5 勇者、結婚祝いを贈られる。
勇者と魔王の結婚式は、魔王城の四分の一を犠牲にして終わった。
建物の崩壊は仕方ないにしても、あの大乱闘で犠牲者が出なかったのは幸いーー勿論、そこには必死に防壁魔法を張り巡らせたソルダの功績が大きいのは言うまでもなかった。
そして、その翌日。
「ん……」
シェリーは小さく声を漏らし、ゆっくりと目を覚ました。テーブルに伏せていた上半身を起こすと、寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見回す。
(ええと……ここは、何処だったかしら……?)
寝起きで頭が回っていないシェリーは、この部屋が自分の家ではないという事しか分からず首を傾げる。
家具が置いてあるのを見ると、誰かの部屋だというのは分かる。ただ、その家具はどれもが何処かしら壊れていて、窓に掛かったカーテンも破れている。
絨毯が敷かれた床にはトランプやチェスの駒が散らばっていて、自分が突っ伏していたテーブルにも割れたチェス盤が転がっていた。
(まるで嵐が通った後みたい……)
あまりに酷い散らかり様に、シェリーが怪訝そうに眉を寄せた時だった。
「うーん……」
「!!」
何処からか声が聞こえてきて、咄嗟にその声がした方を見る。
そして、天蓋が外れかけているベッドで仰向けになっている姿を見つければ、霧が掛かっていたシェリーの記憶は一気に蘇った。
(そうだわ、私、昨日は結婚式で……それで魔王とやり合って、いつの間にかゲームの腕の張り合いになったんだったわ……)
何が切っ掛けだったかまでは思い出せなかったが、トランプやチェスで張り合ったのは確かに記憶にあった。ーー負けそうになった方が勝敗をうやむやにする為に暴れた事も。
記憶を思い出して納得したシェリーは立ち上がり、ベッドの方へと近付いていく。
整っていた髪は乱れ、着たままだったウェデェングドレスもすっかりボロボロだが、今の彼女にはそんな事はどうだって良かった。
(今が、チャンス……!)
シェリーはベッドの傍らに立ち、寝息を立てているロワを見下ろす。
自分と同じく昨日の服のままで眠っているロワに起きる気配は無い。
隙だらけな天敵の姿に、シェリーはにやりと勇者らしからぬ笑みを浮かべた。
(ふふ……私の前で無防備にしていた自分を恨む事ね!)
逸る気持ちを抑えながらロワの腰にゆっくりと跨がったシェリーは、いそいそとドレスを捲り上げてガーターリングに隠していたナイフを取り出す。
そして、そのナイフを掲げると、無防備なロワの首に向けて振り下ろした。
「ーー……っ!」
ふわり、純白の羽毛が舞う。
銀色が裂いたのは固い肉ではなく、柔らかな枕だとシェリーが気付くより先に、視界がぐるりと大きく回った。
「ぐっ……!」
背中が布団に押し付けられたと思えば、首元を何かで圧迫される。一気に呼吸が苦しくなり、シェリーは息苦しさに顔を歪めながらも口を開いた。
「女性に跨がるなんて、最低ね……っ」
「ふん、寝込みを襲うような女に言われたくねえな」
薄い笑みを浮かべたロワはそう言いながら、白鳥のようにたおやかなシェリーの首を押さえ続ける。
シェリーはその手首を掴んで抵抗するも、呼吸が出来ない所為で力が入らない。徐々に顔が熱くなって瞳が潤んでいく。
そうして自分の下で弱っていく天敵の姿にロワは勝利を確信し、正に魔物の王と呼ぶに相応しい邪悪な笑みを浮かべた。
「……っ、ま」
「あ?」
「負けて、たまるかああっっ!!」
「うおっ!?」
しかし、そこは百戦錬磨の勇者である。
首を絞められているにも関わらず力強く叫んだシェリーに驚き、ロワはその手を一瞬だけ緩めてしまう。
その瞬間を、幾つもの戦場を潜り抜けてきた勇者が見逃す筈が無かった。
「ふんっ!」
「ぐはあっ!?」
込められる限りの気を込めた掌底突きをロワの腹に叩き込む。
そんな渾身の一撃を受けたロワは、物凄い勢いで壁に向かって吹っ飛んでいった。
「っ、けほっ……はあ、そ、そう簡単にやられるわけ、ないでしょ、ばーか……」
漸く解放されたシェリーは呼吸を整えながら起き上がり、壁にめり込んでいるロワに向かって忌々しげに舌を出す。
そして、今のうちにやり返してやろうとベッドから降りた時、部屋のドアが外から叩かれた。
「ロワ様、失礼しま……えっ?」
ドアを開けて部屋に入ってきたソルダは、まず部屋の惨状に驚いた。次に主の部屋に勇者がいることに驚いて、最後に壁にロワが埋まっていることに驚いた。
「こ、これは一体……どうしてシェリー様は、……あっ」
ソルダは状況が把握出来ずに目をぱちくりさせていたが、シェリーと視線が合うと、ふと何かに気付いた様子を見せた。
それから、少し頬を染めて深々と頭を下げた。
「し、失礼しました……そうですよね、新婚ですし……」
「ちょっと待って。貴方、確実に勘違いしてる。そもそも片方が壁にめり込んでいる時点で気付きなさいよ」
嫌な予感がしたシェリーはすかさず言葉を挟み、つかつかとソルダに詰め寄っていく。
険しい表情で近付いてくるシェリーに、ソルダが戸惑いを隠せないでいると、白魚のような指を目の前にビシッと突き付けられた。
「あのね、私と魔王はあれからずっと戦ってたの。だから昨夜は貴方が考えているような甘い事は何一つ、一切、これっぽっちもしていないし、するつもりも無いの。分かった?」
「は、はい……」
ずいっと近付けられた顔は愛らしかったが、語る口調は強い。
その威圧に圧倒されたソルダが素直に頷けば、シェリーは眉間の皺を無くして「分かれば良いわ」と満足そうに微笑んだ。
「いてて……おいソルダ、その女に騙されるなよ?」
いつの間にか壁から脱出していたロワが腹を撫でながらやって来た。血反吐を吐いてもおかしくない攻撃を受けてこの程度で済んでいるのは、流石は魔王と言ったところだろう。
途端にシェリーの目つきが肉食獣のように鋭くなる。
それに気付いたソルダは、二人が互いの神経を逆撫でしないうちにと慌てて口を開いた。
「あの、お二人に結婚祝いの品が届いてまして……」
「えっ?」
「誰からだ?」
結婚した自覚が無いので、結婚祝いを貰うという考えすら無かった二人が首を傾げると、ソルダは少し言い辛そうに口ごもってから答えた。
「……国王様と先代魔王様です」
「「……はあ?」」
***
魔王城の敷地はとても広い。周囲に何も無い大陸の外れに建っているのを生かして、存分に土地を活用しているからである。
その為、中庭もかなりの面積があった。
そして今、その中庭では、勇者と魔王が揃って口を半開きにして固まっていた。
その後ろではソルダが落ち着かない様子で二人の反応を窺っている。
「……何よ、これ」
先に言葉を発したのは、ボロボロになったドレスから上品な黒いワンピースに着替えたシェリーだった。
二人が唖然と見上げる先にあるのは、赤い屋根の一軒家。
街中で建っていれば何の違和感も無いのだが、中庭にある所為で奇妙な建築物と化してしまっている。
常識外れな光景を目の当たりにした衝撃が抜けきらず、家を見上げたまま静止しているロワに、ソルダは視線を合わせず黙って封筒を差し出した。
「……?」
封筒を受け取ったロワは、首を傾げながらも中から手紙を取り出す。
そして、そこに書かれていた文章を目だけで読んだ後、金色の目を大きく見開いた。
その様子を見ていたシェリーは怪訝そうに眉を寄せ、横から手紙を取り上げて目を通す。
「ええと……『ご結婚おめでとうございます。式に参列出来なかった分、お祝いの品を奮発させてもらいました。是非お二人で使って下さい。国王と先代魔王より』……はあっ!?」
自分で読み上げた内容に自分で驚き、思わずソルダの方を振り向く。
突然視線を向けられたソルダはビクッと肩を跳ねさせると、取れそうな勢いで首を左右に振った。
「じ、自分もこれは知りませんでした! 城内の見張りが今朝早くに報告に来て、そこで初めて知りましたし、手紙もこの家のドアに挟まれていたんです!」
「あー……でも、親父ならやりかねないな……」
ロワは深い溜め息をついて肩を落とす。
その隣でシェリーはこれでもかと顔を顰めた。
「……次に会ったら、絶対に一発お見舞いするわ。今決めた」
王様相手に物騒な言葉を零して封筒を握り締める、と、紙越しに硬い感触がして、シェリーは掌の上で封筒を逆さにしてみる。
すると、封筒の中から銀色の鍵が二つ出てきた。
「これは……」
「恐らく、この家の……」
「鍵、だろうな……」
白い掌の上で輝く鍵を見つめた三人は、次にドアの鍵穴に視線を向ける。
少し間を置いた後、シェリーは片方の鍵をそっと鍵穴に差し込んだ。軽く回してみれば、鍵が開く音が小さく鳴る。
シェリーは警戒しながらドアを僅かに開けて、その隙間から中を覗き込んだ。
「……普通の家ね」
「あ、おい!」
特に不審な点が見当たらない事を確認すると、次は普通にドアを開けて家の中へと足を踏み入れる。
幾つもの戦場を踏み越えてきた勇者らしいしっかりとしたその足取りを、ロワとソルダは顔を見合わせてから追いかけた。
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