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27 勇者、離れる。


 目蓋の裏で光を感じた。眠りの海から意識がゆっくりと引き上げられて、シェリーは眩しさに軽く眉を顰める。


(あ……朝ご飯とお弁当……)


 目覚めきっていない頭でも習慣となった事は忘れない。起き上がって小さな欠伸をすると、ベッドから出ようとした。


「……ん?」


 しかし、片手が重い事に気付き、不思議に思ったシェリーは其方に目を向けて驚いた。


「ま、魔王……?」


 そこにはベッドに背中を預けて床に座り込んでいるロワの姿があった。

 音を立てないように近付いて顔を覗き込んでみれば、無防備な寝顔が見えた。薄く開いた唇からは静かに寝息が漏れている。


(……何でこんな所で寝てるの?)


 ベッドは一つしかないが、大きさとしては二人で寝るには間に合う。それなのに何故わざわざ固い床の上で寝ているのか。一緒と寝るのが嫌だったとしても、どうして自分にベッドを譲ったのか。

 次々に思い浮かぶ疑問に困惑しながら見つめていれば、ロワの睫毛が震えた。重たそうに目蓋が持ち上げられて金色が現れる。


「ん……? お前、先に起きてたのか……」


 目覚めたロワは如何にも寝起きらしい声で呟くように言う。

 少し掠れ気味の声色は少し色っぽく、シェリーは一瞬心臓を跳ねさせたが、軽く眉間を寄せることで誤魔化した。


「今さっきね、……それより貴方、何で床で寝てたのよ?」

「ん? あー……」


 ロワは視線を逸らして言葉を濁す。

 明らかに何かを隠している反応に、シェリーが更に追求しようと口を開きかけた時、明後日の方を見ていた視線が此方を向いた。


「別に何でもねえよ。お前、そんなに俺と一緒に寝たかったのか?」

「なっ!? そ、そんなわけ無いでしょ!」


 裏がある妖しい笑みを向けられたシェリーは、からかわれていると分かりながらも思わず大声で否定する。

 その勢いで咄嗟に空いている方の手を振り上げるも、ふっと既視感が過ぎって目を瞬かせ、動きを止めた。


「何かこんな事、つい最近もやったような……」

「……いや、気のせいだろ」

「うーん……? ……そういえば私、昨日家に帰ってきてからの記憶があやふやなんだけど」


 手を下ろし、首を傾げて記憶を遡ってみるも、家の玄関を潜って以降の事が思い出せない。綺麗さっぱり無くなった記憶は、まるで誰かが魔法で意図的に消したかのようだった。

 くり抜かれた記憶が気になって険しい顔をするシェリーに、ロワは寝る前に緩めていた襟を正しながら平然と言う。


「記憶も何も、お前は直ぐに寝たぞ。慣れない場所に行ったから疲れてたんじゃねえの」

「んー……?」

「ほら、そんな事より朝飯にしようぜ。腹減った」


 立ち上がったロワは大きく伸びをする。

 いまいち腑に落ちないシェリーだったが、空腹なのは同意見だったので、素直にその提案に従う事にした。


 ***


 朝食を済ませた頃、玄関の方からドアを叩く音が聞こえてきた。

 顔を見合わせた二人は一目散に玄関に向かう。


「「ソルダ!!」」

「え、あ、はいっ!?」


 勢い良く開けられたドアの奥から物凄い形相で飛び出してきた二人に、ソルダは大きく肩を跳ねさせる。

 そして、驚きの余韻を残しつつも、持ってきた物を二人の前に差し出す。

 それはソルダの両手に収まる程の大きさをした糸車だった。一見すると玩具にも見えるそれは、日光を受けて金色に煌めいている。


「これを使えば元に戻るそうです」

「へえ……」

「よし、早速やってくれ」

「はい」


 ロワが繋がった手を突き出せば、そこにソルダが糸車を近付ける。

 そして、指先で大きな車輪フライホイールを回した。カラカラと乾いた音を立てて車輪が回り出す。

 すると、絡み合う手の周囲に赤い糸が浮かび上がってきた。

 二人の手に複雑に巻き付いていた糸は、車輪が鳴らす音に引き寄せられるように動き始める。

 そして三人が息を飲んで見守る中、金色の糸車は赤い糸をあっという間に全て巻き取ってしまった。


「お二人とも、どうですか?」


 ソルダの言葉に二人はハッとする。

 黙って顔を見合わせてから、ゆっくりと手を開いてみた。


「あ……」

「おお……!」


 絡んでいた指が思うように解けていく。

 そして、何事も無かったかのように二人の手は離れた。


「はー……ソルダ、よくやってくれたな」

「お褒めに与り光栄です」


 漸く得た自由にロワは機嫌良さそうに笑って、身軽になった手でソルダの肩を叩く。その傍らでシェリーも安心した様子で微笑んだ。


「ありがとう、ソルダ。助かったわ」

「いえ、自分は大した事は……」

「さてと……それじゃ問題も解決したし、さっさと仕事すっか。昨日は見回りだけで書類の方に手付けてねえし」

「あ、そうですね。ではシェリー様、自分達は仕事に向かいますので……」

「ええ、行ってらっしゃい」


 シェリーは解放された片手を軽く振って、仕事に向かう二人を見送る。


(……よし)


 二人の背中が大分遠くなったのを見ると、すかさず踵を返して家の中に戻り、全速力で階段を駆け上がっていく。

 そして、自分の部屋に飛び込むや否や、窓際に駆け寄って、其処にあった人型を掴むように手に取った。


「はー……見つからなくて良かった……」


 人型を胸に抱えて溜め息を零す。シェリーは肩の荷が下りた事に安堵して力無い笑みを浮かべながら、掌中の人型を見下ろした。


「これが見つかったら全部話さなきゃいけないものね……」

「何でそんなに話したくないんだ?」

「だって、私が魔王に『仲良くなれるおまじない』なんて掛けたって知られたら、絶対に馬鹿にされるじゃな、い……?」


 背中に冷や汗が浮かぶ。今のは独り言だった筈なのに、どうして会話になっているのか。

 違和感に気付いたシェリーが、嫌な予感に震えながら徐々に振り向けば、わざとらしく細められた金色の瞳が此方を見下ろしていた。


 ***


「はー……こんな物であんなに強い呪いが掛かるなんてな……」


 テーブルに頬杖をついたロワは、指先で摘んだ人型を眺めながら感心したように呟く。

 そして、傍らのソファで膝を抱えて顔を埋めたまま、先程から微動だにしないシェリーの方を向いた。その表情は心底面白そうに歪められている。


「なあ? 俺と仲良くなりたい勇者様?」

「うるさいうるさい! だから試しにやっただけだって言ってるでしょ!?」


 膝から上げられた顔は真っ赤に染まっていて、ロワはますます口元をにやつかせる。それは遊ぶ玩具を見つけた悪魔のような笑みだった。

 その表情を見て、今の自分は何を言っても言い負かされると察したシェリーは悔しさを飲み込みながら口を噤む。そして再び膝に顔を埋めた。


(ここは少しの我慢よ……無視していれば、つまらなくなって仕事に戻る筈だもの……)


 シェリーは唇を噛んで、沸き上がる感情を必死に抑える。

 一方、口も身も閉ざして完全に防御体勢に入った相手に、早速ロワはつまらなさを感じていた。もう今はただの紙と化した人型を置いて、ソファに近付いていく。


「おい」


 低く呼んでみても、見下ろした旋毛は動かない。


「黙ってないで何か言えよ」


 肩を軽く揺さぶってみても、反応は無い。

 見事なまでの籠城ぶりにロワは頬を引きつらせる。どうにかして反応させてやろうと、片手を差し出した。


「何なら仲良くなる一歩って事で、もう一回繋いでみるか? なんて……」


 柔らかい感触が手を包んだ。

 見開いた目の先では、自分が差し出した手を、小さくて白い手が控えめな力で握り締めている。

 予想外の事にロワが固まっていれば、シェリーがそっと顔を上げた。細められたサファイアの瞳は甘く煌めき、滑らかな頬は恥じらいの薔薇色に染まっている。

 そして、可憐な紅の唇が鈴の音を転がした。


「隙だらけよ、魔王」

「しま、っ、ぐああっ!?」


 感づいて離れようとするも、既に遅かった。

 繋がった手から強い電流が走ってきて、一瞬目の前が真っ白になったロワは悲鳴を上げて倒れ込む。床に転がった体は痺れて動かせそうにない。

 まんまと罠に掛かったロワを見下ろすシェリーは、正義を掲げる勇者らしからぬ悪い笑みを浮かべた。


「さて……じゃあとりあえず、記憶を失ってもらいましょうか?」

「それはもう、とりあえずの範囲じゃねえだろ!?」

「知らなくて良い事を知ったリスクっていうのは、それなりに大きいものなのよ。大丈夫、一瞬で楽にしてあげるわ」

「おい、記憶の話だよな? 記憶どころか命失わせようとしてねえか?」

「……私ね、不器用なのよ」

「不器用で済むか! ああもう、くそっ! こんなんでやられて堪るかっての!」


 本格的に命の危険を感じたロワは全力で気合いを込めて起き上がる。痺れる体は思うように動かなかったが、何とか立つことが出来た。

 しかし、とても戦える状態ではない。瞬時にそう判断したロワは悔しさに歯噛みしつつ指を鳴らした。

 小気味いい音がした途端、リビングに黒い霧が漂い始めた。

 重々しい色にシェリーが気を取られたほんの一瞬のうちに、ロワはその霧に姿を溶け込ませた。

 それに気付いたシェリーは鋭い声を上げる。


「逃げるなんて卑怯よ、魔王!」

「逃げじゃねえ! 痺れが取れて仕事片付けたら、即行で帰ってきてやるから覚悟しておけ!」


 魔王が言うには情けない捨て台詞が響き、黒い霧が晴れていく。

 明るくなったリビングには、シェリー一人だけが残っていた。

 念のために周囲を見回して、ロワの気配が完全に無いのを確認するとソファに腰を下ろす。小さく溜め息をつくと、自分の片手を見つめた。


「……馬鹿なんだから、本当に」


 それは誰に対しての言葉なのか、呟いた本人にも分からない。

 まだ、あの大きな手の感触と温もりが残っているような気がして、シェリーはそっと手を握り締めたのだった。

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