『踊る鰹節と消えゆく田んぼ―70年の記憶と米への想い』
『踊る鰹節と消えゆく田んぼ―70年の記憶と米への想い』
## はじめに
湯気立つ白米の上で、鰹節がひらひらと舞い踊る。まだ物心がついたばかりの私は、その不思議な光景に目を丸くして母に尋ねた。
「おかあちゃん、これ生きているの?」
朝食の食卓で、私は小さな指で湯気に揺れる鰹節を指さした。母は優しく微笑みながら答える。
「そうだよ、かつぶしの上にお醤油をかけてごらん」
「うん」
醤油の瓶から数滴の醤油を垂らすと、さっきまで生き物のように踊っていた鰹節は、しっとりと米粒に馴染んで静かになった。
「あれあれ、動かなくなったよ」
私は少し寂しそうに呟いた。これは70年前、わが家の朝食風景の一コマである。
あの頃の朝食は、今思い返せば実にシンプルだった。炊きたての白米、味噌汁、漬物、そして母の手作りの小鉢がひとつふたつ。何より、その中心にあったのは、湯気を立てる真っ白なご飯だった。それが当たり前で、それが日本人の朝であり、生活の基盤だった。
しかし、70年の時を経た現在、私たちを取り巻く「米」の状況は大きく変わった。コメ騒動という言葉が新聞紙面を賑わし、農家の高齢化、耕作放棄地の増加、食料自給率の低下といった問題が日々報じられている。日本人の主食であるコメは、まさに「命の元」であるはずなのに、なぜこのような状況に陥ってしまったのだろうか。
この70年間の農政に、どこか間違いがあったのではないだろうか。
## 記憶の中の米作り
70年前の日本は、まだ戦後復興の途中にあった。食べ物は決して豊富ではなく、一粒の米も無駄にはできない時代だった。私の故郷でも、多くの家庭が自分たちの田んぼを持ち、春になると家族総出で田植えをした。子どもたちも当然のように手伝い、泥まみれになりながら苗を植える作業を学んだ。
田植えが終わると、夏の間は草取りや水の管理が続く。父は毎朝早く起きて田んぼの様子を見に行き、用水路の水門を調整した。夕方には再び田んぼを見回り、稲の成長具合を確認する。台風が来れば心配で眠れない夜もあった。
秋の収穫の時期になると、村全体が活気づく。家族だけでなく、近所の人たちも互いに助け合いながら稲刈りを行った。刈り取った稲は天日で干され、脱穀され、籾すりを経て、ようやく真っ白な米粒となる。この一連の作業を通じて、私たちは米の重要性を肌で感じていた。
一年間の労働の結果として得られる米は、まさに「命の糧」だった。茶碗に盛られた一膳のご飯には、農家の汗と努力、そして自然の恵みが凝縮されていた。だからこそ、米粒ひとつ残すことも許されず、「お米には七人の神様がいる」という教えが生きていた。
## 高度経済成長と農業の変化
1950年代後半から始まった高度経済成長期は、日本の農業に大きな変化をもたらした。工業化の波は農村部にも押し寄せ、多くの若者が都市部に働きに出るようになった。「金の卵」と呼ばれた中学卒業生たちが集団就職で都市に向かい、農村は急速に人手不足に陥った。
同時に、食生活の洋風化も進んだ。パン、肉、乳製品の消費が増え、米の消費量は徐々に減少し始めた。1962年には一人当たり年間118キロだった米の消費量は、現在では50キロ程度まで落ち込んでいる。
政府は1970年から「減反政策」を開始した。戦後の食糧不足時代には「一粒でも多く」と米の増産を奨励していたのに、今度は「作るな」というのである。この政策転換の背景には、米の過剰生産による価格暴落を防ぐという意図があったが、結果的に日本の農業政策に大きな矛盾を生み出すことになった。
減反政策により、多くの優良な水田が転作や耕作放棄に追い込まれた。代替作物として大豆や麦の栽培が奨励されたが、気候や土壌の条件、さらには機械化や流通システムの違いから、必ずしも成功しているとは言えない状況が続いている。何より、長年培われてきた稲作技術や文化が失われていくことの損失は計り知れない。
## 農家の高齢化と後継者不足
現在の日本農業が直面している最も深刻な問題のひとつが、農家の高齢化と後継者不足である。農業従事者の平均年齢は67歳を超え、65歳以上の農業従事者が全体の約70%を占めている。このような状況では、持続可能な農業の継続は困難である。
私の故郷でも、この現実は深刻だ。70年前に田植えを手伝った同級生たちの多くは都市部に出て行き、農業を継いだのはほんの数人だけ。その数人も今では70代、80代になり、体力の限界を感じている。息子や娘たちは都市部で生活基盤を築いており、今さら農業に戻ってくることは現実的ではない。
後継者不足の背景には、農業の経済的な魅力の低さがある。小規模農家では、年間を通じて懸命に働いても、サラリーマンの平均収入を下回ることが珍しくない。さらに、台風や冷害などの自然災害リスク、価格変動リスクなど、農業には多くの不確実性が伴う。若者がこのような条件の農業を敬遠するのも無理はない。
また、農村部の生活インフラの問題もある。医療機関、教育機関、商業施設などが少なく、特に子育て世代にとっては魅力的な生活環境とは言えない。この結果、農村部の人口減少と高齢化が加速し、農業の担い手不足がさらに深刻化するという悪循環に陥っている。
## 食料安全保障の危機
現在の日本の食料自給率は約38%である。これは先進国の中でも極めて低い水準であり、食料安全保障の観点から大きな問題となっている。特に、主食である米以外の穀物については、その多くを輸入に依存している状況である。
この状況を見て、私はかつて一時世間を騒がせた「空気と水と安全保障はタダ」という防衛タダ乗り論を思い出す。戦後日本は、アメリカの軍事力という傘の下で、防衛費を抑制しながら経済発展に専念することができた。その結果、安全保障をまるで「タダで手に入るもの」のように扱ってきた面がある。
そして今、振り返ってみると、日本人は安全保障だけでなく、もっと根本的で大切なものまで「タダ同然」に扱ってきたのではないだろうか。豊かな水資源、平和憲法、そして何より私たちの主食である米まで、当たり前に存在するものとして軽視してきた。
水は蛇口をひねれば出てくる。平和は憲法があれば保たれる。米は作れば食べられる。そんな幻想の上に、戦後の繁栄が築かれてきた。しかし現実には、水資源の管理、平和の維持、食料の安定供給、これらすべてに膨大なコストと努力が必要である。それを見えないものとして、あるいは「タダ」として扱ってきたツケが、今まさに回ってきているのである。
近年の国際情勢の不安定化により、この問題の深刻さが改めて浮き彫りになった。ロシア・ウクライナ情勢や気候変動による世界的な穀物生産の不安定化、さらには円安による輸入コストの上昇など、食料安全保障を脅かす要因が相次いで現れている。
こうした中で、米の重要性が再認識されている。米は日本で完全自給が可能な数少ない基幹食料であり、有事の際には国民の生命を支える最後の砦となる。しかし、現実には耕作放棄地の拡大により、米の生産基盤そのものが脅かされている。
一度放棄された水田を復活させるには、多大な労力と費用が必要である。水路の整備、土壌の改良、雑草や雑木の除去など、長期間の取り組みが必要となる。しかも、技術を持った農家が高齢化している現状では、たとえ復活させたとしても、継続的な運営は困難である。
## 農政70年の検証
戦後70年の農政を振り返ると、その時々の状況に応じた政策が展開されてきたが、長期的な視点に立った一貫性のある政策が不足していたように思われる。
戦後復興期には増産政策を推進し、高度経済成長期には減反政策を導入した。国際化の波の中では市場開放を進め、一方で農家の所得補償を行うなど、場当たり的な対応が続いた感がある。
特に問題だったのは、農業を単なる経済活動として捉え、その多面的機能を軽視してきたことである。農業は食料生産だけでなく、国土保全、水源涵養、景観形成、文化継承など、多くの公益的機能を担っている。これらの機能に対する適切な評価と支援が不足していたため、農業の持続可能性が損なわれることになった。
また、小規模農業の切り捨てと大規模化偏重の政策も問題であった。確かに効率性の観点からは大規模農業に利点があるが、日本の国土条件や気候条件を考えると、小規模でも高品質な農業が可能であり、それこそが日本農業の強みでもある。画一的な大規模化政策により、地域の特性を活かした多様な農業が失われてしまった。
さらに、後継者育成への取り組みが不十分だったことも指摘できる。農業系の教育機関の統廃合や、新規就農者への支援体制の不備など、将来の農業を担う人材の育成がおろそかにされてきた。
## 現代の米騒動
現在進行している「コメ騒動」は、これまでの農政の問題が表面化したものと言える。生産者の高齢化、耕作放棄地の拡大、食料自給率の低下、気候変動による影響など、複数の要因が重なり合って深刻な状況を生み出している。
そんな中、先日回転寿司店を訪れた時に見た光景に、私は深い違和感を覚えた。注文カウンターに「しゃり小」というボタンがあったのである。寿司のシャリ、つまり酢飯の量を少なくするオプションが、まるで当たり前のサービスのように提供されていた。
健康志向や糖質制限ブームの影響で、こうしたサービスが生まれたのだろう。確かに消費者のニーズに応える企業努力として理解できなくもない。しかし、70年前に「お米には七人の神様がいる」と教えられ、一粒の米も粗末にしてはならないと育てられた私には、この「しゃり小」という表示が、現代日本人の米に対する意識の変化を象徴的に表しているように感じられた。
寿司という日本を代表する食文化において、その根幹である米が「減らすもの」として扱われている。ネタの魚には産地や銘柄にこだわり、価格差を設けているのに、土台となるシャリの米については、まるで邪魔者扱いである。これは単なる食の多様化という問題を超えて、日本人のアイデンティティに関わる深刻な事態ではないだろうか。
回転寿司店で若い人たちが、何の疑問も感じることなく「しゃり小」のボタンを押す姿を見ていると、米への敬意が世代を超えて失われていることを実感せずにはいられない。彼らにとって米は、減らしても構わない「炭水化物の塊」でしかないのかもしれない。
特に深刻なのは、米の品質低下や供給不安定である。熟練農家の減少により、これまで維持されてきた高品質な米の生産が困難になりつつある。また、異常気象の頻発により、安定的な生産も脅かされている。
消費者サイドでも変化が起きている。健康志向の高まりにより、再び米への関心が高まっている一方で、ライフスタイルの多様化により、従来の「三食とも米」という食生活からは離れている。この矛盾した状況も、米をめぐる問題を複雑化している。
価格面でも不安定な状況が続いている。生産コストの上昇により米価は上昇傾向にある一方で、消費者の価格感応度も高く、需給バランスの調整が困難になっている。
## 解決への道筋
この困難な状況を打開するためには、抜本的な農政の見直しが必要である。まず重要なのは、農業の多面的機能を正当に評価し、それに見合った支援を行うことである。環境保全、国土保全、文化継承など、農業の公益的機能に対する「環境支払い」のような仕組みを導入し、農家の経済的安定を図るべきである。
次に、新規就農者の育成と支援体制の充実が不可欠である。農業技術の習得だけでなく、経営ノウハウ、マーケティング、IT活用など、現代農業に必要な総合的なスキルを身につけられる教育・研修システムの構築が必要である。
技術面では、IoTやAI、ドローンなどの新技術を活用したスマート農業の推進により、少人数でも効率的な農業が可能になる。これにより、高齢化による労働力不足の問題を部分的に解決できる可能性がある。
流通・販売面では、農産物の直接販売、農業体験の提供、加工品の開発など、6次産業化による付加価値向上が重要である。また、地産地消の推進により、輸送コストの削減と地域経済の活性化を図ることができる。
## 米文化の継承
しかし、技術的・経済的な解決策だけでは十分ではない。最も重要なのは、米に対する私たちの意識を変えることである。米は単なる食材ではなく、日本の文化そのものである。四季を通じた稲作の営み、田植えや稲刈りの共同作業、収穫祭などの年中行事、これらすべてが日本人の精神性を形作ってきた。
70年前の私のように、子どもたちが米の大切さを実感できる機会を作ることが必要である。学校給食での地元産米の使用、農業体験学習の充実、食育の推進など、様々な取り組みを通じて、次世代に米文化を継承していかなければならない。
また、「お米には七人の神様がいる」という昔からの教えを現代に蘇らせ、一粒一粒の米を大切にする心を育てることも重要である。便利な現代社会においても、食べ物への感謝の気持ちを忘れてはならない。
## おわりに
湯気立つご飯の上で踊る鰹節を見つめていた、あの70年前の朝。母の優しい声、醤油の香り、炊きたてのご飯の湯気。それらの記憶は、今でも私の心の奥深くに残っている。
あの頃の日本人にとって、米は確実に「命の元」だった。一粒の米にも神様が宿るという敬虔な気持ちで、私たちは毎日の食事をいただいていた。
現在の「コメ騒動」は、単なる農業問題ではない。それは、私たちが失ってしまった「食への敬意」「自然への畏敬」「共同体の絆」といった、本来日本人が大切にしてきた価値観の喪失を象徴している。
70年間の農政には確かに問題があった。しかし、今からでも遅くない。技術革新と伝統的価値観の両立、効率性と持続可能性の調和、グローバル化とローカル化のバランス、これらを実現する新しい農政の構築が必要である。
そして何より、私たち一人ひとりが、毎日の食事に感謝の気持ちを持ち、米の大切さを次世代に伝えていくことが重要である。茶碗に盛られた一膳のご飯に込められた農家の思い、自然の恵み、そして先人たちの知恵を、改めて見つめ直したい。
70年前のあの朝食の風景を思い出しながら、私は今日も茶碗を手に取る。湯気立つ白いご飯を前に、「いただきます」と手を合わせる。この小さな行為から、日本の農業と食文化の再生が始まるのかもしれない。
米は、やはり私たちの「命の元」なのである。