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39 勇者、喧嘩をする。

「ど、どうしたんですか!?」


 魔物とはいえど王に頭を下げられて、シェリーは困惑する。

 おろおろと狼狽えていると、ディアロが顔を上げた。その表情は今までよりも穏やかで、何処か真剣さを帯びていた。


「きっと、ロワは君をとても気に入っているよ」

「え?」

「あの子は魔王としては優秀だけど、夫としてはまだまだ未熟だろう。……だけど、どうか見捨てずに、これからも一緒にいてあげてくれないかな?」


 それは魔物と人間の関係を案ずる先代魔王ではなく、ロワの父親としての言葉だと、直ぐに感じる事が出来た。

 真摯なその思いには頷いてやりたかったが、シェリーは少し唇を噛んで、ゆっくりと首を左右に振る。


「私を気に入っているなんて、思い違いです。それに……」

「……それに?」


 ディアロは怪訝そうに眉を寄せる。

 このまま言っていいものかと一瞬迷ったが、此処で濁しても、この城にいる限りはいつか明かされるだろうと思い、シェリーは噛んでいた唇を緩めた。


「……きっと、私が先に、見捨てられ、て」


 目尻に涙が浮かぶ。胸の奥からこみ上げてきた熱が喉を塞いでしまって、言葉の続きが出てこない。

 息苦しさに大きく息を吸った、その時だった。


「やっぱり此処にいたのか。……漸く見つけたぞ、この馬鹿が」


 耳に飛び込んできた、不機嫌そうな低い声。

 シェリーは思わず顔を上げて、ドアの方を見る。開けたドアに寄りかかり、これでもかと顔を顰めているその姿を視界に捉えた。


「ま、おう……?」


 譫言のように零れる声。潤んだ瞳が見開かれる。

 赤くなった頬に涙が伝い落ちていくのを見て、ロワはやはり不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 部屋の空気が一瞬にして張り詰める。

 此処にいる筈の無いロワの姿を、シェリーは涙を拭うのも忘れて、信じられないといった様子で見つめた。


「久しぶりだね、ロワ」


 緊張した空気の中で、ディアロの呑気な声が響く。

 穏やかに微笑んでいる父親とは対照的に、ロワは顔をより一層険しいものにさせた。


「そうだな。でも今はそこの馬鹿に用事があるから、ちょっと席外してくれ」


 ロワはそう言いながら、未だに唖然としているシェリーを顎で指し示す。

 息子の高圧的な態度にも、ディアロは嫌な顔一つせずに頷いて席から腰を上げた。


「はいはい。それじゃまたね、シェリーさん」

「え、あ、あのっ」


 声を掛けられて漸く我に返ったシェリーは、慌ててディアロを引き止めようと咄嗟に片手を伸ばす。

 しかし、それは間に合わず、何も無い宙を虚しく掻くだけで終わった。

 ディアロが出ていくと、再び緊張が部屋を満たす。

 しかめっ面を崩さないロワが、ドアを乱暴に閉める。廊下まで大きく響いたその音に、シェリーは丸い肩をびくっと跳ねさせた。


「さて、色々聞きたい事があるんだが」

「……っ」


 厳しい声色が突き刺さって苦しくなる。

 しかし、目を逸らす事すら許さないといった空気に飲まれて、シェリーは顔を俯かせられずにいた。


「まず、どうして黙っていなくなったんだ?」


 その問いかけに、震える唇を噛み締める。膝の上で拳を握った。


(……言えない、言いたくない)


 だけどもう、口を閉ざす理由は『確固たる証拠が無いから』ではない。何故、自分は言葉にしたくないのか。

 その理由をシェリー本人は、薄々気付き始めていた


(素直に言って、もし本当に浮気していたら……)


 ロワの隣に見知らぬ女性が立つ光景。それを思い浮かべるだけで胸が切なくなる。

 想像しただけでこうなってしまうくらいなら、もしロワの口から実際に伝えられたら、どうなるのか。

 それにきっと、口に出してしまったら、認めなくてはいけない。どうして自分はこんなにも、真実を知るのが怖いのかを。


「……おい、何か言えよ」

「!!」


 いつの間にか傍まできていたロワが、苛立った様子で肩を掴んできた。


「いや……っ!」


 体が跳ねて、反射的にその手を振り払う。パシッと乾いた音が鳴る。

 手を強く払い退けられたロワは僅かに見開いた目でシェリーを見たが、直ぐに目つきを鋭くさせた。


「何なんだよ、お前……」


 その呟きにすら、シェリーは肩を震わせて身を縮こまらせた。

 ひたすらに拒絶するその姿には、いつもの気高さも美しさも無い。ただ、弱々しいだけだった。

 固く口を閉ざし続ける相手に、ロワの苛立ちは増していく。強く噛み締めた歯が軋む。感情が膨れ上がっていくのを感じた。


「文句があるなら普段みたいに言えよ、面倒な奴だな」

「……っ!」 


 吐き捨てられた言葉がシェリーの胸を抉った。頭の中が一瞬真っ白になる。

 気が付いた時には、ロワの胸ぐらに噛みつくように掴みかかっていた。


「な、っ!?」


 今まで黙りこくっていた相手の予想外の行動に、顔を顰めていたロワも流石に目を丸くさせる。

 シェリーは面食らって動けないロワの胸ぐらを掴んだまま、涙に濡れた真っ赤な顔をくしゃりと歪めた。


「それなら……っ、それなら、面倒じゃない相手と結婚し直せばいいじゃない!!」


 最後の方は悲鳴に近かった。ロワの胸ぐらを押し飛ばすように乱暴に突き放して、その横をすり抜けて部屋を飛び出そうとした。


「っ、待ちやがれ!」


 しかし、咄嗟に伸ばされたロワの手が、廊下に出る一歩手前でシェリーの腕を掴んで引き止める。その力は手形が残っても不思議ではない程に強い。

 それでもシェリーは逃走を諦めず、どうにか手を振り解こうと必死に腕を振り回した。


「離して! 離しなさい!」

「離せと言われて離す馬鹿がどこにいるんだよ!」

「貴方がその馬鹿になればいいでしょう! いいから離して!」

「うおっ!?」


 空いている方の手から、容赦ない勢いで拳が繰り出される。それをロワは上体を反らして紙一重で避けた。

 シェリーはその隙に手を強く振り解くと、今度こそ部屋から飛び出した。


「おい、待てよ!」


 それを易々と見逃すわけもなく、ロワも直ぐに追いかける。

 長い廊下を駆けていく二人の人影。

 その速度は常人の目には捉えきれず、給仕係や兵士は何が通り過ぎたのかと首を傾げる。


「待て! 待ちやがれ!」

「絶対に嫌!」


 言い合いながら廊下を駆ける二人の距離は、離れもしなければ縮まりもしない。

 ちらりと振り返ってみれば、どうにも諦める気配の無いロワの姿。

 このままでは逃げ切れそうにないと思ったシェリーは、遂に意を決して足を止め、体ごと振り向いた。

 突然逃げるのを止めたシェリーに、嫌な予感がしたロワはある程度の距離を置いて、同じように足を止める。

 そして、何が来るのかと身構えていれば、シェリーはバッと両手を突き出した。


「もう……もう、放っておいて!」


 少し枯れた声で叫ぶや否や、細い指先から幾つもの光弾が発射された。

 その弾はどれも様々な軌道を描き、ロワの下へと飛んでいく。


「冗談じゃねえぞ、おい……!」


 顔を引きつらせたロワは咄嗟に杖を召喚し、先端の魔石から漆黒の炎を出して防壁を作る。飛んできた光の弾は、次々とその炎に飲み込まれていった。

 それを見たシェリーは唇を噛み締めて、それでも攻撃を続けた。沸き立つ感情に呼応するかのように、右手に浮かぶ勇者の紋章が輝きを増す。


「来ないで! 嫌なの、嫌なのよ!」


 声を荒げる度に、再び目尻から涙が零れる。

 がむしゃらに放たれた光弾はあらぬ方向に飛んで、廊下の壁や床を削っていく。

 しかし、命中率の代わりに威力が上がっているのか、炎の壁を突き抜けてくる光弾が現れ始めた。


「くそ……っ!」


 舌打ちをしたロワは一旦炎を鎮めて、漆黒の杖を鋭い剣へと変化させる。

 そして、他に流れることなく、自分の方へ飛んでくる光弾を斬り捨てながら口を開いた。


「嫌って何がだよ!? 俺と夫婦でいる事か!? それならそうだってハッキリと──」

「違う! そうじゃない!」 


 甲高くもよく通る大声が荒れた廊下に響き渡る。

 濡れそぼった睫毛の下で潤んだ瞳が、その場で固まっているロワを睨みつけた。

 泣き声を出し疲れた喉がひくひくとか細く引きつる。それでもシェリーは息を大きく吸い込んだ。


「私は……っ、私以外の人が、貴方の嫁になる事が嫌なのよ!!」


 ──ああ、言ってしまった。

 ぐちゃぐちゃに乱れた頭の中で、何処か冷静な自分がそう呟いた気がした。しかし、言ってしまった言葉は取り消せない。

 抑え込んでいた感情を爆発させた所為か、一気に力が抜けたシェリーはぺたんと座り込む。


「貴方の事なんて、大嫌いなのに、それなのに、っ……」


 大粒の涙が次々と溢れては零れる。

 小さくなって泣きじゃくるシェリーは勇者ではなく、ただの一人のか弱い少女だった。


「おい、お前……」


 そんな彼女に近付こうとしたロワだったが、ふと異変に気付いて足を止める。


(何だ……?)


 涙を拭っているシェリーの右手に目を凝らした。

 そこに刻まれた勇者の紋章は光を放ち続けている。

 その光は持ち主が咽ぶ度に輝きを増し、そしてロワが怪訝そうにした、次の瞬間だった。


「うわっ!?」


 紋章が一際強い光を放ち、そこから溢れ出した光がシェリーをゆっくりと包み込んでいく。

 そして、光はやがて球体となって、完全に飲み込まれたシェリーはその中心に浮かぶ形となった。


「何だよ、これ……おい! どうなってんだ!?」


 ロワが大声で呼びかけるも、シェリーは籠もるように体を丸めて泣いてばかりで反応を返さない。

 どうにかして気付かせようと球体に剣を振り下ろすも、漆黒の刃は硬い音を響かせて弾かれるだけだった。


「くそ……っ! おい、聞こえねえのか! おいっ!」


 幾度も剣で斬り付けてみても、音と火花を散らすだけで、光の壁はびくともしない。

 魔王の宝剣もロワの声も、全てを遮断した光の中でシェリーは一人、小さくなって泣き続けていた。

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