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10 勇者、動揺する。


 ふあ、と可愛らしい欠伸が零れる。

 眠そうに目を瞬かせているシェリーに、ソルダは湯気を立てる鍋の中に香草を散らしながら声を掛けた。


「寝不足ですか?」

「ん……いや、まあ……」


 シェリーは歯切れの悪い返事をしながら人参を刻んでいく。

 その危なっかしい手付きに、ソルダが少し慌てたように口を出した。


「シェリー様、包丁を使う際は手元から目を離さないで下さい」

「あ、ごめんなさい」


 素直に謝ったシェリーは、視線を手元に移して作業を再開させる。

 真剣な表情で人参を切っていく横顔を微笑ましく思いながら、ソルダは鍋の中で煮えるスープをかき混ぜた。


 アリアとの修行以来、シェリーが一人で自己練習に励んでいると知ったソルダは、手が空いている時は指導役として付き合うようにしていた。

 その理由は故意ではないとは言え、あの日ロワを家に行かせる理由を与えてしまったお詫びと、もう一つあった。


(こうして花嫁修業を続けていれば、ロワ様の妻だという自覚を少しでも持ってもらえるかもしれませんしね……)


 人間と魔物の友好関係の象徴としてだけなら今の関係のままでも良いだろう。

 しかし、長年ロワに側近として仕えてきたソルダは、結婚する事で得られる幸せをきちんと受けてほしいと思っていた。

 その為にはロワは勿論、シェリーにも相手に対して好意的になってもらわなくてはならない。


(これから少しずつでも、お二人が近付けたら良いのですが……)


 元々は敵軍同士の二人が親密な関係になるという事が、どれくらい難しいかは分からない。

 それでも長い目で見守っていけばいつかは、とソルダが考えていると、その横でシェリーがまた小さく欠伸を零した。


「シェリー様、大丈夫ですか?」


 どうにも眠気が拭いきれない様子のシェリーに、ソルダは心配そうに問いかけた。

 しぱしぱと目を瞬かせたシェリーは目元を軽く擦りながら答える。


「最近眠りが浅くって……」

「お体の具合が悪いのですか?」

「あ、違うのよ、体調は悪くないわ」


 首を振って否定されたソルダは不思議そうに眉を寄せる。

 すると、シェリーは溜め息をついて、切り終えた人参を鍋の中に入れながら言った。


「この家に魔王と住み始めてから何日か経つけど、どうしても緊張が抜けないのよね……」

「緊張、ですか?」

「私達って基本は喧嘩してるでしょう? だから家で普通に顔を合わせた時とか、どうしたら良いか分からないのよ。これは向こうも同じみたいだけど」

「ああ……成る程」


 ソルダは納得した様子で頷く。

 二人が言い合いをしている姿はもう見慣れたが、他愛のない会話をしている姿を見かけた記憶は確かに無かった。


「もう少し、普段の時くらいは緊張が抜けたらいいんだけどね……」


 疲れたように呟いたシェリーは、三度目の欠伸をした。


 ***


 料理の練習の付き合いを終えたソルダは、書類の束を抱えながら執務室のドアを開けた。


「ロワ様、この書類ですが……」


 そう言いながら執務室に足を踏み入れたソルダだったが、視界に入った光景に思わず言葉を切った。

 そして、静かに執務机の傍に歩み寄ると、そこに突っ伏しているロワの肩を優しく揺さぶった。


「ロワ様?」

「んー……ああ、おう……」


 緩慢な動きで起き上がったロワは涎で濡れた口元を拭う。

 その呑気な仕草を見たソルダは、どうやら体調不良ではなさそうだと安心して小さく息をついた。


「居眠りなんて珍しいですね?」

「あー……最近、眠りが浅くてな……」

「……え?」


 ついさっき同じ言葉を聞いた覚えがあるソルダは目を瞬かせる。

 しかし、ロワはそれに気付く事なく、大きな欠伸をして話を続けた。


「勇者と同じ家に住み始めてから何日か経つけどよ……どうにも落ち着かないんだよな。顔を合わせる度に喧嘩なんかしてたら疲れるし、かといって普通に接するってのもよく分からねえし……せめて普通に話せるくらいになれば、少しは落ち着いて眠れるんだろうけどな……」


 気だるそうにそう言ったロワは、椅子の背もたれに背中を預ける。

 先代魔王から引き継いで使っているだけあって、その安定した座り心地は眠気を再び誘ってきた。


「まあ、無理な話だわな。俺が普通に話せても、向こうにその気が無いと……」

「そんな事はありませんよ、ロワ様!」

「っ!?」


 今まで静かに話を聞いていたソルダの唐突な大声に、驚いたロワは危うく椅子から転げ落ちそうになる。

 金色の瞳を丸くさせて見上げた先では、何やらやたら気合いが入った様子のソルダがいた。


「何事も初めの一歩を踏み出す事が肝心です! やる前から諦めてはいけません!」

「いやでも、どうすりゃいいか分からねえし、勇者だって……」

「それです!」


 勢いに圧倒されてロワはたじろぐ。

 それでも反論しようと口を開けば、ソルダはそれを遮ってロワの目前でビシッと指を立てた。


「勇者、魔王、などという呼び方がまず距離を作っているんですよ! 親しい関係を築きたい相手を名前で呼ばないで、どうして親しくなれますか!?」

「いや……別に俺は勇者と親しくなりたいわけじゃ……」

「さあ、思い立ったら吉日です! 本日はもう仕事の方は結構ですので、ご自宅に帰って下さい! さあさあ!」

「ちょっ、おい!? 話を聞け、ソル……」


 椅子から立たされたロワはそのまま背中を押され、出口へと向かわされる。

 必死に足を踏ん張らせるも、眠気の所為か気迫に負けてなのか、無駄な抵抗にしかならなかった。


「ではロワ様、また明日!」


 そうして結局、ロワは廊下に押し出されてしまった。

 誰もいない廊下に一人残されたロワは、固く閉ざされた執務室のドアを暫く見つめていたが、やがて諦めたように溜め息をつくと廊下を歩き出した。


(……行ったようですね)


 ドアの隙間からロワを見送ったソルダは肩から力を抜いた。


(少々強引ではありましたが、きっとこれはお二人の仲を縮める絶好の機会……!)


 あれだけいがみ合っていた二人が、普通に接する事を視野に入れ始めている。

 これをチャンスと捉えずにはいられなかった。


(どうか上手く行きますように……!)


 ソルダは両手を組んで天井を仰ぐ。

 魔物の身である事も忘れて、二人の仲の進展を神に祈ったのだった。


 ***


 鍋の中ではスープが軽く煮え立っている。

 シェリーはそれを小皿に掬うと、恐る恐る啜って味を確認してみた。

 程良い塩加減と野菜の甘みが口内に広がっていく。


「……よし、美味しく出来たわ!」


 満足のいく仕上がりになったスープを見て、シェリーは嬉しそうに笑う。

 ソルダに手伝ってもらったとはいえ、全く料理が出来なかった自分にしては上出来だった。

 明らかな進歩に機嫌は上昇する。つい鼻歌を口ずさみながらスープをかき混ぜていると、不意に手元がふっと薄暗くなった。


「そんな音痴な歌聴かせてたら、折角のスープが不味くなるぞ?」

「きゃあっ!?」

「ぐっ!?」


 頭上から降ってきた声に驚いて悲鳴を上げる。

 同時に持っていた玉杓子を反射的に振り上げると、何かに勢い良くぶつかった。

 それにまた驚いたシェリーは慌てて振り返る。


「いってえ……! お前、いちいち人に攻撃しなきゃ気が済まねえのか!?」

「……何だ、貴方だったの」


 声の正体が背後にいたロワだと分かった途端、シェリーは不愉快そうに目を細めた。


「どうしたの? まだ帰ってくるには早い時間だと思うけど? ……というか、別に帰って来なくても私としては構わないんだけど」


 赤くなった顎を撫でているロワに淡々とそう言って、鍋へと向き直る。


(……やっぱり、憎まれ口を叩かないと話せないわね)


 会話が思い付かない気まずさから逃れようと、咄嗟に言うだけ言って料理に逃げた自分が何となく情けない気がして、内心で大きな溜め息をつく。

 それでも一度突き放すような態度をしてしまった以上、自分から再び会話を切り出すなんて事は出来ない。

 背後に感じる気配が遠ざかるまでは、鍋を見ていようと思った。


「……なあ」


 そう思っていた矢先に声を掛けられて、心臓が軽く跳ね上がった。

 動揺を悟られないように意識しながら振り返る。


「何よ?」

「あー……いや、まあ……何だ、うん……」


 ロワは言葉を濁しながら目線を泳がせる。

 その落ち着きの無さに違和感を覚えたシェリーは顔を顰めた。


「何か言いたい事があるなら、いつもみたいに言ったら?」


 すると、ロワは僅かに目を見開いた。

 そして顎に手を当てて、何やらぶつぶつと呟き始める。


「そうか……下手に意識しないで、いつもみたいにすれば……」

「……?」


 今度は一人で考え込み始めたロワに、何が何だか分からないシェリーは首を傾げる。


(何がしたいのかしら? 嫌がらせってわけじゃなさそうだし……)


 全く予想がつかず、自然と難しい顔になる。

 すると、不意にロワが顔を上げた。その顔は先程までとは違い、すっかりいつもの調子を取り戻したように見える。

 その事にシェリーが少し安心していると、突然鼻を摘まれた。


「ふぎゅっ!?」

「お前さ、スープが作れたくらいで鼻歌なんか歌ってんじゃねえっての」

「は、はなひなはいよっ!」


 大して痛くは無い代わりに非常に屈辱を感じ、シェリーは蹴りを繰り出した。

 ロワは手を離してその蹴りを避ける。

 そして、次の攻撃の体勢に入っているシェリーに向かって、にやりと口元を歪めながら言った。


「ご機嫌になるのはもっと料理の腕を上げてからにするんだな、シェリー」

「……えっ?」


 一瞬、耳を疑った。

 間の抜けた声が紅い唇から零れる。


(今、私の名前を呼んだ……?)


 停止していた思考回路がゆっくりと動き出して、徐々に我に返っていく。

 しかし、ロワの姿を改めて視界に捉えると、名前を呼んだ悪戯な声が耳に蘇るような気がした。


「……おい、何か言えよ」


 てっきり直ぐに言い返されると思っていたロワは、予想外に反応が薄い相手に戸惑いを見せる。

 それでも何も返してこないシェリーに痺れを切らすと、反撃される可能性も忘れて近付いた。


「おい、お前なあ……!」

「きゃっ……!?」


 小さな肩を掴んで顔を覗き込めば、やっと目が合った。


「……は?」


 そして、そこにあった表情を見た途端、言おうとしていた文句がロワの頭の中から全て飛んでいった。

 淡い薔薇色に染まった滑らかな頬。

 ふにゃりと力無く下がっている形の良い眉の下では、僅かに潤んだ青い瞳が儚く揺れている。


「お前、まさか照れて……」


 目を見張るロワの口から言葉が零れ落ちる。

 ハッとしたシェリーは眉をつり上げて、自分の肩に乗る手を掴んだ。


「っ、見るな馬鹿! この変態!!」

「うえ……っ、ぐはっ!?」


 悲鳴にも似た怒声が家中に響いた。

 それに一瞬怯んだロワの体は浮き上がり、宙に綺麗な半月を描く。そのまま床に強く叩きつけられた。


「お……俺は、変態じゃねえ……」


 見事な背負い投げを食らったロワは、蚊の鳴くような声で最後にそう主張して意識を手放した。

 身長差を乗り越えて技を繰り出したシェリーは呼吸を整える。

 まだ熱を持つ顔を手で扇ぎながら、床に転がって気絶しているロワを見下ろした。


「いきなり何なのよ、もう……」


 むずむずとした気持ちを誤魔化したくて、蹴り飛ばしてやろうかと片足を構える。


「……ふん」


 しかし、軽く振り上げられたその足に勢いが付く事はなく、無防備なロワの脇腹を軽くつつくだけに終わったのだった。


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