ぐのも簡単じゃない。
それがよく分かりました。
「ねぇ、ねぇ♪これってさぁ・・・・デ~トだよね♡」
「う~ん・・・どうなんだろ」
僕としては、ただの御機嫌取り。
仕事の時間が始まれば、そこからはまたエレンも実家・・・・で、良いのかな?
取り敢えず、仕事中は声も掛けないし、後は姿も見せない様にして貰っている。
その点はね。
寧ろティアリス達の方は、色々と分かってくれている感じが楽でいい。
エレンは・・・・マイペースだからな。
「さっきエレンが湖がとっても綺麗だって。そうだね・・・此処から見る朝日を反射した湖面は、本当にキラキラして眩しいくらいだよ」
「でしょ♪あのねぇ、エレンが居る精霊界はねぇ。こんな風にマナがキラキラした所なんだよ♪」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、精霊界ってさ。えっと、湖面がこんな風にキラキラしたような景色が当たり前なのかな」
「うん、そうだよ♪まぁ、キラキラしているのはマナなんだけどねぇ。でも、此処のキラキラとよく似ているのはそうだよ♪」
神界は、ティアリスと会った聖殿の景色と、それからユミナさんが作った自分だけの世界くらいを見ている。
でも、エレンの居る精霊界は、行ったことも無ければ見たことも無い。
そう言えば。
僕はエレンの居る精霊界がどんな所なのか。
ちゃんとは聞いたことが無かったな。
僕が尋ねた精霊界のことを、それを話している時のエレンはよく笑っていた。
精霊界というのは、聞いた限り。
先ずキラキラした空に幾つもの雲みたいなものが浮かんでいるそうだ。
で、その雲みたいなものの一つに、エレンの実家があるらしい。
他の精霊の家も、たくさんある雲みたいなものの上に建てられているんだってさ。
それから、キラキラした空を、まぁ、キラキラはマナだって聞いたけど。
エレン達はそのキラキラした空を飛ぶ・・・で良いのかな。
うん、まぁ・・・そういう感じで行き来しているみたいだね。
僕が仕事中、その間を精霊界の実家で過ごすエレンは、これも聞いている限り。
キラキラした空で他の精霊たちと鬼ごっこみたいなことをしたりとかね。
楽しいのが分かる口調からは、僕が孤児院の図書室で、そこの窓から見ていた子供達の遊び。
遊びは、人間も精霊も余り変わらないんだなって思えた。
「精霊界・・・聞いていると何か楽しそうだね」
「そだねぇ。だからね♪エレンはさぁ、いつかアスランを連れて行きたいって思ってるよ♪」
「でも、僕は人間だよ。人間が精霊の世界に行くことって出来るの」
「アスランはエレンの旦那様だからね♪だから、アスランだけならエレンが連れて行けるんだよね♪」
別に結婚したつもりなんか無いけどさ。
だって、あれはどう考えても詐欺師リザイアの仕組んだ罠なんだし。
でも、まぁ・・・・・
精霊界には行って見たいな。
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現在進行形の初体験は、足元が落ち着かない僕の両手を掴むエレンだけが嬉々としてはしゃいでいる。
「アッスラ~ン♪大丈夫だよ。エレンがちゃ~んと手を繋いでいるんだから」
「うん。それは・・・理解って・・・るつもり」
僕とエレンが乗ったボートは湖の中心辺りへ来た後。
精霊界の話題は、そこからマナがちゃんと使えれば、人間も空を飛んだり水面を歩けるようになる・・・・・
で、僕はエレンを通してマナの流れ・・・・とでも言いますか。
空を飛ぶ感覚や水面を歩く感覚を、実際に体験中。
水面を歩く。
体験して理解った事は、足裏へ通すマナの流れ。
今はこんな表現感想なんだけど。
そうだね。
裸足にマナのサンダルを履いている感じ・・・かな。
まぁ、この感覚の延長線が、空を飛ぶ感覚に繋がっている・・・・・感じかな。
ただ、飛ぶと言うよりは、浮かすが近いかも知れない。
今もこうして両手を繋ぎながら。
エレンから流れ込んで伝わって来るマナの感覚は、けれど、それは僕が初めて体験したものだった。
『空の属性』
エレンの相変わらずな説明を、今となっては『ああ、そう言いたいのね』って感じで解釈も出来るようになれた僕は、この体験中。
今も自分の足裏と足指の間を流れる感覚が、これが空属性の波長くらいを理解したところ。
未だ感覚を理解しただけで習得したへは至っていない。
でも、この感覚は何と無く。
コツさえ掴めば直ぐに出来そうだって思えた。
そんな風に抱いた僕は、せっかくの機会だから。
今朝はこの感覚を習得しよう。
太陽が輪郭を僅かに覗かせ始めた頃。
僕の修行は、そして、湖を舞台に始まった。