25 勇者、見回る。
「へえ、魔王城の外ってこうなってたのね……」
初めて城下町に降り立ったシェリーは、自分が想像していたよりもずっと文化的だった街並みを眺めながら、感心したように感想を漏らす。
確かに自分が知る城下町と比べたら華やかさは無かったが、何処か田舎町にも似た雰囲気に親しみやすさすら感じる。
「治安もそんな酷いとは思えないけど……」
「最近は大分落ち着いてきてるからな。でも何があるか分かんねえから、勝手に彷徨いて迷子になるんじゃねえぞ」
隣を歩くロワの言葉に、シェリーはふんと鼻を鳴らすと片手を持ち上げた。そこには相変わらず離れる気配の無い互いの手がある。
「これでどうやって迷子になれって言うのかしら?」
「うっ……」
正論を返されてロワは言葉を詰まらせる。上手い返しが思い付かず、結局黙って目を逸らした。
無言の敗北宣言を受け取ったシェリーは、勝ち誇った笑みを浮かべて手を下げる。
「おや、魔王様ではありまセんか」
そんな二人に声が掛けられた。
足を止めて見れば、路上の端で露天を広げている包帯男が、顔を覆う包帯の隙間から覗かせた目で此方を見ていた。
不気味なその外見にシェリーは一瞬怯んだが、慣れているロワは平然とした様子で包帯男に近付いていく。
「おう、最近はどうだ?」
「お陰様でこうシて店を広げられてまスよ。ところで其方の方は……」
包帯男の興味深そうな視線が、ロワの隣で若干後ろに引いているシェリーを上から下まで眺める。
(うう……)
ダゴールの時とは違って不快さは無いものの、こうして明らかに視線を向けられる事が落ち着かない事には変わりない。
思わず体を後ろに引きかけた時、強く手を引かれた。
「きゃっ……!?」
そしてそのまま、ロワの背に隠された。
突然の事にきょとんとするシェリーを背にし、まるで庇うかのように前に立ち塞がったロワは包帯男に苦笑を浮かべる。
「ああ、俺の嫁だ。でも直ぐに恥ずかしがるから、あんまり見ないでやってくれ」
「……っ!?」
シェリーの頬が一気に赤くなる。口を開閉させるも、真っ白になった思考回路では言葉が出てこない。民の手前だからと演技をしているにしても、恥ずかしくて堪らなかった。
ロワの後ろでシェリーが熟れた林檎のようになっているとは知らず、包帯男は微笑ましそうに目を細めた。
「やはりそうでシたか。可愛らシいお方でスね」
「だろ? だから放っておけなくてな」
そう言ってロワは繋がる手を見せつける。離れまいと指を絡め合ったその手を見て、包帯男はうんうんと頷いた。
「仲が良さそうで何よりでス。……そうだ、良かったら好きな物を差シ上げまスよ」
「あ? いいのか?」
「はい、魔王様たちの末永い幸セを願って、ササやかながら贈り物をサセて下サい」
包帯男が両手を広げた先には、露天に並べられた様々な商品がある。
民の心遣いに気持ちが暖かくなるのを感じながら、ロワは後ろを振り返った。
「おい、折角だしお前が選んで……どうした?」
自分の背後で俯いていたシェリーに眉を寄せる。訝しげにしながら顔を覗き込もうとした。
「っ、何でもないわよ!」
「ぶっ!?」
しかし、それは勢い良く繰り出された掌底突きによって拒まれた。シェリーの掌がしっかりとロワの顎を捉え、そのまま真上に突き上げる。
常人ならば気絶してもおかしくない攻撃を受けて尚、立っていられるのは魔王だからこそ。それでも目眩を感じ、痛みに涙目になりながら、ロワは赤くなった顎を撫でた。
「何すんだよ、お前!?」
「う、うるさいっ! ちょっと黙ってて! 口閉じて鼻摘んでて!」
「それじゃ息出来ねえだろ! どうしろってんだよ!?」
「肌からしてなさい! えら呼吸的な感じで!」
「俺は魚人か!? 無理に決まってんだろ!」
騒がしく言い合う事に気を取られて、ロワはシェリーの甘く染まっていた頬に気付く事はなかった。
口喧嘩をしながらも繋ぐ手を離さない様子は、事情を知らない包帯男からしてみれば、恋人達の微笑ましい戯れにしか思えない。
「サあ、お妃様。どうぞお好きな物をお選び下サい」
「あ……有り難う、それじゃあ……」
人前だという事を思い出したシェリーは、慌てて声の勢いを抑えた。やり取りを見られていた恥ずかしさに若干目を伏せながら、露天に並んでいる商品を眺める。
不思議な形をした石像や謎の骨で作られた置物など、魔物向けと思われる奇妙な商品が目立つ中、シェリーはある物に目を引かれた。
「ねえ、これってイヤリングよね?」
首を傾げたシェリーが指さしたのは銀色に輝くイヤリングだった。しかし、右耳側には太陽、左耳側には三日月と、左右で別々のモチーフが象られている。
「そうでスよ、変わった作りでシょう?」
「ええ、左右で違うのね」
シェリーは興味深そうにイヤリングを見つめる。
好奇心に煌めく青い瞳の前に、包帯男はそのイヤリングを差し出してみせた。
「これは恋人や夫婦の為に作られたイヤリングでシて、右が女性、左が男性用になっているんでス。男性が愛と意志を表ス為に左に着けて、ソれに答えるという意味で女性が右に着けるらシいでスよ」
「へえ……」
「これにシまスか? 仲睦まじいお二人にピッタリだと思いまスよ」
「えっ、あ、でも」
イヤリングに向けていた視線をちらりと隣に向ける。
確かに他の奇妙な商品に比べたら、このイヤリングが一番欲しいと思った。しかし今の話を聞かされては、どうしてもロワの反応を意識してしまう。
どうしようかと悩んでいると、そんなシェリーを横目で見ていたロワが小さく溜め息をついた。
「……何を気にしてんのか知らねえけど、それが良いならそれにしたら良いじゃねえか」
「で、でも」
「お前って変な所で悩むのな……ったく」
包帯男の手からイヤリングを取り上げたロワは、三日月が輝く左耳用の方をシェリーに持たせる。
「え、ちょっと?」
「いいから、少し動くな」
目を瞬かせるシェリーにそう言うと、ロワは蜂蜜色の髪に隠れた右耳に手を伸ばした。
「……っ!」
少し冷たい指先が耳に触れて、思わず肩を小さく跳ねさせた。胸の鼓動が大きく響く度に顔が熱くなる。逃げ出したい程に恥ずかしいのに、縛られたかのように強ばった体は動かない。
(な、何でこんな事になるのよ……!?)
耳まで熱が伝わっていくのを感じる。きっとロワにも赤くなった耳が見えているだろう。
そう思うとますます恥ずかしくなって、堪らなくなったシェリーは逃げる代わりに目を固く瞑った。
「……馬鹿か、お前」
「え? ひゃっ!?」
一瞬手が止まったと思えば、軽い衝撃が頭に落ちてきた。
その衝撃につい目を開けると、手刀を構えて自分を見下ろしているロワの呆れ顔があった。
「ほら、着け終わったぞ」
「あ……」
そうっと右耳に触れてみれば、そこには確かに金属の感触があった。指先で確認したシェリーはおずおずとロワを見上げる。
「……とりあえず、ありがとうとは言っておくわ」
「どういたしまして……っと、これで良いのか?」
捻くれた感謝の言葉を軽く受け止めたロワは、器用にも片手で左耳に着けたイヤリングを包帯男に見せる。
魔物らしく尖った耳に輝く銀の三日月を見て、一連の流れを黙って見守っていた包帯男は頷いてみせた。
「お二人ともお似合いでスよ」
「よし……それじゃこれ貰ってくぜ、ありがとな。また営業妨害されたりしたら言えよ?」
「はい、ありがとうございまス。見回り頑張って下サいね」
包帯だらけの手を振って自分達を見送る包帯男に、シェリーは手を引かれながら頭を下げる。
次に会う事があれば、きちんと礼を言いたいと思いつつ歩いていると、ふとロワの左耳に光る銀色が目に留まった。
「……ねえ、良かったの?」
ほぼ無意識に零れた問いかけに、ロワは歩きながら視線だけを向けた。
「何がだよ?」
「イヤリングよ、……話聞いてたでしょう?」
続けてそう問えば、ロワは「あー……」と声を漏らして、左耳に下がる三日月を指先で軽く弄んだ。揺れる三日月が煌く。
「まあ……別に、いいだろ」
「えっ?」
返ってきた答えに目を瞬かせる。きょとんとした顔で自分を見上げるシェリーに、ロワは小さく噴き出すように笑ってから、其方に向けていた視線を前に戻した。
「……お前が俺の嫁だってのは、事実だしな」
「え? ちょっと、声が小さすぎてよく聞こえなかったんだけど……」
「気にしなきゃいいだろって言ったんだよ。ほら、まだ見回りは半分も終わってねえんだ。さっさと行くぞ」
そう言ってロワが少し大きめに一歩を踏み出せば、シェリーからは表情が見えなくなる。
シェリーは何となく腑に落ちない気がしながらも、この後も暫く民衆の前で手を繋いだままでいなくてはいけない事を思い出し、小さく肩を落とした。
(少しでも早く慣れないと……)
絡む指も重なる掌も、意識してしまうと頬が熱くなる。下手をすれば見回りが終わる頃まで慣れないかもしれない。
充分に有り得る可能性を予想して、思わず溜め息を零すシェリーの右耳では、銀色の太陽がきらきらと輝きながら揺れていた。