プロローグ
『略奪愛のすゝめ』には誰得の素人がやっつけで作ったようなRPGパートがあるのだが、それに手を出したらいつのまにか私は朝日を拝んでいた……あれ、おかしい。私はリンシャンさんとリィシェ嬢ルートに失敗して不貞寝するはずだったのに。
一からやり直したデータは、努力の甲斐ありレベルは上限まで達したが……リィシェ嬢を仲間に引っぱりこみ、彼女のレベルもあげた。彼女のレベルを上限にまで達成させればリンシャンさんに対抗できるルートが発生しちゃったりしないだろうかと淡い期待を抱いていたが、特にそんなことはなかった。
システム上凄く強いキャラが、システムでは弱いやつにイベントであっさりと殺されるようなゲームの無常感を空しく味わっただけだった。
ステータスだけ比べれば腕力は圧倒的に有利なはずなのに、呆気なく押さえ込まれて、延々と女性の身には酷なことをされ続ける。全面鏡張りの部屋で恥ずかしい格好をしている自分を見せ続けられ、お前は俺のものだと言い続けられ、結果廃人ルートを辿るリィシェ嬢の見飽きたモノローグを律儀に読んでいたら、気付くと朝になっていた。
東の空が赤く滲みはじめ、たなびく雲が赤い光に照らされてなんとも美しい。
夢中になっている最中は楽しいが、ふとしたきっかけで自分が費やした時間の膨大さを客観的に考えたとき何か無性に悲しくなる。大切に作り上げた大事なものを壊してしまったような悲壮感……真っ白く美しいキャンパスを汚く汚してしまったような後悔……
ふへへ。そんなものに思いを馳せても、ゲーマーでない自分を取り戻すことは不可能ですもんね。お腹が減ったな。画面見すぎて頭もぐらぐらするし、目が痛い。朝飯作るの面倒くさいし、気分転換も兼ねてコンビニに行ってこよう。
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斜陽へと陰る赤い光に照らされながら、私たちふたりは秘密の約束を交わした。
地平線の向こう側に消えていく光をうけた彼の顔は赤い。もしかしたら、その赤さは日の光だけが理由ではないのかもしれない。緊張した眼差しは真剣そのもので、私はそれを受けながら同じように、ううん。それ以上に緊張しながら見つめ返した。私のありきたりな茶色の目とは違う、美しいサファイアブルーの瞳。私は彼のその瞳に見つめられただけで心臓がどくどくと高鳴って落ち着かなくなるというのに、こんな顔をされて見つめられたら居ても立ってもいられなくなる。
「おじさまにも、おばさまにも内緒だから」
目を閉じて、と静かな声で請われて私は言われるがまま瞼を閉じた。大好きな男の子の、思いのほかしっかりとした手が私の肩にそっと置かれた。
目を閉じるとひろがる、真っ黒な世界。
感じるのは彼の体温だけ。聞こえてくるのは私自身の心音。恥ずかしいくらいに高鳴っている。
少年の唇が私の唇に重なった。やわらかに触れたそれは、僅かに私の唇の表面を濡らした。生まれて初めて直面いした苺のような甘酸っぱい雰囲気のなかで私たちは初めてのキスをした。
驚きのあまり何もできなかった。抵抗ひとつできず……いや、抵抗もしたくなかったのかもしれない。私は、彼の気持ちがとてもうれしかった。
私にキスをしてくれるくらいに、私のことが好きなんだ……
両親が決めた婚約者。所謂政略結婚の相手だけれども、私は彼のことが大好きだ。
今の私も子供だけれど、もっと幼いときに初めて会った瞬間から彼のことを好ましく思っていた。
そんな少年との、初めてのキス。
音もたてずに触れて、すぐに離れていった彼の唇。
一瞬だけ得た彼の体温。
それをすぐに失ってしまうのが、とても寂しいと感じるくらい私は彼のことが好き。
もっともっとキスしていてもいいくらいに、彼が好き。
そんな気持ちを自覚した。
彼を見つめる私の顔はびっくりと恥ずかしさが混じって真っ赤になったり目が大きくひらいたりで、とっても変な顔になっていたと思う。
そんな私を見て、彼は可愛いと言って笑ってくれた。
大好きな人。
私の、未来の旦那さま。
「シトーレ」
私はどうすればいいのか、どんな顔をすればいいのか分からなかったけれど、たったひとつ、大切なことだけはわかった。両思いなんだということが、お互いに言葉にしなくてもわかりあえた。
それが、とても嬉しい。
「アイゼリー、ぼくは君のことがだいすきだよ」
「私も、シトーレのことがとっても、好き」
子供だった自分たちから、少しだけ前に進んだ大事な日。
大人たちには内緒で、キスをした初めての日。
このキスは、ふたりだけの秘密。
夕日を見ると、私は思い出す。子供だったあの時、大好きな婚約者と交わした胸がときめく秘め事と約束を……
そして、あの瞬間感じた不思議な気持ち。
不可思議な既視感。
どこかで見た記憶?
どこかで覚えがある光景?
そんなことはないはずなのに。初めてキスをしたあの瞬間、私の中には予感めいたものがあった。
でも何故だろう、私はまた彼と大事な約束を、また交わすような気がしていたのだ。子供の私は確信に近い感情で信じていた。まるで未来を知っているように。
また、再び、シトーレと大事な約束を交わすのだと。
*
『アイゼリー。俺は絶対に、君を離さない。絶対に! 君も俺から離れないでくれ、お願いだから、頼むから。ずっと、俺と一緒にいてくれ』
『もちろんよ、シトーレ』
*
聞いたこともない若い男の人の声が、私の耳元で強く誓う幻聴があった。意思の強い女の人の声が、揺るがずに返す。
子供の私が聞いた、幻の声。
それに胸が強く締め付けられる。とても幸せな誓いで、約束だ。
子供のときに聞いた幻聴は、現実なり私たちは再びふたりの間の愛を確認しあった。
私は運命を感じたのだ。
私たちふたりは結ばれる運命だったのだと。
夢見がちな少女の、幸せで愚かな勘違い。
夕日の空を見ると、あの時のことを思い出して幸せな気持ちになる。同時に、シトーレに求められて本当に大人になったあの夜のことも。
私たちは、愛し合っていた。
運命の恋で、出会いなのだと信じていた。
これからもこの幸せや喜びが続くのだと、信じて疑っていなかった。
なのに、どうして! どうしてなの、シトーレ!
「すまない。アイゼリー。俺は、彼女を愛してしまったんだ。彼女こそが俺の運命の相手なんだ。ヒイロのことが、好きなんだ!」
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コンビニ向かいながら、私は次の計画を立てていた。
キューピッドになることに夢中になりすぎて、乙女ゲーで独り身エンドを迎えたくないので、他キャラを落とさねば!
まあ、そんなことを考えても、誰を攻略するかは決まっているんだけどね。
ここはやっぱり『略奪愛のすゝめ』初心者おすすめキャラ、インスタントさんしかいないだろう。インスタントさんことコンスタンツ伯爵家嫡男シトーレ・エド・ドゥ・コンスタンツは、その難易度の低いお手軽さ、攻略出来るあまりの早さと名前から、カップラーメンのごとくインスタントさんと呼ばれプレイヤーから親しまれている。
他キャラ狙いのときでも、婚約者と破局させるのは最早プレイヤーのお約束! だって、なんの労力もゲーム内条件もなくあっという間に破局させられるんだもん。
ゲーム内では、ヒロインがちょっかいを出さなければ永遠の愛が続くほどの深い仲という設定らしいが、喧嘩しまくっている攻略キャラとライバル女の子キャラよりも破綻させるのが簡単なんだ。もう、呆気なくいとも簡単にインスタントさんは落とせます。ねえ、ちょっと『キューピッドルート』のときに見れる過去にあった永遠の愛の誓いってなんだったんですかねー。何度もこのゲームをプレイした身としては、その愛とやらを疑ってしまうね。これもまあ、ゲームである弊害なのだろう。ゲーム内では最強設定でも、実際戦ってみると全く最強ぶりを実感出来ない敵キャラもいますもんね。そんな設定だけの深い愛(笑)なんだろう。
それはともかく、リンシャンさん×リィシェ嬢のベストエンド以上の成立を狙いながら、確実にあっという間に落とせるのはインスタントさんだけなので、こいつをさっさと攻略しておこう。
他の攻略キャラは、さすがにこいつらのベストエンド目指しながらだと、落とせねえもん。
他の攻略キャラは、ヒロインのステータス値条件達成や、各所で起こる様々な煩雑なイベントを消化しないといけないが、二人のベストエンド以上を成立させるためにはそんなことをしている暇はない。
他の目的メインで進めながら、片手間でおとせるシトーレさんってば、マジ、インスタント彼氏さん。コンスタンツ伯爵家の嫡男は、流石他の男たちと比べて格が違うぜ。最短攻略記録リアル時間三分さんだもんな。ゲーム始まってから、ゲーム内経過時間七日で婚約者を捨てられるのは、インスタントさんだけ!