遭難注意報
人生楽ありゃ苦もあるさ。
「人生、山もあれば谷もあるんだね。リアルに」
「上手いね!」
上手くてたまるかこんにゃろう。にやにやしやがってこの馬鹿野郎。阿呆をとっくに通り越すわ。
火を起こすのだとかで懐中電灯を解体しはじめた彼を睨む。
対する相手は肩を下げただけで手は止めない。妙に慣れていると思ったら、ボーイスカウトにはいってたんだと。
はじめて聞いたぞおい。いつもは教室の隅で運動とかできませーんって顔でぼけぼけしてたじゃないか。
しかし、いまのこいつは人気ドラマの感想を言っていた時よりもはるかに伸び伸びしている。水を得た魚のようとでも言おうか。
てかこいつ、この状況を楽しんでないか。
「いまの状況わかってる?」
「わかってるよ。遭難中でしょ?」
回答が軽い。間違いじゃないけどさ。
はあ、とため息を吐けば挫いた右足がうずいた。
前略、化粧が年々と濃くなっているお母さん、胃腸の弱い加藤先生。
あとバナナが大好き文ちゃんに女好きなアヤぽん。あ、お父さんとお姉ちゃん。
私はいま、遭難中です。
幸か不幸かひとりではないけれど。
秋のシルバーウィーク。
いつもなら一週間ゴロゴロと部屋からも滅多に出ないで過ごしてるんだけど、部の先輩のお願いというよりごり押しと母の「どうせなんだからいってこい」攻撃に負けて隣県の山登りに参加したのがどう考えても間違いだった。
ハイキング気分だったんだよね。ひとりだけ半袖に半ズボン、長袖パーカーに軽さ重視で選んだ布製のリュックには水筒とお弁当にレジャーシートぐらい。
いまさらだけれど反省はしている。バス停で皆が重装備しているの見てすぐさまターンすべきだった。
山登りを正直なめていた。着いてから標高がいくつとかを説明されても、そんなの素人はわからないよ。上級者向けコースだとも聞いてないし。
でも行くと決めたのは最終的には自分だから、いまさら引くに引けずやたらと早足の彼らについていった。
でも、ついていけたのは最初くらい。先頭組の姿なんてもう見えなくなって引き離されていく。
参加規定の人数が欲しくて誘ってきた部の先輩は彼氏候補か知らないけれど、そっちにばっかり構って私の存在はすっかり綺麗に忘れているようだった。
せめて誘ったなら最後まで面倒を見ろよと嫌みが言えるくらい気が強かったらよかったのに。内弁慶というのはこの歳まで拗らせると治すのが難しい。
だからまあ、岩場で踏み間違えたのも自分のせいだ。足を挫いたのも自業自得だし。
しかし、彼を巻き込むつもりはなかった。
私が木に隠れて見えなかった崖のほうに落ちた際に死に物狂いで握ってしまったのである。後ろにいた彼のリュックを。
ああ、うん。私が悪い。超悪い。それなのに彼は私を責めないのである。足手まといは私のほう。本当の馬鹿は私。
逆に足を挫いた状態で歩き回るのは危険だからとなにも出来ない状況。そもそも手伝うにも知識がなくてどうにもできないし。
体育座りで火を起こす彼をのの字を書いて見ていることしかしていない。なんて使えないんだ私。
申し訳がなさすぎてどうしていいのやら。
「ごめん…」
「まあ大丈夫だよ、さすがに頂上に着いたら人数足りないのに気づくだろうし」
電波が無いのは予想外だったね。
彼はいつものように、変わらない調子で笑っている。それにどれだけ助けられたか。
ああそうか。わざとなんだ。私ってば自分のことしか考えてなかったんだ。
「ありがとう」
「どもどもー」
しかし予想外の予想外はさらにそのあと。
私たちが発見されるまでにこれから五日も要することになる。