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26 勇者、無防備にする。


 ソファのスプリングが大きく軋む。

 揃って腰を下ろした二人は、未だに繋がったままの手を一瞥してから、同じタイミングで深い溜め息をついた。


「……疲れたわね」

「ああ……」


 シェリーが頂垂れながら呟けば、背もたれにぐったりと背中を預けたロワが力無く頷いた。

 予定通り日没前に見回りを終えた二人は、解決法が見つかっている事を願って魔王城に戻ってきた。しかしその願いも虚しく、ソルダは帰ってきていなかった。

 そうして、落胆すると同時に疲労も出てきたので、二人はひとまず中庭の自宅へと戻ってきたのだった。


「皆してお祝いしてくれるんだもの……何だか、申し訳なくなっちゃったわよ……」


 シェリーは膝頭に頬杖をついて、城下町で出会った魔物達の反応を思い出す。

 二人が仲良く手を繋いでいるのを見ると、祝いの言葉を掛けてきたり、店を構えている者は商品を贈ろうとしてきた。

 勿論、人間を快く思っていない者もいて、そういった魔物からは殺気を感じる事もあった。しかし、勇者と魔王が揃っている所に何か仕掛けようとは流石に思わなかったらしく、特に問題が起きる事は無かった。

 自分達が精神的に疲弊した事以外は、無事に今日の執務が片付いた安堵感から、シェリーは再び溜め息をついた。


「まあ、別に迷惑掛けたわけじゃねえし、そこら辺は気にしなくていいだろ」

「そうね……、……それにしても本当に疲れたわ。早くお風呂に入りたい……」


 外を歩き回っていた所為で疲れたのは勿論、天気が良かったので汗も少しだけかいた。心なしか髪も強ばっている。

 手が離れたら真っ先に湯船に浸かろうと考えていると、窓の外から物音が聞こえてきた。視線を向ければ、一匹の蝙蝠が窓枠に停まっている。


「あ? ソルダの蝙蝠じゃねえか」


 立ち上がったロワが窓を開けてやると、蝙蝠はロワの耳元まで飛び上がった。シェリーには分からなかったが、どうやらロワには蝙蝠の言葉が理解出来るらしく、素直に耳を傾けている。


「……は? え、嘘だろ?」


 不意にロワの顔色が変わった。明らかに困惑している様子に、傍らで見ていたシェリーも何事かと不安になる。

 役目を終えた蝙蝠はそんな二人を置いて、開いた窓から外へと飛んでいってしまった。


「……どうしたの?」


 嫌な予感を覚えながら、恐る恐る尋ねてみる。

 すると、顔を引きつらせたロワは、二人の間で繋がる手に視線を落とした。


「ソルダから伝言で『必要な道具を先代魔王様に作っていただくので、明日までお待ち下さい』って……」

「あ、明日まで……!?」


 シェリーは愕然とする。長くても今日中には解決すると思っていたが、その考えは甘かったらしい。


「じゃ、じゃあお風呂とか寝るのとか、どうするのよ!?」


 詰め寄ってくるシェリーに、ロワは面倒臭そうに頭を掻きながら答える。


「寝るのはともかく、風呂は我慢すりゃいいだろ」

「それは嫌!」


 シェリーは間髪入れずに全力で首を振って否定した。怪訝そうにするロワを一睨みしてから、自分の体を見下ろす。


(一人で寝るならまだしも……い、一緒に寝なくちゃいけないかもしれないのに……!)


 汚れも汗も目立つ程では無いにしても、やはり気になってしまう。女としては、こういった事で不快な印象を持たれたくはなかった。

 そうして、悶々と悩むシェリーをどう見たのか、ロワは小さく溜め息をつくと額に手を当てて、苦々しげに言った。


「それじゃもう、答えは一つしかねえだろ……」

「……え?」


 ***


「いい? 一瞬でも目開けたら、絶対に殺すから」

「分かったっての」

「……やっぱり目蓋を焼いて、開かないようにしっかり張り付かせておこうかしら」

「さりげなく物騒な事言ってんじゃねえよ! そもそもお前の貧相な体に興味なんかな、ぐはっ!?」


 目にも留まらぬ早さで繰り出された裏拳が、見事にロワの顔面に入った。思わず目を開けそうになって、殴られた箇所を押さえながら咄嗟に上を向く。

 痛みに悶える様子を横目で見たシェリーは、ふんと鼻を鳴らすと前を向き、空いている片腕で膝を抱えた。


(は、恥ずかしくて死にそう……)


 湯気が立ち上る浴槽は二人で入るには少し手狭で、今のシェリーはロワの足の間で縮こまっている。体にタオルを巻いて背中を向けているにしても、恥ずかしさは殆ど軽減されない。


(……うわ、真っ赤。面白えな)


 もじもじと膝を擦り合わせているシェリーの後ろ姿をを、ロワは薄目を開けて眺める。見つかれば大騒ぎされるだろうが、羞恥に耐えている今のシェリーが気付くとは到底思えなかった。

 蜂蜜色の髪は上の方で一本に結い上げられているので、真っ赤に染まった耳がロワからはよく見えた。本人の性格とは違って素直な反応をしている耳に、つい噴き出しそうになる。

 しかし、ここで笑っては流石に気付かれると思い、笑うのを堪えたロワはふと視線を動かした。


(……ほっせえ首だな)


 普段は髪に隠れている項は細く儚くて、片手でも簡単にへし折る事が出来てしまいそうだった。

 無防備に晒された急所を見つめるロワの瞳が静かに細められる。赤色がよく映えそうな白い首筋に、無骨な手がゆっくりと音も無く伸びていく。

 邪悪に尖った爪がその項に添えられた。


「ひゃんっ!?」


 そして、その爪は首筋を悪戯に撫でていった。

 驚いたシェリーは子猫のような声を浴室に響かせる。狭い浴槽内で飛沫を飛ばして慌てるその姿に、ロワは堪えきれずに噴き出して笑った。


「っ、ふは、ははっ! 何だ今の声!」

「あ……貴方ねえ! やっぱり目開けてたんじゃない!」


 咄嗟に振り返ったシェリーは固く握り締めた拳を振りかざす。

 怒りの炎が比喩ではなく、本当にその拳の周囲に表れたのを見て、笑っていたロワはさっと顔色を変えた。


「ま、待て! こんな狭い所で暴れんな!」

「うるさい馬鹿! 変態魔王! 今日こそはもう本当に息の根を止めてや、きゃあっ!?」

「うおっ!?」


 ロワの忠告も虚しく、シェリーは見事に足を滑らせた。片手が繋がっている所為で何処かに掴まって体を支える事も出来ず、盛大な飛沫を撒き散らして倒れ込む。


「っ、ぷは、けほっ……」


 鼻に入った湯に咽せながら顔を上げる。肩を上下させて呼吸を整えていると、見開かれた金色の瞳と視線がぶつかった。


「「…………」」


 濡れた髪から雫が滴り落ちていく。無言で見つめ合うこと数秒、青い瞳が先にそろそろと動いた。

 そして、自分がロワの腰に跨がって押し倒したような体勢になっている事に気付くと、零れ落ちそうな程にその目を見開いた。


「あ、わ、私……っ、その、あのっ! 別にそんな、そういう事じゃなくて、だからっ」

「お……おい?」

「これは事故であって、その、私は別に、そんなつもりは無くて……っ」


 わたわたと動きながら矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、見る見るうちに真っ赤になっていくシェリーに、流石にロワも心配になって落ち着かせようとする。


「……ふうっ」

「あ、おい!?」


 しかし、その前に限界が来たのか、シェリーは小さな吐息を漏らすと糸が切れたかのように気を失った。

 湯船に沈みそうになった体をロワは咄嗟に胸元に抱えて受け止める。当然だが抵抗される事は無く、その体はあっさりと腕に収まった。


「……どうすんだ、これ」


 くったりとして動かないシェリーを見下ろす。

 淡く染まった桃色の肌。濡れたタオルが張り付いている所為で、体の線が露わになって、その華奢さが際立っている。しかし、触れている箇所からは女らしい柔らかさを感じられた。


「…………」


 胸元に寄りかかって気絶しているシェリーの丸い肩に、無言で見つめていたロワの手が静かに伸びていく。

 しかし、その手は触れる寸前で止まった。

 そしてロワは引っ込めた自分の手を怪訝そうに見る。


(何だ、今の……)


 まるで引き寄せられるかのように勝手に手が伸びた。さっきだって本当に触る気なんて無かった。

 それなのに、目の前で無防備にしている姿を眺めているうちに、気が付いたら手が動いていた。指が触れていた。


(……いや、そんな事は有り得ねえ、うん)


 一瞬過ぎった考えを振り払うかのように首を振る。


(それよりも、この後どうするかを考えねえと……)


 今は気を失ってくれているから良いが、目覚めたら今度こそ本当に命の危機かもしれない。そう思ったロワは天井を仰ぎ、目を瞑って視界を閉ざした。


 目の前にいる姿にまた、触れたい、と思わない為に。

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