第二話 夢の中の世界*精神世界
そのときの私の状態は、鍵かかかって誰もはいってこれない部屋で大爆睡していた、というのに近い気がする。厳密には眠っていたわけではないので、はっきりしたことは言えないのだが、耳元で叫ばれても決して目が覚めない深い眠りについていた。たまに浅くなる眠りのなかで、なんとなく周りの状況をおぼろげに把握し、また深い眠りにおちる。
はあ、働かずに眠り続けるとか最高じゃねーの。
悦に浸りながら、私はずっとそれを繰り返していた。
どうしてそんなに眠っているのか疑問を覚えることはなく、むしろそうした状態はとても正しいことなのだと疑わなかった。
眠っているのは好きだ。惰眠を貪ることはゲームをする以外にも私の趣味のひとつだ。貴重な時間を眠ることだけに注ぎ込む無駄使いはたまらん。
んん……ゲーム。そういや、ゲームどこまで進めたっけ?
ま、いっか。今はゲームじゃなくて、眠らなきゃいけない時間だし。
なんだか変な夢を見続けている気がする。
ゲームの世界の夢だ。ずっとプレイしていた『略奪愛のすゝめ』の世界の住人になる夢。
その夢の中で私はライバルキャラのアイゼリー嬢だった。
夢の補完と妄想能力というのはすごいもので、ゲームにはないシーンを長々と見せつけてくれる。
ゲームでは映像を客観視していたのに、夢の中では主観的に婚約者のインスタントさんに口説かれたり抱かれたりする、こんな夢を見るなんてある意味痛い子だ私。いや、昔からゲーム一筋な点においてすごい痛い子だって自覚はあったが。
こんな甘酸っぱい青春を送りながら、ヒロインちゃんことヒイロちゃんに男をとられちゃうんだよねー、ぷっくすくす。夢の中では主観的な視点とはいえ、私にとってはあくまで他人事だ。しかも夢の中ではゲーム内最短記録七日で婚約者奪取を上回り、六日で婚約者を取られてやんの。わーお。
災難だねえ、アイゼリー嬢。もしこれが、悪役プレイを貫くヒロインちゃんならもっと破滅が待ってますぜ。これで泣いてなんていられませんぜ。男を取られるだけですむどころか、嵌められて人間関係が破滅においやられ、その辺のモブ男たちに強姦されて悲嘆に暮れて泣いていたらお前が誑かしたのだろうと逆に責められて、あることないこと罪を着せられ、無実のまま学園を追放されるだけですまず、家族からも白い目で見られる見放されて縁を切られる。
それでなくとも、没落ルートが待ち構えている。
泣いてるひまなんてありませんよ。
覚醒にほど遠い曖昧な眠りの世界で、私はぼんやりとした頭で考える。しかし、今の私は考えることではなく眠り続けるのが正しいとどこからともなく聞こえてくる気がしたので、夢の中のアイゼリー嬢の今後を考えることを打ち切り、私は再び深い眠りにはいることにした。
鍵のかかった部屋の奥で。
意識はまた深い心理の底におちて、い……
「いや、いや、いやああああああああ! どうして。どうしてなのよ。シトーレ!」
かなかった。
深い眠りに落ち直すはずだった私は、女のひとの声で完全に目が覚めた。
おいおい、なんなのこの声。
臨場感たっぷりな、涙がまじったような悲壮な声は、シトーレと呼び叫ぶ。裏切りを詰り責め、怒りと憎しみのあまりの深さから内側から崩壊してしまいそうなほどに絶望を訴えていた。
この声は聞いたことがある。
ゲームのアイゼリー嬢の嘆き。狂っているのではないかと言いたくなるくらいに叫び、喉が張り裂けんばかりに声を張り上げる。それに酷似しているが、この声は声優さんの熱演ぶりが話題を呼んだあの演技以上に熱のはいり真に迫ってくる。
しかもなんだこの声。テレビ番組の効果でエコーがかかったみたいに、頭の奥でがんがん響き渡る。
まるで自分の内側から聞こえてくるようだ。
うん。おかしい。すごくおかしい。
いや、これは夢なんだから、変な現象もおかしくないのか?
「シトーレに愛されない世界で生きていたくない!」
この声はアイゼリー嬢。私はアイゼリー嬢として夢を見続けていたのだから、この声の主はアイゼリー嬢で間違いないと思う。
アイゼリー嬢はあろうことか私の部屋の前で、このまま舌噛み切ってしんじまうんじゃないかという勢いで泣き崩れている。部屋の外からも泣き叫ぶ声が聞こえ、それが私の内側でも延々と響き渡る。
耳を塞いでも聞こえてくる絶叫に閉口する。
ゲームでのあれこれを知っている私としては、あんな男のためにそんなに思い詰めなくてもねえと、同情もなく冷たく見放して呆れながらそのうるささにため息をついた。あなたのその喚き声のせいで眠れないんですけど。
愛が全てではないんですよ、アイゼリー嬢。
生きていきたくなくても、生きるしかないんですよ。
ここまで思い詰めるなんて若さだねえ。
他にも男はたくさんいるっていうのに、たった一人のために、自分の人生を捨てそうなほどにまで思い詰める気持ちは私にはわからんもんだ。
他人事のようにいい捨て、私は再び目を閉じる。閉じる瞼があるのかもわからないが、感覚としては目を閉じているのだ。それにしても、この部屋は不思議だ。なにもない。なにもない四角い箱の部屋に私がひとりだけいる。私が本当にいるのかすらわからない。自分の肉体の有無すら確認出来ない曖昧な夢の世界。これは夢なのだから、どんなにおかしいことがあってもおかしくはない。私は夢の中で眠り続けなければならない。
いつしかアイゼリー嬢の声が遮断され、散りかけた眠りの気配が私の中にしっとりと満たされる。
が。
「びええええええええん! うわああああああああん! しとーれぇしとうれぇ! 私を捨てないでよお!」
魂を引き裂くような切ない嘆きが、子供が駄々をこねて暴れる泣き方に質を変えて、また私の眠りを邪魔しはじめた。
おいおい、勘弁してくれよ。
「ちょっとそこのお嬢さん」
こんだけうるさいと、声がかき消されて聞こえないだろうなあと思いつつも話しかけたら、意外にもアイゼリー嬢の泣き声がぴたりと止まった。
「あなた、誰よ?」
今まで泣いていたのが嘘のようにはっきりとした声で尋ねられた。
はて、なんと答えたものか。
私は、え〜と。
あれ。
誰だ?
私の名前は掘戸愛瀬。こんな性格だけど名前はけっこうかわいらしいのがちょっとコンプレックスだ。
日本で社会人生活二年目の二十四歳。趣味はゲームに寝ること。あとは漫画とかアニメとかオタク文化にふれていること。いや、ゲームとかオタクとか言っても、多分アイゼリー嬢には通用せんだろうし、なによりも。
私は本当に掘戸愛瀬なのか。
ぼんやりとした思考は遠く薄れ、比較的明瞭な頭で考えた瞬間、私は自分が何者なのかという答えを見失った。
私は、私は……
「私は君だよ、アイゼリー」
そう答えるのが、最も正しい気がした。理知的に導きだした答えではなく、単なる直感であったが、ことばとして形にした瞬間。すとんと私の中に納得のできるものが落ちてきた。
そう、私はアイゼリーだ。堀戸愛瀬という記憶を抱えた、この子の魂の一部。アイゼリー・ディ・フォルトとして生きるには不要なものとして彼女の中に眠り続けていた、いわば前世の記憶のようなもの。
「あなたも私なの……?」
それに救いを見いだすようにアイゼリー嬢は声をうわずらせる。
私がアイゼリーであるということを一切疑うことがなく、こうやって未知の私と会話していることを不思議に思うことなく、アイゼリー嬢は私の部屋の前の扉をどんどんと叩いた。
「かわって! それならかわってよ! あなたが私なら、私とかわって! 私、シトーレと一緒にいられない世界なんかにいたくない!」
アイゼリー嬢はひときわおおきな声で叫んだ。
その瞬間。
気付いたときには私は部屋の外に閉め出されていた。出ることは絶対にないと思っていた部屋の外。出てはならない部屋の外にいるのだと瞬間的に悟り、私の意識はぞっと罪の意識に震えた。待ってと留める隙もなく、閉め出されたその後ろで部屋の鍵ががちゃりとかかる音を聞いた気がした。
そして、目の前に飛び込んでくるのは、四角い部屋ではなく美しい男とその隣によりそう可憐な少女。