40 勇者、説得される。
剣がぶつかり合う音。放たれた矢。爆風。怒鳴り声。
そんなものが行き交う中で、私は目の前に迫ってきていた魔物を斬り伏せた。
様々な獣を混ぜたような姿をした魔物から噴き出した色は、赤ではなくて濃い緑だった。
それに私は少しだけ、安堵してしまう。
(私達と同じ色だったら、きっと、剣は振るえない)
本当は命を奪いたくない。戦争だってしたくない。
だけど、私だけがそう思っていても向こうは違う。
人間である以上、容赦なく殺そうとしてくる。そんな相手に生半可な攻撃をしたら、返り討ちにあって死ぬだけだ。
そして、勇者である私が死んでしまったら、次は他の人たちが魔物に襲われるだろう。それこそ、戦争になんて関わらなくてもいい筈の人たちも。
(それだけは、駄目だもの……)
沈みかけた気持ちを取り直して、剣に付いた魔物の血を振り払う。
そして、次の敵を探そうと足を踏み出した時だった。
「……っ!?」
ぞわりと体中を悪寒が駆け巡る。
原因は風邪でも寒さでもない。この戦場では感じ慣れた筈の、だけど今までよりもずっと濃くて重たくてーー明確すぎる殺意だ。
そう気付いた瞬間、私は直ぐに振り返った。
「お前が、勇者だな?」
そこにいたのは、鎧ではなくマントを身に付けた、私より少し年上らしい男だった。頭に生えている二つの巻き角が、一見すると人間のような彼を魔物だと証明している。
金色の瞳が私を真っ向から捉える。
私はその視線から逃げることなく、剣を構え直して口を開いた。
「ええ、……貴方が噂の次期魔王ね?」
噂に聞いていた以上の膨大な魔力の気配が、私に男の正体を予想させた。
私の問いかけに、男はにやりと口元を歪める。唇の隙間から覗いた牙はやはり、魔物らしく鋭かった。
「ああ、そうだ」
「わざわざ声を掛けてきたって事は、何か話があるのかしら?」
すると、男は肩を竦めて笑った。
嫌味を含んだその笑みに、剣を握る手に自然と力が入る。
「いや? 別に不意打ちなんざしなくてもいいと思ってな」
それを聞いて、私は確信した。
この男は明らかに私を馬鹿にしている。私が女だからなのか、人間だからなのか。それとも自分の実力に余程の自信があるのか。
(……いや、もうこの際、何だって構わないわ)
私は素人じゃない。あの殺気を出せる相手がどれだけの力を持っているかなんて、剣を交える前から分かる。
それでも逃げるわけにはいかない。いや、逃げる気なんて更々無い。
「……初対面でなんだけど、一つ言わせてもらうわね」
「あ?」
怪訝そうに首を傾げる男に向かって、私は白銀の剣先を向ける。
「私、貴方の事が、大嫌いだわ」
勇者の敵は魔王。勇者が嫌うべき存在は魔王。
ずっと昔から言い聞かされてきた事を言葉にして、私は「勇者」である事を、目の前の男が「魔王」である事を確かめた。
何百年も語り継がれてきた因縁、勇者と魔王。
そこに私の意思が入り込む隙なんて、無いのだから。
***
「おい! いい加減に起きろ!」
飛び込んできた真っ直ぐな声が、記憶が作り出していた世界を破壊した。
「……っ!?」
頭の中で風船が弾けたような感覚がして、シェリーは虚ろだった目に生気を取り戻す。
そして、自分の置かれている状況に気付くと、困惑した様子で目を瞬かせた。
「ど、どうなってるのよ、これ……?」
光に包まれて宙に浮いている自分。
透き通った光の膜の向こう側では、必死な顔をしたロワが幾度も剣を振るって、この膜を破ろうとしているのが見えた。
「俺の声が聞こえるのか!?」
「き、聞こえるけど……ねえ、これってどうなってるの?」
「そんなの俺が聞きてえよ! お前が泣きながら作ったんだろうが!」
そう言われて、シェリーはここまでの経緯を思い出す。
すると、記憶と共に感情も蘇ってきた。
赤く染まった目尻には再び涙が浮かんできて、喉が僅かに震え出す。
「……っ、もう、放っておいて、って」
「いい加減にしろ! この鈍感阿呆泣き虫女が!!」
殴りつけるような大声をぶつけられて、シェリーは思わず口を噤んだ。涙が溜まる瞳をぱちくりと見開く。
シェリーが呆気に取られているのを見て、ロワは金色の目に激しい感情を燃やしながら言葉を続けた。
「大体さっきから意味分からねえんだよ! 結婚し直せとか、他の奴が俺の嫁になるだとか!」
腹の底から怒鳴りながら、光の膜を斬り付け続ける。
すると、無機質な音と火花を散らすだけだった其処に、小さな亀裂が入った。頑丈な防壁に漸く生まれた傷。
ロワは其処を集中的に攻撃しながら、光の向こうで力無く座り込んでいるシェリーを真っ直ぐに見つめた。
「俺の嫁はお前だろうが、シェリー!!」
ロワがそう叫んだと同時に、刃を受け続けていた亀裂が一気に広がった。
光の球体はあっという間に皹だらけになる。
そして、破裂するような音が鳴って、輝く球体は遂にバラバラに弾け飛んだ。
「きゃあっ!?」
宙に浮いていたシェリーは、支えを失って下へと落ちていく。ドラゴンの背中から落下するよりは良いが、それでも怪我をしないとは言い切れない。
咄嗟の事で受け身を取る体勢にもなれず、覚悟を決めて目を固く瞑った。
「やっと捕まえたぞ、この暴走勇者が」
傍で聞こえてきた呆れ声に、シェリーは瞑っていた目をおずおずと開いてみる。
「あ……」
最初に見えたのは、疲労と呆れが混ざった表情を浮かべたロワの顔だった。
視線が合った途端に胸が詰まる。言葉が見つからず、自然と俯いてしまう。
自分の腕に抱かれたシェリーに抵抗する気配が無いのを確認したロワは、気が抜けた様子で大きな溜め息をついた。
「……さて、それじゃ洗いざらい話してもらうぜ?」
***
話を聞いて頭が痛くなったのは初めてだった。
俺は額に片手を当てて、目の前で縮こまっている女が白状した事をどうにか纏めてみる。
「……要は、俺が浮気したって勘違いして家出して、挙げ句にここまで暴走したってのか?」
そう問いかければ、奴は無言で頷いてみせた。ただでさえ小さい体なのに、ばつが悪そうにしているものだから余計に小さく見える。
「お前、やっぱり馬鹿なんだな」
そんな奴に対して、俺は無遠慮に言葉を掛ける。
そして、さっきから俯きっぱなしの顎を掴んで、強引に上を向かせた。
散々泣いていたから、随分と酷い面になっている。からかってやりたいが、今そうしたらまた面倒な事になりそうだから見逃してやろう。
「ツッコむ所が多すぎて困るんだが、まあ……一つずつ丁寧に説明してやるから、有り難く思えよ」
わざと上から目線の物言いをしてやれば、情けなかった目つきが少しだけ強くなった。
だけど、顎を掴む手を振り払おうとしない辺り、まだ完全に調子が戻っていないらしい。まあ、話の最中にまた逃げられでもしたら困るので、とりあえずこのままでいいか。
「まず俺の帰りが遅かったのは、ある奴と会ってたからだ」
「ある奴?」
「お前も名前くらいは聞いたことある魔物だと思うぜ。蛇女だ」
そう言った途端、奴は目を見開いた。
「……っ! や、やっぱり!」
「だから浮気じゃねえよ。話を聞けっての」
「はうっ」
予想通り噛みついてきたので、すかさずその額を指で弾いて黙らせる。
僅かに赤くなった額を擦り、不満げにしながらも素直に口を閉ざした奴に、俺は小さく笑いながら話を再開させる。
「その蛇女は鉱石場を住処にしてるんだけどな、ちょっと欲しい鉱石があるから掘らせてくれって頼みに行ったんだ」
「……うん」
「でもよ、其奴……マーサって言うんだが、外に出るのすら面倒がるくせに物凄い寂しがりやでよ。……自分の住処を掘らせてやる代わりに、見つかるまで話相手になれって条件を出してきやがったんだ」
「……え?」
奴の口から間の抜けた声が零れた。
ぽかんとしている奴の顔を見ながら、俺はその時の事を思い出しつつ説明を始めた。
北に聳える山にある鉱石場。其処に住む蛇女のマーサは、訪ねてきた俺から交渉を持ちかけられると、紫色の唇をにっこりと歪めた。
「いいよお。だけどねえ、やっぱり住処を荒らされるのはあんまり良い気しないからあ、私のお願いも聞いてほしいなあ?」
やたら間延びした独特の口調で言われて、俺は直ぐに頷いた。何か見返りを求められるのは、最初から予想していたからだ。
「おう、いいぜ。何だ?」
だけど、その内容は予想しないものだった。
「あのねえ、お目当ての物が見つかるまで毎日ここに来てえ、私の事を構ってほしいのお」
「……は?」
「私ねえ、すっごい寂しがりでえ、こうして人が来てくれるのがすっごい嬉しいのお。だからあ、暫くの間、私の話相手になってえ? それが取引の条件だよお」
頭に生える無数の銀蛇をうねらせながら、マーサは口調同様にだらしない笑みを浮かべる。
ある意味、金や宝石を求められるよりも厄介な要求をされたと思ったが、話を持ちかけた側の俺に拒否権は無かった。
「ーーだから俺は、仕事終わりに毎日マーサの所まで行って、話し相手になりながら鉱石掘ってたんだよ」
「じゃあ……帰りが遅かったり、やたら疲れてたのは」
「おう、そういう事だ」
「で、でもじゃあ、あの香りとか、指輪は」
明らかに狼狽えている奴の様子を見て、やっぱりからかいたくなったが何とか堪える。
その代わりに顎を解放してやって、丸っこい頭を小突いてやった。
「香りは多分、鉱石掘った後に入ってた温泉だろ。鉱石場の傍に沸いてんだよ。帰るまで汚れっぱなしってのは俺だって嫌だったからな」
「……指輪は?」
「お前、鉱石掘る時に指輪してたら、傷つけるか無くすって思わねえか?」
そう言って俺はポケットから、入れっぱなしにしていた指輪を取り出してみせた。
そして、目の前で、左薬指にしっかりと填めてやる。
奴は定位置に戻った指輪を間抜け面で見ていたが、不意にハッとすると、俺の首筋を指さした。
「こ、ここにあった赤い痕は!?」
「あ?」
「ご、誤魔化しても無駄よ! アリアが教えてくれたから、その、少しは分かるんだから!」
何故か顔を赤らめて騒ぐ奴に、俺は首を傾げる。
一体何の事だと分からなかったが、少し記憶を探ってみると、思い当たる事が一つだけあった。
「あー……もしかして、噛まれた痕か?」
「……ふえ?」
「鉱石掘ってる時に一度だけ、マーサの頭の蛇に石をぶつけちまったんだよ。で、キレられて噛まれたんだが……そういやあれ、首だったっけか」
蛇女の髪となっている蛇は毒蛇だと言うが、一応魔王である俺にはその毒が効く方が珍しい。
だから俺にとって、蛇に噛まれる事は蟻に噛まれるのと大差ないことで、現に今言われるまで忘れていた。
素直にそう話せば、奴は真っ赤な顔で口をぱくぱくと開閉させて、それから肩を落とした。
「……本当に、私の勘違いだったのね」
力の抜けた呟きが聞こえてきて、俺もそっと胸を撫で下ろす。
どうやら、この厄介な嫁を無事に連れて帰れるようだった。
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