林道【雰囲気陰気】
「夜道には気をつけなさいよ」
誰かが言った。
誰だったかは覚えていない。 そもそも、私に向けられた言葉かもわからない。
「この道を行くのはおやめ」
誰かが言った。
誰だったかはわからない。 どんな人だったのか、ただ、高齢の女性だったように思う。
「どうしても行くというのなら、真っ直ぐに進みなさいな。 決して、振り返ってはいけないよ? 真っ直ぐ前だけを見て歩くんだ」
誰かが言った。
理由はわからないが、従わなければならないのだと強く思った。
私は暗い林道を一人、何処かを目指して歩いている。
何処を目指しているのか、私は覚えていない。 それでも、私の中の何かが、強く、この道を行けと訴えていた。
どれくらい歩いたのだろう。
見上げてみても、空は鬱蒼と茂る木々の葉に遮られ、月も見えない。
最初になくなったのは、時間の感覚だった。
月明かりも差し込まない暗い林道を、小さな明かり一つを頼りに歩き続けた。
首から下げた細い鎖の先についたペンダントヘッドはライトになっている。
小さな電球から発せられる白い光が、ぼんやりと周囲の暗闇を照らしていた。
途中、休憩しようかと立ち止まろうとした時、ふと見た腕時計が止まってしまっていた。 電池切れだろうか。 この道に入るまでは確かに動いていたのに。
それを見て、結局休憩する気分にもなれず、私は休みなく歩き続けている。
次になくなったのは、方向感覚だった。
前を向いて歩いている。それだけは分かっている。 しかし、それしか分からない。 林道の入り口にあった案内板では、道は東から西へと一直線に伸びていた。 だのにどうしてだろう。 道の通りに進んでいるはずなのに、目的地から遠ざかっている気がしてならない。 来た道を戻っているような気にもなってくる。
最後になくなったのは、明かりだった。
突然に、ライトの明かりが消えてしまった。 辺りは真っ暗で、目を凝らしても何も見えない。 ライトの電池は新品だった筈だ。 どうして消えてしまったのだろう。
それでも私は最初の忠告に従って、手探りで闇の中を進んだ。 真っ直ぐに、前だけを見て。
暗闇にも目が慣れてきて、どれくらい歩いたのだろう。
時間の感覚も方向感覚もなく、明かりすらない。 それでも私は歩き続けた。
心身ともに疲れきった私は、休憩をしようと立ち止まった。 すると、後から足音が聞こえてきた。 足音はどんどん近くなる。 誰か、私の他にも人がいるのだろうか。
振り返ろうとして、やめた。 最初の忠告を思い出す。 振り返ってはいけない。 私は走り出した。 暗い道を走るのは不安と恐怖があったが、それでも走った。 前だけを見て。
足音はゆっくりと距離を縮めながら私の後をついてきた。
私は出来るだけ早く走ろうと手足を大きく動かす。 疲れた体に鞭打ちながら、走り続けた。
息も切れ切れになり、意識も朦朧としてきた頃。 前方に明かりが見えた。 私は必死に目を凝らす。 足音はゆっくりと距離を縮めている。
街灯だ。
林道の入り口と出口に設置された街灯。 その明かりが見えていた。
あと少し、あと少し。
私は走る。 感覚のなくなってきた足を引きずるようにして、縺れる足に転びそうになりながら、街灯を目指して走った。 足音はすぐ後に迫っていた。
ようやく街灯の足元に辿り着き、私は立ち止まった。 上手く呼吸ができずに苦しい。 足も震えている。 それでも林道を抜けたことが嬉しくて、私の目からは涙が零れた。
足音はいつのまにか聞こえなくなっていた。
私は街灯の下で呼吸が整うのを待った。
腕時計を見ると、止まっていたはずの針が動いていた。 街灯の少し先に入り口と同じように案内板が設置されている。
ペンダントライトを点けてみる。 白いLED電球の光が地面を照らしていた。
案内板を照らしてみる。
案内板には、赤い塗料で書き殴った様な文字。
――ようこそ! ××××――
林道の方から吹いてきた冷たい風。 街灯とライトの明かりが消えた。 足音が、真後ろで止まる。 肩に何かが触れて、私は振り返った。 そこから先は、何も覚えていない。