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33 勇者、騙す。


「勇者さん、ここにいたんですか」


 軽やかな声がシェリーに投げ掛けられた。

 そっと振り向けば、上機嫌な笑みを浮かべたディムが此方に歩いてくるのが見えた。


「探しちゃいましたよ。何か手伝う事はあるかって聞きに行ったのに……」


 そう言いながらディムはシェリーの傍らに立つと、倒れているロワに視線を向ける。

 胸に剣を突き立てたロワは眠るように目を瞑っていて、心臓の位置には鮮血の花を咲かせていた。

 冷たくなって微動だにしない魔王の姿に、ディムは笑みを一層歪めると手を叩いた。


「まさか、既に魔王を倒しているなんて! お見逸れしましたよ!」

「……どうも」


 手放しで喜ぶディムとは対照的に、物静かに返事をしたシェリーはふいっと顔を逸らす。

 宿敵を倒したにしては冷静な態度がディムは少し気になったものの、願望の成就が目前まで迫っている喜びによって、その疑問は直ぐにかき消された。


「あとはこの城を制圧するだけなんですけど……少し苦戦しているみたいですね」


 ディムは遠くから聞こえてくる喧噪に耳を傾ける。

 騒々しい音が落ち着く気配が無いことに肩を軽く竦めると、死体に跨がったままのシェリーを見下ろした。


「勇者さん、良ければ手伝ってもらえませんか?」

「ええ、いいわよ。……でも少し疲れたから、手を貸してもらえるかしら」


 頷いたシェリーは片手を差し出す。

 今しがた魔王を倒した者とは思えない小さな手だが、その白い肌の所々には返り血が付いていた。


(こんなひ弱な手なのに、魔王を……)


 勇者という存在が最早別次元のように感じながら、ディムは差し出された手を掴んで立ち上がらせる。

 そして、まるでダンスのエスコートをするかのように、片手を握ったままシェリーの腰を軽く抱き寄せた。

 一気に近くなった互いの距離に、シェリーは怪訝そうに顰めた顔を上げる。


「何のつもり?」

「いえ、勇者さんがあまりにも魅力的すぎて、今回だけの付き合いにするには惜しくなってしまいました」


 そう言ってディムは腰を抱く手を更に引き寄せる。

 しかし、シェリーは溜め息をつくと、ディムの胸板を軽く突き放して腕から抜け出した。


「……つまらない冗談は止めてもらえないかしら」

「冗談で勇者を口説くほど間抜けではありませんよ」 


 素っ気ない態度を取られても、ディムは引き下がらなかった。

 それは恋慕の情からではない。自分が魔王になる事を考えると、シェリーが魔王の妃として居続けてくれると何かと便利だと思ったからである。

 そんな淀んだ下心を胸に秘めたディムは、開けられた距離を再び詰めようと手を伸ばす。

 しかし、シェリーはその手を強く払い退けた。乾いた音が大広間に響く。

 そして、目を丸くさせて自分を見るディムに、満開の花のような笑顔を向けた。


「私を口説くのなら、そこの魔王よりも強くなってからにしてもらえる?」

「ーー……えっ?」


 ディムの口から間抜けな声が漏れ落ちた。


(そこの、って、まるでーー) 


 そこまで考えてディムは気付いた。

 目の前に立つシェリーの視線が自分ではなく、自分の背後に向けられていることに。

 もし気付くのがあと数秒早かったら、ディムは間に合ったかもしれない。けれど、実際にはもう遅かった。


「ーーう、あ……」


 腹の底から重たい物がこみ上げてくる。びくんと喉が跳ねて、唇の隙間から生温かい液体が溢れ出した。

 ゆっくりと視線を落とせば、足元には赤黒い血が点々と零れていて、自分の腹を漆黒の刃が突き抜けていた。

 足が震え出す。溢れる鮮血で口元を汚しながら、ディムは後ろを振り返り、揺れる双眸を大きく見開いた。


「な、んで」


 霞む視界でも分かったのは、骨の髄まで響くような威圧感と強大な魔力の所為だろう。

 顔から血の気を失いながら声を漏らしたディムに、背後に立っていたその人物は凶悪な笑みを浮かべてみせた。


「何でも何も、生きてるからに決まってんだろ」


 そう言い放ったロワは柄を持つ手を軽く捻る。半転した刃がディムの体を抉り、広がった傷口から新たな血が溢れた。


「ぐ、あっ、ああ……!」


 残酷で容赦ない仕打ちを受け、ディムは血を吐きながら苦痛に呻く。

 遂には立っていられなくなり、その場に崩れ落ちて倒れ込んだ。倒れる寸前に刺さっていた剣が引き抜かれて、溢れる血の量は一気に増える。

 既に虫の息となっているディムと、その傍らで転がる自分の死体を見下ろして、ロワは嫌そうに顔を歪めた。


「……自分で作ったとは言え、自分の死体が転がってるのって気味悪いな」

「それで喜んでたら変態よ。良かったわね、自分がとりあえず正常だって確認が出来て」

「とりあえずって何だよ、とりあえずって……」


 シェリーの言葉に口端を引きつらせながら、ロワはディムの傍らに屈み込む。気絶して死にかけてはいるものの、呼吸はまだあることを確認したロワは、傷口に手を翳して回復魔法をかけ始めた。

 それを見たシェリーは首を傾げる。


「あら、助けるの?」

「コイツが首謀者っぽいからな。他の反乱分子との繋がりがないかとか色々と聞かなきゃならねえんだよ」

「ふーん……」

「それにしてもお前、裏切るとか本当に勇者かよ?」


 ロワは不審そうに細めた目で、偽物の死体を爪先でつついているシェリーを見つめる。

 すると、シェリーは青い瞳を大きく瞬かせて、それから心底可笑しそうにくすくすと笑った。


「裏切るも何も、最初から協力する気なんてなかったわよ。でも首謀者だけ斬っても、下が残ってたら後々面倒そうじゃない?」


 だから、とシェリーは満面の笑みで続ける。


「いっそ全員で攻めてきた所を一斉に……って思って、加担したふりをしただけよ。ここまで上手く行くとは思わなかったけど……あの駄目オークの部下だけあるわね」


 倒れているディムを見下ろす横顔は、達成感と満足感にたっぷりと浸っている。

 大胆且つ豪快な計画を一人で企てた挙げ句、実際に成功させたシェリーの豪傑さに、敢えてロワは何も言わずに引きつった笑みを浮かべた。


「……そういやお前、それが俺の偽物だってよく分かったな」


 ふと気付いたロワが自らの死体を横目にそう言うと、シェリーは少し得意げな笑みを浮かべて、自分の右耳をちょいと指さした。


「だって、これが右耳にあったから」


 シェリーは耳元で揺れる太陽のイヤリングを指先で弄びながら、血の気が無いロワの偽物を見遣る。

 まるで鏡合わせのように本物と瓜二つの彼は、右耳に銀の三日月を輝かせていた。

 それを見たロワが眉を顰めて頭を軽く掻けば、左耳に下がる銀月が揺らめく。


「あー……やっぱり急拵えはミスるな……」

「まだまだね、精進なさい」


 自分の失態を嘆くロワに、シェリーは慰めるどころか両腕を組んで鼻で笑ってみせる。

 高飛車な態度を取られたロワは頬を引きつらせるも、苛立ちを溜め息で散らす。

 そして、ディムの傷口が塞がったのを確認すると翳していた手を退けて、屈めていた腰を伸ばした。


「さて、と……あとは残ってる奴らを片付けるの手伝わねえとな。指揮とか全部ソルダに丸投げしてきちまったし」

「……結局のところ、敵を引き入れたのは私だし、手伝いましょうか?」


 自分の計画に強引に巻き込んでしまった負い目を今更ながら感じたシェリーは、申し訳なさそうに眉を下げてロワを見る。

 先程までの気丈さを無くし、子猫のような儚さで自分を上目で見つめてくる。

 あまりの違いにロワは思わず噴き出してから、不思議そうに首を傾げているシェリーの頭に片手を置いた。

 頭上に乗せられた掌に驚くシェリーを余所に、ロワは口元に微笑みを湛えながら言う。


「いや、大丈夫だろ。だからお前は先に家帰って、夕飯作っといてくれ」


 本人は自覚しているのかいないのか、穏やかな声色でそう言ったロワは蜂蜜色の髪を緩く撫で回す。

 そして、不意打ちを食らったシェリーが呆気に取られているうちに、気絶しているディムを肩に担ぎ上げ、踵を返して歩き始めた。


「……!」


 はたと我に返ったシェリーは、乱れた髪を慌てて手櫛で整えて、文句を言おうと大きく口を開きかける。

 しかし少しの間、その状態で固まった後、小さく溜め息をついてから遠ざかっていく背中を見送った。


(残念だったわね、ディム)


 ロワの肩に担がれて動かないディムに、シェリーはそっと頬を緩ませながら届かない言葉を掛ける。


(今の私、この生活が案外悪くないって思えてるのよ)


 少しの事で言い合いもする。大切な剣が欠けてしまったり、宝物のティーカップが割れてしまうくらいの派手な喧嘩もする。

 だけど、そんな騒々しさが結局は嫌いじゃない自分がいる。少なくともーー他人の身勝手な欲望に壊されるのが惜しいと思うくらいには。


(さてと……今日の夕飯は魔王の好みに合わせてあげようかしら。面倒かけたのは事実だしね……)


 どうやら形勢を動かすような大きな戦力が参戦したらしく、遠くに聞こえる喧噪が一気に激しさを増した。

 その戦力が容易に予想出来たシェリーはこっそりと笑みを浮かべる。

 そして、目一杯暴れて腹を空かせて帰ってくるであろう相手の為に、腕によりをかけて夕飯を作ってやろうと、意気込みながら大広間を後にした。

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