28 勇者、落ち込む。
中庭に激しい爆発音が鳴り響く。黒煙が立ち上り、地面に大きな窪みが出来た。
それを一瞥したロワは口端を歪め、視線を前に向ける。
「お前、結構命中率悪いよな」
「貴方が動かなければいい話よ!」
小さな掌から次々と放たれるのは、聖なる力が凝縮された魔力の塊。
流星群のように降り注ぐ光をロワは避け続けた。避けきれないものは漆黒の杖で弾き飛ばす。
「悪足掻きは止めなさい!」
寸でのところで攻撃が当たらないもどかしさに、シェリーは堪らず声を荒げた。
一際力を込めて放った魔力が、巨大な光の球となって飛んでいく。
「げっ……!」
以前、森で同じ攻撃を食らったロワは、思わず顔を引きつらせて足を竦ませた。
その一瞬の隙を突いて、聖なる光が魔王の姿をたちまち飲み込んでいく。
勝利を確信したシェリーは満足そうに鼻で笑い、攻撃を放ち続けていた手を漸く下ろした。
「二度も同じ手を食らうかよ!」
高らかな声が聞こえた。光の球が真っ二つに割れて、輝く粒子となって霧散する。
光の中から姿を見せたロワの杖は、威圧感を放つ漆黒の剣に変わっていた。
ロワは勢い良く地面を蹴って、見る見るうちに間合いを詰めながら剣を振り上げる。
「しぶといわね……っ!」
迫り来る黒い刃に気付いたシェリーは、咄嗟に勇者の剣を召喚する。そして直ぐに構えて、目の前まで迫っていた刃を受け止めた。
目の前で交差する白と黒。睨み合う両者は一歩も譲らない。殺気と緊張感で空気が張り詰めていく。
「ロワ様、何をしていらっしゃるのですか?」
その空気をあっさりと壊したのは、いつの間にか中庭に来ていたソルダだった。
何処か棘のある声色に、ロワはびくっと肩を跳ねさせて、ゆっくりと其方に振り向いた。
「ソ、ソルダ……」
「確か自分は、ロワ様には書類に目を通してもらうのをお願いした筈なのですが……どうして執務室にある書類の大半が、未だにロワ様のサインが書かれていないのでしょうか?」
口調は穏やかだったが、言葉の端々どころか全てから怒りが滲み出ている。
まるで噴火寸前の火山のようなソルダに、そうさせた原因であるロワと、怒られているわけでもないシェリーですら畏縮する。
ーーこれ以上、刺激したらマズい。
目を合わせる事もせずに同じ考えが浮かんだ二人は、何も言わずに同時に剣を退いた。
「わ、悪かった! 今からすぐに片付ける!」
「……全く、本当にお願いしますよ?」
素直に喧嘩を止めた姿勢が功を奏して、ソルダが纏っていた怒りのオーラが薄くなる。
それに気付いた二人は表には出さず、平静を装いながら内心で安堵の溜め息を大きくついた。
「それではシェリー様、自分達はこれで……」
「きゃあああっ!?」
ソルダとロワがその場を後にしようとした時、甲高い悲鳴が響き渡った。
何事かと驚いた二人が目を向ければ、わなわなと震えながら自分の剣を見つめているシェリーがいた。
「わ、わ、私の剣が……」
「剣? ……あ、欠けてる」
横から覗き込んだロワの言う通り、神秘的な輝きを放つ白銀の刃は小さな傷を負っていた。
感心したように目を瞬かせながらロワが言う。
「つーか、勇者の剣も刃こぼれするんだな」
「そうですね……何かこう、精神的な力で出来てるイメージがあったので意外です」
「私だって初めてよ、こんなの……」
シェリーは刃こぼれした愛剣を見つめながら呟く。相当な衝撃を受けたらしく、その声は弱々しかった。
「確かにこの城に来てからは、前よりも召喚する頻度が多かったけど……」
以前は戦場に赴いた時しか使わなかったが、嫁いでからは魔王と対峙する機会が増えたので、その分剣を使う回数も増えていた。だから当然、剣に掛かる負担も増える。
当たり前だと言えばそれまでなのだが『勇者』の剣という他の剣とは違う点が、無条件で無敵だという印象を与えていた。
しかし今、その印象が間違っていたことを知り、シェリーは困惑しながらも欠けた刃を眺める。
「どうしましょう、これ……。砥石とかある?」
「あ、はい、ただいまお持ちします」
すがるような視線を向けられて、頷いたソルダは直ぐに中庭を出て行った。
***
それから数十分後、三人は揃って同じ物に視線を向けていた。
「……ごめんなさいね、わざわざ持ってきてくれたのに」
少し戸惑いながら話すシェリーの手には、二つに分かれた砥石があった。
その断面はとても滑らかで、落として割れたのではない事が直ぐに見て取れる。
「いえ、それは構わないのですが……」
「……まさか、こうなるなんて思わなかったわ」
そう言ってシェリーは、砥石に白銀の刃を当てる。
すると、硬い筈の砥石にあっさりと切れ目が入った。そのまま刃を入れていくと、まるでケーキのように簡単に切れてしまった。
「流石は勇者の剣、と言ったところでしょうか……」
「それにしたって切れ味良すぎだろ。俺、自分が今まで無事だったのが奇跡に思えてきたぞ……」
目の前で無惨な姿になった砥石を見て、ロワは顔を引きつらせる。見事なまでの真っ二つ。あれがもし自分の体だったとしたら洒落にならない。
「本当、困ったわね……」
シェリーは溜め息をつき、欠けた刃を空に翳す。傷ついても美しい銀の輝きは消え失せない。
その輝きを傍らで一緒に見上げていたロワは鼻で笑った。
「俺としては、そのままにしておいてくれると助かるんだけどな」
「安心して。無事に刃こぼれが直った暁には、真っ先に貴方を斬ってあげるから」
「何を安心しろって言うんだよ、何を……」
間髪入れずに吐かれた猛毒に、ロワはげんなりと肩を落とす。
その姿にシェリーは小さく笑みを浮かべたが、刃こぼれを見ると再び元気を無くした。
この剣とは勇者として覚醒した時から、幾つもの戦場を共にしてきた。単なる武器ではなく、相棒と呼ぶに相応しい。
「どうにかならないかしら……」
シェリーはしょんぼりとしながらも、労るように剣身を撫でる。
すっかり意気消沈してしまった勇者の様子に、二人は顔を見合わせた。
「……相当キてるな」
「ですね……。あの剣と互角の強度を持つ鉱物があれば、どうにかなるのかもしれませんが……」
「勇者の剣と互角となると、……オリハルコンか?」
首を捻ったロワは、自分の知る中で一番優秀な鉱物の名前を挙げる。
それを聞いたソルダは難しい顔をした。
「確かにあれなら、あの刃にも耐えると思いますが……」
オリハルコン。それは非常に高い硬度を持つ鉱石で、オリハルコンで作られた武具は決して壊れる事が無いとまで言われていた。
しかし、発掘出来る場所は限られており、入手する事がとても難しく、その希少価値の高さから『伝説の鉱石』とまで呼ばれていた。
「オリハルコンが採れる鉱石場には……確か蛇女が住んでいたと思います。確認を入れてみますか?」
尋ねてくるソルダに、ロワは嫌そうに顔を顰めて首を振る。
「いや、アイツに関わると面倒なんだよ……。だから確認はしなくていい」
「しかし、それではシェリー様の剣が……」
「放っておけ。刃こぼれしようと折れようと、どのみち俺には支障無いしな」
そうして、鼻で笑ったロワは落ち込んでいるシェリーを一瞥してから、踵を返して中庭を出て行く。
置いていかれたソルダはその後を追いかけようとしたが、踏み出した足を一旦止めると振り返り、シェリーの肩に片手を添えた。
「シェリー様、自分が何か良い方法が無いか探してみますので、どうか元気を出して下さい」
心から思ってくれていると感じられる暖かな声。
その声色と同様に暖かな気遣いに、俯いていたシェリーはそっと顔を上げて微笑む。
「……有り難う、ソルダ」
「いえ……では失礼します」
「ええ、仕事頑張ってね」
元気の無い笑顔に見送られて、ソルダは心配に思いながらも今度こそ中庭を後にする。
そして、静かになった中庭には再び溜め息が落とされた。
(うーん……)
欠けてしまった部分は小さいものの、このまま使い続ければ更に広がっていくのは目に見えている。
折れる事は流石に無いと思うが、こうして刃が傷ついたのを目の当たりにした今では、その可能性も捨てきれない。
(何か手立てがあれば良いけど……)
あれこれ思考してみるも、何も思い浮かばない。
(……駄目だわ。この件は一旦置いておきましょう)
その結果に余計に落ち込みそうになったシェリーは、とりあえず剣を一旦戻して、家へと帰ることにした。