24 勇者、変化を見せる。
ロワが空いている方の手で執務室のドアを開ける。
部屋の中ではソルダが既に書類と向かい合っていた。ドアが開いた事に気付くと、手元の書類から顔を上げて其方を向く。
「おはようございます、ロワさ……ま……?」
「おう」
「……おはよう、ソルダ」
平然とした様子のロワと、少し恥ずかしそうに目を伏せるシェリー。そんな二人が並んで手を繋いでいるのを見て、ソルダはゆっくりと驚愕の表情を浮かべた。
明らかに誤解している予想通りの反応に、二人は揃って肩を落とす。
「あのなソルダ、これは……」
「つ、つ……っ」
「……?」
ここまでの経緯を説明しようとするも、その前にソルダが肩を震わせ始めたので、怪訝に思ったロワは一旦口を閉ざす。
俯いて何やら呟いている側近の様子に、具合でも悪くなったのかと戸惑っていると、突然ソルダは勢い良く顔を上げた。その目は嬉しそうに輝いている。
「遂に、遂にお二人はここまでの仲になって下さったのですね!」
「ま、待てソルダ、ちょっと話を」
「こうしてはいられません! 直ぐに先代魔王様にご報告をしないと!」
「いやだから、これはだな」
ソルダは聞く耳を持たずに騒ぎ、興奮に頬を染めながら二人に詰め寄っていく。
普段との違いに圧倒されてしまったロワが言葉を挟めずにいると、不意に隣から大きな音が響いてきた。
何事だと顔を向ければ、氷の微笑を浮かべたシェリーの拳が壁にめり込んでいるのが見えた。足元に壁の破片がパラパラと落ちていく。
「……ねえソルダ、話を聞いてもらえるかしら?」
「は、はい!」
冷え切った微笑みを向けられて、熱暴走を起こしていた思考回路が一気に正常に戻ったソルダは姿勢を正す。落ち着くどころか肝まで冷えた気がした。
無事に我に返ったソルダに、満足そうに頷いたシェリーは壁から拳を引き抜いた。
「一回で落ち着いてくれて良かったわ。聞いてくれなかったら、次は魔王を壁に叩き込もうと思ってたから」
「さりげなく恐ろしい事考えてんじゃねえよ!」
平然とした顔でとんでもない事を言われて、隣でロワは思わず大声を上げる。身の危険を感じて手を離そうとしたが、絡んだ指が解ける気配は無い。
「くそ、やっぱり駄目か……」
「そうだわ、貴方の手首を切り落とせばいいんじゃないかしら?」
「だから何で俺だけがダメージ受ける方向なんだよ!?」
「いいじゃない。そこは魔王なんだから、気合いで手の一本や二本生やしてみなさいよ」
「いや、俺の手は蜥蜴の尻尾の類じゃねえからな? そもそも魔王なんだからってどんな理屈だよ?」
「無理が通れば通理が引っ込むわ、やってみましょうよ」
「そんな無理通って堪るか!」
前もって打ち合わせしていたかのように会話が続く。
あまりにも軽快なやり取りに、ソルダは傍らで呆気に取られていたが、はたと気付くと漸く口を割り込ませた。
「えっと……お二人の手がどうかしたのですか?」
「流石はソルダね、話が早くて助かるわ」
ソルダの察しの良さに、気を良くしたシェリーはあっさりと会話を中断させる。
その一方でロワは釈然としない表情を浮かべていたが、軽く咳払いをすると、不思議そうにしているソルダに説明を始めた。
「あー、実はな……」
分からない事が多すぎて、説明は数分で終わった。
それでも、聡明なソルダは数少ない情報を元に考える。
「恐らくは呪術の類でしょうけど、誰がどのような目的で、どうやって掛けたか……」
「ああ、さっぱり分からねえんだよな。……おい、お前は何か心当たり無いのか?」
「えっ!?」
不意に話を振られて、シェリーは肩を跳ねさせた。心当たりどころか自分が原因なのだが、それを言ったらあの『おまじない』の内容も話さなくてはならないだろう。
それを聞いたロワがどんな反応をするかなんて、深く考えなくても容易に想像がついた。
(絶対に馬鹿にされるに決まってる……!)
しかし、それならまだ良い方だと思う。その時は「他に相手が思い当たらなかったから」などと適当な理由を言って、剣を振り回してうやむやにしてしまえば良い。
(だけど……気味悪がられたら……)
心底嫌そうにするロワの顔を想像すると、胸の奥が締め付けられて悲しくなった。今までは距離を縮める事を散々嫌がってきた筈なのに、果たしてこれはどういうことなのか。自分はどうしてしまったのか。
「おい、どうした?」
「あ……」
いつの間にか思考の海に沈んでいたシェリーを、怪訝そうな声が現実に引き戻した。
ぼんやりとした意識を起こすように目を瞬かせるシェリーの前で、ロワは口をへの字に曲げている。
「いきなり黙るんじゃねえよ、驚くだろうが」
「え、あ……ごめんなさい、少し考えてて……」
「お二人とも心当たりが無いとなると、原因よりも解除法を探す方が手っ取り早そうですね」
「だな、こういう事に詳しい奴となると……」
ロワは視線を宙に向けて、頭の中で適任者を探す。同じようにソルダも考える。
「「……あっ」」
暫く黙って考えていた二人の声が重なった。ロワが視線を下ろせば、同じタイミングで下ろされたソルダの視線とぶつかり合った。
「……ソルダ」
視線を通じて感じ取ったロワが呼べば、ソルダはこっくりと頷いてみせる。そこには長年を共にしてきた主と側近の、深く確かな信頼関係が見えた。
「はい、今から先代魔王様の下に行って、お話を聞いてきます」
「ああ……」
出てきた名前を聞いて、今まで首を傾げていたシェリーも納得の声を漏らす。転移魔法を容易に使う彼ならば、誰よりも魔術や呪術に長けているに違いない。
「なら、私達も一緒に行った方がいいわよね?」
「そうだな、……親父に会うのは気が進まねえけど」
口頭で説明だけするよりは、実際に見てもらった方が良いだろうと思ったシェリーが提案すれば、ロワも渋い顔をしながらも同意した。
「あ、ええと……」
しかし、ソルダは表情を曇らせて口ごもった。
煮え切らない態度に二人が怪訝そうにしていると、ソルダはちらりと視線を上げて、その重そうな口を開いた。
「ロワ様、今日のご予定は覚えていますか?」
「今日の……? ……あっ」
首を傾げたロワは記憶を探り、声を上げる。
「……城下町の見回りか」
「はい、魔王様と直接お話したいと言う声も幾つか聞いておりますし……」
「あー……最近は行けてなかったしな、うーん……」
ロワは頭を軽く掻きながら困り顔を浮かべる。
すると、隣で会話を聞いていたシェリーが口を開いた。
「行けばいいじゃない」
「……は?」
「これは私達の問題だもの、貴方の仕事とは関係ないわ」
呆気に取られた顔をするロワに見せつけるように、シェリーは繋がった手を目の高さまで持ち上げる。
それを丸くした瞳で見つめていたロワだったが、小さく溜め息をつくと、シェリーの額を指先で軽く弾いた。
「きゃっ!?」
「お前なあ……こんな状態で街中歩いたら、恥ずかしくてぶっ倒れるんじゃねえのか?」
ロワがからかい混じりにそう言えば、弾かれた額を押さえながらシェリーは唇を尖らせた。
「それは……でも」
「でも?」
「……貴方の足は、引っ張りたくないもの」
ロワ本人に対してはともかく、王という最高権力に胡座を掻かず、自ら動いているその姿勢は評価している。だから今回のように、自分が原因でロワの仕事を邪魔したくはないと思った。
額を撫でながら目線を上げれば、先程よりも目を見開いたロワがいたので、気恥ずかしさを隠すように再び目を伏せる。
「……お前」
「勘違いしないでよね。貴方が仕事をサボる口実にされたくないってだけなんだから」
シェリーは突き放すように言って、ふいと顔を逸らす。
しかし、その何処にも棘を纏いきれていない事を見抜いていたロワは、堪らずくつくつと喉で笑った。
「な、何笑ってるのよ?」
「いや? ……ま、そういう事だからよ。俺は仕事しとくから、後は任せていいか?」
「は……はい、それは当然……」
素直に頷いたソルダに、ロワは信頼しきった笑みを浮かべる。
そして、繋がる手を軽く引いた。
「よし、それじゃさっさと行くか」
「え、も、もう行くの!?」
「日が暮れる前には帰ってきたいしな。観念しろ」
「わ、分かったわよ! 分かったから引っ張らないで!」
頬に赤みを残すシェリーの騒ぎ声を受け流して、ロワは小さな手を引きながら執務室を出て行った。
二人がいなくなった部屋の中で、ソルダは目を瞬かせる。
(え、ええと、今のは……)
今の二人のやり取りを思い返してみる。
シェリーは明らかに毒気が抜けていたし、ロワは何処となく機嫌が良さそうだった。流れる空気も刺々しくなかった。
今までの二人を知るソルダとしては信じられない光景で、もしや夢ではと頬を抓ってみれば、確かな痛みを感じる事が出来た。
(これは……もしかすると、もしかするかもしれませんね……)
友好の象徴という飾りでは無い、本当の夫婦。
自分の願っていた事が夢物語で終わらなさそうな予感を感じて、ソルダは嬉しそうに優しく微笑んだ。