13 勇者、誘われる。
「お前、明後日一日、俺に付き合え」
帰宅して早々、ロワは偉そうにそう言い放った。
「えっ……!?」
今日も持たせたバスケットの中身が空っぽになっているのを確認していたシェリーは、その言葉に目を見開き、手からバスケットを滑り落とした。
そして目を伏せると、悲痛な面持ちで静かに首を振った。
「……貴方、遂に私に殺される覚悟が出来たのね」
「違う! どうしたらそういう考えになるんだよ!?」
「だって一日付き合えだなんて、貴方を殺せる機会を一日中探させてくれるって事でしょう?」
表情を一変させ、笑顔を浮かべたシェリーは小首を傾げる。
それは薔薇のように可憐な笑みだったが、その陰に鋭い棘があるのをよく知っているロワは騙されない。
ひくりと頬を引きつらせると、嫌味ったらしい笑みを向けた。
「一日あったって、お前なんかに俺は殺せねえよ」
「そういう過度な自信が一番身を滅ぼす原因になるって、貴方は知らないの? ああ、お粗末な頭を持つ貴方が知る筈無いわね、ごめんなさい」
「見事に可愛げがねえな、お前は……」
噛む事も息継ぎする事もないまま、容赦ない言葉を紡いでみせたシェリーに、ロワは怒りを通り越して感心すら覚える。
シェリーはふんと鼻を鳴らすと、床に転がっていたバスケットを拾い上げた。
「……別に、貴方に可愛いだなんて思ってもらわなくて結構よ。それで?」
「……は?」
不機嫌そうな声色で問いかけられて、ロワは間の抜けた返事で聞き返す。
すると、シェリーは形の良い眉を強くつり上げて、互いの距離を詰めると下から睨み上げた。
「は? じゃないわよ。私に一日付き合えだなんて、どういう風の吹き回しなのか教えなさい」
それを聞いて、ロワは話が本題から大きく外れていた事に気付いた。
(つーか、話がズレたのはコイツの所為だろ……)
そう思ったが、ここでそれを言えばまた話が逸れる事が容易に想像出来たので、少しの悔しさと共に飲み込む。
この程度でいちいち喧嘩をすれば無駄な体力と気力を消費するのだと、ここ最近で漸く学んでいた。
「明後日は小妖精の集落に行かなきゃならないんだが、ソルダが別件でついて来られなくなったんだ」
「……そこでどうして私が?」
「俺だけだと向こうが畏縮しちまって話しづらいんだよ」
「ふーん……」
シェリーは青い瞳を細める。
そして、背中を向けるとキッチンの方へと向かっていった。
その後ろ姿にロワは軽く溜め息をつき、がしがしと頭を掻いた。
(まあ、俺と出掛けるなんざ気乗りしないに決まってるか)
するとキッチンから、シェリーがむすっとした表情で戻ってきた。
その手には、先程のよりも一回り大きなバスケットが提げられている。
それに気付いたロワが怪訝そうにしていると、そのバスケットを鼻先に突きつけられた。
「……これくらいの大きさでいいわよね?」
「は?」
シェリーの言っている意味が分からず、ロワはバスケットの陰から顔を覗かせようとする。
しかし、シェリーはその動きに合わせてバスケットを動かしてきた。
ロワが右から顔を出そうとすれば右に、左からなら左にと、寸分もズレずに邪魔をしてくる。
「あのなあ、お前……!」
「あ、明後日っ!」
いつまでも視界を邪魔されて苛立ったロワが、遂に声を荒げようとした時、少し上擦った声がそれをかき消した。
ロワが思わず口を噤むと、バスケット越しに声が聞こえてきた。
「そのっ、二人分のお弁当なら、これくらいのバスケットでいいわよね……?」
その言葉にロワは目をぱちくりとさせる。
そして、少し間を置いてからバスケットをあっさりと取り上げた。
「あっ……!?」
不意を突かれて抵抗出来なかったシェリーは、自分とロワの間を遮っていた物が無くなったと気付いた途端、慌ててその場から逃げ出そうとする。
しかし、その片腕をロワはすかさず掴んで、無遠慮に自分の方へと引き寄せた。
細い顎をしっかりと指先で捉えると、強制的にその顔を上げさせる。
「っ、あ、うぅ……」
そこにあったのは、林檎のような赤い顔。
見事に予想が当たった事にロワは堪らず噴き出して、にやついた笑みを浮かべる。
「どうしてお前、素直に物が言えないんだよ?」
「う、うるさいわね! 離しなさい!」
「しかも、恥ずかしがってんのが分かりやすいし。そういうところは少しばかり可愛げが……っ!?」
次の瞬間、ロワは言葉が出なかった。正しくは出なくなった。
無防備なつま先を襲った激痛に涙が浮かぶ。
その隙にすかさずロワの手から逃れたシェリーは、踏みつけていたつま先から足を退かした。
「ちょ、調子に乗るからよ、馬鹿っ! 明後日は覚悟しておくことね!」
爪先を押さえて蹲るロワに、シェリーは真っ赤な顔でそう言い捨ててリビングを出ていく。
壊れるのではと思う程の勢いでドアが閉められて、残されたロワは痛みと戦いながら呻くように言った。
「本っ当に、可愛くねえ……っ!!」
***
地鳴りのような荒い足音を立てて、シェリーは自室に戻ってきた。
そして、後ろ手にドアを乱暴に閉めると、
「う、わああ……」
力無い声を漏らしながら、その場にずるずると崩れ落ちた。
恐る恐る自分の頬を触ってみれば、熱があるかのように火照っている。
「な、何なのよ、私……」
たかが一日、行動を共にするだけ。仕事をする為に仕方なく自分を連れていくだけ。大した事では無い。
それなのに何故、答えるだけであんなに緊張して恥ずかしくなってしまったのだろうか。
「うう……」
未だに落ち着かない胸を押さえて頂垂れる。
そうして暫く座り込んでいたシェリーだったが、突然ハッとして立ち上がった。
(服とかってどうしたらいいのかしら? あとお化粧とかもするべきなの?)
不意に浮かんだ疑問は、噴水のように次々に溢れていく。
(そもそも、その日一日は魔王とはどう接して、どう過ごせばいいの? いつも通りに? それとも妻らしく?)
頭の中を大量の疑問が埋め尽くしていくも、どれも答えが見つからない。十八年を費やして得た剣術も魔術も、今は何の役も立たない。
何からどう手を付ければいいのか分からない。その混乱が更に混乱を増幅させた。
自分自身に追い詰められたシェリーは泣き出しそうに顔を歪める。
「……!」
しかし、ふと何か思い付いたように目を見開くと直ぐに自室を出て、ロワに気付かれないようにしながら家を飛び出した。
中庭を過ぎて城内へ入り、長い廊下を駆けていく。
薄暗い所為で何度か迷いかけたが、どうにか目当ての部屋の前に着いたシェリーは、呼吸を整えるのも忘れてドアを開けた。
「えっ、シェリー様!?」
開けたドアの先ーー執務室に一人残って仕事を片付けていたソルダは、突如現れたシェリーに思わず大声を上げて驚いた。
しかしシェリーはそんな反応に構わず、つかつかと歩み寄ると、戸惑っているソルダの両肩を強く掴んだ。
「ソルダ、貴方に頼みがあるの」
真っ直ぐに向けられる真剣な眼差しに、ソルダは自然と姿勢を正して頷く。
その誠実な姿を見て、シェリーは少し安堵しながら口を開いた。
「実はね……」
***
「……成る程、事情は分かりました」
事態の一連を聞いたソルダは真面目な顔で頷いた。
そして、俯いているシェリーの顔をそっと覗き込み、不安に揺れる瞳を見つめながら優しく微笑んでみせる。
「大丈夫ですよ、シェリー様。今からなら間に合います」
「ほ、本当……?」
「はい、本当です」
そう言ってソルダが強く頷いてみせれば、シェリーは強ばっていた表情を安心したように緩めた。
「じゃあ……お願いね?」
「はい、お任せ下さい」
すっかり落ち着きを取り戻したシェリーは、軽い足取りで執務室を出て行った。
ドアが完全に閉まると、ソルダは下げていた頭をゆっくりと上げる。そして拳をグッと握り締めた。
「よし……っ! これは、これは素晴らしい機会ですよ……!」
仕事が関係しているとは言え、あの二人が一日中一緒に出掛けるというのは、当初の頃に比べたら大きな進歩である。
今回ばかりは詰め込まれた仕事に感謝せざるを得ない。
「……と、こうしてはいられませんね」
高ぶる気持ちを一旦抑え込んだソルダは、仕事机の引き出しから封筒や便箋を取り出す。
そして、便箋に用件を簡潔に書くと封筒に入れて、それを片手に執務室のドアを開けた。
「魔馬、魔馬はいますか?」
静かな廊下にソルダの声が響き渡る。
すると、十秒もしないうちに蹄の音が近付いてきて、巨大な黒馬が到着した。
青い鬣を靡かせる自分よりも大きな黒馬を相手に、ソルダは恐れることなく封筒を差し出す。
「これを先代魔王の下に大至急届けて下さい。恐らくはまだ、人間の王の城にいると思うので」
ソルダがそう言うと、魔馬は封筒を銜えるや否や、とてつもない速さで廊下を駆けていった。
暗い廊下の陰に飲み込まれて、あっという間に姿が見えなくなる。
(さて、これで大丈夫でしょう)
城一番の俊足の持ち主を見送ったソルダは、満足そうな笑みを浮かべて執務室に戻っていった。
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