15 勇者、出掛ける。
蜂蜜色の髪が風に靡いて煌めいている。
いつもより近い青空を見上げていたシェリーは、そこから視線を下ろすと、目の前にある背中に大声で問いかけた。
「ねえ! いつになったら着くの!?」
「あ? 何か言ったか?」
肩越しに振り向いたロワが聞き返す。
シェリーは軽く顔を顰めると、伸ばした手でロワの耳を摘んで自分の方に引っ張った。
「いてててっ!!」
「だから! いつになったら小妖精の集落に着くのかって聞いてるの!」
「もう少しだっての! お前、その質問は何回目だよ!?」
痛みに悲鳴を上げたロワは、耳を摘む手を振り払って反撃しようとするも、今いる場所を思い出して渋々大人しくする。
一方、シェリーもそれ以上攻撃を仕掛ける事はせず、振り払われた手でロワの背中を躊躇いがちに掴んだ。
「だ、だって……」
零れた言葉を大きな羽音がかき消した。
その音に負けないようにと、声量は自然と大きくなる。
「仕方ないだろ! 流星竜は乗りやすい分、速度が遅いんだっての!」
「ううっ……わ、分かってるわよ!」
二人は声を張り上げて会話を交わす。
そんな二人を背に乗せた真珠色の竜は、流星と呼ばれるには少々のんびりとした速度で大空を飛んでいく。
自分の心境とは真逆の穏やかな空の旅に、シェリーは思わず小さな溜め息をついた。
(もう、お願いだから早く着いて……!)
ロワの背中に掴まる自分の手を見て、もう一度溜め息をつく。
ドラゴンから落下死という事態を避ける為とはいえ、今までに無い至近距離に緊張して、どうしても頬が火照ってしまう。
どうか気付かれませんようにとシェリーが願った時、風に煽られでもしたのか、安定していた流星竜の体が揺れた。
「きゃっ!?」
体勢を崩したシェリーは悲鳴を上げて、咄嗟に目の前の背中にしがみついた。
下手をすれば今ので落ちていたかもしれない。そう思うと、顔から軽く血の気が引いた。
(こ、怖かった……)
危機を逃れた安心から、ホッと息をつく。
「案外恐がりなんだな、お前」
「え? ……あっ!」
小首を傾げたシェリーはそこで漸く、自分がしがみついた背中が誰のものかを思い出した。
慌てて体を離すも、一旦起こした行動は取り消せない。
「こ、恐がりじゃないわよ、急だったから驚いただけ!」
宿敵の前で弱みを晒した情けなさと、思いがけない接触への恥ずかしさを誤魔化したくて、つい必要以上の大声で弁解をする。
そんなシェリーの様子に、ロワはお見通しだと言いたげなにやにやとした笑みを浮かべた。
「ま、そういう事にしておいてやるよ」
「本当よ! 本当に驚いただけなんだからーっ!」
透き通る青空に、シェリーの大声が響き渡った。
***
小妖精の集落は森の奥にある。
そこに大きな体の流星竜で直接行くのは無理だということで、二人は森の入り口で降りた。
「「…………」」
木漏れ日のさす小道を無言で歩いていく。
シェリーは集落の場所を知らないので、自然とロワの後に続く形になる。
先を行く背中をちらりと見てから、自分の片手に視線を落とした。
(案外、しっかりしてたわね……)
掌を見つめながら、頼った背中の広さと暖かさを思い出す。
そして口元を緩めかけたが、はたと我に返ると慌てて首を振った。
(な、何考えてるのよ、私!)
心の中で自分を叱りつける。
それに気を取られていたシェリーは、地面から飛び出ていた木の根に足を引っかけてしまった。
「きゃっ!?」
体が前方に大きく傾く。
どうにか受け身を、と思ったのとほぼ同時に、視界の外から伸びてきた手がシェリーを難無く受け止めた。
顔を上げれば、背を向けていた筈のロワの呆れ顔があった。
「何、鈍くさい事してんだよ?」
「うっ……」
自分でも思うことを言われてしまい、咄嗟に言い返せずに口ごもる。
そうして俯いたシェリーは、そこにあった光景に目を見開いた。
「う、あ……」
震える唇を徐々に開いていく。
突然呻くような声を漏らし始めたシェリーに、ロワは怪訝そうにして首を傾げた。
「あ? どうし、……あっ」
言葉の途中でロワは気付いた。
シェリーの華奢な体を支えている自分の掌が、慎ましやかな胸を見事に包み込んでいる事に。
平均よりも起伏の少ない其処を確認するかのように、ロワの掌がその控えめな胸をふにふにと揉む。
「……っ!?」
その所為で我を取り戻したシェリーは一気に顔を赤らめる。
そして、胸元に置かれた手を引っ叩くように強く振り払うと、後ろに飛び退いてロワから距離を取った。
「なな、何すんのよ変態! 最低!」
「ちがっ、今のはわざとじゃ……」
「うるさい!」
片手で胸を庇いながら、もう片手を前に突き出す。
その掌に光の粒子が集まり始めたのを見て、ロワは顔を青ざめさせた。
「ちょっ、待て! ここでそのレベルの魔法は……!」
「塵となって果てなさい! この変態魔王ーっ!!」
シェリーが真っ赤な顔で叫ぶと共に、その掌からは周囲の草木を飲み込むほどの巨大な光の球が撃ち出された。
***
小さな体を持つ小妖精たちが暮らす其処は、集落と言うよりも花畑だった。
色とりどりの花が咲き、甘い香りに包まれている。
そして、そこに生えている大きな木のうろの中にシェリーはいた。
小妖精の魔法によるものなのか、それとも木自体が普通の木ではないのか、うろの中は明らかに外から見るよりも広々とした空間になっている。
しかし、今のシェリーにはそれを不思議に思う余裕は無かった。
「……いいデスカ? 今後気を付けてクダサイネ?」
「ごめんなさい……」
正座をして頂垂れるシェリーを叱っているのは、背中に半透明の翅を生やした赤髪の女性だった。
しかし、その体長は三十センチほどしかない。
小妖精たちの首長である彼女は、溜め息をつくと部屋の隅に目を向けた。
そこでは、上着を脱いで座っているロワの姿があった。
その傷だらけの体に、他の小妖精たちが周囲を飛び回って薬を塗っている。
「何があったかは聞きませんケド……魔王様があそこまでダメージを受ける程の威力なんですカラ、皆も驚いちゃうんデスヨ?」
「はい……」
言い返す言葉も見当たらない。シェリーはしょんぼりと肩を落として、素直に反省の色を見せる。
シェリーが放った渾身の聖魔法は、妖精長を集落から飛び出させる程に森の住人達を驚かせた。
駆けつけた妖精長が見たのは、赤い顔で肩を怒らしている女性と、その傍で倒れている男性だった。
そして、男性の方が魔王だと分かるや否や、妖精長は慌てて自分達の集落へと連れていったのだった。
「まあ、今回は俺に原因があるんだ。あんまり責めないでやってくれ」
薬を塗り終えて上着を着たロワが近付いてきた。
何となく目を合わせづらくて、シェリーは目線を下に落としてしまう。
ロワはそれに気付いているのかいないのか、隣に腰を下ろして妖精長と向かい合った。
「それよりも最近はどうだ? 何かあったりしたか?」
「そうデスネ、そういえば先日……」
そうして二人は会話を広げていく。
話に入れないシェリーが居た堪れない気持ちになっていると、視界の端を何かが横切っていった。
(ん……?)
目で追いかければ、小妖精たちが興味深そうに此方を見ていた。
大きさは妖精長と大差なかったが、あどけない顔立ちから見るに、どの子もまだ子供のようだった。
(いつもはソルダが一緒らしいし、私が珍しいのかしら?)
そう思って、何となく小さく手を振ってみる。
すると、少し警戒した様子だった小妖精たちは揃って目を輝かせて、楽しそうにシェリーの周囲を飛び回り始めた。
(可愛い……)
小妖精たちの無邪気な姿を、頬を緩ませながら眺める。
暫くすると、踊るように飛んでいた小妖精たちの翅が淡く光り始めた。光の粉がきらきらと舞う。
「っ、シェリー!」
「え? きゃっ!?」
名前を呼ばれたと思ったのも束の間、横に突き飛ばされた。
床に肩を打ち付けたシェリーは痛みに顔を顰める。
「ちょっと! いきなり何を……っ」
文句を言おうと直ぐさま顔を上げたが、目の前の光景に言葉を詰まらせた。
ロワの周囲を光の粉が舞う。その輝きは次第に強くなっていき、あっという間にその体を包み込んだ。
突然の事態にシェリーが呆気に取られているうちに、その光の固まりは大きさを縮めていく。
「……え?」
そして、光が晴れた其処には、黒髪の子供がきょとんとした顔で座っていた。
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