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9 勇者、寂しくなる。

 

 闘争心に火が付いたシェリーが特訓に夢中になれば、時間が経つのは早かった。すっかり日が傾いた頃、二人は中庭に出ていた。


「今日は本当にありがとう、アリア」

「ふふ、どういたしまして! 次に私に会うまでには、もう少し家事スキルが上がってる事を期待してるからね?」

「うっ……が、頑張るわ……」


 痛いところを突かれたシェリーは顔を引きつらせる。

 親友の分かりやすい反応にアリアが笑っていると、地面に巨大な魔法陣が現れた。


「あ、お迎えが来たみたい」

「そういえば、先代魔王ってそっちにいるのよね? 何してるの?」


 発動された転移魔法の魔法陣を見て、今頃向こうの城で魔術を使っているであろう先代魔王の事がふと気になったシェリーは尋ねる。

 すると、アリアは悩むように首を傾げた後、緩く首を振った。


「うーん……特に何かしてるって感じは無いかな。ただ……」

「ただ?」

「『今、城に帰ったら絶対に息子とその嫁に怒られるから、暫くはあちこち彷徨こうかな』とか前に言ってたけど……」

「……賢い判断だわ」


 低い声でそう呟いたシェリーの顔は、こみ上げる感情によって凶悪な半笑いが張り付いている。

 獰猛な獣のような迫力を放っていたが、親友であるアリアはそれを恐れる事もなく、平然とした様子で彼女の肩を叩いた。


「それじゃ、そろそろ行くね?」

「あ……うん……」


 パッと我に返ったシェリーは、別れの寂しさから小さく肩を落とす。あからさまな態度。猫耳でも付いていたら、きっと力無く垂れているだろう。

 アリアはそんな可愛い友人の頭を、よしよしと撫でて慰める。


「また休み貰えたら、遊びに来るから」

「……約束よ?」


 俯き気味だったシェリーは軽く顔を上げ、ちらりと上目で見る。


「うん、約束!」


 屈託のない笑顔でアリアがそう返せば、不安そうだったシェリーも安心したように微笑んだ。


「じゃあ……またね、シェリー!」

「ええ、またね、アリア!」


 アリアが魔法陣の中に足を踏み入れた途端、周囲に閃光が走った。

 その中心で笑顔を浮かべて大きく手を振っているアリアに、シェリーも眩しさに目を細めながら片手を振り返す。


 「ーー……っ!」 


 そうして一際激しい光が瞬いたと思えば、アリアの姿はもう何処にも見当たらなくなっていた。あれだけ光っていた魔法陣も跡形もなく消えている。

 あっという間に静かになった中庭に、シェリーはぽつんと立ち尽くす。

 ひゅるり、と吹き抜ける風。昼間と比べて冷たくなった空気に体を震わせると、小さく溜め息をついた。


(こうしていても仕方ないし……戻りましょうか)


 踵を返したシェリーは今の自宅となった家へと戻っていく。

 玄関を開けた先には誰もいない空間。ドアが閉まる音がやたら響いた気がした。


(……お風呂にでも入ろうかしら、うん)


 人気が無くなった室内は、何処もひんやりとしていて落ち着かない。

 そう思ったシェリーは着替えを取りに二階の自室へと向かった。


 ***


 湯船の中で、温められた白い肌がゆっくりと淡い桃色に染まっていく。

 体の芯まで解していく心地よさに溜め息を漏らしたシェリーは、綺麗に磨かれた白い浴槽の中で思いっきり伸びをした。


「んーっ、はあ……」


 視界を湯気に覆われながらも天井を見上げる。そのまま目を瞑ると、今日一日の疲れが湯船にじわじわと溶けていくようだった。


(……嫁、か)


 ふと思ったシェリーは自分の左薬指で輝く指輪を見る。着けっぱなしにしておく事も無いと思うのだが、外す機会を何となく逃していた。


(私、本当に魔王の嫁になったのね……)


 結婚式の光景をぼんやりと思い出す。結局は喧嘩で締めくくったが、夫婦の誓いを交わした事に間違いはない。

 それでも実感がいまいち沸かないのは、互いに心底嫌い合っているからだろうと、シェリーは湯船に顔を鼻下まで浸からせながら思った。


(ていうか……これから本当にどうなるのかしら、私は……)


 完全に名だけの魔王の嫁となった自分。

 勇者としての力が健在でも、人間と魔物が平和的共存を選択した今となっては何の意味も無い。

 友人知人は近くにはおらず、しかし一度嫁いだ身が頻繁に向こうに行くのは、世間的に良い顔(特に魔物側から)をされないだろう。

 かといって、魔物だらけのこの城内で誰かと友好関係を築ける気はしない。

 自分の中では魔物イコール敵というイメージが未だ強すぎる。この固定観念から抜け出せない限りは、新しい友達を作るのは無理だろう。


「はあ……」


 こうしてじっくりと考えた結果、シェリーは溜め息をついた。

 この家で孤独に過ごす日々しか見えてこない。つまらない未来に心が重くなるのを感じる。

 その重さに体を委ねてみれば、湯船に頭の先まで沈んでいった。唇からぷくぷくと泡沫が漏れていく。


(魔王だって、この家には帰ってこないだろうし……)


 そう思った次の瞬間、シェリーは勢い良く湯船から頭を出した。

 飛び出しかねない程のその勢いによって、大量の湯がバスタブから床へと溢れ出る。

 しかし、動揺して目を丸く見開いた今のシェリーには、そんな些細な事は気にも留まらなかった。


(や、いやいや、待ちなさい自分。何で今、魔王が出てきたのよ)


 誰もいない寂しさに苛まれて不安がっていた筈だ。

 なのに、そこでどうして大嫌いな宿敵の姿が脳裏を過ぎったのか分からず、シェリーは頭を抱え込む。


(……うん、今のは間違いね。のぼせたんだわ、きっと)


 どうにか自分を納得させたシェリーは、また気の迷いが起きないうちにと湯船から出た。

 長い髪を絞って水気を落としてから浴室を出ると、用意しておいたタオルで頭から順に拭いていく。

 それから寝間着に着替えると、水を飲む為にキッチンに行く事にした。脱衣所を出て、キッチンと繋がっているリビングのドアを開ける。


「……え?」

「……よお」


 するとそこには、ソファに座っているロワの姿があった。

 予想外の事に驚いてその場で硬直したシェリーに、ロワはどことなく気まずそうにしながら言葉を続ける。


「いや、ソルダの奴が『これからは仕事が終わったら中庭の家に帰って下さい。さもないと事務仕事の量を増やします』って言うからよ……」

「え、あ、そうなの……」


 衝撃が抜け切らないシェリーはとりあえず相槌を打っておく。

 すると、ロワは眉を寄せていぶかしげに目を細めた。


「……何だ? お前の事だから『丁度良かったじゃない、一日中書類と向き合っていればその貧相な脳味噌も少しはまともになるかもしれないわよ?』とか言って、俺を追い出そうとしないのかよ?」

「う……」


 挑発するような下手な声真似混じりでそう言われたにも関わらず、シェリーは口ごもるだけに留まってしまった。

 いつもなら噴水の如く溢れる嫌味が出てこない。


(ど、どうして……?)


 ロワを前にすると騒がしくなる胸の内も、今は何故か穏やかで、殺意も憎悪も何処かに出かけてしまったようだった。

 初めての事態にシェリーが戸惑っていると、黙って様子を窺っていたロワが自分のズボンのポケットを漁り始めた。

 そして、そこから出した物を目の前のテーブルに無造作に放り投げる。

 視線を向けてみれば、それはケースに入ったトランプだった。


「この間はどっちが勝ったか分からずじまいだっただろ? 今日こそ決着つけようぜ」


 そう言いながらロワはケースからトランプを出し、手早くカードを切っていく。

 自分の気持ちや展開に追いつけないシェリーは目をぱちくりさせて、返事も待たずにやる気満々のロワを暫し見つめていたが、やがて口角を持ち上げた。


「……受けて立とうじゃない。後悔しても知らないわよ?」

「お前こそ、負けたからって後で文句つけるんじゃねえぞ?」


 互いに不敵な笑みを交わし、真っ直ぐな視線をぶつけて火花を散らす。

 

 この後、徹夜で行われた勝負の勝敗がまさかの引き分けに終わる事を、この時の二人は知る由もなかった。


.


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