21 勇者、共闘する。
勢い良く飛んでくる大きな瓦礫。
それを避けたシェリーは剣の柄を握り締めて、地面を強く蹴り上げた。その勢いで其処には小さな穴が空く。
「てやあああっ!」
魔力で脚力を一瞬だけ増強したお陰で、巨大化したダゴールの胸元辺りまで飛び上がったシェリーは、掛け声と共に剣を振り下ろす。
しかし、ダゴールの肌は想像以上に硬く、血が滲む程度の浅い傷を付けただけだった。
「くっ……!」
「手加減するなよ? 殺す気で行かねえと、多分こっちが負けるからな」
地面に着地したシェリーに、ロワが声を掛ける。
そして剣を構えると、意識を刃に集中させ始めた。強大な魔力を流し込まれた漆黒の刃が薄く光を帯びる。
「そらっ!」
ロワが強く剣を振れば、刃を覆っていた黒い光が、三日月型の光の刃となって飛んでいった。進行方向を妨げる瓦礫を次々と斬り、ダゴールの下まで突き進んでいく。
「《グギャアアアッ!!》」
そうして、黒い三日月はダゴールの右腕を切り裂いた。ぱっくりと開いた傷口からは血が流れ、およそ知性の欠片も無い悲鳴が辺りに響き渡る。
しかし、その程度では致命傷にはならず、それを分かっているロワは小さく舌を鳴らした。
「あれでも大したダメージにならねえのか……っと!」
ロワは飛んできた瓦礫を避け、ダゴールを見上げる。
同じく瓦礫を避けたシェリーも巨人を見上げ、どうにかして決定的な攻撃を仕掛けられないかと眉を寄せた。
(きっとこのまま攻撃しても歯が立たない。でも、それなら一体どうすれば……)
勝つための手段を考えながら、シェリーは指先から光の弾を撃ち放った。普通の魔物なら痛手になる攻撃も、今のダゴールには体勢をふらつかせる程度にしかならない。
しかし、その程度をロワは見逃さなかった。
「ほら、姿勢が悪いぜ!」
ダゴールが体勢を整える一瞬の隙に、一気に間合いを詰めたロワは高く飛び上がって剣を振るう。大きすぎる左膝に一文字の深い傷が刻まれた。
攻撃を受けたダゴールは野太い悲鳴を上げ、苦痛を紛らわすかのように滅茶苦茶に拳を振り下ろす。
「ちょっと、勝手な事しないで!」
不規則に落ちてくる拳骨を何とか避けつつ、シェリーは思わず怒鳴った。こうなってしまっては、向こうが攻撃の手を休めてくれるまで考える事は出来ない。
それでも打開策を、と焦ったのがいけなかった。
「っ、しまっ……!」
避けるタイミングを間違えたシェリーの頭上に大岩のような拳が迫ってくる。魔法で迎撃しようと咄嗟に呪文を唱えるも、発動が間に合いそうにない。
それでも、逃げるという選択肢は無かった。
いっそ差し違えてでもと覚悟を決めた時、シェリーの視界を横から飛び込んできた黒色が遮った。
「え……?」
自分を殴り殺す筈だった拳に、漆黒の剣が突き立てられているのが見えた。刃の付け根まで深く刺さっている。
思考が追い付かないシェリーが立ち尽くしていれば、黒いマントを翻してロワが勢い良く振り返った。その顔には焦りと怒りの二色が混ざっていた。
「何してんだよ、お前! 何で逃げねえんだよ!? 馬鹿か!」
「だ、だって……」
ーー私は勇者だから。
そう続けたくても、物凄い剣幕に圧倒されて口ごもる。
するとロワは怒鳴るのを止めて、代わりに呆れたように溜め息をついた。
「何考えてるかは知らないが、自分の力を過信してんじゃねえぞ。この自惚れ勇者が」
そう言ってロワは前に向き直る。マントを靡かせながら右袖を捲り上げた。男性にしては白い肩が露わになる。
「お前が少しくらい逃げたって、俺にはその分だけ前に出てやれる力があるんだよ」
袖の下から現れた腕は人間と何ら変わりない。
しかし、ロワが金の瞳を妖しく輝かせた途端に一変した。
関節が鳴るような音が響き、筋肉が膨れた右腕はそのまま逞しい太さへと変わった。皮膚は黒い長毛に覆われ、長く伸びた爪は刃のような鋭さを持っている。それはまるで、右腕にだけ悪魔がとり憑いたかのようだった。
そうして、自らの右腕を禍々しい雰囲気を放つものに変えたロワは、背後で立ち尽くしているシェリーを見た。
「それに勇者のお前を背中に庇えるのなんざ、きっと魔王の俺だけだろ? 貴重な機会なんだから、少しくらい甘えてもバチは当たらねえんじゃねえか?」
「……!」
「ま、その代わりに後で散々からかってやるけどよ」
ロワはにやりと口端を歪める。
すると、呆然としていたシェリーの瞳に強い光が戻ってきた。神秘的な深海の奥底で、気高くも豪快な炎が静かに燃えて煌めいている。
「何やら気遣ってくれたところで悪いけど、貴方に庇われようなんて、ましてや甘えようなんて微塵も思わないわ」
「……へえ?」
目を細めたロワは、口を挟まずに耳を傾ける。
シェリーは蜂蜜色の髪を風に遊ばせながらロワの陰から出て、白銀の剣を片手にゆっくりと、確かな足取りでその隣に並んだ。
「だけどこうして、私と横に揃って戦えるのは、貴方だけだって認めてあげる」
「……へっ、そりゃ光栄なこった」
凛とした顔付きで今の敵を見据える。ロワはその美しい横顔を横目で見てから、同じように前を向いた。
ダゴールが漆黒の剣が刺さった拳を振り回している。当たれば一溜まりも無いが、その分動きが大きくて無駄が多い。要するに今のダゴールは隙だらけだった。
「魔王っ!」
ロワを呼ぶや否や、シェリーはその場で地面を蹴った。小柄な体が羽毛のように軽やかに跳ねる。
「……! 仕方ねえな、手伝ってやるよ!」
目が合った途端、察したロワはすかさず右手をシェリーの下に差し出した。
悍ましい外見と引き替えに強大な力を得たその大きな右手に、空中に飛び上がっていたシェリーが片足で降り立つ。
ロワはその反動を生かして、掌に乗るシェリーを落とさないようにしながら出来る限り右腕を引いた。
「おらあああっ!!」
そして、空気を震わせる大声と共に、右手を思いっきり斜め上へと突き出した。
そのタイミングと合わせて脚力を増強させ、弾丸の如き勢いで飛び出したシェリーは、背中に翼があるかのように空高く舞い上がる。
「《グガアアアッ!》」
力強く宙に舞う勇者の姿。それを視界に捉えたダゴールが拳を振り上げる。が、その拳がシェリーを叩き落とす事は無かった。
「そう易々と抵抗なんかさせねえっての!」
前に突き出したロワの右手から、巨大な黒い炎の竜が生まれて、ダゴールの振り上げた拳に容赦なく食らいつく。
そうして燃え盛る竜に気を取られている間に、シェリーはダゴールの目の高さまで飛び上がっていた。
「これで……最後よ!!」
体が反る程に剣を振り上げ、気合いを込めた大声と併せて全力で振り下ろす。白銀の刃はダゴールの眉間に確かに突き刺さり、傷から大量の鮮血が散った。
「《ウギャアアアッッ!!》」
鼓膜が破れそうな程に大きな断末魔の叫びを上げ、ダゴールは巨大な体をゆっくりと地面に倒れさせる。重たい音が響いて盛大な土煙が立ち昇った。
それを空中で見届けていたシェリーだったが、ふと自分の体も落下し始めた事に気付き、直ぐに顔を青くさせた。
「きゃあああっ!?」
二人分の力で飛び上がったので、高さも二倍。そんな高所から着地する身体能力は持っていない。シェリーは剣を抱えて悲鳴を上げながら、物凄い速度で落下していく。
すると、無意識で縮こまらせていた体を、何かが見事に受け止めた。
「お前、最後まで格好付かねえのな」
耳に慣れた声がゆっくりと降ってくる。
いつの間にか閉ざしていた視界を開いてみれば、呆れながらも何処か柔らかい笑みを零すロワと目が合った。
「……うるさいわよ、馬鹿」
そして、シェリーも腕に抱かれたまま、普段よりも素直な笑顔を浮かべてみせたのだった。