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1 勇者、嫁ぐ事を薦められる。


 兵士達が集まる詰所にて。

 鎧を身に着けた体格の良い男達の中に一人、明らかに浮いている人物がいた。


 小柄で華奢な体、美しい金色の髪はさらさらと流れる。長い睫毛に縁取られた瞳は極上のサファイア。染み一つ無いミルク色の肌は触れる事すら大罪に思わせる。

 薔薇から生まれた妖精の姫。そう言われたら誰もが信じてしまいそうな程に愛らしいその女性は、白魚のような手に持った「それ」を丁寧に磨いていた。


「シェリー殿、今日は有難うございました! 貴女がいて下さったお蔭で自分は無事に帰還することが出来ました!」

「いいえ、気にしないで下さい。貴方が無事で何よりです」


 傷だらけの鎧を着た兵士が少女に深々と頭を下げる。

 己よりもずっと年下だろう相手に遜る兵士に、しかし、周囲の仲間達は冷たい視線を向ける事は無い。

 一方、シェリーと呼ばれた少女も戸惑うこと無く、可憐な笑顔を浮かべて受け応える。ーー男一人分ほどもある大きさの剣を軽々と持ち、手入れをしながら。

 その光景を眺めながら、端の方に座っている兵士二人が口を開く。


「……すげえよな、シェリー様」

「ああ……俺、圧倒されちまった……」

「俺だってそうだよ。今日の魔物の大群、殆ど一人で片付けてたもんな……」

「流石、勇者だよな」


 その一言に、周囲で会話を聞いていた兵士達が心の中で賛同した。

 そんな事を言われているとも知らないシェリーは、他の兵士と今後の鍛錬メニューについて談義を繰り広げている。


「失礼します! シェリー殿はいらっしゃいますか!?」


 と、そこに一人の兵士が慌てた様子で部屋に飛び込んで来た。

 一体何事かとシェリーは首を傾げる。


「いるわよ、どうしたの?」

「兵士長がお呼びです。すぐに監視塔まで来てほしいと……」

「……兵士長が? 分かったわ、有難う。悪いけどこの剣の手入れ、あとはお願いね」

「えっ、あの、シェリー様っ!」


 そう言うとシェリーは持っていた大剣を兵士に押し付け、監視塔へと向かうべく部屋を早足で出て行った。


 いきなり大剣を渡された兵士が重みに耐え切れず、よろめいた挙句に壁に後頭部を強打して気絶し、詰所が別の理由で大騒ぎになった事には気付かずに。


 ***


 薄く雲が掛かった空の下。

 監視用の高い塔に上ったシェリーは、金髪を靡かせながら碧眼を細めた。

 

「……本当に退いたわね、魔物軍は」

「はい……偵察隊にも見に行かせましたが、一人残らず退却していたと……」

「……そう、分かったわ」


 愛らしい顔を怪訝そうに歪めて呟く。

 そして少し考えた後、隣に立つ甲冑姿の大男を見上げた。

 

「兵士長、念の為に連絡係を数人残して、私達も退きましょう。何にせよ、王様には報告しなくちゃいけないし」

「あ……そ、それが……」


 シェリーがそう言うと、兵士長は何か言いたそうに口ごもった。

 気付いたシェリーは眉間を寄せて、視線だけで兵士長に発言を促す。

 上司──自分たち人間軍の希望である「勇者」にそう促されては反抗出来る筈も無く、やがて兵士長はおずおずと口を開いた。

 

「実は……王からシェリー様に伝言を言付かっていまして……」

「え?」

「『人間軍と魔王軍に関する重要且つ極秘の話なので、シェリー殿のみ早急に城まで戻られるように』……と」


 誰もいない塔の上だが、気を利かせた兵士長は声を潜めて伝言を伝える。

 それを聞いたシェリーは更に眉間を寄せ、細い顎に手を添えて考えた。

 

(双方の軍に関する……となると、きっとこの不可解な退却とも関係あるわね。魔王軍が何か言ってきたのかしら……)


 ──とにかく、全ては城に帰れば分かりそうね。

 

「分かったわ、私は今から城に向かいます。兵士長は皆と引き続き此方で待機を」

「は、承知しました」

「お願いね、それじゃ」


 そうしてシェリーは急遽、戦場から城へと帰る事になったのだった。

 

***


 勇者の紋章を右手の甲に持って誕生し、物心ついた頃から勇者としての勉強を受けていた。

 そして、勇者として正式に目覚めた十二歳の頃から人間軍を率いてきたが、何度来ても慣れない、と王の間へと続く豪奢な扉の前でシェリーは溜息をついた。

 勇者という立場上、王と話す機会は多い方だとは思うものの、何度話したところで相手は国のトップ。緊張しない方が難しい。

 それでも呼ばれたのだから会わないわけにはいかない。腹を決めたシェリーはゆっくりと扉を押し開いた。


「お待たせしました、王様」

「おお、シェリー。急がせてすまないな、戦場から此処までは数日掛かると言うのに……」


 煌びやかな広間の奥、赤絨毯の先で玉座に座っているのは恰幅の良い男性。

 頭には王の証である王冠が輝き、白髭を蓄えた顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


(……良かった。悪い話では無さそうね)


 内心で安堵したシェリーは王の傍へ歩み寄り、凛とした眼差しを向けた。


「いえ、──それよりも、魔物軍との間に何かあったのですか?」

「ふむ……相変わらず察しが良いな」


 齢十八歳とは思えない毅然とした態度と聡明さに、国王は感心した様子で白髭を撫でる。

 そして、一つ頷くと真剣な表情で口を開いた。


「シェリーよ、儂は回りくどいのが苦手だ」

「……えっ?」

「だから大事な事だけ言おう。心して聞いてくれ」

「は、はい」


 少し空気が変わった気がしたが、其処をツッコめるような空気でもない。

 若干の動揺を見せながらもシェリーが返事をすれば、国王は言った。


「シェリー、お主には平和の為、魔王の下に嫁いでもらいたい」

「……、……はい?」

 

 失礼だという事も忘れて聞き返す。それほどまでにシェリーの思考回路は一瞬にして混乱した。戦場で奇襲をかけられた時の方がまだ頭が働いている。

 猫だましを受けた猫のような反応を見せたシェリーが我に返るのを待つこともなく、国王は至って真面目な様子で話を続けた。


「これは魔王と話し合った結果でな……」

「いえ、あの、王様?」

「儂としてもお主一人に全て任せるのは申し訳無いと思うが、これも国の為……」

「あの、ちょっと待ってください」

「勇気ある者、勇者であるお主にしか出来ないのだ。どうか、っ!?」


 何かが頬を掠めていき、その速度に王は思わず口を噤んだ。

 ゆっくりと横目で見れば、玉座の背もたれに親指大の小さな穴が出来ていて、そこからは細い煙が上っている。

 視線をそろりと前に向けると、花のような可愛い笑顔を浮かべたシェリーが人差し指を此方に突き出しているのが見れた。

 その指先には、魔力が溜まって淡く光っている。


「王様、少し話を進めるのを待って頂けますか?」


 笑っているのに笑っていない。

 そんな器用な笑顔を向けられた国王が無言でこくこくと頷けば、シェリーは深い溜息をついて手を下ろした。


「どうして私が魔王の下に嫁ぐ事になったのか、そして何故それが平和に繋がるのか、教えて頂けますか?」

「そ……そうだな、説明しなくては納得しようがないな、うん……。お主は先日の魔王軍との戦を覚えているか?」

「……? はい、魔物軍が突然引き上げていったのが不自然だったので……」

「そう、それだ。あの退却の理由はな、魔王の交代が急遽行われるという事になったからなのだよ」

「……はあ?」


 説明を聞けば聞くほど分からなくなるのは初めてだった。

 それでも一応全て聞き終わってから質問しようと、シェリーは言葉を飲み込んだ。


「あの軍を率いていたのは魔王の息子でな、魔王の座を継ぐ儀式の為に帰る必要があったらしい。そして正式に継いだ今、お主を嫁にする話が上がってーー」

「いやいやいや、待って下さい。そこで何で私が嫁ぐ事になるんですか」


 これはもう一発ぶち込むべきか。最早立場というものも忘れて、シェリーは二発目の魔法弾の構えを取る。

 それを見た王は「ひいっ」と引き攣った悲鳴を上げて片手を突き出した。


「ま、待ってくれ! きちんと説明する!」

「……お願いします」

「魔王の座を退いた魔王──要は先代魔王から提案があったのだよ」


 その後の話の内容は、大まかにするとこうだった。


 人間と魔物。両族の争いは何百年と続いていた。いつから始まったのか、どうして始まったのか。

 長すぎた争いはそれすらも曖昧になり、いつの間にか目的も終わりも見失って、ここ数十年はただ悪戯に国や兵士達を疲弊させていくだけだった。


 ──このままでは互いに滅びの道を辿るだけだ。


 そう気付いた魔物の王は、人間の王に関係修復の提案を持ちかける。すると、人間の王はその提案をあっさりと受け入れた。

 時代が変われば考えも変わるというのはどこの種族にも当てはまるらしく、実はどちらの王も戦争の終結と共存を願っていたのだった。

 人間と魔物が続けてきた長年の争いに終止符を打ち、共存しようという意見は一致した。

 そして、それを叶える具体的な方法は一体何だと考えた結果が「力の均衡を測る為にお互いの最高戦力を差し出そう」だったという。

 最高戦力となると、互いの軍を率いる存在──勇者と魔王。その二人が異性だと気付いた国王と先代魔王は思い付く。


 いっそのこと、結婚させて夫婦にすれば、力の均衡だけでなく友好の象徴にもなるのではないか?──と。


「どうだろう、これで納得……」

「出来るわけないでしょう。何で本人抜きで話を進めてるんですか」


 長々しい説明を終えて期待を秘めた国王の眼差しを、シェリーは素っ気ない言葉と態度ですっぱりと切り捨てる。


「そもそも先代魔王の事は信頼出来るのですか? もしかしたら勇者である私を人間軍から引き離そうと企んでいるのかもしれませんよ?」

「それは大丈夫だ。彼とはしっかり酒を交わして……じゃない、腰を据えて話したからな」

「……王様、もう一発宜しいですか?」

「ゆ、許してくれ! 話し合いを円滑に進める為だったんだ!」


 シェリーが人差し指を構えてみせると、国王は首を振って必死に弁解した。一国の王とは思えない、その情けない姿には怒りすらも萎える。

 その代わりに呆れが生まれて、シェリーは溜め息をつきながら肩を落とした。


「申し訳ありませんが、その話は聞き入れられません。……それにあの魔物軍を率いていた先代魔王の息子って──」

「うむ、確か名前は……ロワと言ったか」


 国王がそう言った瞬間、空気が一気に冷たく張り詰めた。


(な、何事だ!?)


 突然呼吸がしづらくなり、心臓は何かを訴えるように跳ね、体は勝手に震えている。

 咄嗟に周囲を見回しても広間内に変化は無い。一体何が起きたのかと国王は慌てたが、その原因は直ぐに判明した。


「……あの男、いつになったら殺されてくれるのかしら」


 呪詛のように言葉を紡ぐ声は、鉛の如く重たい。

 普段は星の煌めきを放っている瞳には鋭く尖った刃の光が宿り、蜂蜜色の髪は殺気で揺れているように見えた。

 可憐な妖精が獰猛なケルベロスに変身したのを目の当たりにした国王は、意思とは関係無しに震える体を何とか抑えながら、恐る恐る声を掛ける。


「そ、そういえばお主は戦場で何度か彼と会っているのか」

「ええ、何度も殺そうとしていますけど、なかなか殺せないんです」


 きっぱりと物騒な言葉を吐き出したシェリーの迫力に、国王は身の危険を感じて再び口を閉ざす。

 そうして玉座の上で小さくなってしまった国王が話を続けないのを見て、シェリーは氷の殺気を纏ったままにっこりと笑った。


「とにかく、私は嫁ぎません。失礼します」


 そう言うとシェリーは踵を返し、王の間をさっさと出て行った。

 心なしか乱暴に扉が閉じられた途端、一気に緊張が解けた国王は玉座から僅かに滑り落ちる。

 そして、ずれた冠の位置を直しながら、難しい顔でぽつりと呟いた。


「強引な手はあまり使いたくないのだがなぁ……」


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