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22 勇者、休む。


 ふわふわと白い湯気が視界を埋めている。

 シェリーは湯船に浸かって、ダゴールとの戦闘で疲れ切った体を癒していた。湯面に幾つも浮かべられた深紅の薔薇。その香りが体だけでなく心も解していく。


「はー……疲れた……」


 牢屋に閉じ込められていたと思えば、階段を駆け下りたり剣を振り回したりと、全身を酷使した分の疲労は相当なものだった。


「やっぱり、普段から鍛錬してないと駄目ね……」


 家事をするようになってから、鍛錬の時間を減らしていた自分の甘さを認識し、シェリーは力無い呟きを漏らす。

 それから両腕を前に伸ばせば、二の腕の辺りに青紫色の痣が見えた。


「あら、いつの間に……?」


 きょとんと目を瞬かせたシェリーは、もしかして他にもあるのかと自分の体を見回してみる。

 すると、戦っている最中は気付かなかったが、体のあちこちに痣や傷が見つかった。


「……こうして見ると、今日の戦いって凄かったのね」


 シェリーは腕に出来た痣を見ながら呟く。

 ダゴールに勝利した二人は、ロワが乗ってきた飛竜ワイバーンに乗って魔王城に帰ってきた。

 無事に帰ってきた二人を出迎えたソルダは「後の事はお任せ下さい」と言って、何人かの部下を連れて出て行った。それを見送ったロワ曰く「もうダゴールは日の目を見ることは無いだろうな」らしい。

 既に瀕死の状態だったにも関わらず、それを上回る罰を与えられるであろうダゴールが少し不憫に思えたが、謀反を企てた上に魔王の妻を浚ったのだから、相応の仕打ちかと納得もした。


「うーん……色々と大変だったわね、うん」


 こうして、全てが終わって気が抜けた今となっては、あの激しい戦闘ですら他人事のように思える。


(まあ、終わり良ければ何とやらって言うものね)


 温かい湯船のお陰で身も心も緩みきったシェリーは、鼻歌交じりで湯面に漂う薔薇の花をつつく。

 そんなシェリーの脳裏に、ふと記憶が蘇った。


《阿呆な事言ってないで帰るぞ》

《……この際、形振り構っていられねえか。我慢しろよ?》

《お前が少しくらい逃げたって、俺にはその分だけ前に出てやれる力があるんだよ》

《お前、最後まで格好付かねえのな》


 次々と脳裏を過ぎっていくロワの姿と声。

 それに動揺したシェリーは勢い良く湯船に沈んだ。大きな水音を立てて飛沫が飛び散る。

 その顔が真っ赤になっているのは、きっと湯の熱さの所為ではない。


(ま、待って待って! 何なのよ、これ!?)


 胸の奥で心臓が跳ね回っている。顔の上半分だけ湯船から出したシェリーは、頭の中から消えない姿に眉尻を下げた。


(何で私、魔王の事ばっかり……)


 胸の内を擽るような感情の正体が掴めず、シェリーは一人で唸りながら、忙しなく湯船に沈んだり出たりを繰り返す。

 湯面が波打つ所為で薔薇が床に落ちたりしていたが、生憎それを気にしている余裕は無かった。


(……駄目ね、頭冷やしましょう)


 そんな事をしているうちに体が充分暖まって解れたので、シェリーは逆上せる前に風呂から上がる事にした。

 浴室のドアを開けて脱衣所に出る。

 入る前に用意しておいたタオルで髪や体を拭いて、次にお気に入りの薄紅色の下着を身に着けた。


(……あ)


 ふと、鏡に映った自分の体に目が行って、シェリーは着替える手を止める。

 平均より低い身長。勇者にしては威厳の無い華奢な体。

 しかし、シェリーが気にした箇所はそこでは無い。


(やっぱり……小さいわよ、ね……)


 控えめと呼ぶのも誇大表現になりかねない、ほぼ平坦な胸元に手を添える。こうして触れれば柔らかな感触はあるものの、服を着てしまえば存在は隠れてしまう。

 残念すぎる成長を遂げた胸元を見下ろしていると、以前ロワに故意にではないが触れられた事を思い出した。


(……もしも、もう少しあったら)


 そこまで考えてシェリーはハッとする。


(も、もう少しあったらどうだって言うのよ!? 別に魔王とは何も関係ないじゃない!)


 左右に大きく首を振って、ぼんやりと浮かびかけていた考えを脳内から追い出す。

 どうにか落ち着きを取り戻すと、再び胸元を見下ろした。


(……そういえば、揉むと成長するって聞いた事があるわね)


 前に聞いた噂を思い出したシェリーは、真面目な顔で寂しい胸元に両手を添える。僅かな希望と期待を込めて、手を動かそうとした時だった。


「……あ?」

「……えっ?」


 脱衣所のドアが開いて、二人分の声が重なった。

 ぱちくりと見開いた青い瞳に、同じような表情で固まっているロワが映る。

 真ん丸になった金の瞳には、下着姿のシェリーがしっかりと映っていた。

 そうして、彫刻のように固まって見つめ合っていた二人だったが、先に状況を理解したシェリーは徐々に顔を赤らめて、恥ずかしさにわなわなと体を震わせ始めた。


「あ……貴方はまた、こんな……っ」

「ま、待て、悪かった! お前が先に入ってたの忘れてたんだって!」


 その様子にロワも我に返り、慌てて宥めようとする。

 しかし既に遅く、涙目になったシェリーは薄い胸元を隠しながら、躊躇い無く勇者の剣を召喚して握り締めた。


「いいから直ぐに出て行って、馬鹿ーっ!」


 ***

 

 居心地の悪い空気がリビングに漂う。

 ソファの端で膝を抱えて丸まって動かないシェリーを見て、反対側の端に座るロワは情けなく背中を丸めた姿勢で溜め息をついた。


「……なあ、だから悪かったって言ってんだろ?」


 もう何度目かも分からない言葉を口に出すも、眠る猫のように丸まったシェリーから反応が返ってくる気配は無い。

 見事なまでの無視に苛つきはするものの、そもそもの原因が自分にあるので堪えるしかなかった。


「おい、せめて何か言えって」


 しかし、このままでは埒が明かないと思ったロワは、少しだけ距離を縮めながら声を掛ける。

 すると、今まで微動だにしなかったシェリーが、きつく丸めていた体を身じろがせて僅かに緩めた。


(これは……少しだけ機嫌直ったのか?)


 表情が分からないので判断が難しかったが、嫌ならば距離を詰めた時点で逃げるだろうと思い、ロワはまた少し互いの距離を縮めてみる。


(……よし、逃げないな)


 相手がどういう反応をしてくるか予想出来ない以上、確実な行動を慎重に行っていくしかない。

 そして徐々に距離を詰めてみた結果、二人の距離は手を伸ばせば届く程にまで縮まった。


(ここまで来ても逃げないって事は……)


 この冷戦状態を打破するには今しかない。ロワは賭けに近い気持ちで、未だに丸まっているシェリーに向かって手を伸ばしてみる。

 そして小さな頭の上に、その手をそっと下ろした。


(……抵抗してこねえな)


 てっきり抵抗されると思っていた分、大人しく手を受け入れられた事にロワは何となく安堵する。

 こうなったら序でにと、頭上に乗せたままの手をゆっくりと動かしてみた。天使の輪が輝く滑らかな髪に沿って、無意識に優しい手付きで撫でていく。 


(何か……何だこれ、何つーか……うん)


 心地良いような落ち着かないような、何とも表現し難い複雑な気持ちがロワの胸を埋める。

 そんな感情を抱きつつ、大人しく撫でられているシェリーを見下ろせば、安らかな寝顔が髪の隙間から覗いていた。


(……寝てやがったのか。通りで大人しいわけだ)


 相手が寝ていると分かった途端、ロワの肩から一気に緊張が抜けていく。今までの葛藤は無駄だったらしい。一人で何をしていたのかと苦笑が零れた。


(紛らわしいんだよ、バーカ)


 内心で悪態をついて、髪を撫でていた手で頬を軽く突っついてやる。

 するとシェリーは少しだけ眉を寄せ、何やら口をもごもごと動かした。


(お、何か言うのか?)


 ロワはすかさず耳を傾ける。間抜けな事を言ったら、起きた時にからかってやろうと期待しながら待っていれば、紅い唇がゆっくりと開いた。


「ん……ろわ……」

「!!」


 寝ている所為か、舌っ足らずの甘えるような声が零れていった。

 不意打ちで名前を呼ばれたロワは、驚いて体を軽く仰け反らせる。それから肩を落として俯いた。


「あー……」


 片手で顔を覆って深い溜め息をつく。

 指の隙間から横目で見れば、緩みきった寝顔がそこにあった。ここまで警戒心の欠片も無い姿を見せられては、何か仕掛けてやる気も起きない。


「……卑怯だぞ、勇者のくせに」


 ふんと鼻を鳴らしたロワの頬はうっすらと赤い。 

 そしてロワは起こさない程度の強さで、穏やかに眠るシェリーの柔らかな頬を摘んだのだった。

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